第10話 星の後押し

「ただいま」

「あれー、お帰りー」

 当然の様にいる楼留子さんには最早突っ込むつもりもないが、

「その下着の様な格好は止めなさい」

 これに関しては一応注意しておく。

 今日は黒のスポーツブラ、スポーツショーツの様な格好をしていた。

「あー、わたなべ帰って来ないと思ったから」

 そう言うと頭をかきながら立ち上がり押し入れの中に入って数秒後、Tシャツとジャージ姿になって出て来た。

「それで~、今日は何で帰って来たのぉ~」

 ニヤニヤしながらすり寄って来た。

 なので、先程の飲みミーティングでおこった事、私がした事を話した。

 ふん、ふん、と声を出しながら頷く楼留子さん。

 私がすべて話し終えると、

「よーし、偉かったね~、わたなべ~」

 そう言って私の頭を撫でまわす。

 何だか気恥ずかしいが嬉しかったし、何より楼留子さんのおかげだったので、

「ありがとう。楼留子さんのおかげだよ」

 お礼を言っておいた。

 ニヤーっと、口を広げて私を見る楼留子さん。

「よし、じゃあ風呂にでも入ってきな。美味しいお好み焼き作っておくから」

 そう言って勢いよくエプロンを着て料理をはじめたので、私は風呂に入る事にした。


 

 次の日、孝井リーダーには一応謝っておこうと思った。

 11時に孝井リーダーが出勤したのと同時に昨日の事を謝った。

「あー、まぁ酔っていたしね」

 それだけ言って大丈夫だよ、と言う風に右手を振ってくれた。

 何だか拍子抜けしながら自分の席に戻る私。

 デスクに向かい作業を始める。

「おいー、中本さーん、またミスしてんじゃねーか」

 沼田サブリーダーの怒鳴り声。

「はっ、はい。すみません」

 中本さんはすっかり仕事を詰め込まれ過ぎてミスが多くなり、怒られまくっている。

 こうやって社畜社員を作っていくのだな、と思った。

 大人しくて、真面目で、反抗してこない人を。

 私もそうだった。

 だから目を付けられたのだろう。

 でもほんの少し反撃したらもう何もされない。

 とても悔しい。

 もっと早くに気付きたかった。


 孝井リーダーの班に来てからの仕事はとても捗ったし、適宜休憩も取れ、仕事の指示を上司がしてくれた。そして3日に1回は0時前に退社する事が出来た。

 何よりもリーダー、サブリーダーが出勤しない事が少なく、仕事をさぼるのも少ないのがとても助かった。

 今までの仕事環境からすると天国で、この班ならまだグット日和で仕事をする事が可能な様な気がした。

 今日の分の作業が終了した。

 時計を見るとまだ23時半。

 随分早い。

 帰ろう。

 鞄を持ち立ち上がる。

 まだ中本さんと山田はパソコンに向かっていた。

「お先に失礼します」

 早くこの地獄から抜け出せますように。

 そう祈りながら部屋から出た。


 廊下を歩いていてふと思い出す。

 そうだ、美月さんに転職の意志はあるのだろうか。

 まだ早いので2班に行ってみよう。

 1班の隣の2班のドアをノックする。

「はい、どうぞ」

 複数の人が声を発した。

 ドアを開けるとまだ8人残っていた。

 坂本リーダーと後藤サブリーダーを除くと全員である。

 女性であるリンゴちゃんと美月さんも残っていた。

 ため息1つ。

 その後美月さんの前に立つ。

 美月さんはサマーキャンプの資料を作っていた。

 サマーキャンプの幹事になるとレンタカーの手配、キャンプ場の手配、テント、花火の用意、食料や参加費の回収、運転者を募ったり、社長や幹部達の都合、要望を聞きに行ったりでかなり忙しい。

 社長や幹部が気に入らなかったり、お金がかかり過ぎると激怒され何度もやり直しをさせられる。

 私も去年やったからわかる。

 1週間泊りなんて当たり前だった。

 それを女性で初めてやる美月さん。

 少しやつれた様に見える。

 いや、確実にやつれていた。

 そんな状態の彼女にほんの少しの時間でも貰うのは悪い様な気がした。

 しかしここから彼女を救い出すには必要な話だ。

「前川さん」

 声をかける私。

 亜麻色の髪が揺れ、優し気な顔がこちらを向く。

「あらっ、渡辺君。どうしたの?」

「お忙しい所すみません。少し、ほんの少しだけ時間を頂けませんか?」

「いいけど」

「では和室に行きましょう」

「えっ、ここじゃダメなの?」

「ええ、とても大切なお話です」

「……そう。うんわかった。行きましょう」

 ゆっくりと立ち上がる美月さん。

 ごめんなさい。

 でもあなたの為なのです。

 心の中でしっかりと詫びた。


「それで何かな、お話しって」

 明るすぎる和室の照明が美月さんを照らす。

 畳に座って私を見る美月さん。

 良い香りが私の鼻をくすぐる。

 美月さんと2人きり。

 つい余計な事まで考えてしまうが頭を大きく振り、私は美月さんの前で正座をする。

「はっきり言ってこの会社はおかしいと思います。こんな会社に居続けたらいつか倒れて動けなくなってしまうでしょう」

 息継ぎしないで一気に言う私。

 美月さんは少しびっくりした様な顔をして私を見ている。

「そこでどうでしょう、一緒に転職しませんか。幸い2人位なら何とかしてもらえそうなのですが」

 美月さんは困った様な顔になってしまった。

 そしてゆっくり口を開く。

「それって引き抜き?」

「いえ、違います」

 私が否定すると今度は俯いてしまった。

 数十秒後、ひょっとしたら数秒後だったかもしれないが沈黙の時間が流れる。

 そして顔を上げる美月さん。

「うーん、私はダメかな。だって私仕事できないんだもの」

「えっ、どうして。そんな事」

 無いです、と私が言うのを遮る様に、

「私新人の頃にね、伊藤リーダーからお前は10年に1人のバカだ、って言われ続けていたんだよ」

 照れ笑いしながらそう答えた。

「そんなの随分前のことじゃないですか。第一伊藤リーダーは」

 ここまで言って思い出した。

 美月さんはかなり伊藤リーダーに詰められていたという話を、昔体調を崩して辞めた先輩から聞いた事がある。

 付き合ってくれ、と言われて断ってからだそうなった様だ。

 坂本リーダーの様に優しくして落とすタイプでは無い伊藤リーダーは、一気に美月さんを落とそうとしたらしい。

 このバカ、何やっているんだ、ふざけんな、と第4班伊藤リーダーの罵声が第2班まで届いてきた様だ。

 そしてたまに優しくするらしい。

 そうすると簡単に女なんて落ちるんだぜ、何て言っていたのに全然落ちない美月さんに伊藤リーダーは更に厳しく当たった。

 さすがにきつくなった美月さんが退職届を持っていくと、お前なんかが他で通用すると思うのか、お前の様なダメな人間を雇ってくれるのなんてグット日和しかないぞ、と朝まで数人の幹部と共に散々怒鳴り散らされたらしい。

 そして朝日が完全に出て光がグット日和の窓から差し込む様になった時、

「じゃあ今日からまた頑張って行こうぜ」

 そう言った伊藤リーダー。

 泣きながら美月さんは頷いたそうだ。

 それから数週間後、伊藤リーダー宛に闇金から電話がかかりまくり、社長が詰めるとギャンブルでお金を使いまくっていて借金が大量にあった事が発覚、めでたく退社となった為美月さんは伊藤リーダーの毒牙にかかる事は無かった。

 しかし毒は確実に美月さんを蝕んだ。

「あんな事件をおこして辞めた人の言っていた事なんて気にしなくていいですよ」

 私がいくら言っても、

「でも私はグット日和で働く。誘ってくれてありがとう」

 頑として聞かない。

「そろそろいいかな。仕事に戻らないと」

 そう言って時計を見る美月さん。

「どうもすみませんでした。お時間取って頂いてありがとうございました」

 私はそう言うしかなかった。


 家に帰る気がせず、駐車場にあるロードスターに足を向ける。

 エンジンをかけ、夜中の街に繰り出した。


 真夜中の国道をひたすら下る。

 いつもより速度が出ている。

 流れる景色がいつもと違った。

 くそ、くそ、彼女を、美月さんを守る力が欲しい。

 気が付くと泣いていた。

 ちくしょう。

 アクセルを更に踏み込む。

 それに応える様にロードスターは速度を上げた。


 やけに周りが暗くなったのに気付く。

 いつもと違う景色。

 とっくに他県に入っていたのだろう。

 明日は休みだ。

 サービス出勤の電話がかかってきても知った事か。

 絶対に行かないぞ。

 どんどんと国道をロードスターは下っていく。


 軽快な車体。

 傍らしい加速。

 コーナリングも素晴らしい。

 ロードスターを買って本当に良かった。

 イライラと悲しみがだんだんと薄れていく。

 空が少しずつ明るくなってきた。

 周囲はまるで知らない風景になっていた。

 ここは何県だろう。

 ちょうど小島の様にコンビニがあったので、休憩しようと車を駐車場に滑り込ませた。


 コーヒー2つとサンドイッチを買って駐車場に戻ると、

「今日は珍しく飛ばしていたねぇ~」

 当たり前の様に楼留子さんが助手席に座っていた。

 コーヒーを1つ楼留子さんに渡す。

 ありがと、と言って受け取った後、

「んで、何があったの?」

 サンドイッチを奪い取る様に私からひったくると聞いてきた。

 美月さんとの会話を楼留子さんに話すと、

「ひえー、美月さんも出来上がっちゃったね~」

 苦笑しコーヒーをひと口飲んだ。

「何とかならないのかな」

 藁にも縋る思いで楼留子さんに聞いてみる。

「うーん、難しいね。でも救う方法なら1つあるよ」

 あるのか。

「わたなべが結婚して養ってあげたらいいんだよ」

 聞いて損した。

 ため息が無意識に出てしまった。

「何でため息? 結婚しちゃいなよ~」

 頬を膨らませる楼留子さん。

「告白したって美月さんが僕なんかを相手にしてくれる訳ないだろ。第一グット日和の給料で養っていける訳ないだろ」

 私が憮然とした表情で言うと、

「そっか。あんなに働いているのに給料安いものねぇ~」

 呆れ顔で納得していた。

「私が生まれた年なんかであんなに働いていたら、もう一軒家位買えていたのにねぇ~」 

 長い両足をダッシュボードに乗せ、こちらをニヤニヤしながら見る。

「そんなに景気が良かったの?」

「うん、わたなべ位の年齢だと家を買ったり、マンションを買ったり、外車乗っていた人も結構いたよ」

 とても考えられない世界だった。

 本当に同じ日本なのだろうか。

「大体ねぇ~」

 そう言ってサンドイッチを私の口にねじ込む楼留子さん。

「告白したって僕なんか~、ってのが気に入らないなぁ~」

 いやでも、と反論しようとサンドイッチを咀嚼しようとした私より早く口を開く。

「アッシーでもメッシーでもしてそれでもダメならしょうがないけど、それすらやらないでそんなこと言うなんて信じられない」

 アッシー? メッシー?

 一体何の事を言っているのだろうか?

 ?マークが頭の中で出まくっている私に向かって、

「今日からわたなべは美月さんのアッシーをやる事。わたなべより残業続きなんだからとりあえず喜ぶでしょ。わかった?」

 私の答えを聞く前に助手席から飛び降りどこかへ行ってしまった。

 慌てて車を降り周りを見渡すが、もう楼留子さんはいなかった。

 アッシーってなんだ?

 わからないままエンジンをかけ、アクセルをふかし、コンビニの駐車場を出た。

 もう周囲は朝の光が降り注いでいた。


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