とある学生が小説を書くまでの物語
アーモンド
プロローグ
私は比較的常日頃から、どうしても、他人の才に嫉妬してしまう人です。
『何故あの人にはあり、私にはないのか』
と、脳内をぐるぐると駆け巡ってしまいます。
純粋な羨ましさと言い様のない憎しみが同時に込み上げ、私の首を心臓を締め付ける毎日を過ごしてきました。
『あなたにだってあるじゃない、才能』
妹や母親に言われても、正直嬉しくありません。
身内には【色眼鏡】というのがあって、私は親や妹が、私の事を傷つけまいとしてそう言ってくれているだけなのではと思ってしまうのです。
才能?
たとえあったとしても、誰かに知られなきゃ無いのと変わらない。
まして才能は、一人や二人から認められたくらいで確立されるモノでは決してありません。
多くの人間がそれを認めてはじめて、それは才能となり得る。……と私は思っています。
そう、私は小さな頃からいつもそうでした。
小学生の頃、算数の九九がすぐ覚えられたくらいではしゃいでいたのが恥ずかしいです。
中学生の頃、はじめて小説まがいのモノをかきあげたくらいで喜んでいた事もまた、ひどく恥ずかしく思います。
たかがそれくらいで、私は幸せになれていました……。
誰に認められたわけでもないのに。
今読み返せば、中学の時書いたモノなど、とても読めたものじゃない支離滅裂も甚だしいものです。
いずれ改稿しようと思ったところで、修正箇所が多すぎて原型がなくなってしまいます。
そんなの、『小説を書けた』うちに入るのでしょうか?
そうだ、私はかつて、いや今も。
まだ何も手に入れちゃいないのです。
だからその証拠に、私の投稿した作品には『すっきりとした完結』がありません。何一つ。
キリよく終わらせる事が出来ていないのです。
それは私に、構成の才能がないから。
そしてそれをいつまでも直さないのは、そうする勇気もないからなのです。
すなわち私は、これっぽっちも勇気のない、臆病なガキンチョなのです。
【勇気がない】のが悩みといえば聞こえはいいけれど、全くないわけではないし、生まれつきそうだったわけでもないのです。
中学生の頃の経験から、私は昔の姿を崩壊させてしまったのでした。
私は普段自分の事は書かない主義です。
私が小説を書くに至るまでの、過去。
これは私がはじめて書く、私自身の物語。
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