第20話 星の冬風

 結局10往復位しただろうか。

 本当に荷物が詰めなくて困った。

 小さなタンスはトランクには入らず、何とか助手席に無理やり入れた。

 大きなタンスや家具は処分せざるを得なかった。

 まぁ私のアパートは狭いのでどの道入らないのだが。

 不動産で美月さんのアパートの解約をした。

 これで美月さんは帰る所が私の所になった訳だ。

 不動産屋の外へ出ると緊張と寒さから少し震える。

 そんな私の右手を両手で包み込む美月さん。

 その顔はとても穏やかだった。

 緊張が一気に緩む。

 その後スーパーでビールとお寿司を買った。

 ささやかななお祝いをする為に。

 これから幸あれと願いながら。


 引っ越しが完了した。

 ただでさえ狭い我が家に荷物が増えた事によって更に狭くなったが、美月さんがいるのでむしろそれは楽しいものだった。

 お寿司とビールをちゃぶ台に置く。

 いただきますの前に、

「これから宜しくお願いします」

 正座をして三つ指を着いて丁寧にあいさつをしてくれる美月さん。

「いえ、こちらこそよろしくお願い致します」

 美月さんより更に深い土下座をして私もあいさつを返す。

 お互いのあいさつが終わった後、

「何だか新婚初夜みたい」

 美月さんが意味深な事を言って含み笑いをするので緊張してしまう私。

 そっか。

 これからはずっと一緒なんだよな。

 嬉しさがこみあげてくる。

 グット日和の社員時代ではとても考えられなかったとても楽しい気分になりながらビールを開けて乾杯した。

 

 夜は狭い布団で一緒に寝た。

 右手に体温を感じながら。

 規則正しい寝息が私を誘うかの様で。

 不安などもう何もなかった。

 抱きしめる。

 抵抗は無い。

 そのまま静かに口を合せた。

 夜光に重なる二つの影。

 外はもうかなり寒くなっていたがとても暖かかった。



 さて退職引き留め部隊が来てから1日経った。

 昨日は引っ越しで1日使ったが今日は勝負をしに行かなくてはならない。

 携帯の着信を見たら400件を超えていた。

 美月さんも同様であった。

 留守電を聞くと、どうしても納得がいかないから話し合いに来い、と言っていた。

 中堅が2人も抜けると相当キツイのだろう。

 朝早く、弁護士さんとパラリーガルの人が来てくれた。

 今日は4人もいた。

 少しの打ち合わせの後、

「では行きましょうか」

 全員立ち上がる。

 ターボ(急に仕事場に来なくなる事)すると給料が振り込まれず、会社まで取りに行かなくてはならない。

 それにスタッフから山の様にかかってくる、退職引き留め電話が鳴りやまない。

 なのでこっちから乗り込んでやろうという事になった。

 その旨電話すると、

「ようやく改心する気になったか。話を聞いてやるから明日の夕方来い」

 というお返事だった。

 今日は退職を確定させる日、今月分の給料をもらう日、そして今までの残業代を貰う戦いの日だ。

 冬だというのにやたらと天気が良かった。


「ちっ、ちょっと何ですかあなた達は」

 夕方、グット日和正面から乗り込む。

「話し合いに来ました~」

「う、後ろの人達は?」

「だから話し合いに来ました~。電話では言ってありま~す」

 入館証を掲げながら全員で入り口を突破する。

 大勢のスタッフが私達を驚きの目で見ていた。

 

 話し合いの場として指定された第二面談室のドアをノックもせず勢いよく開ける。

「テメー、何ノックもしないで……」

 灰皿を持ち振りかぶった坂本の動きが止まる。

 どやどやと予期せぬ総勢7人の訪問者が入って来たからだ。

 コンサルの沖本常務はビックリとした顔をしていたが、

「何、こいつら?」

 小森専務は冷静だった。

 しかし、

「弁護士の大里です。本件代理人として選任されました」

 弁護士さんが名刺を差し出す。

 すると、

「おらー!!!! 何呼んでんだテメー」

 急に激怒し長テーブルをひっくり返す小森専務。

「お前らと俺らに争う事なんて何もないだろうが! おらー、おっ?」

 イスを思い切り蹴飛ばす。

「大体よー、1人で来れねーのか。子供かテメーは。自分達の問題だろうがー、おらー!!!!」

 怒鳴った後、息を切らしてこちらを睨む小森専務。

「帰ってもらえや。それで話し合いをするぞ。おらー、テーブルなおせや」

 私に向かって言う小森専務。

「それでは宜しいでしょうか。まず今月分の給料の支払いについてですが」

 全く動じる事無く話を始めた弁護士さんに、明らかに動揺する幹部3人。

 これだけ怒鳴れば大抵の人間は縮み上がるだろうに。

 現に私なんかは足が震えてしまっていた。

 弁護士さんが喋っているのに、割って入る様に坂本が怒鳴る。

「大体よーおめーらが入る許可なんてやってないだろうが。あー!!!」

 確かにその通りなのだが。

「いや、あなた方が恫喝をしたり、暴力を振るう可能性があったので付き添っているだけですよ。それにこれからの交渉は私がおこないます。今日渡辺さんがこちらへ来たのはあなた方に一言言いたい事があるからなのですが」

 幹部3人が一斉に私の方を見た。

「何だよ。言いたい事って。その前に今後の仕事の予定だろ。2日間休んだ分を取り戻さないとよー。お前らの代わりをみんなでフォローしてやっているんだぞ。他の奴が休めなくなっただろーが。おめーら中堅が急に辞めたらこうなる事位わかっただろうが。迷惑かけたまま辞めていいのか。あー」

 面倒くさそうに言う坂本。

 みんなでフォロー、という言葉にビクッ、とする美月さん。

 恐らく誰かをサービス出勤させたのだろう。

「それによー、急に辞めてこうやって迷惑かかってんだからよー、このまま辞めたら損害賠償を請求させてもらうからな。あー」

 坂本の強気の姿勢に小森専務も沖本常務も余裕を取り戻しつつあった。

「損害賠償? そんな物払う必要はありませんよ」

 弁護士さんが冷静に言う。

 その言葉に一斉に笑いだす幹部達。

「あんたね~弁護士やっていてそんな事も知らないの? おーい」

「そうそう。損害賠償の判例だってあるんだぜ」

 完全に余裕を取り戻した沖本常務と坂本。

 鼻で笑った小森専務もどこかへ電話をかけ始めた。

「平成4年にあったんだよ。知らないの? 俺でも知っているのに。アンタたいした弁護士じゃないみたいだね。もっと勉強しないと」

 沖本常務が言うと幹部たちは大笑いした。

「でもそれは強制されていない状態での契約だったと思いますが」

 幹部達の笑いが止まる。

「訴えられた方も悪いと思ったのか賠償の約束の念書を書き、しかも脅されていたという状況も無かった、と裁判所が認定しています」

 幹部達の鋭い目が弁護士さんを捕らえる。

「何だと。じゃあ俺達は強制して働かせているとでも言うのか。名誉毀損だぞ。おーい」

 ポケットからライターを出してタバコに火をつける沖本常務。

「それと平成28年の高裁判決はご存知ですよね」

 顔を見合わせる幹部達。

「急に会社を辞めても賠償は認められていませんでしたよね」

 えっ、そうなの? と明らかに動揺し出した幹部達。

「長時間の時間外勤務があって身体に支障をきたすと推察される場合、突然の退職も仕方がないと思いますが」

 倒れた長テーブルをパラリーガルが直すと、私が渡した操作ログと日記のコピーを並べた。

 幹部達の顔色が変わる。

「あとこれ。残業代が一定になっていていますが実際働いた時間とだいぶ違いますね」

 給料明細と操作ログと照らし合わせた。

 それを見て急に怒り出す幹部達。

「それは渡辺が自主的に残っていただけだから残業じゃねーぞ」

「そうだ。勉強したいから勝手に残って作業をしていただけだ」

「第一作業が遅すぎてノルマが終わっていないだけだ」

 次々ととんでもない理論を展開しながら弁護士さんに罵声を浴びせる。

 ため息をつく弁護士さん。

「渡辺さんのお話では休憩どころか食事の時間も無く、定休日も仕事に来させられた様ですが」

 半分呆れている様子だ。

「そっ、それはこいつが自主的に仕事をしたいだけだから問題無い」

 さすがに苦しくなってきた坂本。

 その時、ドアをノックする音が聞こえた。

「おっ、来たみたいだな。入ってこいや~」

 小森専務が招き入れる。

「失礼します」

 緊張した面持ちの第1班と第2班のスタッフ全員が入って来た。

「おい渡辺辞めるなよ。今までの努力が無駄になるぞ」

「逃げ癖がついてしまうぞ。いいのかそれで」

「今人が足りていないのはわかっているだろ。会社に迷惑をかけていいのか?」

 テンプレートの様な退職引き留めに思わず失笑してしまう。

 しかし天然だが真面目な美月さんにはそれなりに効いている様で、困った顔をしている。

 泣いて袖を引っ張っている、最近第2班に入れられた子もいる。

 美月さんがいなくなったら、地獄の様な職場に救いが無くなってしまうのだろう。

「一緒に頑張ろうって言ってくれたじゃないですかぁ」

 必死に必死に引き留めようとしている。

「おい渡辺、聞いているのかよ。とりあえず弁護士には帰ってもらえよ。俺達だけで話し合おうぜ。俺達は家族だろ」

 飯岡が私の肩を強く掴みながら言う。

 家族か。

 良く言うよ。

 思わず鼻で笑ってしまった。

 もうこんな茶番に付き合う事も無いか。

 心からそう思った。

「ちょっと良いですか」

 大きな声で言う私。

「おう、何だよ。言ってみろや」

 坂本が睨みながら言う。

「私はどんな事があってももうここには来ません。それだけを言いに来ました。あと家に来るのも止めて下さい。次からは警察を呼びます」

 少し、ほんの少しだけ怖かったがはっきりと言った。

 罪悪感か俯く美月さんの手を握る。

「家族だと言うのなら子供がいつか実家から出るのは当然です。みんなも早く親離れして下さい。こんな親では早く出て行った方が身の為です」

 この部屋にいるスタッフ達を見渡して言う。

「何だと? あー!!!」

「テメー、何生意気言ってんだ。おらー!!!!」

「ふざけた事言っているんじゃないよ。おーい!」

 坂本も、小森専務も、沖本常務も立ち上がり私に向かって怒鳴り散らす。

 それに構わず、

「あなた達も早く子離れ出来るといいですね」

 笑いながら言ってやった。

 なにー、と言いながらパイプイスを振りかざす坂本。

 負けじと壁に立てかけてあった長テーブルを持ち上げる私。

 さぁ最後の戦いだ。

「おい、おめーら。渡辺にワッショイスクラム」

 坂本の言葉にじりじりと寄って来たスタッフ達。

「おい、俺達は家族じゃなかったのかよ!」

 全員に向かって言う私。

「うるせー、家族だからこそ、心配してやってんじゃねーか。あー!」

 怒鳴る坂本。

「お前の場合はさぼりができなくなる心配だろ!」

 言い返す私。

「何だと、あー!」

 更に怒鳴る坂本。

 迫るグット日和のスタッフ達。

 その様子を見てスーツを脱いで前に出るパラリーガル達。

 室内は正に一触即発となった。

 その時、

「おーおー、この会社は相変わらずだねぇ」

 とぼけた声を出しながら派手なスーツの若い男が入って来た。

 グット日和の顧問弁護士白取さんだ。

 多分さっきの電話で小森専務が呼んだのだろう。

「おい、白取おせーよー。こいつらが……」

 坂本がパイプイスを下す。

 そして状況を説明しようとすると、

「あー!!!」

 何かに驚いて腰を抜かした白取弁護士。

「おいどうしたんだ白取さん。早くこいつらを……」

 小森専務が言い切る前に長テーブルを確認する白取弁護士。

 置いてある資料に少し目を通すと、

「和解をお願いします」

 大里さんに向かって深々と頭を下げた。

「おい何やってんだよ、あー」

「いつもみたいにやってくれよ。おらー、早く」

「理詰めにして蹴散らしてよ。おーい」

 白取弁護士に言い寄る幹部達。

 よろよろと幹部達に近づくと、耳打ちをする白取弁護士。

「労務関係裁判のスペシャリスト大里弁護士です。それにこんなに証拠を集められていては……」

「どうなるんだよ」

 小森専務が小声で白取弁護士に聞く。

「負け確です。早く社長に報告した方が」

 幹部達の顔が青ざめたのがわかった。

「テメー高い顧問料払ってんだから何とかしろや。あー」

「だからいつも言っていたじゃねーか。もう少しサービス残業減らせって」

 幹部と顧問弁護士で喧嘩が始まった。

「もう後は私達にお任せください」

 その様子を見て大里さんが苦笑しながら言う。

 胸倉、髪の毛、襟首を3人から掴まれて何とかしろ、と怒鳴られまくっている白取弁護士。

 もう私が言う事も出来る事も無くなった様だ。

 そして美月さんを見るともう色々と限界の様子だった。

 こんなに拗れた状態ではあったが甘えさせてもらう事にする。

「行かないでー、前川さーん」

 縋る女子スタッフに、

「あなたも会社が嫌だったら早く辞める事だよ」

 優しく言ってその手を引きはがす。

 そして最後、本当の最後に大声で言う。

「みんなもほんの少しの勇気を持てば辞められるんだぞ」

 それだけ言って後はもう後ろも見ずに帰る事にした。

「ふざけんな。こんな辞め方したらどこも雇ってはくれないぞ。あー!」

「恩がある会社にこんな事してただで済むと思っているのか。おらー!」

「逃げんなくずー。おーい!」

 幹部達が何か怒鳴っているが、もう戯言にしか聞こえなかった。

 ゆっくりとドアを開け、振り返らずドアを閉めた。

 右手に大事な人の手を握りしめながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る