第1話

私はアーモンド。仮に名前は『ささ』としておきましょう。

何故かって?私が友人から実際に呼ばれているあだ名の一つだからです。

普段から言われている名前の方が、私自身違和感がないのです。


さて、笹の記憶は2004年から始まります。

最初に思った事は、

『このオバサン誰だ?』

でした。それは洗濯物を干していた母です。

私はそんな『オバサン』に対し、少しだけしどろもどろになりつつも、

『ママ……?』

と問いかけました。


ところがその後、私の記憶は一気に飛んでしまっているのです。

次に思い出せるのは小学生に入学してからの事です。

私は最初友達が沢山いました。それなのに、私はそんな友達を殴ってしまうのでした。

友達の軽いおちょくりにさえ耐えられず、苛立って殴ってしまう様なヤツは、たいそうおかしいガキンチョだった事でしょう。


後から分かった事なのですが、私には発達障害があったようです。

かなり軽度であったために、今ではすっかりそんな風には見えないのですが…………。


そう、私はこの時友達のおちょくりに対し、

『何かバカにされている!!!』

と過度の反応をしていたのです。

これも今、文章を書く様になったから言えるもので、この頃の私は、【誰かに何かを説明するための言葉】を何一つ持っていない子供でした。

だから、口より前に手が出たのでした。


私は小学生くらいなら余裕で出来るはず運動も、あまり出来ませんでした。

というのも、筋力があまりなかったのです。

(それは現在進行形なのですが)

今でこそ普通に自力で出来ますが、当時の私はペットボトルすら開封出来ませんでした。

体格は鏡餅みたいにポチャポチャしていましたし、運動音痴でしたし、友達からすれば『いじるネタの宝庫』だったのかも知れません。


ただ何故か、記憶力はある方でした。

後付けの記憶しかないのですが、幼稚園のお遊戯会では主役をやった事がありました。

渡された台本を、他の子たちの誰よりも早く暗記してすらすら喋っていたと言います。


鍵盤ハーモニカ(私の地域では『メロディオン』とも呼んでいました)の楽譜を一日で暗記して、帰宅後母に弾いて聴かせていたとか。


そんな私は小学生になると、友達作りを早々に諦め勉強に没頭する様になりました。

ただし、文章題からは必死に逃げていましたが。




私は元々、文章が大の嫌いだったのです。

根菜の次の次くらいには嫌いでした。


そんな私がそのうち小説を書くなど、当時の私は知るよしもないのでした…………。

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