第2話 母との休日

「ケイコ、お小遣い上げるからそこらへんで遊んでなさい」


 ケイコの手のひらに五百円玉をひとつ置くと、母はケイコに背をむけてパチンコの続きを始めた。

 パチンコ台からはジャラジャラと銀色のパチンコ玉がたくさん出てくる。画面のスロットがくるくるまわっていて、母はタバコを吸いながらそれを食い入るように見つめている。ケイコは自分と同じにぼさぼさとしたくせ毛の母のうしろ髪を見ながら、これは長くなりそうだなと感じておとなしく母の言葉に従った。

 ケイコは自販機でアイスを買うと外に出た。自動ドアが開くと暑さがむわっと身体を包み、うるさいセミの鳴き声が降ってきたが、パチンコのやかましさとくらべたらいくらもマシにケイコには思えた。

 日陰をさがしてコンクリートブロックに座る。

 パチンコ店の外は一面の田園風景で、田んぼを囲う銀色のテープがきらきらと光っている。広い駐車場にはたくさんの車がならんでいて、その上は鬱陶しいぐらいの夏空だった。

 明日は海の日で土日月の三連休だったが、特別どこへ遊びに行くということもなく、ケイコは母に付き合って近所のパチンコ店へ来ていた。

 ケイコはアイスをなめながら母を待つ。

 田んぼのむこうの丘の上に広がる住宅街が見える。ケイコの家もあそこにある。しかし歩いて帰れる距離ではなかった。こんな夏の暑さでは途中で倒れてしまうだろう。


 ――夏じゃなかったら、このまま遠くに行けるのに。


 夏の陽射しはゆるぎない。

 アイスはみるみる小さくなっていった。冷たくておいしいアイスも身体に染みて消えてしまえば、あとは甘ったるいバニラの味が口に未練たらしく残るだけだった。

 アイスの棒をふらふらさせてケイコは地面を歩くアリを見た。こんなに暑いのにアリはどうしてこんなに元気なのだろうと、ケイコは棒でアリをつつく。びっくりしたアリが右往左往するのをしつこく棒でつつく。

 けれどそれもすぐに飽きた。

 アリは逃げていった。巣に戻るのだろうか。そう思ったケイコはアリがうらやましく思えた。

 ケイコは棒で自分の頬をつつく。


 ――お母さん、まだパチンコかな。


 まえの道路をバスが走っていくのが見えた。

 ケイコはポケットの中の四百円をにぎりしめる。

 空想の中でケイコはバスに乗る。バスはケイコを乗せて走り、見たこともない遠い街にケイコを降ろす。ケイコはその街で一人で暮らす。母のいない、誰もケイコを知らない街で一人。そこで大人になってケーキ屋さんになる。すてきな男の人と出会って、結婚して、子供を産んで、それで――。


 ポケットの中の四百円。


 ケイコはため息をつくと、アイスの棒を捨てに店内に戻った。


「ふざけんじゃねぇ!」


 店に入ると大きな怒鳴り声とともになにかをたたく音が聞こえた。音にふりむくとパチンコ台を蹴っ飛ばしているオジサンが見えた。オジサンは怒鳴りながら、何度も何度もパチンコ台を殴りつけている。足元には缶ビールが何本も転がっていて、どうやら酔っぱらっているようだった。


「やめろよ父ちゃん!」


 騒いでいるオジサンのうしろに男の子がいた。オジサンの子供なのだろう、必死に父親のうしろに組み付いてパチンコ台から引きはがそうとしている。


「うるせぇ!」


 父親のひじが子供の頭を打った。子供が倒れる。


「あっ」


 頭を押さえて起き上がった子供の顔を見て、ケイコは思わず声を出した。

 山本だった。

 目が合った。

 いつものカエルみたいに無表情な顔に驚きが浮かんで、すぐに目をそむけた。ケイコはそんな山本とその父親を交互に見た。


「なんだ、このガキ。そんな珍しいものでもオレの顔についてんのか?」


 山本の父親がケイコの視線に気付いて近づいてくる。山本の父親は息子と同じく大きな身体にカエルのような無表情な顔をしていた。違いといえばその顔が赤いのと、酒の臭いをぷんぷんとさせていることくらいだった。


「なに見てんだ」


 赤く据わった目がケイコを見下ろしている。ケイコは身をすくませた。


「父ちゃん!」


 山本が父親の足に飛び付いた。山本の父親は息子をふり払おうとするが、その頃には騒ぎを聞きつけた店員とまわりの客に取り押さえられていた。


「なんだ! オレがなにをした!」


 店員に両脇を抱えられ、山本の父親が店の奥に連れて行かれる。ケイコは山本が父親のあとを追い、関係者以外立ち入り禁止のドアのむこうにその姿が消えるまで、山本のことをじっと見続けた。


「ケイコー、勝ったわよー」


 それからしばらく待っていると、母が両手に景品の入った紙袋を持って現れた。


「なんかあった?」


 ケイコの様子が沈んで見えたのか、母はケイコの顔をのぞき込んできた。


「ううん。別に」

「あ、そう」


 ケイコが首をふると母はすぐにケイコから視線を外し、駐車場へ歩いていった。


「うふふ、今日は大勝ちだったからね。はい、これ」


 車の中でケイコは大きなウサギのぬいぐるみを渡された。黒い目の白いウサギで、毛がふさふさとしている。

 ケイコはぬいぐるみを抱いてみた。

 冷房に冷えていたぬいぐるみは、肌に少し冷たく感じられた。

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