〈19〉
高速道路のトンネル内のようなその場所に着くと、連行役の二人の兵士は
この左側車線は真っ直ぐに学園へと続いている。
場にはこの上無く事務的な空気を漂わす運転手兼任の兵士二人の他、意外にも霧島が俺を見送るべく来ていた。
閉鎖はもう解かれたろうに、車の通りはまるでない。
秘密基地みたいなものだから交通量という概念すらないのか。
二車線なのも特殊な大型トレーラーなどが通れるように
車の後部座席に乗り込む俺に霧島は特に何を言うでもない。
本当に〝見〟送りにきただけらしい。
俺も特に言葉が思いつかず、軽く手を挙げた程度。
互いに無言な俺達の代わりという訳でもないが、助手席に乗り込んだ方の兵士が無線連絡で俺の移送の件を報告をしていた。
「本部、これより残り一名を学園へと移送します。向こう側への連絡とゲートの開放を…………――は? …………ええ、…………了解」
無線機の向こうとそんなおかしな会話を終える兵士。
何事かあったのかと不審げな運転席の兵士に目配せしてから、俺を向き直った。
「少し待機だ。赤植所長自ら見送りに来るらしい」
「あいつが?」
そりゃまた奇特な事をするもんだと、俺は下
空白が流れる。
霧島は変わらず無感動にジープの横で
何か話を振るべきかと
ただ静かに待った。
そして、向かいの車線を真っ直ぐこちらに渡ってくるその集団を一目見て――自分の
事は全て
赤植と、その後ろには大人数の武装状態の兵士達。
その数30余り。
なんだよ、まだこれだけの戦力を持ってるじゃねえか。
その三個分隊に及ぶ兵士達がこちらとの距離を詰めると、車道の中心まで広がり
ただの見送りにフル武装の兵士をこの数連れてくるかよ。
彼らの中央に立つ赤植は勝ち誇った笑みを隠そうともせず、強張る俺の顔を
「時折、自らの人生に
そう俺のフルネームを呼ぶ。
「ふふふっ……実に世の中とは面白い。まるで想定していない偶然が、こうも容易く起こり得るのだから」
「盛大な見送りだな。わざわざ俺なんかの為に悪い。じゃあ、
緊張から来る
だが無論、前の兵士達も当惑の色で動かない。
「
そうかい、俺はあんたのその万物の長みたいな勘違い顔が大嫌いだよ。
「玄田亮一、生徒番号15908‐A。高等学部1年に在籍中。年齢15歳、血液型はRh-A。能力判定そのものはC-だが、使用適性に関してはA+か。授業態度自体はそれほど悪くないようだね。だが学内で問題行動が従来の違反件数を大きく上回る、か。前代未聞の問題児という訳かな」
一枚の用紙に目を通しながらその項目を声にして読み上げた赤植が、今一度俺の顔色を覗き込む。
「なんだよ、
「玄田君、キミ――自分が『監査』対象に選ばれていた事を知っていたかね?」
「監査?」
予想してなかったその単語に眉を
国村先生にそのような事を忠告されたが、何故今こいつがその言葉を出す?
「それが、何の関係が……」
「ふふっ――ははははははっ!!」
途端、赤植が狂ったような声を上げて笑い始めた。
「大有りだ――大有りなんだよ、玄田君。ふふふっ……! その監査とらを受け持つ、監査室とよばれる部署が学園にあるのを知っているかね?」
震える腹を収めるよう、奴は身を
「正確には部署でもなければ、学園の中枢に存在しているものでもない。しかし玄田君、そのような役目を請け負う機関があるのは事実だよ」
「何を……言ってんだ?」
「
一体何をはっちゃけてやがんだこの狂人は。
監査室とは、この学園の生徒を対象とした能力や個人のその危険性を査定する第三者的な立ち位置にある部署だという。
だが実際は、危険
外部機関……?
「――‼」
それを見て、赤植はニヤリと笑む。
「正解だ玄田君。ここだ、ここなのだよ。この我が赤植
「んな……――馬鹿な⁉」
「いやいや、残念ながらそれが事実。キミは不思議に思わなかったかね? ただの研究施設にこんな物々しい部隊が駐留している訳なかろう」
そう問われれば、確かにおかしいと言わざるを得ない。
表に出せないような研究をやっているのだからその機密保持とも言える。――だがそれにしたって規模が異常だ。
思わず、腰を浮かして立ち上がっていた。
気がついた時には前の座席に居たあの二人の兵士もエンジンを停止させ、その場から速やかに離れている。
ご丁寧にキーまで抜いて。
「全く、歳は取りたくはないものだ。私ともあろう者が
自慢したくて
「実はキミを見た瞬間に『おや?』と感じた。どこかで見覚えがあるかな、と。その時はただの錯覚だと思っていた。なんせこの私が生徒一人一人の顔など認識している
確かに初めて会った時、コイツは俺に対して奇妙な反応をしていた。
「しかし……ふふふっ! キミは下手を打ったというべきかな? いやいや、やはりこれは物事がそのように収束したと捉えるべきだろう。玄田君、私にとって心当たりがあるとしたら、それは一つしかなかったのだ。即ちそう学園から送られてくるリストだ」
「リスト?」
「学園は定期的にそういう
まさに監査って訳か。
そして俺がこの機関に協力するという提案を受け入れた事で、奴はこちらの身元を参照したのだ。
結果として、リスト入りしている俺の事が割れた――と。
だが、話の本質はそこではない。
もっとおぞましい仕組みが見え隠れしている。
それは、この研究所が成し遂げてきた数々の成果が物語っている。
世界で初めて特異体を人工的に生み出し、現代の医学では手が付けられない症例の子供の治療を可能とした。
それらを実現たらしめんとしたのは膨大な数の試行――そう、実験であろう。
狂気に取り付かれたこの男だから可能となった技術。
だがこの男のその
「……それが建前か? アンタみたいな人間が行っているようじゃ、その類推した数値とやらはアテにできもしねえな」
「いいや、キミの邪推よりは私は真っ当に〝仕事〟をしている。事実として、私が
「その事実の一端につけ込んで、全力で
「ひどい言い様だ」
言葉とは裏腹に、赤植はさも愉悦に頬を歪める。
こいつはこれまで、『監査』の報告書を
実験の対象に適した学園の生徒、即ちPD型症候群の患者をその立場を利用して
「もっと踏み入って話をしよう――」
片腕を広げ、奴はまるで
「学園側は特異体が人類に牙する事がないようその性質を矯正したい。それ故、集団の中に反抗的な危険思想を置いておきたくはない。思想というのは
「どこぞ独裁者のような理論だな」
「否定はしない。そのスタンスを取っているのは私個人ではないからね」
「テメエはそこに
「材料調達の手間を省かせてもらっているに過ぎんよ」
材料か……。今更そんな発言に驚くでもない。
だが監査室がここで、そしてその責任者がこいつで、挙句その監査とやらの内実がこいつによって捻じ曲げられたものであるという話は――
穏やかに聞いていられない。
「けど待てよ。そんなもの、もう二十年近くも動いてないって話だ」
絞り出した声でその事実をたどたどしく否定する。
「キミの言う通り、確かにここ十数年以上、我々はその活動にひどく消極的だった。いや、ほぼ行っていなかったと言ってしまえる」
言葉を挟む余地の無いこちらと関わりなく、奴は続ける。
「理由は至極
淡々として、そんな台詞を吐く。
こいつは魔人だ。
自分が理性と信じるものが、狂気によって成り立っている事を知らない魔人の類だ。
「しかし玄田君、キミの場合に
「ふざけた事ばかりを言いやがって……‼」
抑えきれず
俺は無様に
言葉上では意気高くそう吐き捨てるも、それは事実上、俺にとっての死刑宣告に等しい。
「喜び
さも
だが、そのギラついた眼は
その存在が対象の処理すら請け負っている事は想像に
監査室に連れて行かれて戻ってくる事がなかったという生徒の噂は、今も学園に根強くある。
そして、確かに俺は、その監査室とやらに眼をつけられる事を恐れずいた。
だがそれは見極めたかったからだ。――俺という人間が立つ場所を。
その前提がまるで違っていた。
監査室とはこいつの私物化された組織。
俺達を
査定などという嘘っぱち――
だが実際は、もっと
実験用マウスを掻き集める為の
近年はそれすらも奴は興味を薄くしていて、まともに事に当たっていた訳じゃないと?
全てがこいつの興味の
ここ十何年以上、長峰ヶ丘の生徒達が平穏だったのも単にこの魔人が飽いていたからだとでも?
――ふざけるのも大概にしろ!
おそらくこんな事態にならなければ、奴は俺が監査対象であろうが学園の規則を破ってこんな場所をうろつこうが見向きもしなかったろう。
だが秘密を知った俺をどうにでも出来る口実を手に入れた奴は、それを
俺は今この瞬間、学園の
前言を撤回しておこう。
ガキだのどうのは関係ない、あの握手を求められた瞬間にでも奴の首を
俺は半円を描いて囲む兵士達の厚い層を視線で
しかし思い知るのは、俺の能力じゃこの数を切り抜けるのは不可能だという事だけ。
後ろは広範囲に
それ以上はどうあっても時間が掛かる。
銃弾を防ぐだけなら造作ないが、あの数の銃撃を
そうなれば俺はその自重に耐え切れず、身動きが
それで
その事を見越してあの数を用意してきやがった。
しかも兵士達は今、的確に俺との距離を保っている。
車の運転経験はないがアクセルを踏めば動くのくらい知ってる。
それに
あの兵士から鍵を取り返す乱闘の合間で蜂の巣だ。
この場を打破する策が、まるでなかった。
「赤埴教授……」
そこで唯一、俺以外でこちら側に立っている霧島が声を絞り出す。
暗色の
「詳細は見た。よくやってくれた〈ブレイズ〉。この結果になる為に、まさかお前が一役買っていようとは」
「そんな話……一度も……」
「そうか、お前にもまだ話していなかったのか。まあ、仕方のない事だ。お前がここに来る以前から、私は既にその活動に興味を失くしていたのだから。その事をわざわざ言及する機会など無くて当然だろう」
「私は……知らない――そんなつもりじゃ……」
「分かっているよ。お前だって今のこの事態を想定できる訳がない。彼――玄田君を暇つぶしの遊び相手にでもしていたのだろう。しかし、それが見事にこの結果を生み出した」
その目や声に激しい動揺が見てとれる。
それでも霧島は
「本当によくやってくれた。何かご
その名前が口から放たれた途端、霧島は赤植を凝視したまま凍りついた。
〈
「さあ、こっちへ来なさい」
その優しげとも取れる声色に
強張った動きと表情のまま、それでも俺から離れていく。
そうして振り返り、こちらを取り囲む大勢の兵士達の一員として掌を構え向けた。
「霧島……」
その限界まで引き絞った
彼女は、――決意に
そうだったな。
お前には、何を犠牲にしてでも守らなきゃいけない存在があるんだよな。
あいつの味方になってやりたいと思った心に嘘はない。
だと言うのに、俺は味方になるどころか敵である側なのかよ。
笑えてくるぜ……。
手立てがない。――思い付かない。
「そういう訳で玄田君、先刻キミに提案した条項は破棄して
俺の
「さて、では提案だよ玄田君。このまま大人しく我々の実験動物として
自身の歯がぎりっと噛み合わされる音を内部から聞いた。
「さもなくば、ここで
赤植が手を挙げると、兵士達が一斉にトリガーに指を掛ける。
その手を降ろせば、30以上からなる銃口が俺に向けて火を噴くという事か。
「……………………」
突き刺すような、張り詰めた空気が流れる。
どうしようも出来なかった。
――いっそこの車両のガソリンに引火させ、爆発させてその場を混乱させるか?
B級映画じゃあるまいに、銃弾で引火する事などない。そもそもガソリンは揮発させなきゃ爆発程の燃焼はしない。
――霧島の能力なら可能では?
そうかもしれないが、あいつは俺の味方じゃない。恵ちゃんを救う為には、この赤植という人間の力が必要不可欠なのだから。今もそうして、その思いだけがあいつを支えている。
――なら赤植を俺達で
どうやってここから奴一人を拉致し、どういう手順で恵ちゃんの治療を継続させるというのか。そんな細部のはっきりとしない都合の良い妄想を実行に移すまでの手掛かりすら、今はないのだ。
どれだけ頭を
「さあ、どうするね?」
今一度、奴は答えを急かすよう迫った。
「私がこんな事を言うのは稀だが……玄田君、できればキミはここで無為に死ぬべきではない。
含み笑いを漏らしつつ、赤植は
「キミの当初の企み通り、私はキミの有用性を認めているのだよ。
またその頬を醜く歪め、ドス黒い皮肉を言葉に乗せる。
いよいよ以ってお見通しの上か。
覚悟を決めるべく、俺は一度深呼吸をした。
そして
「あんたの今の言葉で、腹を括ったよ」
「それは何よりだ」
俺の答えというより、全てが自分の思う通りという――その結果に満足するような素振りで頷いた赤植。
「抵抗はしねえ、撃てよ」
だから俺はそんな奴の
緩みかけていた空気が、またざわりと引き絞られる。
「……やれやれ、キミはもっと賢い筈だろう? なんだね、その台詞は」
「頭では判ってても、どうにもな。我慢できねえんだよ――てめえのような世の中全てが全て、自分の為に用意されてるもんだと考えてるクチは」
「あまりに馬鹿げているな。……しかしまあ、その強情さあってのキミなのかもしれない。そういう意味でもやはり興味に尽きないが……私も自分の思い通りにならない存在は我慢ならなくてね」
「へっ……」
座席に深く腰を落として、両腕を左右に広げた。
恐怖心などは無い――
いいや、そんなの大嘘だ。
情けない話、それが俺の人生最大の
死にたい訳がない。
けど死ぬよりも恥な事ってのはあるもんだと思う。
今ここで上辺だけ奴に
もっと言えば、俺が俺としての自我を保てる状態にあるかすら分からない。
洗脳、薬物、外科的処置――何でもござれで俺を壊しにくる。
最も怖いのは、俺を従わせる弱みを外部から作り上げようとする事だ。
そうなれば巻き込んでしまう。
無事に学園へと戻ったはずの時野谷や羽佐間達を。
奴のその監査室とやらの権限ならば、期間さえ費やせば不可能ではない。
必死に火元から遠ざけ、護ってきたつもりのあいつ等が、俺そのものを理由として害されるだなんて――
そんなの耐えられるか。
赤植の脇に控える霧島へと視線を遣った。
未だ彼女の目は険しく、口はきつく引き結ばれている。
しかし、その
単純に凄惨な
それとも少なからず俺がこれから
後者であってくれたなら、多少は気持ちが軽くなる。
誰かにそう思って貰えるってのは、
心なしか安らかに逝けそうだぜ。
俺のその姿勢を見て赤植は鼻で息を漏らし、僅かに首を振った。
その掲げた腕は、今にも合図を送りそうだ。
ああ……
くそが……
そんな訳はねえ。
そんなので満足して
死にたくねえし、何よりも終わらせたくなんかない。
俺はまだ始まってもいないんだぞ?
俺の野望も理想も、描いているこれからの全て、そのまだ一つだって形にできてねえんだよ!
ふざけんなよくそが!
くそっ! くそっ! くそっ!
――俺はなんてちっぽけなんだ⁉
これが現実か?
俺程度なんざこれぐらいの結末がお似合いってか?
……やっぱ嫌だ。
死にたくなんかない。
ここで死んだら犬死だ。
今からでも命乞いをしよう。
生きていけるなら実験動物で上等だろう。
もしかしたらこの先、奴に大人しく従ってさえいれば
……いや、ダメだ。
何故なら俺は知ってしまったから。
これ以上あいつを野放しに出来ない事――これ以上あいつによる犠牲者を増やす訳にはいかねえって事を。
今ここで死の恐怖から奴に屈し、
大切なもの、信じるものを。
だから、決して譲り渡してはいけない。
俺が俺である為に。
ならば何とか兵士達の不意を突き、刺し違えるか?
幸い奴は生身で俺の前に立ってやがる。
俺の能力に殺傷性は無いと高を括ってんだろうがな、その気になりゃ
それで俺は鉛弾の雨を受けて体重が何割か
俺の犠牲でこれ以上不幸な人間を増やさないで済む。
立派なヒーローじゃねえか。
だったら俺はこの肉体を無為に散らすその
奴を道連れにして、一泡吹かせてやるさ。
……やはり、ダメだ。
それでも済まない問題がある。
何故なら霧島がいる。――恵ちゃんの事がある。
恵ちゃんの命が
あいつはその一念しか持ち合わせていない。
奴を殺してしまったら、少なくとも一人、それだけで確実に不幸になる人間がいる。
ああ、――そうか。
だからあいつ、あんな辛そうな顔をしてるのか。
俺の命と恵ちゃんの命を
それでも俺がこうして目の前で生きている間はその
その
なんだ霧島――
お前ちゃんと良い所もあるじゃねえか。
その苦悩から今、開放してやるべきだろう。
ヒーローとは誰かのために自らを差し出せる人間であるという。
なら、やっぱ充分だよな。
俺がここで死ぬ理由としちゃ、それで充分な筈だよな。
俺は立派に本懐を
時野谷達がこの先も平穏に学園生活を送れるようになる為、そして今もそうやって必死で心を凍らせて耐えているこの霧島の為にも――
俺の命はここで犠牲にするべきだ。
そう、思う。
……思いてえよ。
――だってのに!
俺が目指したのはこんなんじゃないって、そう心の声が鳴り止まないんだ!
最後に立っていたい場所はここじゃないって! 何度も何度も心が叫びやがるんだよ!
――ああ、くそったれ‼
必死で不敵な顔を維持するのがやっとだ。
気を抜けば泣き声を上げちまいそうなんだ。
「助けてくれ!」「死にたくない!」って、大声で
なあ、ほんとうに――誰か助けてくれ。
神様でも何でもいいから、この状況を変えてくれよ。
赤植の掲げていた腕が、ゆっくりと振り下ろされる様に動く。
その瞬間――
俺は場違いな〝もの〟をそこに見ていたた。
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