星に帰る? ~一年間のお試しファンタジー~

遊道よーよー

第1話 2月① ナナとの出会い

「えー、だってさー。あいつ、ありえなくね? こっちがヒくような笑顔で「今日も頑張りましょう!」だよ?」

「たかがバイトだよね、バイト」


 僕は長居できる喫茶店でコーヒーを一杯注文し、それを飲みながら大学の期末試験のための勉強をしていた。隣のテーブルでは、二十歳前後と見られる僕と同世代の女性二人が話をしていた。おしゃれなネイルアートが施された爪の手でコーヒーカップを持ちながら、ペチャクチャと話し続ける。


「でさー、休憩時間に「好きな音楽とかあります?」って聞いてくんの。誰がお前と音楽の話なんかするかっつーの」


 その後も女性たちのバイトリーダーと思われる男性への罵詈雑言は続いていく。僕は席を立ち、会計を済まして外に出た。


 2月上旬の肌寒い新宿の街は、コートなどの上着を着ている人たちであふれている。僕は新宿駅東南口にあるタワーレコードに向かって人並みをかき分けながら歩いていく。月に一度は新譜を店でチェックするのが習慣なのだ。


 ああいう会話は苦手だ。先ほどの喫茶店での女性たちの会話を僕は反芻していた。どれほど自分から遠い人への悪口でも、自分への悪口のように聞こえてしまう。


 店内が混んできて、周りがチャラそうな若者たちの声でガヤガヤし始めたのも嫌だった。僕はヘロヘロ適当に生きているような感じだけど、チャラさとかそういった類のものを嫌悪していた。そういう僕もチャラいんじゃないかと言われれば、それまでだけれども。横断歩道を渡り、タワーレコードへと歩きながら、僕は物心ついて以来の自分のこの性質を呪った。


 不意にズボンのポケットに入れているスマホが振動する。画面を見ると、友人の正宗まさむねからの電話だった。


「もしもし、どうした?」僕が聞く。

「なあ、明日俺んち来ない? 明後日の中国語の試験で教えてもらいたいことがあって」悪びれもせずに正宗が言う。

「しょうがないな。行くよ」僕は何時に行くか約束して電話を切った。


 正宗は僕の語学クラスの友人だ。大学で一番仲の良い友人といっていい。というより、高校時代までの友人を除いて他に友人と呼べる友人はいない。


 正宗はSeacretというバンドでギターボーカルとソングライターをしている。僕は何度も彼のバンドのライブに行っているが、疾走感あふれるギターロックから心の琴線に触れるロッカバラードまでレパートリーが豊富で、なかなかに本格派だった。ドラマーを代えればもっと良くなると思うが、そのことは正宗に話していない。


 Seacretがインディーズレーベルから出したCDも大切に持っている。このCDはもう何十回とリピートした。一枚目のCDということもあって荒々しさもあるが、表現したいという強い欲求に支えられたCDだった。


 語学クラスの初めの授業で自己紹介の時間があった。僕がこの場にいる誰も知らないであろう洋楽のバンドを好きなバンドとして僕が挙げたら、授業終わりに正宗の方から「俺もそのバンド好きだよ」と話しかけてきた。正宗とはその時以来の付き合いだ。


 金髪に染めた短髪のパンクな髪型をしてモッズの服装に身を固めている奇抜な出で立ちなのだが、かといって人を遠ざけることもない。人当たりのよく外交的で豪気な性格の正宗は僕の性格とは対照的だ。僕はあんな風に根アカにはなれない。性格は正反対と言ってもいい二人だったが、音楽という共通の趣味があることもあって、不思議と気が合った。正宗といると楽しい。電話では正宗の家に行くことを「しょうがないな」なんて言いながら、内心は結構楽しみだったりもするのだ。正宗は多分それを見透かして電話してきている。


 目的地のタワーレコードに着いた。早速、試聴機を物色し始める。邦楽洋楽問わず幅広く新旧のロックを聴く僕は、ロックに関しては比較的詳しい方だと思う。しかし、インターネットを見ても分かるが、世の中には僕よりもロックに詳しい人はいくらでもいるし、クラシックやジャズなど他のジャンルも含めて詳しい人もいくらでもいる。もっともっと音楽に詳しくなりたい。人と張り合っているのではなく、音楽に触れることと音楽の知識を吸収することが純粋に楽しいから。それが将来なんの役に立つかと聞かれれば答えられないのだけれども。


 バンドのライブDVDの映像を流しているディスプレイの前で足を止める。あんなふうに演奏できたら気持ちいいだろうなと、僕は足で目立たないように小さく小刻みにリズムを取っていた。


 前から少し気になっているバンドの新譜の試聴機の前で立ち止まり、試聴に夢中になっていた僕は、真横に高校生くらいの年の女の子がいることに気付かなかった。僕を凝視する視線でその女の子にやっと気付いた僕は、試聴機のヘッドフォンを耳から外し、「何か?」と尋ねた。


「あなた、仲村聡吾なかむらそうご君よね?」背中まで黒髪を伸ばし、黒のチェスターコートを着た女の子が聞いてきた。

「そうですけど、どうしてそれを?」なぜ、この子は僕の名前を知っているんだ? 僕は有名人でもなんでもない。

「私の名前はナナ。ちょっと話したいことがあるの。人のいない所まで来てもらっていいかしら?」


 顔だちの整った綺麗な女の子なのだが、そうだとしても、見ず知らずの人にこう言われてついていくような人はいないだろう。


「話ならここで聞きますけど。それより、どうして僕の名前を知っているんですか?」

「まあ、ここで話してもいいわ。ここにいる人に機密事項を聞かれても、後で記憶を消去すればいいんだもの。少々面倒だけれどね」


 何を言っているんだ、この子は。僕の名前を知っているのもおかしいし、僕は霞みに包まれたような心地でいた。


 女の子は続けて話す。「突然の話で申し訳ないのだけれど、私たちの星に帰らない? あなたが今住んでいる星はあなたのいるべき所ではないわ。あなたはこの星ではワンダラー。私たちの星【スカーレット】に帰るべきなのよ」


 新手の新興宗教の勧誘だろうか。事情が全く飲み込めない。

「すみません。あなたの話していることは全く分からない」僕は率直に言った。

「単刀直入すぎたみたいね。いいわ、順を追って話すわ」女の子は少し面倒そうに顔をしかめながら言った。


「魂は星のエネルギーが産み出すもの。そして、魂は人間などの生物の身体を寄り代として宿る。哺乳類では基本的に母親のお腹の中にいる胎児に宿るわね。人間用の魂は人間の身体に宿るんだけど、惑星スカーレットではそこが問題なのよ。星が産み出す人間の魂の数よりも、寄り代となる人間の身体の数が少なくて、身体に宿れない魂が出てくるわ」そこまで女の子はよどみなく一気に話した。


 一息ついてから女の子はまた話し始める。「惑星スカーレットで身体に宿れなかった魂は宇宙を旅することになるわ。それではるばる地球までやってきた魂が地球の人間の身体に宿る。こんなふうに自分の星ではなく、他の星の身体に魂が宿った一人の人間を私たちの星では【ワンダラー】と呼んでいるわ。私の役目は他の星のワンダラーを惑星スカーレットに返すこと。これは……」


「ちょっと待ってください」僕は彼女の言葉をさえぎった。


 詐欺や宗教の勧誘なら早々に断らなくてはいけない。小心者の僕は勇気を出して言葉を紡いだ。「あなたの話は常識はずれで何もかもが信じられない。あなたが僕の名前を知っているのは疑問だけど、その理由を話してくれないなら、申し訳ないけれど時間の無駄です。ここで失礼します」


 僕は女の子に背を向け、タワーレコードのフロアを出るためにエスカレーターに向かった。


 女の子は背後から呼び止めた。「待って。あなた、統合失調症でしょう?」


「どう……してそれ……を?」僕は驚きのあまり、言葉を詰まらせながら振り向いた。

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