第3話
夕焼けが空を赤く染め、太陽と反対の空はもう薄暗がりが出来ていた。最早沼地にしか見えないイケをじっと見降ろし、時折投げ込まれる獲物の存在を待ちわびたかのように揺れる水面から強者の影がのぞく。それは
自分が殺される儀式をユシェラは傍観していた。もう、どうでもよかった。神御視とやらの何がいいかさっぱりわからない。歪んだ精霊信仰が普通のものだと思っていたユシェラは、本当の意味で無宗教だった。
ああ、料理長の忠告をちゃんと聞いていればよかったのかもしれない。
なぜこんなことになったか? それは私が噂の婦人の接待をすることになったことから始まる。
ワインを望まれたので出したら、酔って絡まれ、度数の強い酒を勧められたので仕事を理由に断ったら逆上され、「逆らう者は皆処刑よ!」というわけのわからない命令がまかり通って今、死刑執行されようとしている。
神御視になったのは冤罪を主張する私へ“司祭の温情で”神に本当に冤罪かどうか聞きましょう、というものだった。
ふざけんな。確実に死ぬだろ。
「お前……」
落ち着いた子供っぽい声が後ろから聞こえる。いや、年齢的に言えば実際子供なのだ。ユシェラも、その少年も。引きずられてくる鎖と鉄球の音を認識した瞬間、ユシェラの顔色が変わった。
「まさかッ!?」
振り返ると、イケの淵まで上がるための階段を上る少年と目があった。あの料理人だ。
「何やったの!?」
素っ頓狂な声が出てしまったが致し方あるまい。小柄な少年はわりと大きな目をいっぱいに開いて驚いていた。
「何って……」
「連帯責任だぁ……くくく」
不意に会話に割り込んできた、ねっとりした声色のでっぷり太ったおっさんがにやにやと笑っていた。気持ち悪い程全身に宝石をあしらった司祭だ。
「お前が失態をおかしたからなぁあたりまえだろう? 自分の命ひとつでどうにかなるとか、なーに甘い考えをもっているのかなぁ? それともまたボクに逆らうきがあるのかなぁ? 目障りだよぉボクにさからうやつはさぁ! 敬え! 神を! 精霊様を! そしてそれらに仕えるボクを! ボクが偉いのだよ!」
何それ。
ユシェラは息継ぎなしで並べ立てられる正直どうでもいい主張に呆れた。そもそも自分が敬っているものを“それ”って言った時点でマズイのではないだろうか。詳しくは知らないが、とにかく敬意を表した発言とはいい難い。
「ふっ、まぁ寛大なボクの事だ。今生の別れに言いたいことを言うことを許してやってもいい」
「「気持ち悪!」」
「何だと!?」
司祭がわざとらしく、いや、きざったらしく斜め上から見下してきたので思わず言った言葉はまたもや隣の少年とかぶる。そして顔を真っ赤にして怒った司祭が怒鳴りつけてきた。寛大とはどこの口が言ったのやら。
「ああ、言い間違えました。気持ち悪くて反吐が出そうなくらい醜いですね~。視覚の暴力です!」
正直言って軽蔑します。そう言う元気のいい声と満面の笑みで首を傾げるユシェラに血管が切れるのではと思うくらい、顔を真っ赤にして怒る司祭はぶるぶると震えていた。隣の少年は吹き出しかけ、別の意味で震えていた。近くにいた兵の顔は引きつっていた。
「き……さ、ま……!」
「あれ、心のひろい司祭様が、まさかこんなことで怒るなんてありえませんよね~」
「……!」
司祭の顔は怒りで真っ赤になっていた。
「“寛大な”司祭様、さすがですね!」
「~~~~~~くっ! 処刑は十分後だ。せいぜいそれまで死の恐怖に怯えるがいい!」
司祭はそれから忌々しそうにキッ、とにらみつけてから階段を降りて行った。
もう司祭でさえ“処刑”って言っている。どこが神聖な儀式なのでしょうかね。と、ユシェラは疑問に思って首を傾げるが、まぁいいかと料理人に視線を向けた。
彼は怯えた様子もなく、堂々としている――わけではなかった。
真逆だ。顔色は悪く、確実に怖がっていた。けれど、唇をかみしめ、イケを見つめるその目からは強い意志を感じられた。
これから処刑――神御視されるというのにも関わらず、彼からは一切生きることを諦めた様子はなかったのだ。むしろ生に満ちていた。死んでたまるかという反抗心が透けて見えるだけ、不思議だった。
「ねぇ――」
続きを言いかけて、やめた。そういえばまだ名前すら聞いていなかった。
幸い、ユシェラの声など聞こえていなかったようで、いまだに何かを考えこんでいた。
そんなとき、少年がふと顔をあげて目があった。
「そういえばさ、お前の名前――」
その瞬間、少年の姿が消えた。
「――え?」
何かが水に投げ込まれた音。音のしたほうを見ると水飛沫が上がっていた。
思わず振り返り、私の視界に入ったのは司祭の愉悦にひたった顔だった。
続いて、腹部らへんに衝撃が走った。近くにいた兵士によって蹴り落とされたのだ。何の気まぐれかは知らないが、十分後ではなかったのだろうか――。ユシェラはそれでも傍観者だった。自分が死地へと落ちてゆくことを自分の視点から見ているだけの傍観者。
他人事のように思えるのは、自分の死を受け入れているからであろう。
そうして、彼女は――
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