第3話 星が陰るブラック企業

 今日もいつものサービス残業。

 時計は夜中の0時を回った。

 あるスタッフの作業が終わらないので、みんな手分けして必死にやっているのだが全然終わらない。

 2日後にリリースしなくてはならないのでみんな必死だ。

「おいてめー、こんな作業にいつまで時間かけてんだよ」

 坂本リーダーの怒鳴り声がこだまする。

 今日は飯岡がターゲットにされている。

「てめーよー、これだけ迷惑かけてんだからよー、どうやって挽回するんだよ。みんなにも会社にも迷惑かけて、こんなにチームのみんなにも作業手伝ってもらってよー、あー!」

 机を蹴り飛ばす。

 みんなビクッとした空気になる。

 チラッと飯岡を見ると足がガクガク震えていた。

「黙ってちゃわかんねーだろ。どうやって挽回するか、って聞いてんだろーが」

 坂本リーダーは立ち上がり、飯岡の胸ぐらを掴む。

「ねぇ、殴っていい? 殴っていい?」

 問いかけ続ける。

 飯岡は泣きながら、

「みなさんにかけた迷惑を挽回する為、明日も来て仕事します」 

 そう言った。

「まぁ、それが普通の感覚だよな」

 坂本リーダーはそう言って、

「じゃあ後俺が必要な事あるかー。無ければ帰るな」

 私達を見渡して確認する。

「もう大丈夫ですよ。私ももう帰りますし」

 後藤サブリーダーが笑いながら言う。

「よし、じゃあお先な」

 坂本リーダーは帰って行った。

「よし、じゃあお前ら後はチームワークを見せて、切りのいい所までやっておけよ」

 そう言って後藤サブリーダーも帰ってしまった。

 残されたのは私達、若い社畜職員が8人程。

 みんなため息。

 飯岡のすすり泣く声。

 坂田リーダーのバイクが爆音を鳴らしながら遠ざかっていくのを聞きながら、私は作業を続けようとするが、

「飯岡君、大丈夫だよ。みんなでやれば終わるから。明日出勤になっちゃったんだから今日はもう帰ったら。坂本リーダーは明日も遅刻してくると思うし、私が徹夜して進めておくから」

 天使、いや女神の声が聞こえた。

 亜麻色の髪。

 均整がとれた容姿。

 読者モデル裸足の美貌。

 何でこの会社にいるのかさっぱりわからない、前川美月さんが飯岡を慰める声がこのどす暗い室内を明るくしてくれた。

 私が会社を辞めない理由は辞められないからだが、決して逃げ出さない理由は彼女がいるからだった。

 結局その日は私も美月さんを手伝って徹夜をする事にした。



 2日ぶりの我が家。

 ドアを開けるなり、

 バシッ

 顔に枕が投げつけられた。

「いったいどこをほっつき歩いてきたの!」

 怒りの形相でロードスターを名乗る女の子が私を睨みつける。

「昨日ご飯作って待っていたのに!」

「お、怒るなよ。仕事だよ、仕事」

「泊りで?」

「そうだよ」

「だったら」

 顔を思い切り近づけてくる。

 綺麗な瞳が細くなり、私を捉える。

「今夜は帰れない、って電話するものでしょ」

 そんな事言われたって。

 この子の電話番号を私は知らない。

 それにしてもどうやってこの部屋に入って来たんだ。

「ねぇ、どうやってこの部屋に入って来たの?」

 私の問いかけを聞いて、ふてくされた顔をしていた女の子は、

「私達はね、キーの近くからでも出られるの」

 訳のわからない事を言うと私のおでこを思い切り叩き、アパートのドアを乱暴に開けると出て行ってしまった。

 叩かれたおでこをさすると紙が貼りついていて、それを見ると携帯電話の電話番号が書いてあった。

 しかしあの子は何がしたいのだろうか。

 大体どこに住んでいるのだろう。

 服は会うたびに変わっている様に見えるし、体臭が気になる事も無い。

 ただ少し、ほんの少し、車の芳香剤の香りがする様な気がするが。

 ……いや、まさかねぇ。

 気になって外に出て階段を降り、駐車スペースに向かった。

 街灯と月明かりに照らされて、ロードスターは今にも走り出しそうな姿で停車している。

 そのドアを開ける。

 誰もいない。

 当たり前か。

 早く寝よう。

 明日はローテーション上、休みだけど。

 


 ピリリリリ、ピリリリリ

 飛び起きる。

 携帯の着信音だ。

「はいもしもし」

「もしもし、渡辺君」

 後藤サブリーダーの声だ。一気に手先が冷たくなる。

「坂本リーダーがね、昨日の会議で疲れて今日出社出来ないんだって。それでね、名誉な事に君が代わりに出勤して良い事になりました」

 電話の向こうから楽しそうな声が聞こえてきた。

 要するに今日坂本リーダーがやる作業を代わりにやれ、という電話だ。

「何、何で無言なの? 嫌なの? 君の勉強にもなる事なんだけど。そうやって進んでやる気が無いからいつまで経っても進歩しないし平社員なんでしょ。それに今はチームワークで頑張らなきゃいけない時だよね。坂本リーダーが疲れて動けないんだから、みんなで助けないと」

 私を責める様に早口で言う後藤サブリーダー。

「わかりました、行きます」

 そう言うと唐突に電話が切れた。

 時計を見る。

 まだ朝の6時半、今から用意しないとな。

 サービス出勤とはいえ、遅刻は遅刻になってしまうからだ。


 今日は木曜日だから、朝礼があるので8時には行かなくてはならない。

 外を見ると大雨が降っていた。

 今日は原付はやめて途中まで車で行くか。


「それでは朝礼を始めます」

 毎週月曜日、私の勤めている株式会社グット日和では朝礼がある。

 会議室に今日出勤の全員、100人以上が集まる。

 今日社長はいなかった。

 だから坂本リーダーはさぼった様だ。

「まずは、今週の優良職員の発表です」

 司会の沖本役員が前に立ち、発表をする。

「今週は坂本リーダー。困難な作業日程にも関わらず、チームを良くまとめ遅れる事無く納期を間に合わせた手腕は本当に素晴らしいと思います。はい、では皆さん拍手」

 会議室の全員が大きな拍手をする。

 遅れなかったのは私達がボランティアワーク(サビ残)をしていただけだし、チームがまとまっている様に見えるのは坂本リーダーが怖いからという理由だけなのだが。

「次に専務挨拶、小森専務お願いします」

 小森専務が前に来る。

 全員が緊張する。

「今月もわが社は厳しい状況が続いているが、みんなの努力のお蔭で月間売り上げが前年比と比べてプラスに出来そうな状態になった。しかし、同業者が乱立する中、わが社はもっともっと頑張らなくてはならない。弛んでいると本年度予算すら達成する事が出来ないぞ。私も頑張るからみんなもっともっと頑張って、日本一、いや世界一の会社にしよう。いいな」

 はい、全員が声を出し、拍手をする。

「声が小さい!」

 小森専務が怒鳴る。

 はいっ、と全員大声で返事をした後大きな拍手をした。

「続きまして、先週の反省と今週の目標の発表です。第1班の松下君どうぞ」

 震えながら前に立つ。

「私はお客様から緊急の電話があったにも関わらず、休日なのを良い事に会社からの電話に出ず、サービス出勤が遅れてしまい班のチームワークを乱してしまいました」

 なにぃー、小森専務がそう言ってイスを蹴り倒す。

 松下さんはビクッと肩を震わせ、

「以後、この様な事が無い様に、例え休日であろうと、食事、トイレの時も携帯を手放さない事を誓います」

 泣きそうな顔をして言う。

「風呂が抜けたぞ!」

 沖本役員が怒鳴る。

「もっ、もちろん、風呂の時も脱衣室に持っていき、すぐ出られる様にします」

 震えながら松下さんは答えた。

 まったく、とため息をついて小森専務が立ち上がる。

「いいかー、こんなにたるんでいる様では日本一どころか関東一にもなれないぞ。お前ら世界一の会社にしたいんじゃないのか。おいそこの、どうなんだ?」

「はい、したいです」

 指さされたスタッフが大声で答える。

「したいです、だけじゃダメなんだよ。絶対にする、という気持ちじゃないと。わかったのかお前ら。この業界で勝ち抜いていこうぜ」

 はい、と全員が大きな声で答えた。

 よし頑張るぞ。

 世界一の会社にするぞ。

 この時は私もその様に思っていた。


 全員会議室から出て仕事に戻る。

 廊下を歩きながら思う。

 よし、グット日和を世界一にするんだ。

 そう思っていた頭にふとよぎる物があった。

 世界一にしてどうするのだろう。

「ホントどうするんだろうねぇ」

 呆れた様な声がしたので声の方を見ると、

「だってさー、そんな事をしたって休みも取れない、給料も安いじゃ意味無いと思うけどなー」

 ロードスターを名乗る女の子だった。

「どっ、どうやって入ってきたの」

 私は驚いて聞いてみた。

 女の子はスーツを着ているから一見社員に見えなくもないが、入り口にセキュリティは有るし、大体よく誰にも呼び止められないでここまで来たものだ。

 まあそれだけ入れ替わりの激しい会社ではあるのだが。

 女の子は難しそうな顔をしながら、

「キーの近くからなら出てこられるから。一度来てみたかったんだけど、わたなべは1回しか私で出社した事ないでしょ。その時はまさかこんな所だとは思ってもみなかったから」

 長い髪をかき上げ呆れながら言う。

「ねぇ、本当にこの会社で良いの?」

「何が?」

「何が? じゃないでしょ。このまま20歳代、30歳代をこの会社に捧げるの?」

 ドキッとした。

 でも、でも。

「平社員なんだから、退職届を持っていけば2週間で辞められるんだよ」

 なおも続ける女の子。

 この子はわかっていない。

「いつまでも若いままではいられないし、いつまでも無理ができると思わない方がいいよ」

 そう言って私に背を向けてどこかへ行ってしまった。

 そんな事わかっているよ。

 

 それから10数時間後、今日の作業が終了した。

 まだ夜の22時半。

 久しぶりに今日のうちに帰れるな、と考えていたら後藤サブリーダーの電話が鳴った。

 嫌な予感がした。

 それは的中した。

「今から坂本リーダーが飲みミーティングをしたい、と言っていまーす」

 室内が重い空気になった。

 飲みミーティングとは居酒屋で坂本リーダーが仕事に必要な事を教える、という名目の飲み会の事だ。

 しかし、私達に一発芸をさせたり、いじめをしたり、過去の仕事自慢や暴走族時代の武勇伝を聞いたりするのが主な内容だ。

 後は他部署の人との交流を深める、とか言って坂本リーダーが他班の女子と話をしたいだけだと思うのだが、他班の人も誘ったりする。

 要するに坂本リーダーのお楽しみ会である。

「すいませーん。俺帰りまーす」

 入社2年目、須田君が帰る。

 彼は凄い。

 坂本リーダー達の退職許可面接を耐え抜き、6か月後の退職が決まっていた。

 それでも6か月後である。

 ちゃんと努めないと損害賠償請求をする、と脅されてやむなく残っている。

「あの私も、今日は帰りたいので」

 美月さんも帰る様だ。

 女子スタッフはリーダーや役員と付き合うとかなり楽な仕事になるし、実際美月さんは色んな上司に口説かれた様なのだが誰とも付き合う事無く、我々とほぼ同じ、時にはそれ以上の仕事をしている。

「あの、僕も……」

 私も勇気を出して言ってみたが、

「はぁ、何? 出社出来ないくらい疲れている坂本リーダーがわざわざ出てきてくれて、君達とチームワークを深めようとしているのに来ないつもり?」

 後藤サブリーダーに睨まれる。

 私の休みを使って十分休んだと思うのですが。

 言いたいけど勇気が無くて言えなかった。

「ほら、渡辺は居酒屋予約して。いつもの『するき茶屋』がいいみたいだから。あと1班が何人来るかも聞いておけよ。全部決まったら坂本リーダーに電話して」

「……はい、わかりました」

 飲みミーティングが始まると、大体朝の6時にならないと終わらない。

 第1班の孝井リーダーに電話をしながら、私はもう何の為にこんな事をしているのかもわからなくなってしまっていた。

 


 結局居酒屋の後、朝の6時までカラオケ、そして空が明るんできた頃に飲みミーティングは終わった。

 坂本リーダーは上機嫌で、1班の女の子と話をしている。

 私と1班の松下さんは一気飲みや、色々な芸をやらされクタクタだった。

「よし、じゃあまた来週もやろうな」

 上機嫌な坂本リーダーが、孝井リーダーに話しかけている。

 気に入った女の子がいた様だ。

 坂本リーダーは35歳独身で、他部署に若い子が入ると途端に飲みミーティングが増える。

 もう家に帰る事は出来ないので、コンビニで朝食を買って仕事をする事になる。

 しかし、気に入られた女の子は午前中休みとなり家に帰れる。

 リーダーやサブリーダー、気に入られているスタッフも午前中いっぱい会社で寝る。

 そして私や、飯岡、松下さんの様に要領が悪くて若くおとなしい人間にその分の仕事が降りかかる。


 2日ぶりの帰宅。

 会社を出る時には夜の2時を少し過ぎた位だった。

 ロードスターの駐車料金は凄い事になっていた。

 でもそんな事はどうでも良くなる位の気持ちだった。

 もう眠い、もう寝たい。

 そしてアパートのドアの前まで来て、ふと思い出した。

 やばい、昨日あの女の子に電話してない。

 また怒られるかな。

 でも今車のキーは私のスーツのポケットに入っているので、女の子の言うとおりだとしたら部屋の中には入れない事になる。

 まぁ大丈夫か。

 女の子の言う事を信じてしまっている位正常な判断が出来なくなっていた。

 家の鍵を出す。手が冷たく震える。

 運がいい事に明日は一応シフト上、休みだった。

 さあ寝よう。

 ドアを開けると、

「お帰り」

 いた。

 今日もいた。

 身構える。

 しかし今日は攻撃が来なかった。

「大変だったね。明日は休みなの?」

 何だか穏やかに言う。

 今日もどうやって家の中に入って来たのかわからないが、当たり前の様に座布団の上に座ってこちらを見ている。

「一応……ね」

 眠気と戦いつつ、安堵しながら言う。

「じゃあ布団敷いておいたからすぐ寝る? それとも何か食べる?」

 居間を見ると、布団がキチンと敷いてあった。

 とにかく眠かった私は、そのまま布団に倒れこんだ。

 暖かいお日様の香りに包まれて、意識はそのまま遠ざかっていった。

 


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