第21話 流星

 数日後、大里弁護士が家まで来た。

「あれから社員の方は家まで来ましたか?」

「いえ、一度も」

「電話は?」

「それもありませんでした」

 それを聞いて安堵の表情を見せた大里弁護士。

「良かったです。あっ、これ。思ったより早くに出ましたので」

 厚手の封筒を渡される。

「社長さんが直々に。相場より多かったのと裁判やるより早くていいかな、と思いましたので」

 中には少なくない現金が入っていた。

「それは今月の給料と残業代です。支払われていなかった残業代は銀行に振り込んで頂ける様です」

 社長は他にも事業をやっているから早く終わらせたかったのだろう。

 まぁなんにせよこれで当分仕事をしなくても楽に暮らせる。

 旅行でも行こうかな。

 その前に気になる事があったので聞いてみた。

「あの」

「はい?」

「弁護士費用は幾ら位かかりますか?」

 相当高いと思うのだが。

「あの、松田さんから聞いていませんか?」

 少し驚いた様な表情を見せる弁護士さん。

「いえ……何も」

 戸惑いながら答える私。

 考える仕草をした後、

「ではご本人から聞いて下さい。守秘義務がありますので」

 そう言い残し帰る大里弁護士。

 頭を下げながらその後姿を見送る私と美月さん。

「楼留子ちゃんが払ってくれたのかしら」

 美月さんが呟く。

 私もそうだと思う。

 しかしあの日以来、家に来なくなってしまった。

 どうしたのだろうか。

 それと同時に弁護士費用を払える位だから、やっぱりどこかいいとこのお嬢様、という推理が当たっていたのだなとも思った。

 そう絶対に車な訳が無い、とも。



 しばらくはお金もあるしゆっくりする事にした。

 今までの疲れを癒す為温泉に2人で行った。

 ロードスターの中、2人でいても、もう緊張する事は無くなった。

 車は軽快に目的地まで私達を運んでくれた。

 この車を買って以来、どこも悪くなった所は無かった。

 壊れにくいのだあなぁ、バブルの頃に作られた車は丈夫だなぁ、とその時は思っていた。

 しかし何事にも終わりは来る様で。



 温泉から帰ってきて数日後、美月さんは卒業した体育大学の同窓会に出かける。

 はじまる時間まで仲の良い友達と買い物をする様でずいぶん朝早くに起きて準備をしていた。

「初めて行くの。楽しみ」

 そう言って楽しそうに私に微笑みかける。

 ブラック企業すぎて友達の結婚式にも出られないグッド日和。

 同窓会で休む、なんて認められる訳が無く結局世界がどんどん狭められていき、会社が自分の全てになってしまう。

 私達はその流れを断ち切ったので、これからはこういった物にも出られる様になる。

 と言う訳で今日は一人で暇になってしまった。

 私も大学時代の仲間とまた連絡をとろうかな、等と考えてふと思い出した。


 楼留子さん、最近どうしているのかな。


 外に出る。

 駐車場に向かう。

 ロードスターが停まっている。

「楼留子さん何処行ったんだろ」

 呟く私。

 すると、 

「何言っているの。ずっといるわよ」

 後ろから突如現れた。

 うおっ、と思わず仰け反る私。

「何よ。お化けでも見るような目をして」

 ふてくされる楼留子さん。

 白のフェイクファーのマフラー。

 鮮やかな水色のコートにミニスカート。

 相変わらずお洒落な格好をしている。

 やっぱりお金持ちのお嬢様なのだな、と改めて思う。

「私はロードスターなんだから貴方達が上手くいっているのは車内での会話を聞いていたらよくわかるわよ」

 やれやれ、という風に首を振る楼留子さん。

 やっぱり自分の事をロードスターと言い張るのは変えないんだな、と笑いそうになりながらもそこは堪える。

 多分人助けをお嬢様の道楽でやっているのだろう、と私の中では決着がついていた。

 でもお世話になったのは間違いない。

「暇だったら食事でも行かない?」

 今までのお礼もあるし誘ってみた。

 でも、

「美月さんに悪いわよ」

 険しい顔で答える楼留子さん。

「なんで?」

 そう私が聞くと、大きくため息をして、

「これだからわたなべは」

 呆れ顔をこちらに向ける。

 そして顔を思いきり近づけて、

「いい、自分の知らない所で他の女と会っていたら彼女は絶対嫌なんだからね。浮気は絶対ダメだからね」

 可愛らしい怖い顔で私に注意する。

 ここで笑いの限界が来てしまった。

「ハハハハ楼留子さんと浮気、アハハハ」

 ずいぶんませているなぁ、と思いながら大笑いしてしまった。

 少し考える仕草をした後、まぁそれもそうかという表情の楼留子さん。

「まぁでも気をつけなよ。わたなべはそういうの鈍そうだから。ねぇ、そんなことより」

「ん? 何」

「わたなべは今しあわせ?」

 小首をかしげて聞いてきた。

 今なら、今なら自信を持って言える。

「ああ、しあわせだよ」

 私がそう答えると、

「そう。よかった……」

 強い風が吹いたような気がした。

 楼留子さんはその場に崩れる様に倒れた。

「たっ、大変だ。救急車」

 慌てて携帯電話を取り出す私。

「……どこに電話をするの?」

 絞り出す様に声を出して聞いてくる。

「救急車だよ。病院に行かないと」

 それを聞いて少し笑った楼留子さん。

「無駄だよ」

「何で?」

「だって私は車。ロードスターだよ」

「そんな冗談を言っている場合じゃないだろ」

 少し声を荒げてしまった。

 しかし本気で心配だった。

 フフッと小さく笑う楼留子さん。

「はっきりと物を言える様になったんだね。結構、結構。でもね、本当なんだよ。私を買った車屋さんに行ってみて」

 私の目を見てしっかりと言う。

 どうも冗談を言っている様には思えない。

「私の悪くなっている所はね、リトラライトの動力部分でしょ、最近夜乗っていないから気がつかなかった? それにブーツとマフラー割れ、そろそろブレーキとクラッチも。バッテリーも要交換、特殊なやつだから高いよ。あとごめん、エンジンがもうダメみたい」

 そう言ってよろよろと立ち上がる。

「だっ、大丈夫?」

「……平気。だから、ね、私を下取りに出して。家族で乗れる車を買って」

 また倒れそうになったので抱いて支える。

 急にそんな事を言われても。

 気が動転して考えが上手くまとまらない。

 どうしたらいいんだ。

 

 とりあえず楼留子さんは家で寝ていてもらう事にした。

 そして車屋さんに行って楼留子さんの言う通りの不具合個所じゃなかったら無理やりにでも病院に連れていく事にした。

 当たり前だ。

 車な訳がない。

 私も以前はバイク好きで車もなんとなくいじれるし点検もやっていたのだが、ブレーキもクラッチも、そしてバッテリーも今の所大丈夫なはずだ。

 

 車屋さんに行こうと思ったのは念の為、ロードスターを確認したらリトラライトが本当に上がらなかったからだ。

(なぜそんな事を知っているのだろうか)

 疑問を心の中いっぱいに感じつつ、購入した車屋さんに向かう事にした。


 車屋さんに到着。

 私がロードスターを買った車屋さんは2人でやっている小さな所なので、

「ああ、このロードスターですか」

 ちゃんと覚えていてくれた。

「じゃあ点検しますので店内でお待ちくださいね」

 すぐにリフトアップされた。

 まぁ何事も無いだろう。

 ここまで来るまでにも何のトラブルも無かった訳だし。


 店内で車雑誌を読んで待つ。

 やっぱりロードスターが一番かっこいいなぁ、あっ、新型もかっこいいなぁ、等と思いながら出してもらったコーヒーを飲んでいると店員さんが戻ってきた。

「あの、ちょっと来ていただけますか」

 渋い顔をして私に話しかける。

 どうしたのだろう。


 リフトの前まで来ると店員さんは詳しく説明をはじめた。

「ここを見て下さい。ドライブシャフトブーツが全部破れています。それにここ、マフラー割れですね。変な音しませんでした?」

 背筋に何か嫌なものが流れた。

「クラッチも少し滑りますし、バッテリーも弱くなっていますね。あとリトラも動きませんでした」

 いや、クラッチそんな事は一度も無かったのに。

 バッテリーだって点検した時は大丈夫だったのに。

「ブレーキキャリパーも何だか怪しいですし」

 足が無意識に震えてきた。

「あとエンジン。電動ファンの動きも……」

 決定的な一言。

 もう店員さんの声は聞こえなかった。

 これで確信した。

 

 あの子は本当にロードスターだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

YOU乗す労働スター バブルと社畜の挑戦 今村駿一 @imamuraexpress8076j

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ