第9話 鈍い星の光

 次の日の朝、事件が起きた。

 中本さんと山田が会社に来ていなかった。

「坂本リーダーすみませーん。中本と山田がターボしました」

 ニヤニヤ笑いながら電話をする孝井リーダー。

「ええ、ええ、いやもう100回位携帯鳴らしているんですけど~、2人共出ないですねぇ」

 ターボ。

 つまり出社しないで飛んだのだ。

「はい、はい、はい~、宜しくです~」

 そう言って孝井リーダーが電話を切る。

「はいみんな注目~」

 そう言って手をパンパンと叩く。

「中本と山田がターボしたけどまぁ、2人共多分帰ってくるからリスケしませーん。ちゃんとみんな優しく迎えてあげてね。会社は家庭、私達は家族、だよ」

 笑顔で言う孝井リーダー。

 はい、とみんな大きな声で返事をする。

 帰ってくる? 

 無理矢理説得するだけだろ。

 怒りに近いものが私の中にこみあげてきた。

 しかしどうしようもなかった。


「おーい、孝井ー、やっちまったなー」

 数時間後ドアをノックもせず、坂本リーダーと後藤サブリーダー、それと4班の寺島リーダーが入って来た。

「いや、今回は俺じゃなくて沼田ですよ~」

「おおそうか。沼田もグット日和魂が染みついてきたなぁ」

 嬉しそうに言う坂本リーダー。

「じゃあこれ、あいつらの住所です」

 孝井リーダーが紙を渡す。

「おう、中本は一人暮らしで実家が東京。山田は実家から通勤か……おい、こいつの実家接骨院じゃねーか」

「はい、親父さんは柔道3段だそうです」

「こりゃやっかいだな。よし、接骨院の営業時間内に行って説得しねーと。こいつの家から行くかぁ。中本の奴は楽勝だろ、松下の後でいいわ」

 松下? まさか松下さんも来ていないのか。

「しかし根性無いよなぁ」

「本当ですよねぇ~」

 根性が無い訳では無くて、限界を超えてしまったのだろう。

 そんな事もわからないのか。

 怒りの形相で坂本リーダーを見てしまっていたのだろう。

「おい渡辺、何だその顔は? あー!」

 思い切り怒鳴られてしまった。

 やっぱり怖い。

 足が無意識に震える。

「いえっ、何でもありません」

 慌てて目を逸らす私。

「ったく、その気になってんじゃねーぞ」

 吐き捨てる様に言う坂本リーダー。

 その後いくつか孝井リーダーに質問した後、沼田サブリーダーも来るように指示をする。

 そして、

「よっしゃ、行ってくるわ」

「はい、気をつけて~」

 坂本リーダー達は孝井リーダーに見送られ、ドカドカと靴音を鳴らして出て行った。


 夕方過ぎに電話が鳴った。

「はい、グット日和です。あっ、坂本リーダーお疲れ様です。はい、はい、じゃあ孝井リーダーに代わります」

 電話を取ったスタッフが孝井リーダーに取り次ぐ。

「どうもお疲れ様です~。はい、はい、あ~、なるほど~、じゃあやりますかぁ」

 そう言うと孝井リーダーは電話をいったん保留にした。

「はいみなさーん。中本さんと山田君が帰って来ないと皆さん寂しいですよねー。それにリスケになってしまいますよー。今から全力で引き留めて下さーい」

 そう言って受話器を我々に向ける。

 すると私以外のスタッフ全員、孝井リーダーの席に集まった。

「はい、坂本リーダー。じゃあまず山田君からいきましょうか」

 孝井リーダーがそう言って他のスタッフに受話器を渡す。

 受話器を受け取ったスタッフは、

「もしもし山田、急に辞めたりしちゃダメだよ。俺たちチームだろ。それにこんなことして会社に迷惑をかけたら損害賠償請求されるぞ、いいのか」

 必死に話し始めた。

 数分その調子で話し、次のスタッフに代わる。

「もしもし山田、仕事から逃げるんじゃねーよ。限界? 限界なんて超えるものだろ? 大体急に逃げるなんて社会人としてどうよ?」

 数分後また代わる。

「おい山田、何で辞めようと思うんだよ。せっかくここまで頑張って来たのに。それが無駄になっちゃうぞ。これからも一緒に頑張ろうぜ」

 こうやって延々とスタッフ達の説得が続く。

 2人も抜けられたら暫くその負担がその班全員に降り注ぐので必死だ。

 これを延々と聞いた後、また坂本リーダー達の詰めがある。

 私もやられた事があるが、これで落ちない人などいるのだろうか。

 ターボはグット日和を辞める方法としては現実的ではない。

 必ず坂本リーダー達が家や実家、彼女の家、友達の家等に来るからだ。

 彼女や友達の家の事を言わなければいいのでは? 

 普通はそう考える。

 しかし結構しつこく聞かれたり、飲みミーティングで飲まされ泥酔した時に言わされたり、そもそも言わないと怒鳴られたり、意地の悪い事をされたりする。

 こうやって縛っていき辞められない様にする。

 新人の時、どうやったら円満にグット日和を辞められますか? と優しい先輩に聞いた事がある。

 その先輩の答えは、

「交通事故で入院するかガンになる事」

 だった。

 因みに私の同期はほとんど精神疾患になり、診断書が出たので辞める事が出来た。

 これが最近のグット日和のスタンダードな退職理由だったが、坂本リーダーと小森専務が、

「精神疾患なんか根性で治るから以後退職は認めない」

 と木曜の朝礼で発表してからはダメになってしまった。

 精神が無駄に強い私は相変わらずグット日和に居続ける事になっていたのだが、楼留子さんのおかげで目が覚めた。

 絶対に辞めてやる。


「おいー、孝井ー、いるかー」

 夜中の23時、坂本リーダー達がノックもしないで入って来た。

 後ろには中本さんと山田もいた。

 駄目だったか。

「待っていたよー。いやー急にどうしたのー?」

 そう言って2人を迎え入れる孝井リーダー。

「中本さんお帰りなさい」

「山田~どうしたんだよ~」

 スタッフ達みんなで賑々しく迎える。

「よし、じゃあこれからの仕事への意気込みをみんなの前で発表しろ」

 坂本リーダーが言い、2人の背中を押す。

「今日はすみませんでした。これからはグット日和の社員として恥ずかしくない仕事と逃げない心、社訓である、勉強、チームワーク、チャンスが来た、を忘れずに日々グット日和という家族の一員という誇りを忘れずに仕事をします」

 引きつり笑いでまずは山田が答える。

 みんなが拍手をした。

「本日は大切な第2の家族であるグット日和を逃げ出しそうになってしまい、大変ご迷惑をおかけしました。グット日和を逃げるという事は本当の家族からも逃げる事になってしまう、と坂本リーダーからの有り難い教えがありました。今回PMとPLの代理をやるチャンスを頂きましたのでしっかりと頑張ってやり抜きます」

 中本さんが満面の笑みを浮かべ、大きな声で言う。

 また大きな拍手が鳴り響く。

 嘘だ、多分大勢で問い詰めた結果だろう。

 その証拠に目がオカシイ。

 二人ともしっかり洗脳されてしまった。

 しかも中本さんに至っては責任者と同じ事をやらされる事になってしまった。

 慣れない仕事と膨大な作業を与えられ、ミスを怒られ、睡眠時間を削られ、まともに考える事が出来なくなる。

 そうしてミスを挽回しろと怒鳴られ、会社にずっと居続ける事を選択させられるやり方だ。

 そういうのを見た事が無い中本さんは恐らくこれから長い年月、グット日和に居続ける事になるだろう。

 気づかせてくれる存在がいない限り。

 私には楼留子さんが居てくれて本当に良かった。

「よし、じゃあお前ら。気を入れ替えたんなら今日さぼった分の仕事は今日の内にやっていけよ」

 坂本リーダーの問いかけに、

「はいっ」

 元気よく答える2人。

 それを見て改めて思った。

 ダメだ、早く退職しないと。

 

 坂本リーダー達が帰って暫く仕事をした後、第2班に行く。

 美月さんに会って早く転職の事を言いたかった。

 こんな職場よりかは絶対にましだろう。

 ノックをしても声がしない。

 おかしいな? まだ夜の0時前なのに、と思ってドアノブを回すが鍵がかかっていた。

 その時、

 ピリリリリ、ピリリリリ

 私の携帯電話が鳴った。

 出ると、

「もしもし渡辺君。坂本リーダーから業務報告があるから飲みミーティングに来て。『するき茶屋』でやっているから」

 後藤サブリーダーの声だった。

 もう帰りたいのだが。

「因みに~、今度のサマーキャンプの事だから。来ないわけにはいかないよね~。ダッシュで来て」

 キャンプ。そうか、もうそんな時期か。

「わかりました。行きます」

「宜しく~」

 電話が終わり思わず空を見上げてしまった。

 グット日和サマーキャンプは毎年退職者が出る。

 別に過酷な内容では無いのだが、いじめが酷いのだ。

 何度かやられた親や配偶者から怒鳴りこまれた事もあるが、冗談ですよ、真にうけちゃいました? で済ませている。

 もう退職するのだから別に行く必要も無いのだが、業務報告の時にいないと坂本リーダーの機嫌が悪くなるので行かない訳にはいかない。

 ため息1つ。

「ごめん、今日は帰れない」

 楼留子さんに電話をする。

「あっそ。もう転職の用意はしてあるから退職届置いて帰ってきたら?」

 有り難い事にもう手を回してくれていた様だ。

「でもボーナス出るまでは会社に居たいから」

 私がそう言うと、

「それは良い事だ」

 楽しそうに笑う楼留子さん。

 グット日和のボーナスは毎年キャンプのすぐ後位に出る。

「退職後少しゆっくりするんだから、しっかりお金は貰いなよー」

 明るい声が届くと電話が切れた。

 バターン

 大きな音がしたのでそちらを見ると、中本さんと山田が走って部屋から出て来た。

 おそらく彼らも飲みミーティングに呼ばれたのだろう。

 2つ目のため息をついた後、私も歩いて向かう事にした。


 するき茶屋に着くともう出来上がっている坂本リーダー達がいた。

 孝井リーダー、寺島リーダーの他にも第3班の唐津リーダー、第5班の岡山リーダー、定常部、事務部のリーダー達もいた。

 要するにサマーキャンプは夏の重大イベントなのだ。

 2班のスタッフ全員と各班の可愛い女子、いじられ役の男子スタッフもそろっている。

 寂しがり屋なのか、坂本リーダーは飲みミーティングの時はとにかく人を呼びたがる。

 何と迷惑な人なのだろう。

 早速酔っぱらっているのかしょうもない事をしているし。

 視線を笑いの中心に向けると四つん這いの松下さんの上にまたがっていた。

「おら、もっと早く走れ、ブォン、ブォン」

 バイクの排気音を口で言っている坂本リーダー。

 重い坂本リーダーを背中に乗せ、必死に前に進む松下さん。

「新しいバイクは遅いですねぇ」

 岡山リーダーが笑いながら言う。

 古いバイクだった私としては複雑な気持ちでその状況を見る。

「よーし、大体集まったか。じゃあ業務報告だ」

 周囲を見て坂本リーダーが大声で言う。

「今年のサマーキャンプは7月末と8月初め、今年はだいぶ人数が多くなってきたから4班に分けて行くぞ」

 みんな必死にメモを取る。

「それと幹事長は沼田、幹事長補佐は俺、幹事は辰夫(寺島リーダー)、早山、飯岡、中本と山田、それとバイク、じゃなかった。松下」

 室内が笑いに包まれる。

 笑っていないのは私と松下さん位だと思う。

 中本さんと山田も引きつり笑いをしていた。

 飲みミーティングで元気が無いと詰められるから、無理にでも元気にしていないといけない。

 いや、笑っていない人がもう一人いた。

「坂本リーダー。松下さんはもう仕事でいっぱいいっぱいだと思います」

 美月さんだった。

「ただでさえなれないPMとPLの代理をやっているのに、その上幹事までやったら……」

 亜麻色の髪を揺らしてリーダー全員に語り掛ける様に言う。

 まいったなぁ、という顔の坂本リーダー。

 他のリーダー達も同じ様な顔をしていた。

「前川さん、松下さんは自分の成長の為に幹事を進んでやりたいのですよ。そうですよね松下さん」

 後藤サブリーダーが助け船を出す。

 即答できない松下さん。

「おら松下、お前の成長の為にやる勉強だろうが!」

 坂本リーダーが激怒する。

 ひっ、と情けない声を出す松下さん。

 それを制する様に美月さんが言葉を続ける。

「では私が幹事をやります。勉強の為にやりたいです。松下さんはもう十分勉強をしていますし、チームの為に貢献していますし、PM、PLの代わりをやるチャンス中なのでキャンプの幹事まではやらなくていいですよね」

 サマーキャンプ幹事の仕事はサービス残業、ボランティアワークでおこなうので物凄い負担になるのだが、美月さんは何でもない様に笑顔で言う。

「ああ、うん。そうだね」

 坂本リーダーがしどろもどろ返事をする。

「じゃあ私はこれから忙しくなりますので今日は帰ります。お疲れ様でした」

 一礼すると、店から出て行った。

 シーンとする室内。

 さすが、半分。

 すげー、半分、と言った所であろうか。

 各リーダー達も何となく気まずそうにしている。

「ほらほら、飲みミーティングは元気出していかないといけないんじゃなかったっけ?」

 場の空気を換える様に後藤サブリーダーが大きくパンパンと手を叩く。

 それを聞いてリーダー達もいつもの調子に戻る。

「よし、じゃあ元気よくやるかぁ。おい松下、何しょぼくれた顔をしているんだ。まずはお前から面白い事をしろ」

 坂本リーダーの声が合図となって飲みミーティングの本番部分がはじまった。


 女の子達がリーダーやサブリーダーにお酌をし、楽し気に喋る中、若手や仕事の出来ないスタッフ、ミスの多いスタッフは別名いじられーず、と呼ばれ芸をしたり、グット日和伝統の競技をやらされる。

 まず手始めに、面白い芸が出来なかった松下さんと山田はパンツファイト(パンツ1枚になり脱がし合う)をやらされた。

 女子社員も見る中で大の男が2人、パンツを脱がし合うのだ。

 リーダー達はどっちが勝つか賭けているので必死にやらないと詰められる。

「おらっ松下、引っ張れ」

「山田、破いてもいいからいけ」

 大笑いしながら応援する各リーダー達。

 女の子達も笑って見ている。

 男子スタッフ達も頑張れーと声援を送り、笑顔で見入っている。

 山田が松下さんのパンツを脱がしたが、その時破れてしまった。

 一同大爆笑。

「おらっ松下、何でもっと丈夫なパンツをはいてこないんだ」

 腹を抱えて笑っている坂本リーダーが怒鳴る。

「すっ、すみません」

 理不尽な事で怒られ、それにも謝る松下さん。

 もう他のスタッフと比べて仕事を詰め込まれ過ぎているので訳が解からなくなっているのだろう。

 つい少し前までは私もそうだったのだが。

 次は座布団バトル(2畳の畳の上で座布団を丸めて殴り合う。畳の縁から足が出た方の負け)だった。

 これは中本さんと私が指名された。

 よし、意地悪をしてやろう。

 ビールを一気に飲み干した。

 座布団を丸めて中本さんの前に立つ。

 今までは見ている立場だった中本さん。

 今回の失態とターボでいじられーずに入れられてしまったのだろう。

「おい中本、眼鏡を取れ」

 怒鳴る寺島リーダー。

 困惑しながらも眼鏡を外す中本さん。

 よしまずはこいつからだ。 

「よし行くぞー」

 酔っぱらったふりをしながら元気よく寺島リーダーの席に倒れこんだ。

 勢いよくビールがこぼれ、お通しが飛び散る。

「何してんだテメー!」

 ビールで服を濡らされ激高する寺島リーダー。

「すいませーん」

 そう言って立ち上がる私。

「ほら、中本さんはあっち」

 後藤サブリーダーが指をさす。

「あー、そっちでしたかー」

 酔っぱらって足がおぼつかないふりをして、助走をつけて後藤サブリーダーの席に倒れこんだ。

 カクテルと醤油が飛び散った。

「おい、何してんだよ。こっちじゃねーよ。あーズボンがシミになっただろ。クリーニング代を」

「はいはーい、払いマース」

 小銭をバラバラと刺身の盛り合わせ上にばらまいた。

「ちっ、ちょっと何してんの~」

 慌てる後藤サブリーダー。

「おいテメー、何もったいないことしてんだ!」

 岡山リーダーが怒鳴る。

「そうですかー、ではお召し上がりくださーい」

 刺身の盛り合わせを持って岡山リーダーの席に向かい、そこでまたわざと転んだ。

 刺身と小銭が岡山リーダーの日本酒升の中に降り注ぐ。

「さあ、次はどこに行きましょうか?」

 座布団をビール瓶に持ち替え、周囲を見る。

 もうやけくそだった。

 声かけて来た奴全員の所へ行って嫌がらせをするつもりだった。

 次の日なんてどうでも良かった。

 殴るなら殴りやがれ。 

 どうせ辞める会社だ。

 しかし意外な反応が返って来た。

「渡辺は酔い過ぎだからもう帰れ」

 声の主は坂本リーダーだった。

「はい、帰りますー」

 そのまま酔ったふりをして外へ出る。

 後ろからおい、渡辺に飲ませ過ぎたのは誰だ! と坂本リーダーの激怒する声が聞こえた。

 ゆっくりと外に出た後、気付いた。

 初めて飲みミーティングでお金を払わなかった。

 夜のネオン街を1人、本当に酔った様に右に左に動きながら家路につく。

 今日の夜風はとても心地良く、私の気持ちを緩やかに高揚させてくれていた。

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