第6話 夜空に光りはじめた星
「何よ、あの店員。ふざけんじゃないわよ」
ご立腹の楼留子さん。
やっぱり、というか予想通りだったのだが、楼留子さんおススメのお洒落なバーに入ろうとしたら入店拒否された。
「もう私は20歳後半なんだよ、全く。何が深夜の中学生入店はお断りしていますよ」
かなり怒ってらっしゃるが、私が店員でも止めていると思う。
仕方がないので家まで帰ってロードスターで深夜やっているガソリンスタンド併設の喫茶店に行こうと誘ったのだが、その道すがらずっと怒っていた。
「まぁしょうがないじゃない」
私がたしなめるが、
「でも鮎川君達と行った時は入店できたんだよ」
怒りの表情のままな楼留子さん。
「ところであの男の子達とはどんな知り合いなの?」
さっきから気になったので聞いてみた。
「近所の車だよ」
平然と言う楼留子さん。
「鮎川君、という事はGTRとか?」
適当に聞いてみた。
すると驚いたような顔をして、
「よくわかったね~、どうしてわかったの」
感心した様に言う楼留子さん。
「じゃあ岩崎君はランエボかな」
「惜しい、ギャランフォルティスでしたー」
そう言って軽く私の方にパンチをする。
イタタ、と肩をさすりながら何気なく夜空を見る。
暗雲の中から少しずつ月が顔を覗かせていた。
次の日出勤するとほとんどのスタッフがまだ寝ていた。
そして坂本リーダー、後藤サブリーダー、山下の3人はまだ出勤していなかった。
飲みミーティングの後、カラオケの死亡コンボでまた朝の6時までやったのだろう。
「昨日は何だか坂本リーダーが荒れていて大変だったのよ。特に飯岡君が色々な芸をやらされて。他の班が来なかったから集中攻撃で」
デスクを静かに掃除していた美月さんが教えてくれた。
一緒に行っていたはずなのだが、今日も薄化粧に良い香りがする。
家でシャワーでも浴びてきたのだろうか。
だいたい飲みミーティングは朝までおこなわれるので、みんな会社に泊まって段ボールを床に敷いて寝る。
なのでみんな髪はボサボサ、服もヨレヨレ、そして風呂に入っていないから汚い。今年入社した高校新卒社員のリンゴちゃん(本名は琳子)もパンツスーツのまま段ボールの上で寝ている。
女性でもその扱いなのだが美月さんはいつも身ぎれいにしている。
寝てないだろうに凄い体力だ。
「ところで昨日の女の子達はお友達?」
不思議そうな顔で私に問いかける。
「友達、というか近所のよくわからない子、というか」
楼留子さんの事をどう説明してよいのか、そもそも私もよくわかっていなかったので言いよどむ。
「もしかして彼女さん?」
黒瑪瑙の様な美月さんの目が私の顔を覗き込む。
「いや、まさか、だって子供ですよ、近所の悪ガキですよ、というか、うーん」
自分の事ロードスターだと言っている近所の変な子、というのが一番近い様な気がする。
俯き考え込んでいる私。
クスッ、と笑い声がしたので顔を上げると、
「しかし昨日の後藤サブリーダーの顔、完全に怖がっていたよね。たしか昔チーマーだったって言っていなかったっけ」
そう言うと美月さんはクスクスと笑い出した。
それに便乗する様な笑いが職場内にした。
「完全にビビっていましたよね」
段ボールに寝転がったまま飯岡が言う。
「坂本リーダーも金髪さん達に一言も文句を言いませんでしたよね。あの人も暴走族だったのを自慢していましたよね」
いつの間にか起きていたリンゴちゃんも思い出して笑っていた。
他のスタッフ達ももう起きはじめて、次々と昨日の鮎川君達が来た時の坂本リーダーや後藤サブリーダーの不甲斐ない態度を笑った。
今までには無い事だった。
特に坂本リーダーの事を少なくとも会社内で笑う事など無かった。
初めて職場内で本当の笑いがおこった様な気がした。
お昼になった。
職場に誰もいなくて電話に出られないのはあり得ない事なので、休憩時間は交代で外に買いに行くのだが今日はみんなで行こうと私が誘った。
なぜなら、
「お疲れー、ちゃんとやっているかー」
後藤サブリーダーと山下が今頃出勤してきた。
カラオケの後に坂本リーダーと締めのラーメンを食べに行ったメンバーは昼に出勤してくる。
それがわかっていた私は他のスタッフを食事に誘った。
みんな笑いながら賛成してくれた。
全員財布を持って立ち上がる様を見て、
「おい、どこに行くんだよ」
後藤サブリーダーが慌てる。皆それに答える事無く、
「電話番宜しく」
私が山下の肩をポンポン、と叩く。
「えっ、まだ自分上手く電話対応できないんっすけど」
口を尖らす山下。
「わからない事があったら後藤サブリーダーに聞けばいいじゃないか。それに君にとって勉強になるだろ、それとも勉強が嫌なの? 社会人として非常識だな」
おとなしい私がこの様な事を言うとは思わなかったのだろう。急にしおらしくなる山下。
「後藤サブリーダー、電話対応教えてくれますよね」
私が聞くと、えっ、えっ、あ、ああ、とどもりながらも首を縦に振ってくれた。
「よし、じゃあみんな行こう」
2人を残し、初めてになる大勢での昼食に向かった。
みんなでファミレスに入り席に着く。
7人なので隣り合う席にしてもらった。
「後藤サブリーダーきょどってましたね」
リンゴちゃんの明るい声。
「山下も最近調子に乗っているからいい気味だ」
飯岡も笑いながら言う。
「2人とも昼も寝るつもりだったんだろうな」
あと数か月後、辞める事が出来る須田君が呆れた様に言う。
後はずっと会社の事や坂本リーダー、後藤サブリーダー、会社の幹部達の悪口を言い合った。
「もうみんな言い過ぎ」
この中で一番先輩の美月さん(入社7年目)が、一言笑いながら注意してくれたがみんな今までの鬱憤が溜まりすぎて止まらなかった。
結局いつまでも楽しい会話が続き、ふと時計を見るともう休憩時間の13時を過ぎていた。
やばい、と思ったがたまには良いか、とも思った。
「あー、もうこんな時間」
リンゴちゃんが気づいたようで、大きな声を上げた。
みんなやばい、どうしよう、とか言い出したが、
「いいよ、いいよ、たまには。チームワークを深めるという事で」
私が言うとみんな安堵の表情と共に笑顔になった。
「よし、会計は済ましているから行こう」
えっ、マジで、すみません、と後輩たちの楽しそうな声。
「本当にいいの? 渡辺君」
美月さんは財布を取り出すが、
「ええ、どうせいつも仕事で使う暇無いですから」
やんわりと断った。
そう? という風に首を傾げた美月さんも少し考えた素振りの後ありがとう、と言う様に微笑みながら手を合わせて財布をしまう。
「よし帰ろう」
みんなを引き連れて会社に帰る事にした。
職場に入ると山下が電話に出ていて何やら苦戦していた。
「ですから坂本リーダーはまだトイレに入っていまして……」
多分社長からだろう。
坂本リーダーによく電話がかかってくるのだが、坂本リーダーは物凄い遅刻をしてきたり、出勤自体してこなかったりする。
そこでスタッフ達が懸命に居ない理由を考えて時間を稼ぎ、その間に坂本リーダーの携帯に電話をして指示を仰ぐか、折り返し電話をしてもらうのだが、その対応が悪く社長にさぼっている事がばれると、
「お前は電話対応一つできねーのか。あー」
と怒鳴られ、物凄い量の仕事を押し付けられるのでみんな極力電話に出たがらず、仕方なくほとんど私が出ている。
後藤サブリーダーも出たくないのだろう。
パソコンをじっと見ている。
多分作業をしているふりをしている。
私に気づいた山下が、
「ちょっとお待ち下さい。渡辺さんに代わります」
そう言って、
「はい」
対応しろ、と言う風に私に受話器を差し出す。
何だかカチン、ときたので無視して自分の席に着く。
他の奴に代われ何て言ってねーだろ、坂本に代われ、って言っているだけだろ、バカなのかテメーは、 あ゛ー、と受話器から強烈な怒鳴り声が聞こえる。
オロオロと山下は後藤サブリーダーを見るが、一切目を合わせようとはしない。
もういい、と更に大きな声が受話器からするとガチャ、と大きな音と共に電話が切れた。
「山下、後でちゃんと坂本リーダーに報告してねー」
やはり目を合わせないで後藤サブリーダーが言う。
泣きそうな顔の山下。
昼休みの遅刻を怒られる事は無かった。
夕方になり、坂本リーダーが出勤してきた。
「お疲れ様です」
みんな立ち上がり挨拶をする。
「渡辺集合」
低い声で私に声をかける坂本リーダー。
来た。
「はい」
よし行くぞ。
返事をして坂本リーダーの席まで行く。
「昨日の連中とはどういった関係なんだ?」
怒りを含んだ目で私を見るが、いきなり暴力は無かった。
「近所の子と、その友達です」
ふぅん、という風に頷く坂本リーダー。
「おめーは余裕だなぁ。あんな近所の子供達と遊んでいる暇があるとはなぁ」
立ち上がりマジマジと私を見る。
「よーし、みんな注目。重大発表」
急に大きな声を出す坂本リーダー。みんな一斉に顔を向ける。
「明日からおこなわれる新しいプロジェクトは勉強の為、渡辺君がPMとPLの代わりをやります」
私の両肩を掴み、そう言った。
要するに次のプロジェクトの責任者をやれという事だった。
「俺と後藤にちゃんと報告しながら進めろよ」
坂本リーダーは後藤サブリーダーを誘いタバコを吸う為外に出て行った。
その後を社長からの電話があった報告をする為か、山下が追いかけて行く。
「お帰りー」
家に帰るといつもの如くどうやって入って来たのかわからないが、当たり前の様に楼留子さんが畳の上で寝転がっていた。
「それでどうだった?」
素早く立ち上がり私に近づく。
「うん、今日も暴力は無かったよ」
私が言うと、
「やっぱりねぇ」
納得する様に何回も頷く楼留子さん。
「会社でも殴られたりした?」
「いや全然」
「何か嫌な事された?」
「いや全く」
「そうでしょう~」
ニヤニヤ笑い、私の胸を人差し指で突く楼留子さん。
今回、楼留子さんの作戦はとにかく私に上司への恐怖を取り除く事を目標にしてくれていた。
そして暴力には暴力でけん制するのが一番、とわざわざ人を集めてくれた。
「これでわたなべには簡単に手出しできなくなるよ」
そう言って狭い部屋の中をスキップしながら台所に向かう楼留子さん。
「あっ、でも今度のプロジェクトの責任者の代行になった」
その言葉を聞いて動きを止める。
「責任者の代行? 昇進したの?」
「いや、勉強みたいだから」
「昇進じゃないの?」
「まぁいつもの事さ」
私の言葉に不安げな表情を見せる楼留子さん。
「休みは?」
「それはまだわからないな」
「……もう本当に辞めた方がいいよ」
俯き小さな声で、力なく言う。
いつも強気な楼留子さんがなぜこんなに弱気な表情を見せるのだろうか。
この時はまだ事の重大さに気付く事が出来なかった。
次の日、坂本リーダーから発表されたプロジェクト内容はとてつもない仕事量をこなさなくてはならない膨大な物だった。
「いいかー、今回は渡辺がPMでPLだからな。というか渡辺の勉強なんだから渡辺はみんなにちゃんと協力をお願いしろよ。俺は昨日社長から怒られた山下のフォローをするから」
そう言うと坂本リーダーは後藤サブリーダーと顔を腫らした山下を連れて、部屋から出て行ってしまった。
外から3台のうるさいバイクの音がした後静寂の室内。
「これどうするんですか」
飯岡の心配そうな声。
「絶対終わらないですよね」
須田君の呆れた様なため息。
「しばらく帰れなーい」
リンゴちゃんも泣きそうな顔をする。
その上、慣れない責任者の作業を私がしなくてはならない。
そして坂本リーダー、後藤サブリーダーはお前の勉強を見守る、とか言って作業に加わってはくれないだろう。
ひょっとしたら山下まで仕事をしなくなる可能性がある。
室内の空気が重くなる。
「大丈夫? 渡辺君。私PLはやった事あるから代わりにやってあげようか」
天使の声がしてその方を見ると、美月さんが私の方を心配そうに見てくれていた。
この人まで不安な気持ちにさせてなるものか。
「大丈夫です。しかし初めての事でわからない事だらけなので、みなさん宜しくお願い致します」
しっかり頭を下げてお願いをした。
夜の23時、そろそろ終電のスタッフが出てくる時間だ。
「よし、みんなあがって」
私がそう言うと、えっ? と言う表情でみんなこちらを見る。
どうせ責任者みたいな事をさせてもらえるのなら、理想的な上司になろうと思った。
「でも作業がまだ」
飯岡が心配そうな顔で私を見る。
「大丈夫だよ、やっておくから」
私がそう言うと、
「じゃあお疲れ様です」
須田君と数名のスタッフは帰り支度をはじめた。
「えっ、いいんですか?」
リンゴちゃんも驚いた表情で私を見ている。
「もちろん」
笑顔で頷くと明るい顔になってパソコンの電源を落とした。
みんなが帰り支度をしている中、
「無理しちゃ駄目だよ、渡辺君。こんな作業量、一人でやっていたら何日も泊りになっちゃうよ」
美月さんだけが心配して私に語り掛ける。
「みんな休ませてあげないと。それに早く終わらせる考えがありますので。前川さんも今日は帰って下さい」
安心させる様に言えたと思う。
本当は物凄く不安だった。
「そう。じゃあ今日は甘えさせてもらうけど、本当に無理をしないでね」
美月さんも帰った静寂の包む室内。
そこから電話をする。
「今日は帰れないよ」
私の声に、
「そう」
暗い返事が受話器に届く。
「わたなべ、服持って行くよ」
「大丈夫だよ。いつもの事さ」
「……そう。明日は帰れるの?」
「多分帰れるよ」
「ちゃんと寝て、栄養も取らないとダメだよ」
「ああ、わかった。ありがとう」
お礼を言って電話を切ろうとした時、
「わたなべ、絶対無理はしないでね」
何だかいつもと違う小さな声が返って来た。
「ああ、ありがとう」
私が明るい声で言うと電話が切れた。
さてやるか。
作業は結局朝6時までかかった。
少し寝よう。
9時からまた今日の仕事がはじまる。
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