第4話 2月④ 正宗の家で

 昨日のナナとの出会いから一夜明け、僕は都立家政にある正宗の家にいた。アーティスティックなインテリアが置かれ、クールな洋物のポスターが貼られたおしゃれな部屋は狭いながらも整然としていた。正宗の愛機のギターも三本置かれ、曲作り用のPCと小さな鍵盤が机の上に置かれていた。


「……となると、この箇所の訳は……」


 僕は正宗に中国語の試験箇所を教えていた。


「おっ、だんだん分かってきたよ。一息つかないか」正宗が大学ノートを閉じて言う。

「そういえばさ、万里ちゃんとはどうなった?」


 正宗は興味津々といった感じで聞いてきた。


 万里(まり)は正宗が開いた合コンで知り合った女の子だ。僕は普段、合コンなんて行かない。正宗が無理に誘ってきたから、仕方なく行ったのだ。人見知りがちな僕にとって、かなり勇気のいることだった。


 合コンでは、正宗の独壇場。盛り上げ方を心得ている正宗のトークで場の空気が華やぐ。僕のことも持ち上げてくれて、やれこいつは勉強ができるだの、やれこいつは優しいやつだの言ってくれた。女には困らない正宗が合コンを開いてくれたのは、ひとえに女の子と付き合ったことのないのをいつも愚痴っている僕のためだった。


 中高と男子校で女子と縁のない生活を送っていた僕にとって、万里への気持ちは初恋といっていいものだった。合コンで初めて出会った時から僕は万里に惹かれていた。ミディアムの髪で目鼻が通った凛々しく可愛らしい顔つきに、屈託のない笑顔で社交的な明るい性格。演劇サークルで役者もやっているという。


「もう4回くらいデートしたよ。でもまだ付き合ってない」僕が答える。


「4回!? 俺だったら1回目でお持ち帰りだけどなぁ。次のデートで告白してみろよ。好きなんだろ?」


「そうだね。勇気を出してコクってみるよ」

 とは言ったものの、その勇気は持てるものか分からない。フラれることを想像するとなかなか告白できないのだ。


「4回もデートしているってことはだよ、相手もお前に気があんだよ」正宗がコーラをぐいと飲みながら言ってくる。

「そうだといいんだけどな……」僕の言葉には力がない。


 昨日のことを正宗に話してみようか迷ったが、ナナから話すことを止められている上に、話しても信じてもらえないだろうから黙っていた。もしかしたら、本当に夢だったのかもしれないとも思っていた。その後も万里のことを正宗と話したり、時々思い出したように勉強したりしてその日は別れた。


 中国語の試験を正宗と共に無事クリアーし、他の科目の試験も終え、残すは明日の民法の試験のみとなった夜。昼に試験を終え、その後に大学の図書館で勉強し、人通りのない夜道を歩いている時のことだった。


 前方からナナがやってきた。この間会った時と全く同じ格好だった。昨日のことは夢ではなかったのだ。


「聡吾、星に帰るか決めた?」長髪の黒髪の少女は単刀直入に聞いてきた。


「この間会ったばかりでそんなに早く決められないよ」僕は彼女との突然の邂逅に驚きながら話した。

「そう。星に帰るか決めるデッドラインは1年後。来年の2月末よ」

「分かった。それまでに決めるよ」


 彼女のいう惑星スカーレットに行くことをすぐ断ってもよかったのだが、まだ考える時間が欲しかった。他の全てを失うとしても、僕を苦しめ続ける統合失調症の症状がなくなるのは、やはり魅力的だ。考えるタイムリミットは来年の2月末か。時間はありそうだ。


「聡吾は大学の試験で勉強しているようだけど、惑星スカーレットではその必要もないんだよ。産まれた時に脳に埋め込まれる透過性のデータチップで、知識を蓄える必要はなくなるから。私はこの星の言語もそのチップで学習したのよ」僕の歩いている方向へ一緒に歩き、風に髪を揺らしながらナナが言った。


「すごいな。惑星スカーレットの技術はそこまで進んでいるんだね。あと、僕が勉強していることを知っているようだけど、僕のことは監視し続けているのかい?」


「悪く思わないでね。私も業務で監視しているのよ。さすがにお風呂やトイレの中までは監視しないけれどね」ナナが大して悪びれずに言う。


「君の気配は感じなかったけど、どうやって監視しているんだい?」僕は疑問に思ったことを聞いてみた。


「透視デバイスに空間の座標軸を入力すると、その地点の光景がデバイス上に表示されるのよ」


「よく分からないけど、すごい技術なんだね。でも監視されているのはプライバシーがない感じがして嫌だな」


「ごめんなさい。一度、惑星スカーレットに帰すと決めたターゲットは命の危険から遠ざける必要があるの。許して」ナナは肩をすくめながら、今度は本当に申し訳なさそうに言った。


「分かったよ。僕の行動は君しか知らないんだろ? 僕の周りにいる人は知らないし、来年の2月までの辛抱なら我慢するよ」


「ありがとう。惑星スカーレットは良い所よ。考えておいてね」

 ナナはそう言うと、自身の胸に手を当てた。すると、ナナが目の前からふっと消えた。ナナには驚かされてばかりだ。


 惑星スカーレットか。どのような所なんだろう? 僕は興味がわいてきた。そして、ナナの話だと、僕の魂はその惑星スカーレットで産まれたということになる。魂のふるさとか。にわかには信じがたい話だ。まあ、でもとりあえず明日の試験を頑張ろう。僕は深く考えずに家に帰ることにした。

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