第19話 熱き彗星

「お~い、何逃げてんだよ~。逃げてこれからど~すんだよ~」

 ドアを開けると坂本を先頭に5人幹部が入って来た。

 私の肩を強く掴み座らせる。

「勝手な事をしてんじゃねーよ。まずは何事も俺達に相談だろ~。いつも言ってんじゃねーか。ホウレンソウをちゃんとしろって」

 ニヤニヤとしながら臭い口を近づけてくる。

「どうしたんだ、返事は?」

 何か言い返さないと。

 でも急すぎて言い返せない。

「何無視してんだ、あー!!!」

 バコン

 寺田リーダーがゴミ箱を蹴とばした。

「人が話してんだから顔を見ろよ!」

 ドン

 坂本もちゃぶ台を思い切り叩く。

 やっぱり怖い。

 怖くて何も話せない。

 ガクガクと体が震えて来た。

「ねぇ、美月ちゃん。会社に迷惑かけたくないよねぇ」

「ちゃんと逃げずに責任を果たしたいよねぇ」

 他の幹部達が美月さんに話しかける。

 美月さんは何も言わず、少し笑って私の手を握った。

 冷たい感触が私の脳を支配する。

 美月さんも怖いんだ。

 なっ、何とかしないと。

 しかしそれを見た坂本が舌打ちした後激高する。

「次の後輩を使える様に育ててから辞めるのがお世話になった会社に対する筋じゃないのか。あー!!!!!」

 ひっ、と情けない声を出してしまった。

 悔しい。

 悔しいが何とかしないと。

「……それっていつまでですか」

 絞り出す様な声で聞いてみた。

 すると少し優し気な声を出す坂本。

「だから~育てるまでだよ~。そいつがお前の代わりを……」

 ここで少し美月さんを見る坂本。

「お前らの代わりに仕事が出来る様になるまでだな」

 頷きながら言う坂本。

 周りの幹部達が何回も頷く。

 そんな。

 私の代わりならともかく、美月さんの代わりなんて何年かかる事やら。

 気が遠くなる。

 でも、

「私だけではダメでしょうか」

 卑屈な笑みを浮かべて聞いてみた。

 もう怖すぎて早く帰ってほしくて聞いてみた。

 空気が和らいだのを感じた。

「そうだな~、お前だけで美月ちゃんの分の仕事もする事になるけどなぁ」

 仕事が倍以上になるのか。

 でもそれで済むのなら。

 それでもいいか。

 休みも全く無くなるけどなぁ。

 僕の人生ここまでかなぁ。

 もう怖すぎて、怒鳴られたくないので、楽な方向に逃げそうになる。

「わたなべ、逃げないで!」

 楼留子さんの声がした。

「テメーいい加減にしろって前から言ってんだろ。あー」

 坂本は急に立ち上がると楼留子さんの長い髪を掴み細い足を払って、強引に床に叩きつけた。

「痛い~」

 涙目の桜留子さん。

 大笑いする幹部達。

 ふん、と鼻で笑う坂本。

「第一今辞めたら損害賠償だぞ。まだ途中の仕事があったよなぁ」

 そうか。

 それは困る。

「お父さんに払わせるつもりか? ねぇお父さん」

 私の父親だと思ったのか弁護士さんに話しかける坂本。

「お父さんに損害賠償払わせる訳にはいかないだろ。どうなんだ? お前はそんなに甘えんぼちゃんなんですか? あー」

 幹部みんな大笑い。

「美月ちゃんも損害賠償嫌でしょ」

 美月さんにも話しかける坂本。

 損害賠償なんて払えるわけがない。

 もう、もう、グット日和で頑張るしかない。

「じゃあこれからどういった決意で仕事をするのかみんなの前で発表しろよ。ほら立って」

 震えながら立ち上がる私。 

 その時、

「損害賠償なんて、そんなもの払う義務はありませんよ」

 弁護士さんが声を出した。

 はぁ? という顔で睨む坂本。

「おらっ、お前のお父さんも損害賠償を心配しているぞ。早く仕事への決意を発表して仕事に戻るぞ」

 私に強めの肩パンをする坂本。

「もうこの方は退職していると思うのですが、なぜ会社に行かないとならないんですか?」

 弁護士さんがさらに言う。

 舌打ちする坂本。

 幹部達が弁護士さんを囲む。

「おとうさ~ん。社会人としての常識がないんじゃないですか~」

 呆れたように言う坂本。

「会社に迷惑をかけて辞めるのなんて良い訳がないじゃないですか~」

 座っている弁護士さんを見下ろして言う坂本。

「しかしあなた方はそれ以上に渡辺さん達に迷惑をかけているようですが」

 大きく舌打ちをする坂本。

「はぁ? 証拠でもあんの?」

 弁護士さんは昔私が会社で撮ったテープレコーダーを再生する。

 坂本の声が止まった。

「ちょっと、それこっちに貸してくれます?」

 引きつった坂本の声。

「何故ですか?」

 冷静に言う弁護士さん。

「いいから貸して。おいお前ら取り上げろ」

 やばい。

 どうしよう。

 しかし弁護士さんは落ち着き払って電話をはじめた。

「どこに電話してんだよ。早く貸して。ほらっ」

 坂本が大声を出す。

 弁護士さんに一斉に飛びかかりそうな状況になったその時、

 ガチャ

「どうしました先生」

 いきなりドアが開き、体格のいい男が2人入って来た。

「何だオメーら!」

 寺田リーダーが怒鳴る。

「何だぁこいつら」

 坂本もそっちへ向かう。

「警察に電話をしますか先生」

「そうですね。今この子に暴力をふるっていましたから」

 楼留子さんを指さす弁護士さん。

「おい、ちょっと誤解があるようだからこいつらに電話させるな。おめーらワッショイスクラムで阻止しろ。てかあんた渡辺の親父さんじゃなくて先生なの? 学校の?」

 幹部達が体格のいい男達にタックルをするのを横目で見た後、弁護士さんをマジマジと見る坂本。

 うわっと言ってのけ反る。

 胸元の天秤バッジに気が付いた様だ。

「おい、渡辺。テメー、会社を訴えるつもりか? あー!!!」

 ちゃぶ台をひっくり返し物凄い大声を出す坂本。

 お茶が飛び散る。

 思わず後ずさりをする私。

 もう怖さが頂点となり、完全に脚に感覚が無い。

 平衡感覚も無くなっていた。

 少し泣いていたと思う。

 そんな私の右足をそっと触る感触がした。

 美月さんが涙目で私を見上げている。

 左足には力強く掴むような感覚がした。

 楼留子さんが泣きながら私を応援する様な目で見ていた。

「おらっ、どうなんだ渡辺。あー!!!」

 坂本は足元の楼留子さんを蹴とばすと、私の胸ぐらを掴んでそのまま台所まで押す。

「テメーいい加減にしろよ。あー!!!」

 私の背中がシンクにつくと、思い切り顔を近づけてそう言った。

 怖い。

 本当に怖い。

 本当に怖すぎる。

 私の心は折れていた。

 土下座でもしてこの場を収めようと思った。

 その時、私を呼ぶ様な声がした気がして居間を見る。

 弁護士さんが私を見ている。

 楼留子さんが私を見ている。

 そして美月さんが私を見ていた。

 そうか。

 ほんの少しの勇気を持てば、

 拳を思い切り握る。

 そして、

「いい加減にするのはそっちの方だー!!!」

 坂本の横面を思い切り殴った。

 ぐぁ、っという声と共に床に倒れた坂本。

 私の胸元を掴む手が離れた。

 そうだ。

 誰もが幸せになれるんだ。

 もう迷わない。

 迷わないぞ。

 うずくまる坂本に向かって、

「この野郎、出ていけ!」

 玄関を指さす。

「クソガキが~」

 顔を押さえてゆっくり立ち上がる坂本。

「そうだよ出ていけー」

 楼留子さんも怒鳴る。

 弁護士さんが大きく咳払いをして、ゆっくりと電話を取り出した。

「この野郎、どこにかけようとしてんだ。あー」

 居間に向かおうとする坂本。

「行かせるかこの野郎」

 その前に立ちふさがる私。

「おいおめーら渡辺にワッショイスクラム」

 玄関先でもめている幹部達に命令するがまだ全員もみ合っていてそれどころではないらしい。

「もしもし警察ですか。ええ事件の方です」

 弁護士さんは警察にかけている様だった。

 それを聞いた坂本は、

「くっ、くっそ~。おいおめーら。ターボだ」

 そう言うと一目散に逃げだした。

 体格の良い人達と揉めていた幹部達も一斉に逃げ出す。

「待て坂本」

 私は坂本を追いかけて、髪の毛を掴んだ。

 筈だった。

 ベリベリ

 音と共に坂本の髪の毛が取れた。

 呆然とする私。

 スキンヘッドの坂本が私を睨む。

「あははははははあははは」

 楼留子さんが笑い転げる。

 弁護士さんもハハハと笑う。

 そして美月さんもクスッと笑った。

 どうもまた悪さをして坊主にされたらしい。

 しかも今回はスキンヘッドにされていた。

 顔が真っ赤の坂本は更に顔を赤くし、壁にパンチして穴を開けると走って逃げて行った。

「おーい、忘れものだぞ」

 カツラを投げると坂本の頭に命中した。

 慌ててカツラをかぶり直し、逃走する坂本。

 全員で大笑いしながらそれを見送った。


「警察に連絡したのですか?」

 坂本達が逃げた後、弁護士さんに聞いてみた。

「まさか。そんな生ぬるい事をするつもりはありませんよ」

 恐ろしい事を言う弁護士さん。

「警察沙汰になんかしたら逮捕されるだけじゃないですか。それよりも取れる物を取った方が良いですからね。渡辺さんは明日から出勤しなくて結構です。ゆっくりと休んで下さい」

 そう言うと弁護士さんは、隠し撮りしていたビデオカメラを鞄にしまい始めた。

「しかし立派になったねぇ~大里さん」

 楼留子さんが弁護士さんの両肩を揉む。

「いえ、昔の教訓が生かせているだけです」

 少し笑う楼留子さん。

「そっか。それであのごつい人達を雇ったの?」

「ええ。うちのパラリーガルは頭よりも体格で選んでいます」

「あはは」

 2人で楽しそうに笑っている。

 過去に何かあったのかな。

 いや、そんな事より美月さんだ。

「大丈夫でしたか」

 若干まだ呆けている美月さんに話しかける。

「怖かった~」

 苦笑いの美月さん。

 若干震えているのがわかった。

 だから抱きしめた。

 体から震えが消えていく。

 ヒューとひやかす桜留子さんを無視してずっと抱きしめる。

 ひんやりとした風が髪の毛を揺らす。

 冬が近づいているのがわかったが心は温かかった。




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