第8話 星の後先

 次の日、坂本リーダー、後藤サブリーダー、山下は8時半に揃って出社した。

 思い切り顔を腫らして。

 多分社長に殴られたのだろう。

 憮然とした表情の坂本リーダーが席に着く。

 みんな目配せし、小声でクスクス笑う。

「渡辺集合」

 私を呼ぶ坂本リーダー。

 室内に緊張が走る。

 でも私の心は軽かった。

 居ない、と本当の事を社長に言っただけだし。

 坂本リーダーのデスクに向かう途中、後藤サブリーダーと山下を見ると2人とも両目の周りが青痣になっていて、まるでパンダだった。

 坂本リーダーのデスクの前に立つ。

 前髪が毟られた様になっていて、顔が腫れている坂本リーダー。

 殴られる、そう思っていたが意外な言葉が返って来た。

「今日からお前は異動だから」

 えっ?

「孝井の所の松下と交換になったから。松下に今やっている作業の引き継ぎをやれ」

 口の中を切っているのだろう。

 喋るのも辛そうな坂本リーダー。

 こうして私は坂本班から脱出する事になった。

 

 その日のうちに孝井班に異動しろと言われた私。

 段ボールに私物を入れていると、1班から来た松下さんが段ボールを抱えて入って来た。

 松下さんは入社5年目でグット日和の中では中堅社員だ。

 しかし仕事の要領が悪いのかいつも怒られていて、もうサブリーダーになってもおかしくない勤務年数ではあるが未だに平社員だ。

「よっ、宜しくお願いします」

 私にオドオドと挨拶をする松下さん。

「では引き継ぎをしましょう」

 しかし私が抱えている作業はPMとPLがやる作業で、その量もかなり多い。

 説明していくと松下さんの顔がどんどん青ざめて行った。

 気の毒だがこればかりはどうしようもない。

「じゃあ松下さんの作業を教えて頂きたいのですが」

 私が訪ねると、

「いやっ、私が抜けるのでリスケしています。孝井リーダーが教えてくれますよ」

 引きつり笑いで答えてくれる松下さん。

 要するにそのまま行けば孝井リーダーが教えてくれる様だ。

「おい、いつまでも時間かけてんじゃねーよ。早く仕事をしろ」

 坂本リーダーは大きい声で言った後、痛い、と小声で言って頬を押さえる。

 口を開くのも辛そうだ。

「すっ、すいません」

 オドオドしながら言う松下さん。

 その顔色は何とも不安気だった。

 

 段ボール箱を抱えて隣の1班に行く。

 孝井リーダーに挨拶をすると、

「よく来たね、渡辺君。じゃあ君の作業はこれだからね」

 これからやる仕事の説明があった。

 それ程多い訳ではない。

 これなら毎日今日中(午前0時以内)には帰れそうな内容だった。

 ほっ、としていると、

 ドオン

 と、隣の部屋から壁を殴る音がした。

「おっ、坂本リーダーかな。元気だなぁ~」

 笑いながら言う孝井リーダー。

 なるほど、こちらの部屋にはこの様に聞こえていたのか。

 変な所に感心していると隣の席の人が私に話しかけてきた。

「渡辺君、坂本リーダーの班大変だったでしょう」

 私は入社して半年間第3班に居た以外はずっと坂本リーダーの班だった。

「ええ、本当に地獄でしたよ」

 そう言った後思った。

 残った人達は大丈夫なのだろうか。

 特に美月さんは?



 仕事は23時30分には終わった。

 孝井リーダーと沼田サブリーダーはとっくに帰っていたが、それでもずいぶんと早い。

「私はもう帰るけど、渡辺君まだ残る?」

 最後に残っていた中本さんが私に話しかけてきた。

「いや、私もちょうど終わりましたので」

 そう言うと、

「了解。じゃあ一緒に出ようか」

 笑顔で言ってくれた。

 さて帰るか。

 

 中本さんと外に出ると、心地良い夜中の夏風が私達を撫でた。

 今日の内に帰れる。

 すごく楽しい気分になりながら駐輪場に向かう。

 ふと、いつもより多い光量が気になり、さっきまでいたグット日和のビルを見る。

 幾つかの部屋にまだ明かりが点いていた。

 坂本リーダー班の部屋は、当然の様に煌々と輝いていた。

「どうしたの?」

 中本さんが首をひねる。

「えっ、ああ、別に」

 慌ててそう言ったものの、私の心には何かが重く残った。


「ただいま」

 家のドアを開ける。

「あっ、お帰りー」

 本当にどうやって入ってきているのかわからないが、今日も当然の様に楼留子さんが座布団の上で当然の様にテレビを見ていた。

「しかしその服装は何なの?」

 今日はさすがに引っ掛かったので聞いてみた。

「これ? いやー暑くて」

 短パンにへそ出しタンクトップだった。

「僕がロリコンだったらどうするの?」

 憮然としながら聞いてみるが、

「わたなべにそんな根性無いでしょ」

 子憎たらしい笑いを浮かべながらもっともな事を言う楼留子さん。

 ため息をつく私。

「クーラーつければいいだろ」

 当然の事を言ってみたが、

「え~、でもわたなべ貧乏だし」

 気を使われてしまった。

「とにかく男の部屋にそんな恰好でいるものではありません。ジャージを出すから着替えて下さい」

 タンスを開ける私。

「あー、もういいから。わかったわよ」

 急に立ち上がると押し入れを開け、その中に入り襖を閉める。

 何をしているんだろう、と思っているとパァン、と勢いよく襖が開き上はTシャツ、下はジャージを着た楼留子さんが出て来た。

「これでいいんでしょ」

 Tシャツの裾を引っ張り私に見せる。

「ああ、いいけど……。服持ってきていたの?」

「服? ああ、服はね、自分で作れるの」

「作れる?」

「そう。頭の中でイメージするとね、その服が着られるの。髪型もアクセサリーもできるよ」

「ちょ、…… そう。じゃあ十二単を着てみてよ」

「そういう難しいのは無理よ。あれは大変だから」

「……まぁいいけど」

 頭を掻く私。

「ところで~」

 ニヤニヤしながら私に顔を近づける。

「殴られなかった様だねぇ~」

 白い綺麗な手で私の左頬を撫でる。

「ああ、絶対にやられると思ったけどね」

 私がそう言うとフフッ、と楽しそうに笑う楼留子さん。

「じゃあもう退職しちゃおうか。坂本が弱っている今がチャンスじゃないの?」

 顔を思い切り私に近づける。

「転職のあてがあるんだっけ?」

「勿論あるよ」

 そうか。確かに今がチャンスかもしれない。

 あっ、でも、

「美月さんの再就職も手伝ってくれる?」

 一番重要な事を聞いてみた。

「勿論」

 即答で返事を返してくれた楼留子さん。

 よし、明日聞いてみよう。

「しかしあんな会社にいて転職活動をしないわたなべ達が信じられないよ」

 呆れながら言う楼留子さん。

「しょうがないだろ。景気が上向いてきたとはいえ、今は中々再就職なんて難しいんだから」

 釈然としない気持ちで言う私。

「就活なんて企業の方が接待してくれる物でしょ?」

 びっくりする様な事を平気で言う楼留子さん。

「そんな所あるわけないよ」

 憮然と言う私に、

「面接に行けば交通費も出るし、人事の人と仲良くなればご飯も飲みにもタダで連れて行ってもらえるし、うまくやれば高級クラブも好きなだけ連れて行ってもらえるのに」

 どこの国でおこなわれているのかわからない事を言った後、

「バブルの頃はこれが当たり前だったんだけどね」

 少し寂しそうな表情で私を見た。

「そうか、バブルの頃の話だったんだね。たしか楼留子さんはその頃の生まれなんだっけ?」

「そう、初年度登録は平成2年だからギリね」

 どうしても車だと言い張るのでそこは無視する。

 しかしその時代に生きていたのならもうとっくにアラフォーを超えている筈なのだけどなぁ。

 改めて楼留子さんを見る。

 どう見ても中学生位にしかみえない。

 家出、宗教の勧誘、援助交際、神待ち、色々と考えてみたが今の所何の請求も無いし、いつも泊まらずに帰って行くし、むしろ食材費を出していないのにご飯まで作ってくれる。

 いったい何が目的なのだろうか。

 どうせ聞いても「だれもが、しあわせに、ならなきゃいけないんだよ」とか言ってごまかされるし。

 ごまかされる?

 実は本当に車、ロードスターなのではないだろうか。

 いや、まさか。

 そんな訳があるわけない、と思い首を横に振る。

 仕事を紹介してくれる所で楼留子さんの素性がわかるのだろうか。

 


 次の日グット日和、第1班で仕事をしていると、

「中本さーん、これどうなってんの~」

 孝井リーダーの怒鳴り声が響く。

 室内が緊張に包まれた。

 作業の手が止まっているスタッフもいる、が私は今まで坂本リーダーの班に居たので何とも感じず作業を続ける。

「こんな事もできねーの? もっとミスを無くしてよ~」

 みんなの前で怒鳴り続ける孝井リーダー。

「すみません」

 中本さんがぺこぺこと頭を下げる。

「すみませんじゃすみませんよ~、どうすんの~」

 なおも怒鳴り続ける孝井リーダー。

「すみません」

「いやだからすみませんじゃなくて、具体的にどうするかを聞いているの?」

 中本さんはグット日和入社1年目だが、中途採用で入っている為もう40歳だ。

 それなのに遠慮無く怒鳴って詰め続ける孝井リーダー。

「必ず今日中に直します」

「それは当たり前なんだよ。あなたのミスに会社はお金を払わなくちゃいけないの?」

「ぼっ、ボランティアワークでやればいいんですよね」

「当たり前だろ~、全く。前みたいに残業代の話なんてもう2度とするんじゃね~ぞ」

 もう戻って、と言う風に掌でシッ、シッ、と犬でも追い払う様にやる孝井リーダー。

 震えながら中本さんが戻って来た。

 ちらっとその顔を見ると目には光るものが浮かんでいた。


 その後は午前中、和やかな雰囲気で時間が流れた。

 仕事内容で相談に行くと、孝井リーダーはちゃんと答えてくれた。

 坂本リーダーの班だった頃は、うるせー、今俺が忙しいのがわからないのか、お前自身が考える事だろふざけるな、と怒鳴られ、自分で考えてやると、そんな風にやれと誰が言った、お前大概にしろよ、何でもっと報告しないんだ、と殴られる。

 これが無いだけでも随分と孝井リーダーの班は楽だった。

 そしてお昼になった。

「よし、みんな。食事にしようか」 

 手を止め、立ち上がる孝井リーダー。

 みんなも手を止めパソコンの電源を落とす。

 確か孝井リーダーの班はみんなで食べに行くんだったよな、と思い出した。

 これが物凄く羨ましかった。

 坂本班だと昼食抜き、もしくは1日食事抜き、なんていうのは当たり前の様にあったからだ。

 ウキウキしながら私も電源を落とす。

 隣の中本さんも電源を落として立ち上がったその時、

「中本さん、作業は終わるんですか?」

 沼田サブリーダーの大きな声がこだました。

 動きが止まる中本さん。

「ボランティアワークが嫌なんだったら時間内に終わらせる努力をするのが当然じゃないのですか?」

「わっ、わかりました」

 再び座った中本さんは震えながらパソコンの電源を再度入れた。

「よし、じゃあ行こう。今日はちゃんと頑張っていたから山田も来ていいよ」

「あっ、ありがとうございます」

 作業を続けていた山田がパソコンの電源を落とし立ち上がる。

 中本さんを置いて、1班全員が外に出る事になった。

 

「さーて、今日は何にしようかねぇ~」

 孝井リーダーがみんなに話しかける様に言う。

 1班のお昼ご飯は近くのファミレスや牛丼屋、中華料理に出かける。

 坂本班の時は主に私と飯岡は電話番の為、いつも残っていなくてはならなかった。

 嬉しさの反面、残してきた中本さんの事が気になる。

 1人しかいないから外出出来ないので食事を買いに行く事が出来ない。

 お昼ご飯、夜ご飯抜きでの仕事は私もよくやったがこんなに辛い物は無いものだ。

 そうだ、帰りにコンビニでパンでも買っていこう。

 

 昼休みが終わってグット日和にみんなで帰る。

 第1班では中本さんが1人でパソコンの前に座り、作業をしていた。

 孝井リーダーも沼田サブリーダーもそれを見て何も言わずにパソコンの電源を入れる。

 飲み物を飲むときかトイレに立った時にでも渡そうかな、と思い買った惣菜パンをデスクに置いておく。

 しかし山田の方が早かった。

「中本さん、これ買ってきたのでどうぞ」

 おにぎりを渡す山田。

 良かった。

 と思ったが、その後がまずかった。

 ありがとう、と受け取ってそのまま食べようとした。

 パソコンの前で。

 やばい、止めないと、と思った時にはもう遅かった。

「お前何やっているんだ!」

 沼田サブリーダーの怒鳴り声。

 グット日和ではパソコン前の食事は厳禁なのだ。(社長が昔ラーメンをこぼしてパソコンを壊したトラウマが有る為。なぜか飲み物は許可されている)

 2人とも後ろ襟首を掴まれて室外へ引きずられていった。

 多分和室(激しい説教の時に使われる)へ行くのだろう。

「はい、みんな~、仕事仕事~」

 何でもない様に孝井リーダーが手をパンパンと叩く。

 当たり前の様に作業に戻るスタッフ達。

 そこに違和を感じる様になった私。

 グット日和と私、果たしてどちらが当たり前なのだろうか。


 時計が23時を指している。

 私の今日の作業は終了した。

 まだ何人か残っているが、私は美月さんに退職の意志があるかどうか聞きに行かなくてはならない。

 さて隣の部屋に行こう。

「お疲れ様です」

 そう言って鞄を持ち立ち上がる。

 孝井リーダーと沼田サブリーダーは当然の如く帰っていた。

 ふと中本さんを見ると、一心不乱でパソコンに向かい作業をしている。

 そして山田を見ると、服が乱れたままキーボードを打っていた。


 第2班の室内に入るとまだ数人残っていたが、もう美月さんはいなかった。

 ブツブツ言うのが聞こえてそちらを見ると、魂が抜けたように作業を続ける松下さんがいた。


 

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