第2話 2月② 僕の病気

 統合失調症は約百人に一人が発症する病気だ。精神機能のネットワークに関する病気で、発症すると感情や考えをまとめあげることが難しくなる。脳内の統合する機能が失調する病気なので統合失調症というのだ。


 統合失調症には複数の原因が考えられている。遺伝・脳の異常・気質・性格・環境……。性格に関しては、内気でおとなしく傷つきやすい人が発症しやすいと言われている。発症した後でそれを知って、確かにその性格は僕にも当てはまるかもしれないと思ったものだ。


 僕が統合失調症を発症したのは、高3の夏休みだった。夏休みは受験の天王山。僕は日本で最難関と呼ばれる国立の東帝大の合格を目指していた。尋常でないくらい、東帝大を目指す気持ちは強かった。毎日夜遅くまで努力して勉強した結果、その目標に見合うくらいの実力は持っていた。


 発症した夜も勉強に打ち込んでいた。勉強が一息ついて、僕は自分の好きなバンドが新しい曲をYouTube上に発表しているのを思い出した。【ソクラテスの悲鳴】という名前のバンドだ。類まれな知性を感じさせる楽曲とライブでのアヴァンギャルドで破滅的なパフォーマンスが一部の音楽好きの間で話題を呼んでいる。受験学年でも、このバンドの新曲をチェックすることだけは怠らない。スマホを取り出して新曲の観賞に耽った。


 ソクラテスの悲鳴の新曲「ストレンジャーの聖書」の動画を睡眠不足の目をこすりながら観ていた。ここ1週間はなかなか寝つけず、睡眠時間は平均3時間だった。


 いつもは2、3回観て終わる新曲のチェックだが、この曲は2時間くらいリピートし続けた。20回以上同じ動画を見続け、動画に出てくる光景の一つ一つ、動画から聴こえる音の一つ一つに僕の脳みそは完全にシンクロしていた。なんだか、とても懐かしい気持ちにさせる動画だった。僕は産まれる前にもこの曲を聴いていたような気がするなんて、おかしなことも考えだしていた。


 すると、この歌で歌われている「聖書」を僕も探しに行かなければという気持ちになってきた。この歌で歌われている「ストレンジャー」とは僕のことだと何の確証もなく確信していた。動画に登場する場所にその聖書の在り処の手がかりがあるはずだと思い、動画を映すスマホを覗き込むように見続ける。


 スマホの画面に映った動画がその続きを流し始める。誰も乗っていない赤い自転車が延々と緑の道を走っていく。


 後で知ったことだが、統合失調症には陽性症状と陰性症状があり、陽性症状の時には幻聴が聴こえたり、幻覚が現れたりするとのことだった。この時の僕も幻聴や幻覚にとらわれていたのかもしれない。


 赤い自転車が路端で止まる。それを見た僕はいてもたってもいられなくなり、家を出た。外は深夜で人通りもなく、店もコンビニエンスストアを除いて電気が灯っていなかった。聖書を探しに行かなければ、聖書を探しに行かなければ、聖書を……。僕の頭の中はそのような妄想でいっぱいだった。赤い自転車はどこにある? 緑の道はどこにある? そうだ、僕は全ての場所を知っているはずだ。


 当てもなく夜道を歩き続けた。いや、あの時の僕は、この道を歩き続ければ僕の探している聖書があると信じて疑っていなかったのだ。そうやって、すでに自宅から2駅分か3駅分は歩き続けただろうか。


 僕を取り巻く全てから逃れたかったのかもしれない。目前に控えた受験、クラスメイトからいじめられた過去、重度のアトピー、エトセトラ。それらから逃れるように、僕は夜道をさまようように歩き続けた。あの曲の聖書があれば、僕は全ての悩みから解放される気がした。


 聖書は見つからず、居ても立っても居られなくなり、スマホでその時の親友の藤原竜太に電話をかけた。共通して好きなミカンズというバンドがきっかけで仲良くなった友人だ。「聖書を探しているんだ」とはやる口調で僕は言った。竜太はもちろん訳が分からず、「何言ってんだ? 仲村」と言葉を返してくる。その後も話はすれ違い続け、なぜ話が通じないのかも分からず、僕は電話を切った。


 気付いた時には、僕は病室のベッドの上にいた。医師や看護婦達に囲まれながら、精神病院の閉鎖病棟のベッドの上でぐったりしていた。僕は自分がどこにいるのかも分からず、呆然と天井を見つめるのみだった。


「あなたの名前を言えますか?」僕が意識を取り戻したことに気付いた医師が聞いてくる。

「仲村聡吾です」ここはどこだ、この人は誰だと思いながら答えた。

「住所は?」続けて医師が聞く。


 その時になって、そうだ、僕は聖書を探していたんだと自分が何時間も歩き続けた目的を思い出した。この人たちは僕が聖書を見つけることを邪魔しようとする人たちに違いない。


「聖書は絶対に渡さないぞ!」僕は暴れようとしたが、拘束具をつけられているため、身動きができない。


 ひどく興奮状態の中にあった僕は、医師に注射を打たれて間もなく気を失った。



 後で両親から聞いたことだが、僕は真っ裸で夜道を歩いていて、警察に保護されてここに連れてこられたらしい。


 その後、病院での休養、デイケアでのリハビリを経て、僕の症状は回復期に入る。入院していた時期は、母親が家から電車とバスを乗り継いで2時間、往復4時間かかる病院まで、毎日僕の様子を観に来てくれ、励まし続けてくれた。だから、僕は今でも母親にだけは頭が上がらない。回復期に入った頃には、他の同級生が高校を卒業してから1年弱が経っていた。


 僕は出席日数が足りなかったが、高校の先生に卒業扱いにしてもらった。そして、浪人生として予備校で勉強して二浪で私立大学に入った。このようにして今に至るという訳だ。


 入学した大学は、東帝大よりも2ランクも3ランクも偏差値が劣る大学だ。しかし、大切なのは大学の偏差値ではなくて、大学で何を学んだかなのだという世の中にありふれている言葉を耳にし、大学に入ってからが大事なのだと思うようになった。


 もし、将来会社に就職できたら、仕事のことを考えずに勉強できる時間ほど贅沢なものはないと父も言っていた。と、そうはいっても、僕がしているのは単位取得のための必要最低限の勉強ばかりで、自主的に取り組む勉強はほとんどといっていいほどしていない。だけど、真面目でいい子君の僕は、授業はその場にいる誰よりも真面目に聞いていると自負している。根っからの真面目人間が僕を見たら、不真面目すぎてげっぷが出るかもしれないけれども。


 回復期に入ったといっても、1ヵ月に1回くらい苦しくなる時がある。電車の中で吐き気がしてその場にへたりこむ。食欲も出なくて昼食も夕食も抜くこともある。授業中に苦しくなって退席する。本当に苦しい時には「死にたい」と口に出して家族に迷惑をかけるほどだ。


 だが、そのことを除けば大学生活は順風満帆。知的好奇心の強い僕は、周りの生徒が寝ているような授業でも楽しく聞けた。9割の生徒が寝ている一般教養ので映画学の講義でも、アカデミックな映画の話は、世の中にはこんな世界があるのかと僕の両目を開かせた。


 進んで授業を受けたり、友人の正宗と遊んだり、まだ聴いたことのない音源を漁ったりして、楽しい大学生活の一年目は終わろうとしていた。ただ、いつも同じで変わり映えのしない毎日という感じもしていた。

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