第11話 星が光り出す
「緊張するなぁ」
「緊張なんかすんな、大丈夫だから。あっ、あれそうじゃない」
「ほっ、本当だ」
「じゃあ頑張れよ」
「えっ、行っちゃうの?」
「あ・た・り・まえだろ。私は2シーターなんだから。第一エンジンかかると私は車の中に戻らないといけないんだからね」
しっかりしろ、と私の肩をパンチした後、どこぞかへ走って夜の闇に消えてしまった楼留子さん。
今は夜中の1時。
グット日和の正面玄関から人影が出て来た。
車から降りてその人影に向かって声をかける。
「ま、前川さん」
ゆっくりとこちらを見る前川さん。
私を近づいてきた。
「ごめんね、私の為に車を出してくれて」
「いえ、今までお世話になっていた分、少しでもお役に立ちたいと思いまして」
「そんなに面倒見てあげた事あったっけ。えっとこれが渡辺君の車?」
「はい」
「すごいねー、高そう。外車?」
「いや、中古で安いんですよ。国産ですが開発に外人が絡んでいるみたいですのでそう見えるかもです。しかも」
屋根を開けてオープンカー使用にした。
「凄い、オープンカーなんだね」
まじまじと見ている美月さん。
どうぞ、とドアを開ける。
「何かオープンカーだと少し恥ずかしいかも」
「夜ですから誰も見ていませんよ。それに気持ちが良いですから」
助手席に座ってもらい、シートベルトをしたのを確認する。
「それでは出発しますよ」
「はい、お願いします」
夜中の街をロードスターは軽快に走り出した。
夜の街灯りが後ろに流れて行く。
「わぁ、すごい」
美月さんが歓声を上げる。
「中々楽しいでしょ」
「うーん、でも少し恥ずかしいかな」
「じゃあ次回からはオープンにはしない様にします」
「ごめんね。しかしこんなにスピード出ているのに髪の毛が全然乱れない、不思議」
「そういえばそうですね」
ロードスターは女の子受けする様に作られているんだからね、と言っていた楼留子さんの言葉を思い出す。
同時にだからと言って女の子受けするとは限らないからね、という言葉も思い出した。
屋根を開けてオープンカーにしたのは失敗だった様だ。
でも私の隣には美月さんがいる。
それだけでもロードスターを買った事は十分成功だった。
「あっ、私の家この辺だからここで降ろして入れるかな」
「わかりました」
あっという間についてしまった。
車から降りた美月さんがドアを閉める。
そしてコンコンと窓ガラスを軽くノックする。
パワーウインドを降ろす私。
「今日はありがとう。本当に助かっちゃった」
素敵な笑顔を向けてくる美月さん。
「いえ、本当に無理をしないで下さい」
私のこの言葉には答えず、ゆっくり手を振る美月さん。
どうせ言っても聞かないだろうな。
「では失礼します、今日はもうゆっくり休んで下さい」
それだけ言ってロードスターを発進させた。
いつも停めている駐車場に車を停め、住んでいるアパートに向かう。
自分の部屋の前に着く。
そしてカギを差し込む事無くドアを開ける。
「おつかれー」
もういる事が当たり前になってしまった楼留子さんが出迎えてくれた。
「少しは運転上手くなったねぇ」
そう言って私の胸を人差し指で突く。
「あっ、でも坂道でエンストしかけたでしょ~。もっと吹かさないと~」
何で知っているのかが本当に謎なのだが、もう突っ込まない事にした。
ひょっとしたら本当に彼女は車なのかもと考え始めていた。
「そっか。気をつけるよ」
そう言ってYシャツを脱ぎ、脱衣カゴに投げる。
するとTシャツ姿の私に体を摺り寄せ、ニヤニヤしながら上目づかい見てくる楼留子さん。
「それでどうだった?」
「どうだった、って家の近くで降ろして終わりだよ」
そう言うとホッとしているのか、情けないと思っているのかわからないため息をした後、笑顔になった。
「まぁ実際バブルの頃もそんなもんだったよ。みんなアッシー君は夢見がちだけどね~。わたなべはその辺、自分をよく分かっているから無茶せんでいいわぁ」
そしてガシガシと私の頭を撫でると、
「でもそのうちラッキーチャンスが来る事もあるから続ける事。じゃあ」
右手を上げて帰った。
ラッキーチャンスねぇ。
そう思いながら風呂に入る事にした。
アッシーとは女性の足代わりに車で家まで送り届ける男の事であり、バブルの頃はたくさんいたそうだ。
男に何か見返りがあるのか、楼留子さんに聞いてみたら、
「無い」
即答だった。
何でそんなブラック企業以下の事をやってくれる人がたくさんいたのだろうか聞いてみると、
「まぁたまに間違いがあるからねぇ」
クスッと笑ってこちらを見た。
それじゃほとんど意味ないじゃないか、と怒り半分で言うと、
「外車、プレリュード、ロードスターは間違いの確率が高いんだよ」
悪びれずに言う楼留子さん。
そんな楼留子さんを信じ、次の日会社で美月さんにアッシー君になります、もとい車で家まで送り届けさせて下さい、とお願いしてみた。
美月さんは少し驚いた顔をした後、
「何でそんな事をしてくれるの?」
と聞いてきた。
「前川さんが倒れない様に、です」
正直に言ってみた。
その答えが納得いかなかったのか首をひねっていたが、その時フラッと美月さんの身体が横に揺れた。
倒れる、そう思い必死に手を伸ばしその肉感的な体を支えた。
「ごめんね、最近体の調子が悪くて」
そう言って美月さんは右手で顔を覆った。
最近美月さんはサマーキャンプの幹事作業で会社泊りが多い。
それは終バスの0時半を過ぎたら歩いて家に帰らないとならないからだった。
バスで20分かかるのだったら、歩きだったらどの位かかるものなのだろうか。
せめてその距離だけでも、楼留子さんの提案は案外良かったかもしれない。
「お願いします、今までお世話になった恩返しです。やらせて下さい」
美月さんを支えつつ尚もお願いを続ける私。
「じゃあサマーキャンプの幹事が終わるまで、家に帰れる日はお願いしてもいいかな」
もう大丈夫、と言う風に私の肩を支えにして立ち上がると、美月さんは笑顔でそう言ってくれた。
なので、今日から私は美月さんのアッシー君をやる事になった。
それからというもの、3、4日に1回は美月さんのアッシーをする私。
しかし美月さんはだんだんと顔色が悪くなってきてやつれていった。
私もサマーキャンプの幹事をやろうかとも考えたが、どうも美月さんが幹事長の沼田サブリーダーからの指示でほぼ実務をやらされている様で、沼田サブリーダーに私も幹事の手伝いをやる、と申し出ても幹事長補佐の坂本リーダーが私にはあまり関わりたくない様なので、前川さんに聞く様に、としか言われなかった。
そして美月さんに聞くと、私の仕事だから、と頑として手伝わせてはくれなかった。
ロードスターの助手席で僅かな時間でも寝てしまう美月さんを横目で見ながら、どうする事も出来ない自分に苛立つことしかできない日々が続く。
そして夏の陽気がいよいよ本格的になってきた頃、ついにサマーキャンプが始まる時期になった。
「はいはーい、今週は楽しい楽しいサマーキャンプとなりましたー。旅のしおりが届きましたので皆さん取りに来てくださーい」
孝井リーダーがノリノリで言う。
幹部やある程度年数を重ねた人達は楽しいキャンプなのだが、普通のスタッフ達は定休日を使わされるのと、幹部や先輩達に気を使いまくらなくてはならないので正直楽しくは無い。
更に私は去年までいじられーず、だったので、川に流されたり、キャンプファイヤーの上を飛ばされたり、エアガンで撃たれたりしたので憂鬱だった。
今年は坂本リーダーが私から距離を取りたがっているのが丸わかりなので、何だか大丈夫そうではある。
もっと早くから反撃しておけばよかったな、と思いながらサマーキャンプのしおりを貰う。
そのしおりはいつものキャンプの物とは違い、イラストも多数あって読みやすい物だった。
きっと美月さんが苦労して作ったのだろう。
私はしおりを思わず抱きしめた。
家に帰って楼留子さんの作った食事を頂く。
最近は23時45分には家に着く事が多くなってきた。
今日の食事もお好み焼きに麺が入ったものとご飯、といういつも通りの謎メニューだったがとても美味しい。
栄養を考えてなのかサラダまでついている。
しかしこの時間にこんなにガッツリ食べていたら太らないかなぁ~。
「あー、何これー」
そんな私の心配をよそに楼留子さんが声を上げる。
「わぁ、サマーキャンプのしおりだって。わたなべ、キャンプに行くの?」
目をキラキラさせて私に顔を近づける。
「そうだけど」
何気なく返す私。
「私も行く。いいでしょわたなべ」
私の両肩を掴む楼留子さん。
「いや、でも、面白くないよ」
「でも行くの」
「でも相手できないかもよ」
「私も友達と行くから」
「まぁ、なら。しかし何でそんなにキャンプ行きたいの?」
かなり必死に食い下がって来た楼留子さんに違和感を感じ聞いてみた。
「ロードスターはね、キャンプに連れて行ってもらえないんだよ」
「何で?」
「だって荷物は乗らないし、2シーターで人が多く乗れないし」
「……なるほど」
口をとがらせ、拗ねた様に言う理由はかなり納得のいくものだった。
「じゃあ行く?」
何気なく聞いてみる。
「いくー」
そう言って抱きついてきた。
「いくいくいく~、わたなべいく~」
私の胸に顔を埋める楼留子さん。
「いく~、わたなべ~」
何だか誤解されそうな事を甘ったるく大声で言う。
その為か、いつも少しうるさくしていると壁ドンしてくるお隣がしてこない。
聞き耳でも立てているのだろうか。
「こら、大人しくしなさい。ご近所迷惑でしょ」
しかしうるさいので一応注意する。
「はぁい」
小さく舌を出し、ゆっくりと私から離れる楼留子さん。
そして立ち上がると、
「じゃあわたなべ、楽しみにしているね」
そう言って帰ってしまった。
その後ろ姿を見送りながら思う。
(そんなに楽しいものではないんだよなぁ)
窓から外を見ると当たり前の様に暗い夜空が広がっていた。
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