第5話
ゆったりと水の中にいるような感覚だった。呼吸をせずとも、そこにいられる。そして気づく。自分が沈んでいることに。ひどくゆっくりとした、時間。
水の中は光の筋が幾つも並び、きらめいていた。深淵からのっそりと伸びる暗闇と混ざりあって、余計際立つ水面の明るさだった。
ユシェラは、おもむろに、そして体までも伸ばすように水面へと手を伸ばした。
「――けはっ!」
苦しいとは思わなかった。
肺の中がすっとするような、呼吸がしやすかった。空気がおいしいと言うのだろうか。水面に顔を出して、その目に飛び込んできたのは緑。濃さの違う青々とした樹々が広がっていた。
『あら、おはよう。起きたのね』
耳から聞こえるのとは別、頭の中に神聖さのある声が響いた。
「……だれ?」
言って、本当に不思議に思った。目覚める前のことを思い出したから。
ユシェラは“神御視”されたのだ。ありもしない罪を着せられて。だから、死んだはず。
『私は竜よ。で、なぁに、それ。カミオミって』
まただ。ぽろぉん、と弦楽器が鳴らされるような聞き心地の良さだ。というか、人の心を読んだ?
『念話と思念がごちゃ混ぜなのよ。慣れれば会話になるわ……。ねぇ、それよりカミオミって何かしら? 死刑? 拷問?』
馬の鼻息みたいな気配がして、驚いてユシェラが後ろを見ると、竜がいた。
ユシェラは息をのんだ。だって、あまりにも綺麗だから。
鱗の一つ一つは宝石のように艶めいて透明感のある水色。鮮血並に赤い瞳がじっとユシェラを見つめていた。
「えっ、あぇ……」
『聞いている? 言葉、わかるかしら?』
不満そうに鎌首をもたげる竜に――不遜ながら――かわいいと思ってしまった。
「あぁ、えっと、神御視よね。神様に罪人かどうか調べてもらうの。そして、カミサマに捧げる生贄の意味もある。……生きてかえってきた人はいないから、実際は死刑とかわらないの」
『神?』
「水神様が無実だと認めたら生きて帰って来られるみたい。足に石をくくりつけて神殿のイケにおとすの。中には海犬って魔――おっと、聖獣がいるの。罪人はチマチマ貪られてしぬのよ」
ユシェラが一瞬口を滑らせて魔獣と言いかけ、禁句なことを思い出してわざとらしく途中で切ったけれど、竜は特に気にした風もなく聞いていた。
淡々と語るユシェラに竜は不思議そうに目を瞬かせた。
『おかしいわね。貴女はそのイケに落とされたのよね? それに貴女みたいな小童がそんなに詳しく知っているのかしら。それを聞く限り神なんて偶像物はカケラも無いし』
偶像物……それを聞いて多少ながらもユシェラは面食らった。精霊に近い竜は神に近い存在としてあがめられているのに、当人は信仰心など微塵もないのだ。神を全否定とまでは行かないが、存在を確かなものとは思っていないらしい。
ユシェラの周りにない価値観を持つ人だった。ヒト、というか竜だから当たり前に文化や常識が違うのだろう。(もしかしたら自分のような竜が神と崇められていることを知っているからこそ出てくる言葉なのかもしれないとユシェラはこの時考えていたが、実際は単に宗教観が無いだけであった)
『さっさと上がりなさいな。人間は本来陸の上で生きるのでしょう。水の中がいいなら出てこなくて構わないけれど』
「いやっ、えっと、上がる! あがります!」
風邪ひいたらめんどうなので。
『りくにあがる』
『ゆしぇらがあがる』
『ユシェラをてつだえー』
『『『おー』』』
不可思議な声と共に水が大きく揺れた。そのまま流れが出来てユシェラはなす術もなく草が生い茂る陸にうちあげられた。
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