〈20〉



 俺が見ていた〝もの〟――

 それは『ほたる』だった。


 いや、蛍のようだったと形容すべきか。

 薄緑色した淡い光の粒――この状況下、まるで場違いであるにもかかわらず、そんな物がずらりと並んだ兵士達の肉体から湧いてきた。

 舞い上がるような軽やかさで、そんな光の粒子達が体の内から外へとあふれ出ていくかのように浮かぶ。


 途端、赤植の両脇に展開する兵士達が次々に膝を折った。


「――なっ、何事だ……⁉」


 またたきの内に音を立てて崩れ落ちた30からなるその人数に、驚愕の言葉で赤植が周囲を振り向いた。


 兵士達はそれぞれうめいて地面に掌をつく者もいれば、ひたいをつけて失神してしまっている者もいた。重なり合って倒れている者も。

 たがわないのは、皆一様に気力を抜かれたように伏しているという事。


 無事に立っているのは赤植と霧島の二人だけ。

 辺りに無数と漂うその蛍火ほたるびの光景に呑み込まれ、息ぎすら忘れている。


 なんとも場違いに幻想的で、はかない光景。

 それらは、こんなコンクリートの無機質な内装をこれでもかと美妙に彩っている。



 その時――

 向かって左側、対向車線から一台の車が走り込んできた。


 速度はそれほど出ていない。

 実際、俺の見ている前で緩やかに停車した。

 乗用車としては大型でがっちりとした外形。日本じゃほぼお目に掛からないピックアップトラックとか言われる分類、米国産のフォードとかその辺り。

 外車だが右ハンドルの4ドアでフルサイズ。

 その為、こちらに運転席が向いていた。


 のドアが開く。


 そして、大きい筈のそのドアを身をすぼめてくぐり抜けてくる人物。

 大岩が動いているかのような圧迫感と、何かの熱気と呼べる迫力を辺りに漂わせ、その剛健で無骨な肉体が――けれど重量を思わせないしなやかな足取りでこちらに近づく。

 まるでネコ科の大形肉食獣を髣髴ほうふつとさせる動き。


 すると、兵士達の体から漂い出て宙に浮かんでいた淡い光たちが、風も吹いていないのに流れた。


 歩いてくるその人物に向かって無数の光の粒子りゅうしが彼を取り囲むよう動き、やがてそれは一筋の光の奔流ほんりゅうとなり渦巻うずまいた。


 光の螺旋らせん、――だった。


 そんな夢幻むげんの光をまといつつ、大柄なその影は歩みを止めない。

 こちら側の車線に足を踏み入れた頃になって、光はぱっと火花を散らすように霧消する。

 その人物が倒れ伏した大勢の兵士の層の前で止まる。


 俺は、その顔を知っていた。


「文治……さん……?」


 思わずかすれた声が漏れ出た。


 そこに居たのは鎖崎文治――俺が憧れた本物リアルのヒーロー。


 深緑色の軍服の上着は今は脱ぎ捨て、薄灰色のTシャツ姿。

 その肩から腕にかけて、皮膚の下にこより合わせたぶっとい鋼線ワイヤーを張り巡らせているのかという筋肉が布地を越して見て取れる。

 そのごつい頭を支える首は、きたえ込まれて境目が判らない程になっている。

 分厚い後背こうはい筋と大胸だいきょう筋に挟まれた胴体の厚みは異様と言ってもいい。

 だと言うのに、その立ち姿には洗練されたスマートさがある。


 俺や霧島、赤植だけでなく、辛うじて意識を保っている兵士達までもが、その闖入ちんにゅう者に視線を上げる。


 そんな大勢をざっと見渡すようにして、彼――文治さんは、いつものように片方の口の端だけを横に引いたあの頼もしげな笑みを形作る。

 逆立ちしたって美形とは言えないそのおもてに、おとこくさい色香が浮かぶ。


「申し訳ない――」


 腹に響く落ち着いた低い声で、その場の全員に向かってそう切り出した。


「自分のこの特殊な体質が、どうもご迷惑をお掛けしたようだ」


 文治さんはそこで言葉すら発せぬ程に疲弊ひへいしている兵士達から視線を外し、無事に立っている内の年老いた白衣に向き直った。

 そして、今気がついたという様な意外な声を上げる。


「これはどうも」


 その白衣――赤植の方も、文治さんの顔を見て驚愕きょうがくが上塗りされたていで数瞬固まっていたが、のどを鳴らすようにしてから口を開いた。


「き、君は……」

「お久しぶりです、赤植先生。憶えておいでですか? ――鎖崎です」

「……憶えているとも。二十年振りかね、鎖崎くん」

「お懐かしいですな」


 あごにまで垂れたその冷や汗を手の甲でぬぐって、赤植は驚愕が色せないながらも言葉を続ける。


「噂は……かねがね聞いているよ。学園卒業後にすぐさまUVFに入隊。そして、目覚しい活躍でかなりの地位まで駆け昇ったとね。最強の能力者――そんな風にまで呼ばれているそうじゃないか」

「その噂、こんな所まで届いていますか。参りましたな」


 さも往年おうねんの知人にばったり行き会ったという風情ふぜいで、文治さんは目を細めた。


「――と、失礼。赤植先生ならばご理解いただけると思いますが、自分は少し厄介やっかいな体質をしておりまして。それで皆さんに被害が及んだ次第。真に申し訳ない限りで」


 今一度、伏した兵士達を見下ろして言う。

 言葉は丁寧だが言い方はぞんざいだ。

 謝っているというのに、まるで脅しをかけているかのよう。


 そんな文治さんを見て、赤植が引きった声を返す。


「勿論、知っているとも……。君の能力を解明したのは、他でもない私なのだからね。――〈生命調動ライフ・リズミック〉――生体の熱量カロリーを外側から操る、世界でも類のない特殊中の特殊な力だ」


 強張った顔のまま、赤植が吐き捨てるように続ける。


「そして同時に、自身の意識、無意識下に一切と関係なく、他者の攻撃的意思に反応してそれらをことごとく無力化する――最高の『武装解除セキュリティ』体質……だったかね?」

「恐縮ですな。学園に在学時は、周囲1mの範囲にも効果が及ぼなかったもので、特に問題はなかったのです。が、今となっては100m以上の範囲を勝手に『武装解除』してしまう体質に。本当にご迷惑を」


 何故ここに文治さんが居るのかまったく理解できなかった。

 それでも眼の奥が熱くなって、今にも泣き出しそうだった。

 思わず大きな声でその名を叫ぼうとした。


 ――その矢先、自身の口許がそっとふさがれた。


 唐突過ぎるそれに体が硬直する。

 振り返れば、数cmの距離に知らない若い女性の顔。

 その人は俺の口を片手で塞いで、もう片手で自分の唇に人差し指を当てて「声を出すな」とジェスチャーで示している。


 眼を見開くしかできない。

 一体いつの間に俺の背後に、そしてこの距離まで近付いたのか。


 知らない顔――いや、しかし、その特徴的な瞳には覚えがある。

 不可思議な光彩こうさいを放つ金色こんじきの瞳。

 見ているだけで背骨をき掴まれたような悪寒が走り、頭が朦朧もうろうとしてくる。

 直接その眼を拝んだ訳じゃない。

 でも薄布を通して、俺はその奇妙な感覚を確かに体験していた。


「ところで――」


 文治さんが話の向きを変えるよう、そう前振りをした。


「赤植先生がたはこのような所で一体何をなさっていたので? のジープ一台を囲んで、何かの訓練の一環ですかな」


 その発言に、さも虚を突かれたという声を上げる赤植。

 「何を言って……」とこちらを振り返った奴の顔が、ここに来て最大の恐怖と驚愕により青めた。


「――馬鹿な……! どういう事だこれは⁉」


 髪を逆立てる勢いで赤植は俺の方を見て、口角に泡を飛ばした。


 俺の方――いや、正確には俺を見ていない。

 そして、首で風を切るかのように左右の通路を何度も振りあおぐ。

 左右だけでなく、後ろの対向車線まで振り返り、その血の気の引いた顔を動かしている。


 ――なんだ? 


 今度は俺の座るジープの元へと駈け出し、車と壁の間の空間に目を通す。

 それでも飽き足らず乗っているジープの下までをも覗き込む。


 その挙動不審さに、眼を白黒させるしかなかった。


 ――何やってんだよコイツ?


 口を塞がれたままの俺は眼だけでその行動を追う。


「どうなっている……どうなっているのだこれは! 彼はどこに行った⁉」


 取り乱した素振りで奴は声を荒げる。

 俺のすぐ横でだ。


 霧島に眼を向けると、あいつも呆気に取られた顔をしている。


 ――何なんだコイツら?


「彼はどこに行った? ――誰か見た者はいないのか⁉」


 意識を保っている兵士達を数人捕まえて赤植はその身を揺さぶるが、フェイスマスクから覗く目許には呆けたような色合いしか映らない。

 他の者はそもそも意識を保つだけが精一杯で、それどころじゃないらしい。


「そんな馬鹿な……! これだけの人数が居て、どうして一人を見逃すのだ!」


 らちもないような口ぶりで、奴は青筋を浮かべている。


熱赤外線装置サーモグラフィを貸せ!」


 一人の兵士のメットから暗視装置を引き剥がすと、それを装着して再び周囲を鬼のように振り仰ぐ。

 ジープから通路、通路から天井のダクト、そして再び俺の方へと顔を向け、震える手で装置を外した。

 その顔は血の気が抜け切った土気色の死人のようだ。


「先程から、何の騒ぎですかな?」


 この場で唯一平然としている文治さんがを割るように尋ねた。


「……何を……したのかね? ――鎖崎くん、君が何かをしたのか」

「はあ」


 その太い首を手で撫で、不審そうに眉をひそめる。


「――とぼけるな。君が何かしたのだろう」

おっしゃる意味が、自分には解りかねますが」

「何を……! 今ここに、学園の生徒が一人居ただろう? あの車両の後部座席にだ」

「生徒が? こんな場所にですか、赤植先生」

「そうだ!」

「……彼女の事ですかな?」


 俺の方ではなく、この中では私服姿で違和感を放っている霧島を見て文治さんは言う。


「ち、違う! この子は我々の研究所の人間の一人だ! そうではない、そうではなく……そこの座席に男子生徒が一人居ただろう」


 赤植は声を裏返えさせ、そんな頓珍漢とんちんかんな事を言う。――「そこの座席に」と俺を指差してだ。

 そう、俺と――そしてその俺の口を塞いで密着する女性が座る後部座席を指差して、必死の形相で喚いている。


「先程から随分と奇妙な事を仰っているようで。赤植先生、自分はあなた方が無人のジープを取り囲んでいる場面しか見ていません」

「……ふ――ふざけるな!」

「事情がよく呑み込めませんな。そこまで言うならば先生、学園の方に照会してみてはどうでしょうか」

「何だと……?」

「いえ、学園の生徒の所在ならば、学園側が全て管理をしているでしょう。だから、その姿が見えないという生徒の事を――学園に問い合わせてみてはどうかと」


 ざわっと、空気に静電気がはしったような不快感が宿った。


 声の調子はそれまでとまるで変わらないのに、文治さんの彫りの深い目の奥がらんとした光を帯びる。

 その威容とも表せる風圧が、やはり風もないこの場に吹きすさんでわだかまる。

 鍛え抜かれたその肉体が、何かの錯覚のようにさらに厚みを増した。


「それは……どういう意味かね……?」

「言葉通りの意味でしかありません。どうぞ、学園側へと確認を取ってみてください。きっとこのような極秘の地下施設に一般の生徒など居なかった事が判明するでしょう」


 言葉をいっした体で、赤植は文治さんに眼を釘付けている。


 さっきから、どうなってんだこれ?

 一人、その場に居る俺を蚊帳かやの外にして、重大な話が進行していく。


 すると、俺を背中から抱え込むようにしていた彼女がすっと腰を浮かした。

 相変わらず人差し指を唇に当てて俺の眼を覗き込んだまま、しかしこのジープから降りるよう促す。


 訳も分からず、ともかく俺はそれに従い、ゆっくりと音を立てずにジープのドアをまたいで越した。

 わずかにギィッと揺れた車両。

 数名の意識を保っている兵士がこちらに視線を投げ掛けるが、直ぐにも文治さんと赤植の方へと向き直る。


「馬鹿な――そんな馬鹿な事があるか! 学園側がこの事に水を差すというのか……そんな話はこれまで一度も……いや、対象をどう扱うかは我々に一任されている! これまでも、これからもだ! 奴等には報告さえ通しておればよいのだ……!」


 激昂を再び宿した赤植が喰ってかかるが、文治さんは肩をすくめてみせるだけ。


「そう学園といえば、自分がこうしてやって来たのもその上層部から内密に要請を受けたからでして。赤植先生がここ数週間ほどおちいっている問題のその手助けをするようにと」


 代わりに、さっきまでの張り詰めた空気を嘘のようにしてまるで業務連絡の口調で話し始めた。


「上層部がだと? そのような……私はそのような事を頼んだ覚えはない! ――いや、そもそも今回の件もこちらで処理をつけると言い渡していた筈だ」

「そこらの事情は自分には解りかねますな。ただ自分は使い勝手の良い能力ですからか、UVF内部でも独立遊軍の任務を押しつけられる事が多いのです。今回もまあ、その一端で」

「学園は……何と?」

「――『そろそろ通常運行に戻りたい』と、そう漏らしていました。何の話か、自分の知るべきではありませんが」


 地面に降り立った俺達。

 彼女は相変わらず体を密着させながら、指で方向を示し、文治さんの後方――彼が乗ってきたそのピックアップトラックに向かえと合図する。

 本当に訳が解らないまま、倒れ伏している兵士達の合間を縫ってその場を離れる。


「……そうか。しかし、その件に関してはもう大丈夫だ。学園側にはもう安心して貰って構わないとも。問題は全て取り除かれた」

「そうなのですか」

「それだけかね? 学園上層部は君に、その事だけを……?」

「他に何か懸念される事案がお有りなので」

「い、いや……」

「では、自分はどうやら無駄足だった様ですな」


 そう言って文治さんは、肩や腰をほぐすようひねった。

 俺達はそんな彼らの脇を堂々と横切って歩いている。


「――待ちたまえ!」


 すぐ脇でそう呼び止める声がして、さすがに身が強張る。


「何か?」


 しかし、やはりそれは俺達にではなく文治さんに向けられたものだ。


「……先ほど君は、この地下施設に一般の生徒など初めからいないと言ったね? そして学園側もきっとそう言うだろうと」

「ええ」

「つまり、そういう事と捉えてよいのかな? 我が研究所ラボの存在を知る一般の生徒などいないと……少なくとも学園側はそう認識していると……その事実を、共通して我々が持つべきなのだと……」

「何の話なのか、申し訳ないが自分はメッセンジャーですらありませんので。直接、学園にお伺いになってみた方が」

「……いや、止めておこう。概ねは君の言葉で察し得た」

「よく分かりませんが、納得なされたのならよろしい限りだ」


 文治さんも俺達に続くようにして向きを変える。


「それにしても――」


 しかし、車へと足を一歩向けたところで再び一同を振り返る。


「自分は無駄足どころか、不覚にも邪魔をしてしまったようだ。まさか訓練の際でも、自分のこの体質が発動してしまう本物の〝殺気〟をみなぎらせるとは。さぞ練度れんどの高い部隊なのですなあ」


 その振り返りざまの力強い言葉が赤植や伏した兵士達を打つ。

 その一瞬だけ、またあの威風とした『圧』を周囲に撒き散らして。


 けれど、やはり次の瞬間には何事もなかったように車へと足を向けている。


 俺も一度振り返って霧島を見た。

 当惑の色を隠せず、まだ俺が離れたジープの方へと眼をやっていた。

 さっきまでと違い、もうそこに俺はいないというのに。

 赤植や兵士達も魂が抜かれた様に呆然としている。


 相変わらず体をぴったりと張り付かせ、物凄く歩きにくいながら、それでも俺達は先に車へと。

 彼女は後部のドアを音を立てぬよう慎重に開け、その隙間から二人、滑り込むようにして乗車した。


 間もなく、文治さんが堂々と戻ってきては運転席に乗り込む。

 ぎしっと車体が豪快に揺れる。

 そして挿したままの鍵に手を掛けエンジンを始動させた。


 しかしギアには触れず、何かを確認するという風に待機している。

 バックミラーに眼を通したり、左右を振り返ったりで、何やら文治さんまで挙動不審だ。


 すると、張り付いたままの女性がさらに身を寄せるようして、後部座席から手を伸ばしてオーディオの電源ボタンを押した。

 スピーカーから音楽が流れだす。

 文治さんは軽く「おぉ」と呻いて、ギアを入れてアクセルを踏んだ。


 車をその場で180度Uターンさせ、分離帯の開いた隙間から強引に対向車線――学園の方へと通じる道に入った。


 しばらくはそのまま、道路を真っ直ぐに飛ばす。




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