第5話 星の鋭角
今月からスーパーデイリースクラムが始まった。
「おはようございます。それではスーパーデイリースクラムをはじめます。山下君からどうぞ」
司会役の後藤サブリーダーが発言を促す。
「私はより多くの作業をこなせる様、始業時間より2時間早く会社に来てボランティアワークをやります」
よし、と言う様に黙って頷く坂本リーダー。
「次は森田君」
「私は作業スピードを上げる為に、よりチームワークを深め仕事量をこなしていきます」
ドォン
壁に飲みかけのペットボトルが投げつけられた。
「そんな具体性にかける事は言わなくていいんだよ! それは当たり前の事だろ? どうやってチームに貢献するんだ、あー?」
坂本リーダーが激怒する。
床に流れ出たペットボトルの中身のお茶を慌てて拭く私と飯岡。
「もっとサービス残業をしてチームに貢献します」
震えながら言う森田。
「お前言ったんだからやれよ。あとで具体的にどうやるのか書類で報告しろ」
怒りが収まった坂本リーダーが言う。
スーパーデイリースクラムは一人一人が経営者の目線になってどうやったらより多くの作業が出来るか、どうやったら会社が利益を上げられるか、を班の全員に向かって発表する。
「それでは前川さんどうぞ」
「私は自分の作業だけではなく、周りをよく見てサポートも出来る様にします」
森田の様に具体的では無かったからヒヤッとしたが、美月さんはおとがめ無しだった。
そもそも美月さんは怒られないのだが。
その後も何回か坂本リーダーが激高した後、
「よーし、じゃあ最後に渡辺君どうぞ」
私の番になった。
「お前は最近弛みきっているからな。さぞかし素晴らしい案を出すんだろうなぁ」
坂本リーダーがこちらを見て言う。
「私は休みの日はみんなが休めるように、3回に1回はボランティアワークをしなくても良くなる様な仕組みを作っていきたいと思っています」
ガシャーン
私の足元にパイプイスが投げつけられた。
「てめー何言ってやがんだ? あー? 10年早いぞ!」
激高した坂本リーダーが走り寄ってきて、私の胸ぐらをつかむ。
私は最近休みの日にかかってきた休日出勤、給料が出ないボランティアワーク要請の電話は予定がある、と言って3回に1回は出勤しない様にしていた。
その度に何の予定だ、仕事より大事なのか、等言われて怒鳴られ、てめーみたいなやる気の無い奴には勉強が必要、と言われ2~3日泊まりになる位の膨大な作業が押し付けられた。
それでも松田さんと過ごすボランティアワークの無い休日は楽しかった。
それをみんなにも味わってもらいたかっただけなのに、坂本リーダーは物凄く怒って私の髪の毛をつかむ。
「大体どうやってそんな仕組みを作るんだ? あー!」
「ですからリスケを……」
そこまで言ったら坂本リーダーは私の頭を壁に叩きつけた。
「もうこんなやる気の無い奴がいるんじゃ話にならない。おい、山下、こいつの言っている事どう思う?」
後輩の山下は坂本リーダーのお気に入りだ。
「社会人として失格だと思います」
その意をくみ、私を蔑む様に言った。
結局私はチームワークを乱した、という事でまた泊まりになる位の物凄い仕事を押し付けられる事になった。
「ただいまー」
「おかえりー」
3日ぶりの我が家。
今日はちゃんと松田さんに電話をしていたので攻撃は来ない。
もうなぜ松田さんが我が家に居るのか、どうやって部屋に入ってきているのか、は気にしない事にした。
「思ったより早かったねぇ。あんな事言ったら最悪1か月位帰って来なくなるかと思っていたけど」
そう言ってケラケラ笑う松田さん。
松田さんにはスーパーデイリースクラムの時に、私が提案する内容を事前に言ってみた。
「社蓄卒業の第一歩だねぇ~」
とからかわれたが、とても楽しそうな表情をしてくれた。
それが今回勇気になったのだが、坂本リーダーだけではなく後輩の山下からも否定されてしまった。
「因みに~、ちゃんと録音した?」
「ああ、しっかりと。ねえ、これどうするの?」
「ちょっと聞かせて」
私の質問に答える事無く、松田さんはテープレコーダーを再生した。
むつかしい顔をして聞いている松田さん。
「この怒鳴っている人は誰?」
「坂本リーダーって言ってうちの班の責任者であり、全リーダーの中で一番偉い人だよ」
「ふぅん」
興味無さそうな返事をする松田さん。
「この山下って人は幹部なの?」
「いや、平社員で後輩」
「出来上がっちゃっているねぇ」
ニヤニヤ笑いながら言う松田さん。
どういう意味かはわからなかったが、皮肉だというのは何となくわかった。
全部聞き終わった松田さんは立ち上がった。
「よし、そろそろかなぁ」
そう言うと、
「ねぇ、わたなべ。この会社にずっと居たいの? この会社で何かやりたい事や学びたい事があるの?」
私の右手を両手で優しく握る。
「厳しい環境だけど社会人として逃げるわけにはいかないよ」
「正直に言って!」
少し怒った声で言う松田さん。
綺麗な双眼が私を捕らえて逃がさない。
「辞めたいよ」
正直に言ってみた。
すると急に明るい表情になった松田さん。
「じゃあ辞めちゃおう」
楽しそうに言う。
この子は本当にわかっていない。
「辞められないし、辞めたら次の仕事が無いよ。それに守ってあげたい人がいるんだ」
これが真実。
これが本当の理由だった。
それを聞いた松田さんは更に楽しそうになり、
「大丈夫。会社なんてすぐ辞められるし、再就職は良い方法があるから任せて。守ってあげたい人とはわたなべが頑張って働いて一緒になっちゃえばいいんだよ」
結構無茶な事を言う。
しかし再就職にあてがあるのか?
車なのに。
いつも来ている服は違うし、アクセサリーも高そうな物を付けているからどこかの社長令嬢なのかもしれない。
そこで雇ってくれるのだろうか。
「ねぇ、どこのお嬢様なの?」
一応聞いてみたが、不思議そうな顔をしてこちらを窺う松田さん。
「どこの? と言われても……。宇品第一工場?」
「宇品、って広島の?」
「そうだよ。そこで作られたから」
相変わらず自分はロードスターだと言い張る松田さん。
何となくそんな答えが返ってくるのでは、という答えが返って来た。
「そんな事より作戦会議をするよ」
私に可愛らしい小さな顔を近づけてくる松田さん。
さてどんな作戦なのだろうか?
坂本チームの室内は静寂に包まれ、坂本リーダーの電話応対の声だけがする。
「はい、はい、ええ、では失礼します」
そう言って静かに電話を置いた。
「よし、終わったぞー」
システムのリリースが無事完了した。
「よーし、じゃあ飲みミーティングだ」
切りの良い所で必ず飲みミーティングが発生するのはわかっていた。
「やったー、飲むぞー」
「そうだよな、山下。仕事って楽しいよな」
「はいっ」
一部の社員を除いてみんな作り笑いをしていたと思う。
「はい、みんな明るく元気よく。ほらっ、渡辺は盛り上げないといけないんじゃないの?」
後藤サブリーダーが私に言う。
「あの、私は帰ります」
恐る恐る言ってみた。
机を勢いよく叩く音が響く。
「あー、何? チームワークよりも大切な事なのか?」
坂本リーダーの怒鳴り声。
「ええ、友達がこの辺で飲んでいますのでそっちへ行こうかと」
怒鳴り声に負けそうになりながら勇気を出して言ってみた。
「チームワークの方が大事だろうが、あー。どうしてお前は自分の事ばっかり考える?」
なおも怒鳴り続ける坂本リーダー。
そこに後藤サブリーダーが割って入ってきた。
「まさか女の子はいないよね?」
「います」
私がそう言うと坂本リーダーの目が輝いた。
「おい、じゃあ呼べよ」
「あっ、あの、あまり酒癖が良くない子だから……」
「いいから呼べよ、嘘じゃないならな。どうせ早く帰りたいからそんな嘘を言ったんだろ?」
「いやっ、嘘では」
「だったら呼んでみろよ。あと1班と3班にも飲みミーティングが有る事伝えておけよ。先行くぞ」
そう言って部屋から出て行く坂本リーダー。
後藤サブリーダーと他のスタッフも続く。
「どっちかの班、私が電話してみようか?」
そんな中、残ってくれた美月さんが私に話しかけてきてくれた。
「いえっ、大丈夫です。ありがとうございます」
美月さんも大変な作業明けで疲れているだろうに、こうやって辛くあたられたスタッフに優しくフォローを入れてくれる。
「そう? 予定有るならそっちを優先してもいいよ。私が坂本リーダーに上手い事言っておくから」
涙が出そうになる位優しい。
私が美月さんの事を大好きな理由の一つだ。
「ありがとうございます。でも本当に大丈夫ですから、先に行って下さい。前川さんがいないとまた坂本リーダーの機嫌が悪くなりますから」
でもそんな事をさせる訳にはいかない。
どんなとばっちりが美月さんに行ってしまう事になるかわかったものではない。
明るくやんわりとお断りした。
「わかった。あんまり無理をしないでね。辛い事でも分け合えば楽になるよ」
亜麻色の髪を翻し部屋を出て行く美月さん。
甘い香りを残す。
あの人を、あんな素敵な人を、守る力、幸せにする力が欲しい。
それの第一歩だ。
松田さんに電話をかける。
「オーケー。もう会社の前にいるから」
松田さんの楽しそうな声が返って来た。
1班と3班にも電話をかけ終わった直後、外から後藤サブリーダーや山下の声がする。
まだ行っていないのか?
急いで私も外に向かう。
会社を出るとまだ全員近くにいた。
「本当に援助交際とか神待ちじゃないの?」
後藤サブリーダーの声。
「だから違うって」
聞き覚えのある女の子の声。
そこに向かって私は走り出す。
「どうしたのですか?」
一番後ろにいた美月さんに話しかけてみた。
「あっ、渡辺君。あの子知り合い?」
指さす向こうには、綺麗な長い黒髪を結びもせず靡かせた松田さんがいた。
白いノースリーブのシャツにデニムのホットパンツ、首には金のネックレス、手首にも高そうなアクセサリーと時計をしている。
要するに綺麗目な遊び人風の格好をしていた。
「あっ、渡辺。この子とはどういう関係?」
後藤サブリーダーが私に問いかける。
「えっとこの子は」
言いよどむ私の代わりに松田さんが答えた。
「近所に住んでいる松田と言います」
たしかにうちの駐車場にいるとすれば間違いでは無い回答ではある。
「ご近所さんなんだぁ、しかしかわいいねぇ。えっと名前は何ていうの?」
興味津々で松田さんに話しかける後藤サブリーダー。
何故か私に視線を向ける松田さん。
あっ、そうか。名前は持ち主が考えろとか言っていたな。
えっと、ロードスターだから……
「ろどこ。ロドコちゃんです」
適当に言ってみた。
んっ? という表情の後藤サブリーダー。
はぁ? という表情の松田さん、もとい今からロドコさん。
「ええ、ロドコちゃんです」
もう一度、はっきりと言ってみた。
ああ、という表情をした後藤サブリーダーだったが、
「ちょっと変わった名前だけどかわいいねぇ。ねぇ、一緒に飲みに行かない? 奢るよ」
すぐにまたロドコさんを褒めだし、飲みに連れて行こうとする。
「ちょっと待て、おい渡辺、その子未成年だろ? 飲みに行って良いわけねーだろ、あー!」
坂本リーダーの怒鳴り声。
それに驚いて口を噤む後藤サブリーダー。
「いえ、もうアラサー近いんですけど」
ロドコさんが平然と言う。
私が買ったロードスターはたしか初年度登録が平成2年だったかな、と思い出す。
憮然とした表情の坂本リーダー。
「ふざけんなよ、ったく。渡辺の常識の無さには呆れるわ。おい早くこの子の親に電話をしろ。こんな夜中に中学生が飲みになんて行っていーわけがねーだろ。送り届けて土下座して来い。終わったら報告の為に飲みミーティングに来いよ。おい山下、一緒に行ってこいつがちゃんとやってくるか監視しろ。飲み代は渡辺持ちだ」
はい、と元気の良い返事が返ってきて山下が私の手を掴んだその時、
「おーい、松田さん。遅くなってごめんなー」
ぞろぞろとガラの悪い高校生、中学生位の男子が7、8人現れた。
みんな茶髪に金髪でいかにも悪そうなB系の恰好をしている。
「何、揉めているの?」
その中でも一番体が大きくて金髪オールバックの怖そうな男子が大きな声で言う。
ビクッ、として山下が私の手を離す。
後藤サブリーダーはおどおどと、えっ? えっ? とか言っている。
そんな二人をよそに、ロドコさんは両手で坂本リーダーと後藤サブリーダーを指さす。
「この人達がしつこいの。私の事を中学生だとか言って」
はぁ? という顔をした一番大きい金髪オールバック君は、
「松田さんが中学生な訳ねーだろ。もう車検10回以上通しているんだぞ!」
よくわからない事を怒鳴った。
だがうちのスタッフ達はガラの悪い男子達の登場にビビりすぎてそれに気づく事無く、ひそひそと何やら話し合っている。
関わらないで行きましょうよ、と後藤サブリーダーが坂本リーダーの服を引っ張る。
私を睨んだ後、後藤サブリーダーについて行く坂本リーダー。
慌てて他のスタッフもその後ろを追いかける。
「あれー、奢ってくれるんじゃなかったのー」
ロドコさんが大声で煽る様に言う。
「何、奢ってくれるのかよ~」
「ついて行こうぜ」
ガラの悪い男子達も大声で笑いながらはしゃぐ。
振り向きこちらを睨む坂本リーダー。
早く行きましょうよ、と後藤サブリーダーと山下が坂本リーダーを引っ張った。
スタッフ全員が角を曲がり見えなくなる。
「はぁ~、きもっ」
ため息をつくロドコさん。
そして振り返る。
「今日はありがとうね。この後みんなで飲みに行こうよ」
ガラの悪い男子達に話しかける。
「すいません、明日レース場みたいなんで」
一番大きい金髪オールバック君が申し訳なさそうに言う。
「あー、そうかー、じゃあ鮎川君達は全員ご帰宅かぁ。じゃあまた今度ね。本当にありがとう」
ロドコさんが明るく手を振る。
すみません、と言って一人を除き全員帰って行った。
「岩﨑君は来られるの?」
一人残った茶髪でアロハシャツ、細マッチョな男子に声をかける。
「はい私は大丈夫で…… あっ、持ち主がカギを持ちました。もう帰ります、お疲れ様でした」
慌てて走り出す。
お疲れ様、ありがとう~、と手を振るロドコさん。
残ったのは私とロドコさんだけとなった。
「さて、どうだった?」
素敵な笑顔をこちらに向けるロドコさん。
「何が?」
わからなかったので素直に聞いてみた。
「鈍いなぁ。だからそんなに怖くなかったでしょ」
「いやー、すごく怖かったよ。何あの金髪君達は知り合いなの?」
はぁー、と言いながら長い黒髪の頭をわさわさと掻くロドコさん。
「そうじゃなくて、わたなべの先輩達。こっちが強そうだったら逃げる様にどこかに行っちゃったでしょ」
たしかに後藤サブリーダーはビビりまくっていたし、坂本リーダーも一言も言い返さずに消えた。
「だからね、そんなにビビらなくてもいい、って事。わかった?」
白くて細い人差指を私の眉間に向かってピッ、と突き出す。
そしてゆっくりと頷く私を見てにっこりとした後、思い切り回し蹴りを入れてきた。
「いってぇ~」
太ももをさする私。
「ところであの名前は何? ちゃんと考えていた?」
「あの名前って」
「ロドコって何よ、ナニ人かもわからないじゃない」
ああ、その事か。正直その場で適当に付けただけなのだが。
「大体漢字でどう書くの?」
漢字でロドコ、うーん、どうしよう。
こちらを睨み続けるロドコさん。
しょうがない。
「綺麗な桜が留まった様な美しい子、と書いて桜留子(ろどこ)」
また適当に考えたのを言ってみた。
すると険しい顔で睨み続けていたロドコさん、もとい楼留子さんの表情が急に無表情になったかと思うと口元が緩んだ。
「なるほど、まぁまぁかな」
良かった、機嫌が直ったようだ。
「しかし歴代のオーナーの中で特にセンス無いなぁ」
含み笑いで私を見る。
「他のオーナーはどんな名前を付けてくれたの?」
一応聞いてみた。
「ユーノスから取って優子(ゆうこ)、とかロードスターのスターとNaから取って星奈(せいな)、とか」
おおっ、本当にセンスがいいなぁ。少し驚く。
「那(な)美(み)、とか」
ほう、これもまたセンスが良い。
「Naから取ったの?」
聞いてみるが、楼留子さんは少し俯いて返事を返さない。
どうしたのだろうか。
「あー鮎川の奴、私の事車検10回以上通しているとか言っていたでしょ」
急に思い出したのか突然顔を上げ、地団太踏んで怒り出す。低いヒールがカタカタとアスファルトを鳴らす。
「いや、誰もそこ気づいていなかったよ」
何の事だかよくわからないが一応つっこむ私。
「そう、ならいいけど。あんまりたくさんの人に車だってばれるともう出てこられなくなっちゃうんだからね」
よくわからない事を言った後、ほっと胸を撫で下ろし安堵の表情を浮かべる楼留子さん。
「よし、飲みに行こう」
そして私の手首をしっかり掴むと強い力で引っ張りだした。
牽引される様について行く私。
夜風は涼しく心地良かった。
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