第6話 今日のレッスンはお休みだから

 しばらくして母はパートに出るようになった。

 昼間、ケイコが母の用意した冷凍ピラフをレンジであたためて食べていると、アキが家に訪ねてきた。


「今日のレッスンはお休みだから」


 アキがそう言うのでケイコは外に遊びに行くことにした。


「どこ行くの?」

「あっち行こ」


 自転車に乗った二人は山の方へ走った。

 住宅街から田んぼを越えて、一段とセミの声がうるさくなる山裾の林に近づくと、木のあいだに隠れるようにしてアスレチックコースがあるのが見えてくる。


「人、多いね」


 ここは山の持ち主のおじさんが趣味で作り無料で開放しているアスレチックコースで、近所の子供たちが多く集まる場所になっていた。今も十人ぐらいの子供がアスレチックにのぼったり、ロープにぶら下がって飛んだりして遊んでいる。


「あれやろ」

「ちょっと涼もうよ」


 ケイコがアキの腕を引くと、アキは額の汗をふいて木陰に入った。


「はあ、涼しい」


 木々のこずえが陽射しを遮ると、しめり気を帯びた森の空気がひりひりと焼かれた肌をしっとりとさます。アキは一息つくと、さげていたカバンから水筒を取り出した。


「あ、いいな」

「ケイちゃんものんでいいよ」


 かわいいネコ柄の水筒を傾けると茶色の液体が白いプラスチックのカップにそそがれた。アキは一口のむと、残りをケイコに渡す。水筒の中身はよく冷えた麦茶で、麦の香りがケイコの口に広がり、のどの奥に冷たさと一緒になって落ちていく。


「おいしい。あたしも持ってくればよかった」

「重いから嫌だったけど、お母さんが暑いから持ってきなさいって。でもやっぱり持ってきてよかった」


 そう言ってはにかむアキを見て、ケイコはどこからかチクリと刺すものを胸に感じた。アキから目をそらすようにカップの中の麦茶に視線を落とす。ゆらゆら揺れる麦茶の茶色にケイコの顔が浮いている。


 ――ものほしそうな顔。


 その顔を見たケイコは、こんな顔をアキに見られたくないと思い、急いで残りの麦茶をのみ干した。


「遊ぼう」

「あ、まって」


 カップをアキに返すとケイコは駆け出した。あわてて水筒をしまってアキもケイコのあとを追いかける。二人は目のまえにあったアスレチックのネットに飛びついた。


「競争ね」

「うん」


 ケイコとアキは互いの顔を見合うと、二人してニコリと笑い、競い合ってアスレチックをのぼりだした。


「ケイちゃんはやいー」


 アスレチックを先に上までのぼり切ったケイコは、下にいるアキに手をさしのべた。アキの手をケイコがつかむ。


「きゃっ」


 ケイコがアキを引き上げると、アキは勢いあまってケイコの上に倒れこんだ。

 ケイコの上に覆いかぶさったアキと顔が合う。

 二人は一瞬無言でたがいの顔を見合うと、やがてどちらともなくけらけらと笑い出した。


「アキちゃん重いー」

「えー、そんなことないよー」


 ケイコは笑った。

 つまらないことを忘れるようにケイコは心から笑った。

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