やりなおし.2

 がくっ、と首から頭が転げ落ちそうになって、俺は目を覚ました。


「おいおい、大丈夫か?」


 正面から声がかけられる。


「あ、あぁ……悪い、一瞬寝てたかな」


「疲れてんのか。まだぜんぜん飲んでねえじゃねえか」


 正面の男――中学からの同期である土田は、ぐいっとジョッキをあおると、店員を呼んでおかわりを注文した。

 週末の居酒屋は賑わっていて、一対一でも少し声を張らないと会話が出来ない。


「で、なんだっけ」


「んーや、そんな改まって話すような話はしてねえよ」


「そっか」


 並んだ皿のうちから、枝豆をつまみつつ、わずかな沈黙。


「……何か、話したいことでもあるんじゃないの」


 さほど気のないふりをして、尋ねる。ん、と頬張っていた唐揚げを咀嚼する土田。


「ゆっくりでいいよ」


「悪い」


 飲み込んでから、土田が切り出す。


「俺な、起業しようと思うんだ」


「ほーん」


「何だよその返事」


「いや、驚いてるよ。そんでそんで?」


 子どものように口を尖らせる土田をなだめて、続きを促す。


 昔から土田にはこういうところがあった。感情を素のままに出すというか。もちろん社会人になってからも、何でもかんでもそのままではいられなかっただろうことは、端々から感じられた。それでも愛想笑いが得意になる自分とは、少し違うな、という思いがあった。


 土田は語った。扱おうと思う業種、展望、現時点で考え得るあれやこれやを。正直に言えば、土田がそこまで綿密に物を考えられるやつだとは思っていなかった。


「金の目処もついているんだ。今からなら補助金の応募にも間に合う。それでさ――」


 予想外とは思わなかった。


「お前も、立ち上げに加わってくれないか」


 ”部外者”に、こんな話をするわけがないからだ。


「……なんでまた、俺?」


 残っていたチューハイに口をつけながら、尋ねる。


「信用してんだよ、お前を」


 目を合わせられない俺に対し、土田は真っ直ぐに告げる。


「買いかぶり過ぎだよ」


「そうでもない。学生の頃を思い出しても、仕事の話を聞いていても、お前は自分の領分の仕事をまっとうするやつだ。わからないことがあれば、調べて実行できるやつだ。そこを見込んでる」


 人間、そんな良いところばかりじゃない。


 逃げたこと、避けたこと、諦めてしまったこと、人任せにしたこと。過去を振り返って反論しようと思えば、いくらでもできた。けど、それをこの熱のこもった眼に、投げ返せるほどの度胸はなかった。


 空になったグラスを置いて、代わりを注文する気にはなれず。


 正直に言えば、引いていた。もっと言えば、期待が持てなかった。土田の話に齟齬や矛盾はなかったと思うが、今の仕事を辞めてまで賭けたいと思うほどの情熱は湧いてこなかった。

 椅子の背もたれに身体を預けて、天井を仰ぐ。その間も、土田は俺の返答を待っていた。


 もちろん俺は、”乗らなかった”。


「……いいよ」


「え?」


 雑音にかき消された返事を、もう一度向ける。


「いいよ、乗ってやる。その代わり、しっかりやれよ」


「お、おう。おう! 頼む!」


「ここは奢れよ」


「おうよ!」


 俺は店員を呼び止めて、ハイボールを注文した。




 週末に再度集まって詳細を決め、翌月には会社の創業となった。

 創業メンバーとしては、土田と俺と、商材に詳しい人がもう一人。俺は事務関係のほとんどを受け持ち、対外交渉を土田が、もう一人が商品管理などを分担し、これは割りとスムーズな出だしだった。


 土田の想定どおり、商品の需要が高まる時期に差し掛かると、業績はぐんと伸びた。忙しさに追われつつも、かゆいところに手が届くようにと、大手とは少し違う路線で商材を工夫すると、それもそれなりの成果を出した。


 二年目は目まぐるしく過ぎ、三年目に差し掛かったところで、一度俺が体調を崩しかけ、人を増やす必要性にぶち当たった。

 土田は迷わず、従業員を雇って、さらなる事業拡大に乗り出して。


 そこまでだった。


 同業他社が増えて、以前ほど業績が伸びなくなってしばらくが過ぎ。


 裏切りが起きた。


 ……一年目からすでに、土田と「もう一人」の折り合いが悪い場面はあった。それでも、事業がうまくいっているうちは、深刻化しなかった。俺はと言えば、どちらかに肩入れするとなお悪くなると感じ、自分の出来る仕事に注力した。


 結果的に言えば、看過したのだ。


 法には触れないぎりぎりのラインで会社にダメージを与えつつ、去って行った「もう一人」を追う余力など、俺にも土田にも残ってはいなかった。


「苦労をかけたな」


 そう言って、社員には出来る限り迷惑をかけないようにと、一人負債を背負って故郷に帰って行く土田に、俺はどうすることもできず。


 自分を見込んでくれた男に。


 何一つ、できることがなかった。

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