1 決意

 西暦2365年12月25日。人類の約40%が致死量の放射線に被爆し、あらゆる通信網がダウン。個人から政府レベルまでのあらゆるデータが消滅した一大事件。

後に、『死のクリスマス』と呼ばれることとなるその事件は、超大規模の太陽フレアによるものだった。


 それから10年、西暦2375年4月15日。フレアによる被害は想像以上に大きく、アルファやアトラス、地球に深刻な影響をもたらしていた。

 

 当時、アルファ内に居た住民の多くは死亡したが、奇跡的に0.5%ほどの住民は致死量の被爆に足りておらず、緊急の医療手術を行い、助かっていた。


 しかし、アルファの内、太陽から近い距離に位置していた所は、そのほとんどが機能を停止。居住施設としては使い物にならなくなっており、多くの難民を生んでいた。


 難民の多くは、居住していたアルファから近い地球に移住。だが、地球も相当な被害を受けていたため、難民受け入れには多くの州が反対。放射線による被爆から、居住地としてのスペースが限界に近かったのだ。また、政府の政治統制も効かなくなってきており、郊外では強盗などが横行していた。


 世界の国々が統一政府となって、170年。すでに、統一政府としての役割が限界に近づいていた。 

 


 州の受け入れ反対に対して難民の多くは抗議した。大半は対話による交渉で、何とか受け入れを許可してもらっていたが、一部の勢力は受け入れを拒否した州に反発し、武装蜂起していた。このような勢力はそれぞれ世界各地の地下に独自の自治区を設け、虎視眈々と地上の居住地の奪取を画策していた。


 そして、北西大陸のとある地下自治区にいる、ある一人の少年にも、運命の選択は刻一刻と迫っていた。


―――北西ブーストン州エリア6地下自治区。

 

 北西最大の地下自治区であり、武装蜂起勢力の本部があるところでもある。収用限界規模は約18万人。


 戦闘員数は、その内の約11万人にも上る巨大勢力である。


 しかし、ほぼ全員が実際の戦闘に関しては未経験者。政府の軍人には到底及ばない戦闘スキルであり、死のクリスマスから10年間、そっと息を潜めて隠れて生きてきた。


 だが、それももう、終わりの時を迎えようとしていた。


「どうした、シオン。そんな暗い顔して」


 エリア6の共同ダイニングルームにある端っこの席に、一人で腰掛けているボサボサ黒髪の少年に向けて男は話しかける。

 

 男の名は、アベル・ハレス。元アルファ4の出身であり、シオンと呼ばれたボサボサ黒髪の少年とは幼なじみの18歳の少年である。赤髪が特徴的で、どこか飄々とした雰囲気を醸し出している。だが、細身の見た目の割にはしっかりとした筋肉があり、贅肉の影は見られない。


「なんだ、アベルか。何か用?」


 アベルに声をかけられた少年シオンは、アベルを見た途端、どこかむすっとした表情を浮かべる。瞳の中は涼しくも、悲しみに取り付かれたような空っぽさが併存していた。年齢は17歳。年齢以上に彼は周囲から大人びて見えた。優しさを持ちながらも、普段は愛想の無さと無気力さを感じる、不思議な雰囲気の少年である。


「相変わらずだな、お前。用が無くたって話しかけても良いじゃんかよ。いやさ、お前が暗そうな顔してたからよ、話しかけたんだよ」


「ああ、そうか。やっぱり、顔に出るってことか」


 シオンは、テーブルに置かれたコーヒーカップに目を追いやり、波打つコーヒーに写る自分の顔を見て、そう呟く。


 そんなシオンを見て、アベルは髪の毛に人差し指を突っ込んで頭をカリカリと1~2秒ほど掻く。すると、シオンの目の前の席に座り、真剣な表情をすると、一言、口を開く。



「怖いのか?」



「…………別に、そういう訳じゃない。いつかは始まることだって分かってた。いつかは、こうなる運命だって知ってたさ。けど、その時が自分が思っている以上に早かった。それだけだよ」


 シオンの問いに対して間の余白を少し置くと、アベルは、別の問いを投げ掛ける。


「覚悟はあるのか?戦う覚悟は。俺たちはこの10年間、そのために生きてきた。地下じゃなく地上で暮らすために」


「あるさ、もちろん。死ぬことは怖くない。戦う覚悟くらい俺にだって……」


 続きを言おうとするシオンをアベルは止める。


「違う。俺が聞いているのは、死ぬ覚悟じゃない。戦いで、人を殺す覚悟だ」


 アベルの言葉に、シオンは一瞬、目を大きくする。自らの核心を突かれたことに、表情を隠しきれなかった。


「それは……」


 シオンには、その答えを出す余裕は無かった。そう悟ったアベルは席を立つ。


「なぁ、シオン。俺はやるぜ、勝つために。心配すんな、何かあったら俺がお前を守ってやるよ。俺たちは幼なじみだからな。それに、お前は弱そうで、目を離すと死んでしまいそうだしな」


「な、何っ!? おい、アベ……」



 アベルは、冗談半分のようにそう言い、少し怒って席を立つシオンを横目に見ると、「悪い、悪い。怒んなよ」と、後ろ手を振って去っていった。


 残ったシオンは、席に戻ると、一気にコーヒーを飲み干し、天井を見上げる。無機質なホワイトカラーの天井。上を見る度に、ここが人工の地下空間なのだと再認識させられる。そして、その度にシオンはこう思うのだ。


 

 『いつかは空を見てみたい』と。



 シオン・アルフォード。17歳。彼の人生は、10年前のフレア発生で変わった。人類の約40%を死に至らしめた放射線の被爆は、当然シオンの家族らにも及んだ。

 当時、アルファ4の行政官を務めていたシオンの父、フィルマン・アルフォードは、久しぶりの休暇を家族と自宅で過ごしていた。ISDA(国際宇宙開発局)からの生中継サプライズがあったからだ。


 アトラスの発表は、アルファの行政官など、一部の役人は知っていたが、民間人へのサプライズとして他言禁止の命が出されていた。

 

 そのため、フィルマンは自宅で家族とその発表の一時を心待ちにしていた。シオンや妻のセリアには、何の発表があるのか教えてほしいとせがまれていたが、ニヤニヤと誤魔化すばかりで、内緒にしていた。


 三人はリビングのモニター前で、じっとその時を待ちわびていた。そして、その時はやって来た。アトラスの発表がなされると、セリアやシオンは目を輝かせた。


「お父さん、すごいね!僕たち、違う星にも行けるんだ!」


「こらこら、気が早いぞ。まぁ、シオンが大きくなったら、父さんが連れていってあげるよ」


 父の言葉にシオンは嬉しくなった。


「本当っ!?ねぇ、いつ連れていってくれる?」


 フィルマンは、少し考えてから、こう言った。


「よし、じゃあシオンが17歳になったらな。アトラスは探査用も兼ねているから子どもは連れていけないんだ。だから、10年後。アカデミア卒業後に、連れていってあげるよ」


「あなた、本当にいいの?」


 セリアの問いに、フィルマンは笑顔で首を縦に振り、頷く。それを見て、セリアも子どものように無邪気な笑顔で喜んだ。


「じゃあ、三人で約束しましょ。10年後、アトラスへ移住して、色んな星に行くの。きっと楽しいわ」


 セリアは、指切りのポーズを取って、二人の前に差し出す。フィルマンとシオンは、それを見て、セリアの指に同じように重ね合わせた。


 三人は声を合わせて、誓った。


 

 『約束だよ』と。



 そして、それから10年の年月を経た。


 シオンは、生まれた頃から空を見たことがなかった。正確には、本物の空をだ。アルファ内には、極めて忠実に再現された空は存在する。だが、地球の美しい空に憧れを抱いていたシオンにとっては、味気ない物だった。そのため、いつか本物の空を見たいと思っていた。


 皮肉なことに、その願いは叶うことになる。ただし、すでに母なる星、地球としての姿は薄れかけた状態でだ。


 フレアにより、シオンは家族を失った。希望の一日が、一瞬で絶望の縁へと追いやられたのだ。太陽に近い位置にあったアルファ4の人々は、そのほとんどが、一時間もしないうちに、命を落とした。

 

 その中で生き残った、シオンやアベルたちは奇跡としか言いようが無かった。

 

 フレア発生から一週間もしない内に、シオンたち難民は、地球へと向かう。フレアによる自転機能、疑似太陽光エネルギー、その他システムの障害が起き、一刻も早い移住が迫られたからだ。


 シオンが初めて、空を見たのはその時だった。自分の夢見た空はそこにはなかった。美しい星は、どこにも見当たらなかったのだ。気候にも影響が起き、濁りに満ちていた。


 シオンは諦めたくはなかった。いつか、必ず綺麗な空を見る。そして、アトラスに乗って、旅をするのだと、そう考えていた。


 10年間。あの時の少年の小さな願いは、今もこの世界に受け入れられることはない。


 ダイニングルームで、当時のことを思い返していたシオンは、席を立った。もうすぐ、戦闘訓練の時間のためだ。飲み終えたコーヒーカップを、食堂の食器返却口に置くと、訓練室へと足を運んだ。


 足取りは重たい。元々、戦いは好きではなかった。


 何故、同じ人間同士で争わねばならないのか、それがシオンには理解出来なかった。いや、頭では分かっていた。


 自分たちが安全な土地で生きるという、当たり前の幸せを手に入れるには、こうするしかないのだと。言葉では、分かってくれない人間もいる。こちらがどれほど頼んでも、拒む人間もいる。人は、誰もが自分が正しいと信じて疑わない。その思いがぶつかり合うことで、争いが生まれるのだと。


 しかし、心はその理屈を拒否していた。優しい心を持つがゆえに、理性に想いが追い付いていなかった。


 ロッカールームに到着したシオンは、戦闘服に着替える。一世紀前、23世紀頃に開発された特殊スーツで、旧式の弾丸程度ならば、数発当たっても何の問題もない耐久性を備えている。


 着替え終わると、ロッカーの扉を閉め、訓練室へと向かう。


 心の中で、シオンは、呟いた。


『父さん、母さん、俺、17歳になったよ。約束の日、過ぎちまったな』


 訓練室の扉を開け、中に入ると、そこには数百名ほどの男女が組手や、射撃訓練をしていた。その中に、見知った人物が5人。


 5人は休憩中なのか、仲良く隅っこの長椅子に座り、話し合っている。シオンがこちらの様子を見ていることに気付いた女の一人が、手を振って合図をする。


「おーい、シオン!何してんの、こっち来なよ!」


 シオンは女に言われた通り、5人のほうへと向かう。ゆっくりと向かうシオンに対し、女が「遅い、遅い。早く来なよ!」と、急かす。


 女の名前は、セシリア・コルフェンツ。17歳。元アルファ3出身で、シオンとはエリア6で知り合った仲だ。


 黄金色のサラサラとしたセミショートの髪。肌は健康的な程よい白さをしている。背は、シオンの肩に顔が来るほどである。静かにするのが性に合わない彼女は、いつも川辺で泳ぐ魚のような溌剌さをしている。それを時折、喧やかましいと思うシオンであるが、彼女の屈託のない笑顔を見ると、どこか憎むことが出来ないのもまた事実だ。


「分かったよ」


 シオンは、やや足早に5人の前に行く。5人の前に着くと、シオンに対し、男が話しかける。


「シオン、今日は遅かったね。僕たち、組手はもう終わったよ」


 大人しそうなこの少年は、エルマン・マクリアス。16歳。5人の仲では一番年下で、シオンからして見れば、年の近い弟のような少年だ。ふさふさとした茶髪に、やや小柄だが均整の取れた体つき。どちらかと言えば人見知りな少年は、いつもシオンたちと行動を共にしている。


「『今日は』じゃなく、いつもな。どうせまた、コーヒーでも飲んでたんだろ。そうだろ、アベル?」


「ははっ。まさしくその通りだ」


 エルマンの横に座っていた青髪の男が、アベルに問うと、アベルは笑って頷く。クールな雰囲気をしているこの男の名は、クロード・アークライト。18歳。5人の中では一番背が高く、戦闘訓練においても、抜群の腕前を誇る。シャープに整った眉に、鼻筋の通った端正な顔つき。男らしい筋肉質な体つきをしており、まだ18歳とは思えないほど、落ち着いている。


「アベル、笑っちゃだめよ。シオンだって、サボろうとしたわけじゃないんだから。シオン、元気?」


「うん。元気さ」


 女に話しかけられ、シオンは返事をする。彼女の名は、エマ・シェルミア。淡いピンクベージュ色のセミロングヘア。星屑が在るかのような綺麗な黒い瞳に、透き通るような美しい肌。生命力に溢れる太陽のような優しいオーラは、女神を想像させる。


「そっか、それなら良かったよ」


 エマはそう言い、喜ぶ。他人の気持ちや健康を思いやる、そんな性格が滲み出ている。


「コーヒー飲むのは構わないけどさぁ、あんた、毎回遅れてると、エドガー隊長に怒られるよ」


 遅れてやって来るシオンをセシリアがぷうっと頬を膨らませて注意する。すると、シオンたちの背後から男が、近づいてきた。


「シオン・アルフォード!!」


 男は、大声でシオンの名前を呼ぶと、眉間にシワを寄せ、口調は重く荒い。その態度には、怒りの気が見え隠れする。


「あちゃー、噂をすれば……」


 セシリアの見た先には、エドガー・ランスがいた。明らかに遅刻しているシオンに対して、怒っている彼は、シオンたちが所属する隊の隊長である。元軍人であり、今も昔も変わらず、鬼隊長と恐れられる人物である。屈強な肉体に、力強い覇気。渋さのある顔立ちは、まさにそのあだ名に相応しい外見をしていた。


「また遅刻だな。これで何回目だ、答えてみろ。アルフォード」


 エドガーは、上から睨み付けるようにシオンを見る。シオンは、何とも思わない様子で、「……はぁ。えっと、10回目くらいでしょうか」と答える。


「違う。34回目だ!貴様、何度言っても直そうとしないようだな。それは、部隊長である私への反抗と受け取って良いのか?」


 拳を握りしめるエドガーを見て、シオンも観念したように謝る。


「すみません。ボーッとしてたら、時間を忘れてしまい。自分では、急いで来たつもりなんですが」


「……まったく、仕方のないやつだ。いいか、まだ若いから多目に見てやっているが、これ以上の遅刻をするようなら、容赦はしないからな。いいな!」


 エドガーは、そう言い、奥の部屋へと向かう。エドガーが立ち去ったのを見ると、エマが「危なかったね、大丈夫?」とシオンの顔を覗き込む。


「ああ、問題ない。いつものことさ」


 平然とした態度を取るシオンを呆れたようにクロードは、言う。


「お前ってやつは……。本当に反省してるのか?」

 

「無駄だよ、クロード。シオンは、どうせ何とも思ってないんだから」


 セシリアも呆れたように呟く。そんな二人を見て、そよ風を吹くように笑うエマ。


「それより、組手の相手が決まってないなら相手になるぜ。シオン」


 アベルが、腕をぐるぐると回しながらシオンに言う。シオンは、アベルの問いに頷く。


「分かった、やろうか。でも、負けないからな」


「お、言うようになったじゃんか。シオン、行くぞ」


 駆け出し、闘技場へ向かうアベル。シオンも向かおうとすると、エルマンが「じゃあ、シオン。僕たちも、射撃訓練してくるね」と皆と一緒にアベルとは反対側へ向かう。


「シオン、アベルに負けないよう頑張りなよ!」


 振り向き様にセシリアがそう言うと、「ま、結果は分かりそうなもんだけどな」とクロードが若干嫌味な態度で言い、エマも「期待してるね!またね!」と、手を振り、去っていった。


「ああ。じゃあ皆、後でな」


 シオンも手を振り、アベルのところへと向かう。


 訓練室にある、広い闘技場。周りは、各ルームごとに、透明な特殊強化障壁に覆われている。いわゆる、シールド・システムである。闘技場内では、すでに、何人かの試合が行われている。


 入り口の手前の部屋で、アベルが手を振っていた。


「始めようぜ、シオン!」


 シオンは部屋の入り口に手をかざし、中へと入る。


「準備はいいか?」


 アベルはそう言うと、拳を前に出し、構えを取る。シオンが何も言わずに、同じように構えを取るのを見ると、アベルは、シオンへ向かって走った。


「舌、噛むなよ!」


 飛び上がり、顔に向けて右回し蹴りを炸裂するアベル。だが、シオンは左腕で防御し、右手でアベルの右脚のすねを掴む。そのまま、投げ飛ばそうとすると、アベルは、体を右に勢いよく反転させ、がら空きとなったアベルの顔を左回し蹴りで攻撃する。


 しかし、それを首を後ろに引くことで、かわそうとする。直撃は避けたものの、鼻先を足の指がかすめた。ポタポタと、鼻血が垂れる。


「くっ……」


 後ろへ下がり、左手で鼻を押さえるシオン。アベルは、体勢を立て直し、また向かってくる。


 瞬発力のある、左の軽いジャブを放つアベル。それを右にかわし、横から体を捻りながら、右拳をアベルの顔目掛けて、放つ。アベルは、体を丸くし、シオンのお腹の辺りに屈める。


そこから、右拳をシオンの左脇腹に向けて、円形状の軌道を描き、放ち打つ。避ける暇なく、捻るように見事にクリーンヒットする。


 悶絶の表情を浮かべ、地面に膝を付くシオン。


「……終わりだな。シオン、この試合、俺の勝……」


「まだだ……。まだ、終わってないさ」


 アベルが言い終わる前に、シオンが否定する。痛みを堪えながら、立ち上がるシオン。


「おいおい、止めとけって。これ以上は……」


 アベルの言葉に反し、構えを取るシオン。その目はまだ死んではいない。それを見て、驚くアベル。


「シオン……お前。……そうか、分かったよ」


 アベルも再び構えを取る。一瞬の間。互いに隙を作りまいと、気迫で相手を牽制する。先に動いたのは、シオンだった。左と右のパンチを交互に打ち込む。リズムを取りながら、アベルは、それをかわす。


「そんなんじゃ俺は倒せねぇぜ。いいか、シオン。パンチってのは、こうやるんだ」


 左拳を直線に放つ。ストレートパンチが、シオンの額に当たる。思わず、後ろによろけるシオン。だが、しっかりと足を床に着け、持ち直す。


「何だ、アベル。そんなんじゃ俺は倒せないぜ」


 先ほどのアベルの台詞を笑って返すシオン。そんなシオンに、口元に笑みを浮かべ、アベルは言う。


「……やるじゃねぇか。珍しいな、まだ倒れないなんてよ」


 シオンは、またも左と右の拳を交互に打ち込む。


「俺だって怠けてるわけではないんでな。少しは、成長してるのさ!」


「成長ねぇ。なら、こんな単調な攻撃は止めて、もっとマシなのを打ち込んで来いよ!」


 アベルも先ほどのストレートパンチをもう一度繰り出す。同じように食らうシオンではあるが、避ける動作を見せたため、やや浅く入る。


 そして、スピードを上げ、またも同じ攻撃を続けるシオン。アベルは、軽々とかわしながら、「しつこいな、違う攻撃は出来ないのかよ!」と言い、また左のストレートパンチを打ち込む。


 しかし、それは頬をかすめるだけに終わり、すぐにシオンが、リズムを取りながら、何度も、同じ攻撃を繰り返す。


「少し、避けられたからって、いい気になるなよ。これで、どうだ!」


今までで一番、重い左拳を打ち込むアベル。瞬間、シオンの目付きが変わり、左拳を打とうとした手を引っ込める。


 そして、シオンもまた、全力の右拳を、アベルに目掛けて、放つ。


「しまっ……!」


 クロス・カウンターが、アベルを襲う。アベルは、後悔したが、そのまま、左拳はシオンへと向かう。


 炸裂。両者の強い一撃が、互いの顔面を捉える。真っ白な光景が、目の前を遮り、二人とも、仰向けに地面へと叩きつけられる。


 ダブル・ノックアウト。相討ちに終わり、静寂の時が、流れる。だが、数秒後、片方がゆっくりと、立ち上がる。


 倒れたままの相手を見ると、攻撃の直前のことを思い返す。


(危なかった……。もし、直前で体勢を崩さなかったら、完全に捉えられていた。こいつ、だから、何度も同じ攻撃を……。)


 相手の目の前に立つと、相手を抱き抱える。


(まったく、すごいやつだよお前は。お前は負けちまったかと思うだろうが、そんなことないぜ。俺は、クロス・カウンターを狙われていることなんて、気付きもしなかった。お前の勝ちだよ。弱いままかと思っていたが、成長してるんだな。)


 抱き抱えられた相手を見ると、優しく心の中で男は呟いた。


(……強くなったな、シオン。)


 数十分後、シオンは、医務室で目覚めた。部屋の明かりに、一瞬、眩しくて瞬きする。途端、女がシオンの手を握る。


「良かった、起きた!シオン、怪我は大丈夫?」


 エマだ。心配そうにこちらを見つめるエマに対し、「大丈夫。特に、痛みは残ってないよ」とシオンは、体を起こし、笑顔で言う。


「あんた、本当に大丈夫?アベルの話だと、随分と攻撃をもらってたみたいじゃない」


 エマの後ろにいたセシリアが、顔を出す。


「セシリアか……まぁな。ところで、アベルや皆は?見当たらないけど」


 部屋には他には、誰もいなかった。


「ああ、皆なら食事に行くってさ。射撃訓練は、すぐに終わったからね」


 セシリアが、「自分たちだけ置いていって食べに行くなよな~」と、不満の表情を浮かべ言う。それを見て、「ハハッ」と、少し笑うと、シオンは、「痛たっ……」と、腹を押さえる。


「ダメよ、まだ。横腹にも当たったって、アベルが言ってたわよ」


 エマが、体を起こしたシオンをまた、寝かせる。


「そうだな……。二人とも、看病してくれてありがとう。俺はいいから、二人も昼飯、食べに行きなよ。午後には、チームごとの実戦訓練もあるだろ?」


「そうね。でも、無茶しないことよ。あんた、目を離すと、無茶ばっかりするから」


 セシリアが忠告すると、「それはお前もな」と、笑って返すシオン。エマは、「本当にいいの?」と確認するが、「構わないよ」とシオンは言う。


 二人は手を振り、医務室から出ていく。扉の音が閉まると、部屋は静かになり、掛け時計の針の音だけが、部屋の中で鳴り続く。また、一人の時間を過ごすシオンは、先ほどの組手を思い返す。


(あの時、アベルには気付かれずにカウンターを打つことが出来た。確かに、右拳は当たったはず。でも、負けちまったんだよな。……やっぱり、強いな、アベルは。これで、何度目だろう、負けるのは。……エドガー隊長の話では、もうすぐ、戦争を起こすと言ってた。俺たちは、豊かな土地を求めて戦う。でも、それが、本当に正しい選択なんだろうか……。)


 シオンは、時計の針の動きを見る。


(時間だけが進んでいく。俺の気持ちよりも、ずっと早く。……俺も、覚悟を決めるべき、なのかな。)


 シオンは、考えに耽りながら、ゆっくりとその目を閉じると、静かに眠りについた。


 一方その頃、ダイニングルームでは、アベルたちが昼飯を食べていた。ステーキにかぶり付くアベル。その様子を汚い物でも見るかのようにクロードが、「丁寧に食べたらどうなんだ。アベル」と注意するが、当のアベルは、「おっけ、おっけ」と言いつつ、美味しそうに食べる表情を浮かべ、食べ続ける。


 クロードは、仕方ないとばかりに説教を諦め、自身は、綺麗に肉をナイフで切り、ゆっくりとフォークで口に運ぶ。その様子を見て、エルマンは「二人とも、相変わらず、真逆だね」と呟きながら、カツ丼を食べる。


 そこに、シオンを置いてやって来たセシリアとエマが、皆の前に立つ。


「おっ。三人とも、美味しそうだねぇ。いいなぁ、私は何にしようかなぁ」と、セシリアが言う。


「やぁ、セシリア、エマ。シオンはどうしたの?」と、エルマンが箸を止め聞く。


「うん、それがね、シオンは休んでるの。まだ、ダメージが残ってるみたいで……」と言いながら、エマは、アベルのほうを見る。それに気がついたアベルは、「うん?どした?二人とも、早く座って注文しろよ。飯、無くなっちまうぞ!」と、肉を頬張りながら言う。


 その様子を見て「はぁ……」と、エマはため息をつくと、セシリアと一緒に皆の横に座る。


「で、容態は。問題ないのか?」クロードがセシリアに聞くと、「まぁ、笑えるくらいには元気みたいよ。シオンもああ見えて頑丈だからさ」と、笑って言う。


「そうか、それもそうだな。注文するが、何にするか決めてるか?」


 クロードが、テーブルの上にある自分の近くのタッチパネルを触って聞く。


「ありがとう、えっとね、私はオムライスにしようかなぁ」


 セシリアが、今日のオススメと書かれているところを見て言うと、クロードは「エマは、どうするんだ。決まったか?」と聞く。エマは、「うーん……」と考え、「パスタと、サラダにしようかな」と答えた。

クロードは「了解」と頷くと、注文をする。


「あ、そうだ。今日の実戦訓練だけど、僕たちの相手は、あのヤミたちだって」


 カツ丼を食べていたエルマンが、ふと思い出すように、そう言う。その名前を聞いて、「ゲッ……」と、セシリアが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


 すると、アベルが頬張っていた肉を飲み込み「ヤミか。それは面白そうだな。あいつ、強いし」と嬉しそうにする。そんなアベルとは裏腹に、「あんた何喜んでんのよ。あ~、私、あいつ苦手なんだよねぇ」と、

テーブルに頬をつけ、腕をバタバタとさせる。


「何でだよ、良いじゃんか」と言うアベルに対し、セシリアは「どこがよ!あいつ、態度がムカつくのよ。偉そうと言うか、しつこいと言うか、何と言うか。そう、例えるなら、蚊ね。蚊!」と言う。


 すると、料理を待っていたセシリアとエマのところに、料理を持って人形ひとがたロボットがやって来た。


「お待たせ~!ご注文は、セシリアとエマの二人で、オムライス、パスタとサラダで良かったかな?」


 ロボットは、まるで人間そっくりで、可愛らしい女の子の姿をしている。


「ありがとう、パウラ!」


 セシリアが、テーブルに置いてもらったオムライスを見て、言う。エマも、「いつもご苦労様!」と、お礼を述べた。


「いえいえ。ごゆっくり~!」


パウラと呼ばれた女の子のロボットは、お辞儀をすると、笑顔で厨房へと戻っていった。それを見て、セシリアは「うんうん、出来た子だな~」と満足そうな表情をし、感心する。


「いいから、早く食えよ。冷めちまうぜ」


 アベルが、感心してるところをぶち壊しにすると、セシリアはスプーンを持って、怒りの表情を浮かべる。それを、エマとエルマンの二人が「まぁまぁ。落ち着いて……」と、なだめるが、アベルは、気にもしない様子で、またステーキを食べる。


 その様子を見て、クロードは「これは一生直りそうにないな」と、呟いた。


 30分後、食べ終わり、一段落したところで、皆はシオンの様子を見に戻っていった。


 部屋に着くと、勢いよく扉を開けるアベル。


「おーっす。生きてるかぁ、シオン!」


 笑って入るアベルを、セシリアは「あんたにはデリカシーの欠片もないのか!」と、アベルの頭のこめかみをグリグリと擦るように両方の拳で攻撃する。


「痛たたっ!悪い、勘弁してくれ!」と、アベルは、手を上げ、降参する。


「……医務室だぞ。ちょっとは静かにしろよな。他の部屋にも、休んでるやつはいるんだぞ」と、シオンがベッドを起き上がりつつ、言う。


「よ、よう、シオン。元気そうだな、良かったぜ」


 若干、瞳に涙を貯めたアベルが、そう言うと、「もう直ったよ。ただの打撃攻撃だしな」と、問題なさそうな顔をする。


「どう?午後の実戦訓練には出られそう?」


 エマが、シオンに聞く。


「やれるさ。ほら!」と、左のストレートパンチを、アベルに目掛けて、放つ。


 それを、右手で受け止めるアベル。


「……確かに、大丈夫みたいだな。シオン」と、手の平に感じた威力を確認する。そして、アベルも笑って、左のストレートパンチをシオンに放つ。


 それをシオンもしっかりと受け止め、にっと笑う。


「だろ?」


 二人のやり取りを見て、エマ、セシリア、エルマン、クロードの四人は微笑ましそうに、口元を緩ませた。


 実戦訓練をするため、エリア6の一番奥深くにある、フィールドへと向かうシオンたち。


 その途中で、シオンは対戦相手がヤミのチームだということを聞いた。


「ヤミたちとか……。俺はちょっと苦手だな」


 シオンが、少し、嫌そうにする。それをセシリアが「でしょ~!シオンも嫌だよね!あいつ、なんか感じ悪いもんね。ね!」と、後ろから、シオンの肩に手を伸ばし、言う。


「いや、俺はそういう意味じゃなくて、戦いにくい相手だなと……」と、シオンは、セシリアの言葉を否定する。


「え~!何でよ、あんたまで、アベルと同じなわけ!私には理解できない!」と、自分の腰に手を当て、ぷいっとそっぽを向く。


 そんなセシリアを放っておいて、皆は歩き続ける。


「正攻法というよりは、のらりくらりとした戦い方をするやつだからな」


 アベルが、頭の後ろで手を組みながら、話す。


「ああ。ヤミは、どちらかと言えば、前に出て堂々と戦うよりも、相手の隙を狙って倒すことを重視するやつだ。だから、一度、あいつの手中に入ると抜け出すのは困難だ。どうしたら……」


 シオンは、作戦でも思案するかのように、首を傾げる。それを見て、クロードが提案する。


「あいつのやり方は厄介だが、対処出来ないことはない。そうなる前に潰せばいい」


「いやいや、それは、厳しいでしょうよ。クロードが強いのは分かるけどよ、あいつも弱くはないぜ。むしろ、強いくらいだ」と、アベルが、否定する。


「シオンは、どうしたら勝てると思う?」と、エルマンがシオンに聞く。


「……どうだろうな。でも、やるしかないさ。これが本当の戦いなら、予測出来ないことだって起こるだろうし」


 いつになく、真面目に語るシオンを見て、ぷっと笑い出すエルマン。


「な、何だよ、エルマン。可笑しなことでも言ったか、俺?」


「いや、別に。シオンが真面目に戦闘のことを考えてるのが珍しくて」


 同感とばかりにアベルやクロードが頷く。


「二人まで……。エマもそう思うか?」


 シオンが聞くと、エマは、「ちょっとね」と、ポーズを取って答える。


 皆がそんなことを話しているとき、少し後方で、セシリアが「ちょっと、みんな!置いてかないでよ!無視はひどいよ!」と、怒ってるのか、悲しんでいるのか、よく分からない態度を取りながら、追ってきた。


 場所は変わり、エリア6最奥地、実戦戦闘フィールド空間。


 シオンたちが中に入ると、多くの部隊が終結していた。その数、およそ2万人。各チームごとに、戦うとはいえ、かなりの大規模な実戦訓練である。


 

 







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