第14話 秋風に乗る星

 何とか美月さんとの距離を縮める事は出来ないものか。

 自宅アパートに帰って悶々としながら貧乏ゆすりをしている私。

「あー、何それー」

 それを破る様にうるさい声が後頭部から響いた。

 テーブルの上にある1枚のプリントを凝視している楼留子さん。

「それ? 会社の運動会のお知らせだよ」

「運動会? 会社の」

「そうだよ」

 ププッ、と口に手を当てて笑う楼留子さん。

「へぇ、まだそんなことやっている会社があったんだぁ~」

「こういうよくわからないイベントがたくさんあるんだよ。定休日を使わされてね」

 私がそう言うと、

「ふぅん。バブルの頃にはどこの会社も結構あったけどねぇ~」

 唇の下に人差し指を当てて、考える様に上を見る楼留子さん。

「へぇ、結構あったんだ」

「どこの会社も派手にやっていたよ。ドームを貸し切ってやっている所もあったもん」

「そうなの?」

「それでね、景品がすごいの。ハワイ旅行とか現金10万円とか下手すると自動車とか」

「へぇ~」

 思わず感心してため息をつく私。

「で、わたなべの会社では何が出るの?」

「そんな凄いものは出ないよ」

「はぁ~、やっぱりねぇ~」

「でも」

「ん?」

「運動会の最後に1キロマラソンがあるんだけど」

「うん。で?」

「それだけ賞品が出るんだ。何と1位には浦安黒ネズミ王国のペアチケットプレゼント」

 おそらく日本で一番人気があるであろう遊園地。

 結構チケット代も高いのだが何故か毎年景品として出ている。

 それを聞いて少し考えた様な仕草をした後、

「よし、わたなべ、私も出る。それ貰うから美月さんを誘え」

 また突拍子もない事を言い出した。

「会社の運動会なんだよ」

 一応説明するが、

「行くー」

 大きな声で返答される。

「行く、いく、いくー」

「あんまり大きな声出さないの。またお隣に」

 そういえば最近壁ドンされないなぁ。

「とにかく行くから」

 長い髪をかき上げ、不敵な笑みをこちらに向ける楼留子さん。

 まぁ普段から会社のイベントに家族が来るのは会社推奨だったので問題無いと思うのだが。

「というか、楼留子さん足速いの?」

 一番肝心な事を聞いてみた。

「速いよ。一応ライトウェイスポーツカーだから」

 そう言って細くて長い脚で屈伸を始めた。

「今日から走り込みしておくから。じゃあまた明日」

 そう言って楼留子さんは押し入れに入ると2秒でトレーニングウェアになり、勢いよくドアを開けると走って出て行った。

「ホントかねぇ」

 色々な事に対して思いながら、その後ろ姿を見送った。



「今日も仕事をしているスタッフに感謝しつつ、運動会をはじめます」

 秋の晴天の下、小森専務の開会宣言の後、運動会がはじまった。

 市民運動公園のグラウンドに集合した100人近くのスタッフ達。

 会社の業務を止める訳にはいかないので一部の職員は運動会には来ない。

 まぁ運動会は定休日を1日消化しなくてはならないので、残って仕事の方が良いのだが参加人数が少ないと社長の機嫌が悪くなってしまうからしょうがなく、みんな参加している。

 しかし悪い事ばかりかというとこの日ばかりはそうでもない。

「渡辺君、次の団結綱引き集合かかったよ」

「あっ、はい、前川さん。ありがとうございます」

 美月さんに言われて慌てて集合場所に向かう私。

 その後ろをついてくる軽快な足どりに気付きそちらに顔を向けると、

「さっきから楽しそうだねぇ、わたなべ」

 ニヤニヤしながら楼留子さんがついてくる。

「そう?」

「そうだよ、原因はこれかな?」

 そう言って自らの白くて細い足を見せつけて来た。

「残念ながら僕にはロリコンの趣味はありません」

「知ってる。美月さんの脚ばっかり見ているものねぇ~」

 図星をつかれて動きが止まる私。

「やっぱりねぇ~。わたなべはわかり易いや」

 意地悪そうな笑いを浮かべ、私のお尻を叩くと美月さんのいる2班の席へ遊びに行った楼留子さん。

 社内運動会は男子も女子も短パンでなくてはならない、というルールがあるので好きな女子のおみ足が見放題なのだ。

 この時ばかりはセクハラ社長に感謝したものだ。

 振り返り美月さんの足を見る。

 引き締まって太くも無く細くも無い素敵な足。

 少し顔を上げると美人の顔が見える。

 気付かれる。

 こちらに目を向ける美月さん。

 慌てて目を逸らす私。

 はぁ、まだ目が合っただけでも緊張してしまう。

 何とか距離を縮められないものだろうか。


 運動会の最後の種目、1キロマラソンの集合時間になった。

「よしっ、行ってくるね」

 美月さんが2班の声援を受けて颯爽とスタート地点へ向かう。

 その後ろ姿に見とれる私。

 そんな私の頭を後ろから叩き、

「取ってくるからちゃんと誘えよ」

 自信満々で軽快に美月さんの後を追う楼留子さん。

 頭をさすりながら、

(そんな事できるのかねぇ)

 あまり期待しないで見る事にした。


 レースはグラウンドから少し離れた所からスタートして400メートルトラックを2周する。

「頑張れー、美月さーん」

 何人もの声援が飛ぶ。

 それに答える様に手を振る美月さん。

 しっかりと応援しているかを上司がチェックしているのでかなり大きな声が飛ぶ。

 応援の声が小さいと、

「一生懸命やっている人を応援する気持ちは無いのか」

 と、かなりきつめの詰めが入るのでみんな必死に声を出すという、まるでどこかの国の様な状況になる。

 そんな声援にうるさいなぁ、と言わんばかりの表情をしている楼留子さん。

「位置について」

 スターターが指示をする。

 各班の代表2名ずつ、総勢18人がスタート位置につく。

 パアン

 ピストルの乾いた音と共に飛び出した細くて小さい影。

 楼留子さんだった。

 そしてそのまま後続を引き離す。

「よっしゃ」

 孝井リーダーが大きな声で叫ぶ。(因みに運動会の優勝を幹部達は賭けている)

 後続に大差をつけ軽快に走る楼留子さん。

 速い、物凄く速い。

 もう100メートル位引き離している。

 運動出来ない位こき使われている社蓄社員達相手とはいえ、圧倒的な速さだ。

 1周目を先頭で通過する楼留子さん。

 あまりの速さに場内は大歓声だ。

「渡辺君良い子を連れて来たなぁ」

 孝井リーダーが私に抱き着いてきた。

 改めてレース中の楼留子さんを見る。

 可愛らしい小さい顔がこちらを向く。

 走りながら右手を上げ、拳を握り、飛び切りの笑顔を作る楼留子さん。

 観覧席中から大歓声が上がった。

 あれっ、楼留子さん結構人気だなぁ。

 写真を撮っている奴までいた。

 ゴールまで後少し。

 だが後ろから猛烈に追い上げて来た影が迫る。

 それに気づいたのか後ろを振り返った楼留子さんは必死に走る。

 しかしその影はゴール直前に楼留子さんをかわした。

 

 場内は割れんばかりの大歓声。

 興奮冷めやらぬといった雰囲気。

 1位になった人が大勢の人に囲まれて祝福されている。

 その隅の方で大の字になって倒れている楼留子さんに声をかけた。

「お疲れ様」

 スポーツドリンクを差し出す私。

「あれスープラだよ。勝てるわけがない」

 ハアハアと喘ぎながらよくわからない事を言いつつ、まだ苦しそうに呼吸をしている楼留子さん。

「まぁよく頑張ったよ」

 スポーツドリンクを受け取るのも辛そうなので、しばらくしてから渡そうとその隣に座る私。

 表彰台では1位になった人が優勝賞品である浦安黒ネズミ王国のペアチケットを受け取っていた。

「速すぎだわあれ、くやし~」

 ようやく喋れる様になった楼留子さんが体を起こす。

 スポーツドリンクを差し出すとひったくる様に受け取り、一気に飲み干した後、

「すまんね、わたなべ」

 そう言って大げさにため息をついた。

「あっ、いや、別に。こちらこそすみません。お疲れ様でした」

 さすがに深々と頭を下げる私。

「黒ネズミ王国のチケット取りたかったなぁ~」

 大きな声を出してまた仰向けに倒れる楼留子さん。

 私もその隣で仰向けに寝転がる。

 空がとても青かった。

「くやし~、あ~、欲しかったな~」

 手足をバタバタさせて言う楼留子さん。

「そんなに欲しかったの?」

 私達の上から澄んで綺麗な声が降り注ぐ。

「だったらあげようか」

 頭上から覗き込むように楼留子さんを見て言う。

 1キロマラソンの優勝者は美月さんだったのだ。

 その声を聞いて飛び起きる楼留子さん。

「スープら……じゃなくて美月さん」

「なぁに?」

「それ、わたなべを連れて行ってもらえませんか?」

 またとんでもない事を言い出した楼留子さん。

「えっ、楼留子ちゃんが行きたいんじゃないの? あげるから渡辺君と一緒に行って来たら」

 チケットを差し出す美月さん。

「いや、わたなべが行きたいってうるさいんですよ。女の子を誘っても、誘っても毎回断られて一度も浦安黒ネズミ王国に行った事が無いから行ってみたいって」

 何て事を言うんだ。

 大体合っているけど。

「それでね、しょうがないから私が連れて行ってやろうかと思ったのですが負けてしまったので。でも美月さんの方がこいつも喜ぶと思いますし」

 ぐえぇ

 まだ仰向けに寝たままの私の腹を踏む。

「えっ、でも楼留子ちゃんも行きたいでしょ」

 少し困った顔をする美月さん。

「いや、私は出来たら行きたくないんですよぅ。埋立地でしょ。いつ地盤沈下するの? てな感じで落ち着かないので」

 おお嫌だ、嫌だ、と言いながらそのまま走って会場から出て行ってしまった楼留子さん。

 その後姿を見送る美月さんと私。

「何だか心配性なのね」

 天然の美月さんは楼留子さんの言っている事を信じてしまった様だ。

「じゃあ渡辺君」

「はい」

「私でよかったらだけど一緒に行ってくれる? この間のキャンプの時はずいぶん助けてもらったのに何もお礼していなかったから」

「もっ、勿論、行かせてもらいます」

 秋風が祝福するかの様に塵を飛ばした後、私達を包んで吹き抜けた。

 


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