第4話 日の当たる所の星

 起きる。

 朝日が照らす室内。

 時計を見ると朝の10時。

 慌てて携帯を見るが、今日は今の所着信は無かった。

 ほっと安堵すると、

「お、起きたね」

 声のした方を見ると、ロードスターを名乗る女の子が、今風の可愛らしい格好をして立っていた。

「良く寝たの? 眠いのはもう大丈夫?」

「あ、うん」

「よし、じゃあ行こうか」

「えっ、どこに?」

 女の子はニヤッと笑って、

「ドライブに行こう」

 楽しそうに言った。

 テーブルを見ると、小さなおにぎりが三つ。

 それとキャベツの千切りと、お好み焼きが乗っていた。

「作っといたから食べてもいいよ」

 ニコニコと笑いながら私を見る。

 ゆっくりと起き上がり、テーブルの前に座る。

 おにぎりを食べる。

 シャケ入りのおにぎり。

 普通のおにぎりだと思うのだが、どういう訳だかとても美味しい。

 お好み焼きも焼きそばが入っている珍しい物だったが、ちょっと素人が作った様な物には感じないくらいに美味しかった。

「どう、お口には合いますか?」

 女の子は台所でお茶を入れながら、私に声をかける。

「うん、とっても美味しいよ。ねぇ、本当に君は料理人じゃないの?」

 それを聞いて、とても楽しそうに笑った女の子は、

「違うよ。私は車、ユーノス ロードスター」

 両手を広げてそう言った。

 もうこの子が何でもよくなってしまった私は、聞いてみた。

「ねえ、君の名前聞いていなかったよね。良かったら教えてくれないかな」

 女の子はお茶を私の前に差し出すと、

「名字は松田。マツダ車の子はほとんどそう名乗っているよ。ロードスターだとたまに宮田さんがいるけど。トヨタ車は豊田さん、ホンダ車は本田さん」

 ニコニコしながら答えた。

「じゃあ日産の車や三菱の車だったら何て名乗るの?」

 少し意地悪な質問をしてみる。

 しかし女の子、松田さんは、

「それはその子次第だね。でも日産車は鮎川さん、三菱車は岩崎さんが多いかな」

 スラスラと答える。

 そして、

「名字は車が勝手に決めるけどね、名前は持ち主が考える物だから、任せた」

 私を見つめながらそう言った。


 食事を食べ終わる。

「ご馳走様」

 手を合わせる。

「よし、じゃあ遊びに行こう」

 それを見た松田さんはそう言って私の手を引く。

「ちょっと、ちょっと。着替えてくるよ」

 私が慌てて言うと、

「うん、じゃあ車に戻って待っているからね。どこでもいいから、安全運転でゆっくり飛ばしてね」

 松田さんは難しい事を言って部屋を出て行った。


 着替えが終わり、部屋を出て駐車場へ向かう。

 ロードスターはいつも通り停車している。

 車内を見る。

 誰もいない。

 念の為にトランクを開ける。

 誰もいない。

 何だかな、と思いつつも今日は天気もいいし、どこへ行こうか、と考える私の心は高揚していた。

 エンジンをかける。

 心地良い排気音。

 シフトをローへ。

 さあ出発。

 ロードスターは駐車場を軽快に出発した。

 

 セカンド、サード、そして4速へ。

 軽快に走る車。

 軽いシフト操作も、良く反応するハンドルも、学生の時に友達とキャンプに行った時に借りたレンタカーと比べると全然違う楽しいものだった。

 優雅に軽快に、気持ち良く走る車。

 道も混んでいなく本当に気分が良い。


 アパートから少し離れた運動公園に着いた。

 ここは春には桜が咲きとても綺麗だ。

 今は緑色の葉桜が生命を蓄えている様に、瑞々しく木に生い茂っていた。

 今年もお花見が出来なかったな。

 少し寂しい気分でそれを見ていると、

「こらー、わたなべー!」

 後ろから突然大声がした。

 ビックリして後ろを見ると、松田さんが仁王立ちしてこちらを睨んでいた。

「何でこんなに近場なの?」

 怒っている松田さん。

「いや、だって、会社から電話が来るかもしれないから……」

 もうどうやって松田さんがこの場に来たかは気にならなくなっていた。

「いいじゃん。そんなの気付かないふりしていれば」

 そんな事をしたらどうなる事か、この子は知らないから。

「それにね、今日は電話来ないよ」

「えっ、何でわかるの?」

「私は車だよ。物の気持ちがよーくわかるから」

 そう言って私の手を取り、ニコニコしている。

「たまには遠くへ行こう。きっと楽しいよ」

 松田さんに引っ張られながら、この子の言う事が何となく当たる様な気がして今日は遠出しようと思った。


 公園の駐車場まで行く途中、松田さんは急に走り出すとこちらを振り返って、

「外房とか安房勝浦で、おいしいお魚食べたいな」

 そう言うとどこかへ行ってしまった。

 本当に車なのかな? 

 魚料理の好きな車ねぇ。

 少し可笑しくなりながらも、車のリクエスト通り遠出してみようと思った。


 海が見えてきた。

 数時間もロードスターに乗っていたが、少しも苦にはならず、とても楽しい小さな旅だった。

 海沿いの道に停車して車を降りる。

 うーん、気持ちがいい。

 大きく伸びをしてみる。

 良い天気、キラキラとした水面、穏やかで温かい海風。久しぶりに気持ちが高揚する。 

 こんなのはいつぶりだろう。

 堤防の上に上がり座ると、

「シフトチェンジへたくそだねぇ」

 苦笑いを浮かべながら松田さんが隣に座ってきた。

「まだそんなに乗っていないから」

 反論すると、ニヤニヤしながら言い返してきた。

「教習所でやるでしょ。私に乗った人の中で特にシフトの入れ方へたくそだよ」

「そこまで下手じゃないでしょ?」

「いーや、下手だね」

「そんな事無いと思うけど」

 私が少しふてくされて言うとすっと立ち上がり、

「いーや今までの人達と比べてもダントツに下手だよわたなべは。しっかりちゃんとタイミングよく入れるべき所で入れてくれないから。ほーんと下手」

 結構大きな声で言う松田さん。

 通行人達の視線がこちらを向くのがわかる。

 何か他人が聞くと誤解されそうな会話になってきたので、

「魚食べたいんでしょ。海鮮丼食べに行こうか」

 そう言って私は歩き出す。

「海鮮丼行くー」

 上機嫌になった松田さんは、私の右手を引っ張り歩き出した。


 少し歩いた先に寿司屋があってそこに入ろうとする松田さん。

「ちょっと、寿司屋の海鮮丼なんて高いんじゃないの? あんまりお金持ってないんだけど」

 しどろもどろに言う私の顔を少し見て動きを止める。

「大丈夫、大丈夫。ここらの海鮮丼は安いから」

 そう言って笑顔のまま中に入って行ってしまった。

 何でそんな事を知っているのだろうか。

 不安でしょうがないが、恐る恐る松田さんの後ろをついて行く。

 

 海鮮丼は本当に安かった。二人で2000円を超えない。

 そしてとても新鮮で美味しかった。

 松田さんもニコニコしながら食べている。

「美味しいでしょ?」

「うん」

 私の返事を聞くと楽し気に食べるペースを上げ、

「すいませーん、おかわり~」

 2杯目を注文した。

 よく食べるなぁ。

 

 支払いの時、私の右手に体を寄せた松田さんが小さな財布を取り出した。

 会計を払おうとしているのかな?

「いいよ、出すよ」

 私は慌てて財布を出そうとするが、

「私の方が食べたから」

 そう言って店員さんに3000円を素早く渡す。

「何だかごちそうさまです」

 お礼を言う私。

 気にしないでね、と言う様に左手を振る松田さん。

「ここまで連れてきてくれたお礼かな。でもね」

 急に顔を近づけて、

「職場の後輩にはおごってあげてね」

 真顔になって言った。

 何だかわからないがとりあえず頷くと笑顔になり、

「よし、砂浜に行こう」

 私の手を引っ張りだした。


 堤防を越えると広い砂浜が現れた。

「うわー、いい天気」

 松田さんは走り出すと砂浜に勢いよく滑り込んだ。

 砂煙の中から早く来い、と言う風に手招きする。

 私も走り出し、砂浜に滑り込んだ。

 程よく暖かい砂浜に並んで座り海を見る。

 するとお腹がいっぱいな事もあり眠くなってきた。

 ウトウトし始めると、

「眠いよね、無理につき合わせてごめんなさい」

 急にしおらしい事を言う松田さん。

「いや、久しぶりに出かけられていい気分転換だよ、ありがとう」

 松田さんの方を見て言う。

 小さい顔の中にある大きく綺麗な双眼が私を見つめる。

 何だか照れくさくなった私が目を逸らすと、

「ゆっくりおやすみなさい。夕方になったら起こしてあげるから」

 私のおでこと後頭部を両手で包み込む様にすると、そのまま砂浜に優しく押し倒された。

 白く小さい手で私の瞼をゆっくりと閉じる。

 急激な睡魔が私を包む。

 意識は次第に心地良く薄れていった。


 久しぶりに良い気分になった様に思う。

 ほんの少し寒さを感じ起き上がるともう夕日が海に沈もうとしている所だった。

「あっ、起きた」

 長い髪をかき上げ私の方を見る松田さん。

 だいぶ寝てしまった様だ。

「ごめん、寝ちゃった」

 謝る私に、

「気にしないで。わたなべが休めたなら良かった」

 優しく頭を撫でてくれる松田さん。

 女の子にこんな事をされた事が無い私は物凄く照れくさくなり、それをごまかす様に携帯を見る。

 松田さんの言う様に今日は本当に電話が来なかった。

 それもそのはず。

 黒い画面を見て私は青ざめた。

 何と電源が入っていなかった。

「ねっ、電話来なかったでしょ」

 いたずらっ子の様に笑う松田さん。

 慌てて電源を入れる。

 留守電100件。

 思わず天を仰ぐ。

 そんな私に、

「大丈夫だよ」

 言い切る松田さん。

「命、までは、取らないよ」

 私の両肩を掴み、そんな物騒な事を真顔で言う。

 その真剣さが何だか可笑しくなってしまった私は再度携帯の電源を切った。

 何かが少し、ほんの少しでも変わりそうな予感がする1日だった。

 


 次の日、

「おめーはよー、何で電話に出なかったんだ。あー。連絡が取れない状態にするなって散々言われているだろ! チームワークを考えられないのか?」

 いつも通り遅刻して出社してきた坂本リーダーに思いっきり怒鳴られた。

「サービス出勤出来ないなんて社会人としてどうかしているぞ。何でお前はそうやって責任感が無いんだ、あー」

 小突かれて、胸ぐらを掴まれ、壁に叩きつけられた。

 しかし命までは取られなかった。

 松田さんの言っていた通りだった。

 私の心は少し、ほんの少し、軽くなった。



 その日から3日間、会社に泊まりのボランティアワーク(要するにサビ残)を命じられようやく家に帰る事が出来た。

 カギを差し込む事無くドアを開ける。

「お帰りー。生きて帰って来たね」

 当たり前の様に座ってテレビを見ている松田さんがいた。

 どうしてここに通っているのか、どうやって部屋の中に入ってくるのかはもう気にならなくなっていた。

 相変わらず自分の事をロードスターと言い張るし、車の中、キー、スペアキーのどこからでも出て来られる、何て訳のわからない説明を聞き続けていたらもうどうでも良くなってしまった。

「はい、じゃあご飯にしましょう。洗濯物はちゃんと出しておいてね」

 それに謎メニューが多いが、結構おいしいご飯を作ってくれて、家事も色々やってくれる。

 今日は野菜雑炊とおにぎりだった。

 相変わらず謎メニューだが味は本当においしい。

 がつがつと食べているとおにぎりの隣にお茶を置いてくれた松田さんが、私の正面に座り話しかけてきた。

「どう? 録れた?」

「ああバッチリ」

「よーし、今後も溜めていこう」

「しかし今時テープレコーダーとはねぇ。初めて見たよ」

「いいでしょ別に」

「録音ならICレコーダーの方がいいよ。これの数倍小さいし扱いも楽だよ」

 私がそう言うとムッと膨れた顔をした松田さんは、

「じゃあまた明日」

 私のわき腹を蹴り、バターンと大きな音を立ててドアを閉め帰って行った。

 


 その後も松田さんはほぼ毎日来ている。

 そして夜になると帰って行った。

 海に言った次の日、会社での会話を録音する様に、と私に指示をする松田さん。

 何に使うのか? 

 聞いても私の事をしあわせにする、と言って笑うだけ。

 その笑顔につられて私もついつい笑ってしまう。

 可愛らしく元気の良い子がこんな独身の小汚いアパートに来てくれるだけでも嬉しかったし、生活に張りが出た。

 贅沢を言えばもう少し大人っぽかったら良かったのだが。

 どう見ても中高生に見えるので、松田さんに恋愛感情を持つことは無かった。

 でもそれは贅沢すぎる悩みという物であろう。

 松田さんが来てから大きな変化が3つあった。

 相変わらず会社の労働環境は厳しいものだったが、休みの日の電話にはそんなに怯えなくなっていた。

 そして松田さんが家事全般をやってくれるので時間的余裕が出来た。

 休みの日で無くても日付が変わる前に帰れた夜、ロードスターで短時間夜の街を走るのはとても楽しかった。

 夜のイルミネーションに吸い込まれる様に走る軽快な車体。

 コンビニの駐車場に入り屋根を開ける。

 星はほとんど見えないが、航空灯が蛍の様に光る。

 街のぬるい風が心地よくそのまま目を瞑ると、

「星でも見えますか?」

 いつの間にか助手席に現れる松田さん。

 そしてどうでもいいけど楽しい話をする。

「いいや、ほとんど見えないけど」

「えっ、大きな星が見えているでしょ?」

「そう? どの辺?」

「あなたの隣、ロードスターが見えませんか」

 どうしても自分の事をロードスターだと言い続ける松田さん。

 その一生懸命な表情に最近はいつも笑ってしまう。

 それともう1つ、その時にどうでもよくない話もした。

 長時間のサービス残業とボランティアワーク、そして安い給料のわが社。

 松田さんはそんなのはおかしい、といつも説教をしてくれた。

 少し自分自身と今の生活を見直そう、という気持ちを持つようになった。



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