第7話 星下の反抗
坂本リーダー、後藤サブリーダーと山下は夕方にやってきた。
「おい渡辺、ちゃんと進んでいるかー!」
大きな声で室内に入って来た坂本リーダーに、
「はい、今の所」
眠気と疲れで小さな声で返事をした私。
「声が小さい!」
大きな声で怒鳴る坂本リーダー。
いつもならここで怖くて萎縮する所だったが今日はそれ程でもなかった。
よし、言うぞ。
早く終わられる考えを言ってみよう。
立ち上がり、坂本リーダーに近づく。
怒りに満ちた顔で私を見ている。
その顔に向かって、
「正直、仕事量が多すぎて期間内に終わらせるのは難しいです。少しで良いから作業を手伝っては頂けないでしょうか」
みんな言えそうで言えなかった言葉を言ってみた。
驚いた様な全スタッフの視線が集まったのがわかる。
坂本リーダーはよく会社をさぼるし、来たって寝ていたりお気に入りのスタッフと遊びに行ってしまったりで作業はしてもらえない。
ほんの少しでも手伝ってもらえれば、と思って言ってみた。
その答えは、
ドガン
大きな音となって返ってきた。
坂本リーダーがゴミ箱を思い切り蹴飛ばしたのだ。
そして私に思い切り顔を近づける。
「てめーよー、何俺に意見してんだ。10年早いぞ、あー!」
唾を私の顔に飛び散らせながらまくしたてる坂本リーダー。
「大体昨日は何時間寝たんだよ」
「3時間です」
震えながら答える私。
「なげーよ。1時間位仮眠すれば十分だろ。それに今回はお前の勉強なんだぞ。PM、PLが体験できるチャンスが来たと思わねーのか。何で自分一人でもやってみようという気持ちにならないんだ? あー!」
物凄く怖い顔で怒鳴り続ける坂本リーダー。
「俺の時なんか毎日1時間仮眠して1週間仕事した、なんて時もあったぞ。甘えすぎなんだよお前は。まったく」
ため息をついて仮眠室に向かう坂本リーダー。
山下もその後ろをついて行く。
後藤サブリーダーはパソコンを立ち上げゲームをはじめようとした。
しかし今日は私も食い下がる。
「チームワークで手伝っていただけませんか?」
足が止まる坂本リーダー。
そしてゆっくりと振り向く。
その顔は笑顔だった。
良かった。
パイプ椅子が私の頭に飛んできた。
ガシャーン
物凄い痛み。
視界が暗くなる。
痛みで足に力が入らず倒れるかと思ったら倒れない。
気が付くと胸ぐらを掴まれていた。
「てめー、喧嘩売ってんの?」
ドスの利いた声で私に言う坂本リーダー。
やっぱり怖い。
痛みと怖さで足に力が入らず震え続ける私。
「やめて下さい」
いつの間にか近くに来ていた美月さんが坂本リーダーの手を掴む。
「美月ちゃん座っていて。今からこいつは大変な目にあうから危ないよ~」
ニヤニヤしながら言う坂本リーダー。
それでも手を離さない美月さん。
座って下さい前川さん、と言いたいのに声が出ない。
悔しくて涙が出てきた。
神様、彼女を、彼女だけでも救う力を下さい。
胸ぐらを掴まれ震えながらせめてそれだけでもと思い祈る。
すると、
「あれー、お取込み中ですかぁ~」
室内に大きな声が響く。
みんな一斉にそちらを見る。
「あーあ。事件だこりゃ」
神様に願いが通じたのか、それとも神様が現れたのか、それにしては頼りない神様ではあるが、スーツ姿の楼留子さんがニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「何だてめーは。部外者が勝手に入ってきてんじゃねーよ」
激高する坂本リーダー。
「私はこの人の物なんだから部外者じゃないでしょ」
そう言って私の右手に抱き着く様に腕を絡ませる。
「へぇー、渡辺はとんだロリコンだなぁ」
侮蔑する様な目で私を見る坂本リーダー。
美月さんが坂本リーダーの手を離し距離をとった。
いや、彼女とかそういうのでは無いですよ、と私が言うのより早く楼留子さんが口を開いた。
「マザコンよりはいいと思うけど」
「何訳が分からない事言ってんだてめー」
私の胸ぐらを離し、楼留子さんに迫る坂本リーダー。
鬼の様な顔になっている坂本リーダーに向かって、
「ママー、マモル君うどんが食べたいの~」
大声で言う楼留子さん。
坂本リーダーの動きが止まった。
「ママー、いいでしょ、ママー」
マモルとは坂本リーダーの名前だ。
「おい……」
目を見開いている坂本リーダー。
「お外が暑くてもバイクは寒いよ。はい、これを着てね、ママー」
坂本リーダーの顔が赤くなっていくのがわかる。
「じゃあ出発するよ。しっかりつかまっていてね。わぁ、抱っこされているみたい~」
オーバーリアクション付きで言い続ける楼留子さん。
室内の視線が全て坂本リーダーに釘付けになってしまった。
「何で知っているんだよ……」
小声で搾りだす様に言う坂本リーダー。
「もうマモルは。そろそろ甘えん坊さんを直さないと」
楼留子さんは止まらない。
「てめー、いいから出て行けよ!」
大きな声で震えながら言う坂本リーダー。
「貴方こそ帰ればいいじゃない。大して仕事もしていないみたいだし。ほらほら~ママが待っていまちゅよ~」
煽る楼留子さん。
「この野郎」
楼留子さんに掴みかかった坂本リーダー。
「マモルは暴れん坊だからママ心配だわ。職場の皆さんとは仲良くやっているの?」
再び動きが止まった坂本リーダー。
楼留子さんは大きく息を吸い込んで、
「暴力はだめよー!」
大声で坂本リーダーの顔面に向かって言い放った。
「ママごめん」
ビクッと肩を竦ませた坂本リーダー。
室内が静寂に包まれる。
ハッとした坂本リーダーが周囲を見渡す。
全スタッフの視線が突き刺さっていた事だろう。
顔を真っ赤にして逃げる様に室内から出て行ってしまった。
数秒後。
「あはははははー」
楼留子さんの大笑い。
それにつられて全スタッフが笑った。
「いやー、坂本リーダーがマザコンだったとはねぇ」
一番笑っていた後藤サブリーダー。
その肩に手を乗せた楼留子さん。
「神田川書店、ビデオ大安売り王、大人の映画館」
後藤サブリーダーの笑いが急に止まった。
「ロリロリクラブ、手コキ一番星」
今度は後藤サブリーダーが青ざめ出した。
「いや~、仕事さぼってどこへ行っているのやら」
呆れた笑いを向ける楼留子さん。
「だっ、黙れ!」
大声で凄む後藤サブリーダー。
しかし楼留子さんは止まらない。
「幼な妻大戦果、ロリ専クラブツーリスト」
そこまで聞いて後藤サブリーダーも逃げ出す様に外へ出て行ってしまった。
また大笑いに包まれる室内。
「全くしょうがねーなーあの人達は」
ニヤニヤしながら言う山下。
そのお尻に回し蹴りを入れる楼留子さん。
「痛っ、なにすんだ」
怒鳴る山下。
「あ~あ、またすっぽかされた。これじゃ出会い系じゃなくて出会えない系だよ」
楼留子さんが睨みながら言う。
ビクッとした山下。
「ひっ、卑怯だぞ。そんな盗聴なんかして」
「仕事をしないでさぼって他の人に迷惑をかけるのは卑怯じゃないのかなぁ~」
楼留子さんの正論を聞いて逃げる様に出て行こうとする山下の肩を掴む私。
「何すか」
不貞腐れ気味に言う山下。
「坂本リーダー達と合流するのか?」
「そうですけど」
もうこいつもさぼるのが当たり前の様になってしまった様だ。
ここらで全員やっつけなくてはならない。
ここで最強の爆弾をお見舞いした。
「11時頃、坂本リーダーに社長から電話があったぞ。居ないって伝えておいた。ついでに後藤サブリーダーとお前もさぼりって伝えたからな。精々どう言い訳するのか頑張って考えておけよ」
マジかよ、と小さく呟いて青ざめながらよろよろと山下も出て行った。
室内はまた大爆笑になった。
「さーて、もう仕事はしなくていいんでない? 帰ろ」
みんなに向かって明るく言う楼留子さん。
「でも作業全然終わらないよ」
飯岡がオロオロしながら言う。
「大丈夫だよ。明日からは坂本リーダー達もやってくれるから」
私がそう言うと飯岡の顔が明るくなった。
「そっか。じゃあもう帰ろう」
同期の飯岡もこの後坂本リーダー達がどうなるかはよくわかっていた。
「じゃあさ~、みんなでご飯でも行こうよ。わたなべが奢ってくれるよ~」
なんていう事を言うんだ。
室内は歓喜の大歓声。
さすがに少し文句を言ってやろうかと思ったら、みんなにわからない様にそっと私の左手に何かを握らせた。
「行こ、わたなべ」
私の右手に腕を絡ませ引っ張る楼留子さん。
左手を開くと1万円があった。
近くのファミレスに入りみんなで食事会をした。
溜まりに溜まっている会社、上司の悪口を言い合い全員で大笑いした。
ひとしきり笑った後、
「しかしあの坂本リーダー達の録音はどうやって撮ったのですか?」
中途採用で入社した堺さんが楼留子さんに尋ねる。
ファミレスに来てまでお好み焼きをほおばっている楼留子さんが箸を止めて掌を横に振る。
「別に録音なんかしてないよ~。あの人達のバイクに聞いただけだから」
そう言ってまた箸を動かしはじめたが、おかしな事を言ったのに気付いたのだろう。
堺さんも今の会話を聞いていた他のスタッフも変な顔をしている。
「たっ、たまたま、たまたま。坂本って人がマザコンみたいな顔をしていたから」
焦りながら答える楼留子さん。
坂本リーダーは身長160センチ位だが、パンチパーマでゴリラの様な顔をしている。
とてもマザコンの様には見えないのだが、楼留子さんの返答が面白くみんなで大笑いした。
後藤サブリーダーと山下の事がなぜわかったのか、そこに引っ掛かったのはどうも私だけだった様だったが。
楽しい時間はあっという間に過ぎた。
22時になり学生さんはもう帰らないと、と楼留子さんを心配した美月さんの提案でお開きとなった。
私はアラサーだよ、と反抗するかと思ったが何も言い返さず素直に従う楼留子さん。
しかし本当に楽しかった。
仕事終わりに遊んで22時に帰れるなんて、こんなに良い日があっても良いのだろうか。
グット日和を辞めたらこんな事が当たり前とはいかなくても、たまにはあるのだろうか。
そんな事を考えながら会計に向かう。
レジで伝票を渡し、楼留子さんから貰った1万円を出そうとした。
その時、私の腕を温かい手が掴む。
振り向くと手を離した美月さんが、
「悪いから払うよ。何回も渡辺君にばかり払わせられないよ」
そう言ってくれた。
本当に何でこの人はこんなブラック企業にいるのだろう。
みんなもう早々に外に出ているのに。
そんな事を考えていると、
「あー、いいんすよ、こいつは。払いたいんすよ」
楼留子さんが私の肩をバンバン叩く。
そして美月さんに顔を近づけ、
「特に貴方の為に、ね」
本当に余計な事を言った。
良くわからなかったのか首をかしげる美月さん。
「もう帰ろう楼留子さん。美月さんも帰りましょう」
会計を済まし、無理やり楼留子さんを引っ張る私。
「何でだよー、この会社風に言うとチャンスが来た、だろー」
「うるさい!」
そんなやり取りを後ろから微笑みを浮かべ見ている美月さん。
後で楼留子さんは説教しないと。
外へ出るとスタッフ達のお礼の声と、夏の夜風が私達を心地よく迎えてくれた。
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