〈19〉



 高速道路のトンネル内のようなその場所に着くと、連行役の二人の兵士は路端ろばたに停めてあったほろ無しのジープのエンジンを始動させる。

 この左側車線は真っ直ぐに学園へと続いている。


 場にはこの上無く事務的な空気を漂わす運転手兼任の兵士二人の他、意外にも霧島が俺を見送るべく来ていた。

 

 閉鎖はもう解かれたろうに、車の通りはまるでない。

 秘密基地みたいなものだから交通量という概念すらないのか。

 二車線なのも特殊な大型トレーラーなどが通れるようにもうけられているに過ぎないらしい。


 車の後部座席に乗り込む俺に霧島は特に何を言うでもない。

 本当に〝見〟送りにきただけらしい。

 俺も特に言葉が思いつかず、軽く手を挙げた程度。


 互いに無言な俺達の代わりという訳でもないが、助手席に乗り込んだ方の兵士が無線連絡で俺の移送の件を報告をしていた。


「本部、これより残り一名を学園へと移送します。向こう側への連絡とゲートの開放を…………――は? …………ええ、…………了解」


 無線機の向こうとそんなおかしな会話を終える兵士。

 何事かあったのかと不審げな運転席の兵士に目配せしてから、俺を向き直った。


「少し待機だ。赤植所長自ら見送りに来るらしい」

「あいつが?」


 そりゃまた奇特な事をするもんだと、俺は下あごを突き出す。


 空白が流れる。

 霧島は変わらず無感動にジープの横でたたずんでいる。

 何か話を振るべきかと躊躇ためらったが、今ここで世間話に花咲かすでもなかった。


 ただ静かに待った。


 そして、向かいの車線を真っ直ぐこちらに渡ってくるその集団を一目見て――自分の迂闊うかつさに気づく。

 事は全てつつがなく終わったと勝手に思い込んで、気を抜いていた自らを今一度ふるい起こす。

 となりの霧島もその光景に目を見開いた。


 赤植と、その後ろには大人数の武装状態の兵士達。

 その数30余り。

 なんだよ、まだこれだけの戦力を持ってるじゃねえか。


 その三個分隊に及ぶ兵士達がこちらとの距離を詰めると、車道の中心まで広がり壁際かべぎわの俺達を半円にかこむ陣形を取った。

 随分ずいぶんと大所帯で見送りに来てくれたもんだ、好かれてるね俺って――などと思う訳がない。

 ただの見送りにフル武装の兵士をこの数連れてくるかよ。

 彼らの中央に立つ赤植は勝ち誇った笑みを隠そうともせず、強張る俺の顔をうかがう。


「時折、自らの人生にいて望外ぼうがいの幸運というものが訪れる瞬間があるそうだが……しかしこれは、果たして私の幸運だろうか? それとも、厄災級のキミの不運なんだろうか? ――どう思うかね、玄田亮一君」


 そう俺のフルネームを呼ぶ。


「ふふふっ……実に世の中とは面白い。まるで想定していない偶然が、こうも容易く起こり得るのだから」

「盛大な見送りだな。わざわざ俺なんかの為に悪い。じゃあ、湿しめっぽくなるのあれなんで、さっさと出してくれるかい運転手さん」


 緊張から来るのどの張り付きをだまし、空惚そらとぼけた感でそう別れの挨拶をして前の座席に呼びかける。

 だが無論、前の兵士達も当惑の色で動かない。


剛毅ごうきだね。まあ、嫌いではないよ――君のそういう所は」


 そうかい、俺はあんたのその万物の長みたいな勘違い顔が大嫌いだよ。 


「玄田亮一、生徒番号15908‐A。高等学部1年に在籍中。年齢15歳、血液型はRh-A。能力判定そのものはC-だが、使用適性に関してはA+か。授業態度自体はそれほど悪くないようだね。だが学内で問題行動が従来の違反件数を大きく上回る、か。前代未聞の問題児という訳かな」


 一枚の用紙に目を通しながらその項目を声にして読み上げた赤植が、今一度俺の顔色を覗き込む。


「なんだよ、やぶから棒に」

「玄田君、キミ――自分が『監査』対象に選ばれていた事を知っていたかね?」

「監査?」


 予想してなかったその単語に眉をひそめる。

 国村先生にそのような事を忠告されたが、何故今こいつがその言葉を出す?


「それが、何の関係が……」

「ふふっ――ははははははっ!!」


 途端、赤植が狂ったような声を上げて笑い始めた。


「大有りだ――大有りなんだよ、玄田君。ふふふっ……! その監査とらを受け持つ、監査室とよばれる部署が学園にあるのを知っているかね?」


 震える腹を収めるよう、奴は身をよじった奇妙な体勢で――しかしこちらから視線は外さない。


「正確には部署でもなければ、学園の中枢に存在しているものでもない。しかし玄田君、そのような役目を請け負う機関があるのは事実だよ」

「何を……言ってんだ?」

さかしい君なら、もう察しがついてるんじゃないかな」


 一体何をはっちゃけてやがんだこの狂人は。

 監査室とは、この学園の生徒を対象とした能力や個人のその危険性を査定する第三者的な立ち位置にある部署だという。

 だが実際は、危険因子いんしを学園から排除はいじょ隔離かくりするための独立した外部機関であると。


 外部機関……?


「――‼」


 驚愕きょうがくと共にその恐ろしい推察を乗せて、この地下施設そのものに目が向いた。

 それを見て、赤植はニヤリと笑む。


「正解だ玄田君。ここだ、ここなのだよ。この我が赤植研究所ラボこそが、キミのような危険因子と判を押された存在の行く着く先なのだ」

「んな……――馬鹿な⁉」

「いやいや、残念ながらそれが事実。キミは不思議に思わなかったかね? ただの研究施設にこんな物々しい部隊が駐留している訳なかろう」


 そう問われれば、確かにおかしいと言わざるを得ない。

 表に出せないような研究をやっているのだからその機密保持とも言える。――だがそれにしたって規模が異常だ。


 思わず、腰を浮かして立ち上がっていた。

 気がついた時には前の座席に居たあの二人の兵士もエンジンを停止させ、その場から速やかに離れている。

 ご丁寧にキーまで抜いて。


「全く、歳は取りたくはないものだ。私ともあろう者が蒙昧もうまいしていたようだ。玄田君、ほんの少し前だ。ほんの少し前にその事実が判明した」


 自慢したくてたまらないというような――しかし、ひどく薄気味悪い顔で奴は続ける。


「実はキミを見た瞬間に『おや?』と感じた。どこかで見覚えがあるかな、と。その時はただの錯覚だと思っていた。なんせこの私が生徒一人一人の顔など認識しているはずないのだから」


 確かに初めて会った時、コイツは俺に対して奇妙な反応をしていた。 


「しかし……ふふふっ! キミは下手を打ったというべきかな? いやいや、やはりこれは物事がそのように収束したと捉えるべきだろう。玄田君、私にとって心当たりがあるとしたら、それは一つしかなかったのだ。即ちそう学園から送られてくるリストだ」

「リスト?」

「学園は定期的にそういう兆候ちょうこうの見られる生徒をリストアップして、我々にその査定を依頼する。彼らのその精細なる能力判定は元より、今後の成長も含め害となった時の規模――そして人格を含めた性質によるその可能性の域の判断を我々が受け持つ訳だ。それを学園自体を行わないのは単純に専門職ではないからだ。国内で我々以上にPD型についての造詣ぞうけいが深い機関は居ないのだから。故に学園は我々がそうやって類推し、数値化した資料を元に生徒の処遇を決める」


 まさに監査って訳か。

 そして俺がこの機関に協力するという提案を受け入れた事で、奴はこちらの身元を参照したのだ。

 結果として、リスト入りしている俺の事が割れた――と。


 だが、話の本質はそこではない。

 もっとおぞましい仕組みが見え隠れしている。


 それは、この研究所が成し遂げてきた数々の成果が物語っている。

 世界で初めて特異体を人工的に生み出し、現代の医学では手が付けられない症例の子供の治療を可能とした。

 それらを実現たらしめんとしたのは膨大な数の試行――そう、実験であろう。

 狂気に取り付かれたこの男だから可能となった技術。

 だがこの男のその膝下しっかには、一体どれほどの犠牲が積まれてきたか。


「……それが建前か? アンタみたいな人間が行っているようじゃ、その類推した数値とやらはアテにできもしねえな」

「いいや、キミの邪推よりは私は真っ当に〝仕事〟をしている。事実として、私がほっする特異体は害が低く凡庸ぼんような能力者ではないからだ。そのような検体をこちらが引き取る事は実際ない。だからこれまでこちらで請け負った能力者は相応に危険な存在だったとも」

「その事実の一端につけ込んで、全力ででっち上げてたと?」

「ひどい言い様だ」


 言葉とは裏腹に、赤植はさも愉悦に頬を歪める。


 こいつはこれまで、『監査』の報告書を恣意しい的に捻じ曲げてきたんだ。

 実験の対象に適した学園の生徒、即ちPD型症候群の患者をその立場を利用して見繕みつくろう為に。――欲しい実験動物を手にする為に。


「もっと踏み入って話をしよう――」


 片腕を広げ、奴はまるで教壇きょうだんにでも立つような素振り。


「学園側は特異体が人類に牙する事がないようその性質を矯正したい。それ故、集団の中に反抗的な危険思想を置いておきたくはない。思想というのは伝播でんぱしていくからだ。同時に強い力を持つもの――これに対しても警戒が必要だ。特異体も人類と同じで、強く確実な存在に先導されたがるものだよ。よって優秀な能力者の育成には細心の注意が必要となる。もし強力な特異体が現れ、不都合な思想に感化されて生徒達の上にでも立とうものなら……。ま、後は判るね?」

「どこぞ独裁者のような理論だな」

「否定はしない。そのスタンスを取っているのは私個人ではないからね」

「テメエはそこにけ込んで好き勝手やってる手合いな訳だ」

「材料調達の手間を省かせてもらっているに過ぎんよ」


 材料か……。今更そんな発言に驚くでもない。


 だが監査室がここで、そしてその責任者がこいつで、挙句その監査とやらの内実がこいつによって捻じ曲げられたものであるという話は――

 穏やかに聞いていられない。


「けど待てよ。そんなもの、もう二十年近くも動いてないって話だ」


 絞り出した声でその事実をたどたどしく否定する。


「キミの言う通り、確かにここ十数年以上、我々はその活動にひどく消極的だった。いや、ほぼ行っていなかったと言ってしまえる」


 言葉を挟む余地の無いこちらと関わりなく、奴は続ける。


「理由は至極明瞭めいりょうだ。もう充分な程、通常の特異体での実験は済んでいるからだ。だが我々の権限そのものは生きている。実際にこうして学園からの監査依頼が届くのだから。まあ、近年はそのほとんどをまともに取り合わず、『脅威なし』の報告を続けてきた。……何故かって? 決まっているじゃないか、〝そそられる〟程の特別な能力の持ち主がいなかったからだよ」


 淡々として、そんな台詞を吐く。


 こいつは魔人だ。

 自分が理性と信じるものが、狂気によって成り立っている事を知らない魔人の類だ。


「しかし玄田君、キミの場合にいてはそうは行かない。そんなものは判り切った事だろう? 何と言ってもキミは、自ら学園の規則を破って私の手元に転がり込んできた。例えばだ、凶悪犯と見されている人物が拳銃を入手する場面を目撃したならばどうするね? 大事を取って、手続きなどは後回しでその人物を拘束する筈。ふふ……そういう事だ、私が責任を持って学園側に事後報告をしておくとも。キミがめでたく実に18年ぶりとなる『執行対象』に選ばれた事を」


「ふざけた事ばかりを言いやがって……‼」


 抑えきれずいきり立った俺に向けて、30は下らない銃口が一斉に突きつけられる。

 俺は無様にい止められた。


 言葉上では意気高くそう吐き捨てるも、それは事実上、俺にとっての死刑宣告に等しい。


「喜びたまえよ、玄田君。何とほまれ高きかな、この私にその活動を再開せたのだから。――ははははは」


 さも滑稽こっけいそうに声を立てる。

 だが、そのギラついた眼はあやししく俺を射抜いている。


 その存在が対象の処理すら請け負っている事は想像にかたくなかった。

 監査室に連れて行かれて戻ってくる事がなかったという生徒の噂は、今も学園に根強くある。

 

 そして、確かに俺は、その監査室とやらに眼をつけられる事を恐れずいた。

 だがそれは見極めたかったからだ。――俺という人間が立つ場所を。


 その前提がまるで違っていた。


 監査室とはこいつの私物化された組織。

 俺達を玩具がんぐとするこの赤植晃一郎に率いられた私兵集団ではないか。

 査定などという嘘っぱち――勿論もちろん、それが100%公平なものだとは信じてなかった。

 だが実際は、もっと悪辣あくらつで笑えねえ冗談のようなもの。


 実験用マウスを掻き集める為の大仰おおぎょうな建前だってか? 

 近年はそれすらも奴は興味を薄くしていて、まともに事に当たっていた訳じゃないと?

 全てがこいつの興味のさじ加減によって成り立ってるのか?

 ここ十何年以上、長峰ヶ丘の生徒達が平穏だったのも単にこの魔人が飽いていたからだとでも?


 ――ふざけるのも大概にしろ!


 おそらくこんな事態にならなければ、奴は俺が監査対象であろうが学園の規則を破ってこんな場所をうろつこうが見向きもしなかったろう。

 だが秘密を知った俺をどうにでも出来る口実を手に入れた奴は、それをかさにもう容赦などしない。

 俺は今この瞬間、学園の庇護ひごから外されたのだ。


 前言を撤回しておこう。

 ガキだのどうのは関係ない、あの握手を求められた瞬間にでも奴の首をし折っておくべきだった。


 俺は半円を描いて囲む兵士達の厚い層を視線で一巡ひとめぐりさせる。


 しかし思い知るのは、俺の能力じゃこの数を切り抜けるのは不可能だという事だけ。

 後ろは広範囲にわたってただの壁で、逃げ込める場所はない。

 すきを突いたとして、土塊を奴等の足元に伸ばして拘束できるのは精々せいぜいが二、三人。

 それ以上はどうあっても時間が掛かる。


 銃弾を防ぐだけなら造作ないが、あの数の銃撃をしのぐ為には相当の厚みを持たせた土塊をまとう必要がある。

 そうなれば俺はその自重に耐え切れず、身動きがままならない。

 それで膠着こうちゃく状態にもっていけたとして、そこから先をどうする事も出来ない。


 その事を見越してあの数を用意してきやがった。

 しかも兵士達は今、的確に俺との距離を保っている。


 車の運転経験はないがアクセルを踏めば動くのくらい知ってる。

 それにけて運転席に乗り込んで急発進させたかったが、キーは抜かれている。

 あの兵士から鍵を取り返す乱闘の合間で蜂の巣だ。



 この場を打破する策が、まるでなかった。



「赤埴教授……」


 そこで唯一、俺以外でこちら側に立っている霧島が声を絞り出す。

 暗色の愉悦ゆえつに顔を歪めていたその狂人は、彼女の存在に今気が付いたという風に眼線を当てた。


「詳細は見た。よくやってくれた〈ブレイズ〉。この結果になる為に、まさかお前が一役買っていようとは」

「そんな話……一度も……」

「そうか、お前にもまだ話していなかったのか。まあ、仕方のない事だ。お前がここに来る以前から、私は既にその活動に興味を失くしていたのだから。その事をわざわざ言及する機会など無くて当然だろう」

「私は……知らない――そんなつもりじゃ……」

「分かっているよ。お前だって今のこの事態を想定できる訳がない。彼――玄田君を暇つぶしの遊び相手にでもしていたのだろう。しかし、それが見事にこの結果を生み出した」


 その目や声に激しい動揺が見てとれる。

 それでも霧島は毅然きぜんとして、まだ俺と兵士らを従える赤植との間に立っていた。


「本当によくやってくれた。何かご褒美ほうびを与えようかな。今の私はそれほどに上機嫌だよ〈ブレイズ〉。ああそうだ、〈ピアレス〉――あの子が一度だけでもいいから学園でない外の世界に行ってみたいと話していたな。良い事じゃないか。姉妹水入らずでとは流石にいかないが、何なら都合をつけてあげてもいい」


 その名前が口から放たれた途端、霧島は赤植を凝視したまま凍りついた。

 〈唯一無二ピアレス〉――恵ちゃんを指しての事か。


「さあ、こっちへ来なさい」


 その優しげとも取れる声色にいざなわれるよう、次第、霧島が奴の方へ身を寄せる。

 強張った動きと表情のまま、それでも俺から離れていく。

 そうして振り返り、こちらを取り囲む大勢の兵士達の一員として掌を構え向けた。


「霧島……」


 その限界まで引き絞った弓弦ゆづるのようなかおを見た。

 彼女は、――決意にまみれていた。



 そうだったな。

 お前には、何を犠牲にしてでも守らなきゃいけない存在があるんだよな。


 あいつの味方になってやりたいと思った心に嘘はない。

 だと言うのに、俺は味方になるどころか敵である側なのかよ。

 笑えてくるぜ……。



 手立てがない。――思い付かない。



「そういう訳で玄田君、先刻キミに提案した条項は破棄してもらっても構わない。立場がまるで変わったのだから当然だ。そして、その上で新たに提案をしようか。――ああ、言っておくが、この提案というスタンスは私のなけなしの慈悲じひの心だよ。本来、『執行対象』のキミにそんな必要はないのだから。キミの身柄はもう我々の手の内だ。何をしようが、もう我々の自由という事だ」


 俺の諦観ていかんの顔色を察してか、赤植が締め括るよう宣告する。


「さて、では提案だよ玄田君。このまま大人しく我々の実験動物として研究所ここで暮らしたまえ。なに、寂しがる必要なぞないとも。同じ境遇の生徒――キミの古い先輩達も、まだ何名かはここでは暮らして居る。もっともその多くが、繰り返しの実験に耐え切れず自分が誰かも分からぬ状態だが」


 自身の歯がぎりっと噛み合わされる音を内部から聞いた。


「さもなくば、ここで無為むいあらがい、キミのその短い生涯しょうがいを終えるかだ」


 赤植が手を挙げると、兵士達が一斉にトリガーに指を掛ける。

 その手を降ろせば、30以上からなる銃口が俺に向けて火を噴くという事か。


「……………………」


 突き刺すような、張り詰めた空気が流れる。



 どうしようも出来なかった。



 ――いっそこの車両のガソリンに引火させ、爆発させてその場を混乱させるか? 


 B級映画じゃあるまいに、銃弾で引火する事などない。そもそもガソリンは揮発させなきゃ爆発程の燃焼はしない。あらかじめタンクに穴を空けておけば可能だが、この広大な空間に揮発したガソリンをどれほど満たせば爆発まで起こせるのやら。


 ――霧島の能力なら可能では?


 そうかもしれないが、あいつは俺の味方じゃない。恵ちゃんを救う為には、この赤植という人間の力が必要不可欠なのだから。今もそうして、その思いだけがあいつを支えている。


 ――なら赤植を俺達で拉致らちして脅し、何とか便宜べんぎを付けさせる? 


 どうやってここから奴一人を拉致し、どういう手順で恵ちゃんの治療を継続させるというのか。そんな細部のはっきりとしない都合の良い妄想を実行に移すまでの手掛かりすら、今はないのだ。



 どれだけ頭をめぐらせても、光明が見えてこない。



「さあ、どうするね?」


 今一度、奴は答えを急かすよう迫った。


「私がこんな事を言うのは稀だが……玄田君、できればキミはここで無為に死ぬべきではない。しばらくはここで実験動物モルモットとして過ごすだろうが、キミの忠義心の程では私の飼い犬ドーベルマンに取り立ててやってもいい。キミはそこそこ優秀だし、何より私にとってとても興味深いタイプだ」


 含み笑いを漏らしつつ、赤植はさとすような声色に切り替える。


「キミの当初の企み通り、私はキミの有用性を認めているのだよ。ただしつけだけは徹底して行う。万一にも飼い犬に手を噛まれない為にね」


 またその頬を醜く歪め、ドス黒い皮肉を言葉に乗せる。

 いよいよ以ってお見通しの上か。


 覚悟を決めるべく、俺は一度深呼吸をした。


 そして泰然たいぜんとしたていでジープの後部席に座り直す。


「あんたの今の言葉で、腹を括ったよ」

「それは何よりだ」


 俺の答えというより、全てが自分の思う通りという――その結果に満足するような素振りで頷いた赤植。


「抵抗はしねえ、撃てよ」


 だから俺はそんな奴のつらに続きの言葉を浴びせた。


 緩みかけていた空気が、またざわりと引き絞られる。


「……やれやれ、キミはもっと賢い筈だろう? なんだね、その台詞は」

「頭では判ってても、どうにもな。我慢できねえんだよ――てめえのような世の中全てが全て、自分の為に用意されてるもんだと考えてるクチは」

「あまりに馬鹿げているな。……しかしまあ、その強情さあってのキミなのかもしれない。そういう意味でもやはり興味に尽きないが……私も自分の思い通りにならない存在は我慢ならなくてね」

「へっ……」


 座席に深く腰を落として、両腕を左右に広げた。



 恐怖心などは無い――



 いいや、そんなの大嘘だ。

 情けない話、それが俺の人生最大の見栄みえであり虚勢きょせいだったのだから。


 死にたい訳がない。

 けど死ぬよりも恥な事ってのはあるもんだと思う。


 今ここで上辺だけ奴にくだってみせた所で、その後の俺の身上など保障されない。

 もっと言えば、俺が俺としての自我を保てる状態にあるかすら分からない。

 洗脳、薬物、外科的処置――何でもござれで俺を壊しにくる。


 最も怖いのは、俺を従わせる弱みを外部から作り上げようとする事だ。


 そうなれば巻き込んでしまう。

 無事に学園へと戻ったはずの時野谷や羽佐間達を。

 奴のその監査室とやらの権限ならば、期間さえ費やせば不可能ではない。


 必死に火元から遠ざけ、護ってきたつもりのあいつ等が、俺そのものを理由として害されるだなんて――

 そんなの耐えられるか。



 赤植の脇に控える霧島へと視線を遣った。


 未だ彼女の目は険しく、口はきつく引き結ばれている。

 しかし、そのひたいからほほにかけて汗が一条流れるのを目にした。


 単純に凄惨な殺戮さつりくがこれから行われる事への恐怖か。

 それとも少なからず俺がこれからう運命に対しての哀惜あいせきか。


 後者であってくれたなら、多少は気持ちが軽くなる。

 誰かにそう思って貰えるってのは、人間ひととして有り難い限りだ。

 心なしか安らかに逝けそうだぜ。



 俺のその姿勢を見て赤植は鼻で息を漏らし、僅かに首を振った。

 その掲げた腕は、今にも合図を送りそうだ。



 

 ああ……

 くそが……




 そんな訳はねえ。

 そんなので満足してける訳がねえだろ。


 死にたくねえし、何よりも終わらせたくなんかない。

 俺はまだ始まってもいないんだぞ?

 俺の野望も理想も、描いているこれからの全て、そのまだ一つだって形にできてねえんだよ!

 ふざけんなよくそが!

 くそっ! くそっ! くそっ! 

 ――俺はなんてちっぽけなんだ⁉


 これが現実か?

 俺程度なんざこれぐらいの結末がお似合いってか?


 ……やっぱ嫌だ。

 死にたくなんかない。

 ここで死んだら犬死だ。


 今からでも命乞いをしよう。

 生きていけるなら実験動物で上等だろう。

 もしかしたらこの先、奴に大人しく従ってさえいれば好機チャンスが訪れるかもしれない。


 ……いや、ダメだ。


 何故なら俺は知ってしまったから。

 これ以上あいつを野放しに出来ない事――これ以上あいつによる犠牲者を増やす訳にはいかねえって事を。

 今ここで死の恐怖から奴に屈し、姑息こそくに生きながらえたとして、その先で俺はきっと失ってしまう。

 大切なもの、信じるものを。


 だから、決して譲り渡してはいけない。

 俺が俺である為に。 


 ならば何とか兵士達の不意を突き、刺し違えるか?


 幸い奴は生身で俺の前に立ってやがる。

 俺の能力に殺傷性は無いと高を括ってんだろうがな、その気になりゃ岩棘いわとげを伸ばして奴の股から脳天までブッ刺すぐらいはできんだよ。

 それで俺は鉛弾の雨を受けて体重が何割かふくれ上がるだろうが……まあ、価値はあるよな。

 俺の犠牲でこれ以上不幸な人間を増やさないで済む。

 立派なヒーローじゃねえか。


 だったら俺はこの肉体を無為に散らすその刹那せつなに賭けてやる。

 奴を道連れにして、一泡吹かせてやるさ。



 ……やはり、ダメだ。

 それでも済まない問題がある。


 何故なら霧島がいる。――恵ちゃんの事がある。


 恵ちゃんの命がかっている以上、あいつは身をていしてでも赤植を守ろうとするだろう。

 あいつはその一念しか持ち合わせていない。

 奴を殺してしまったら、少なくとも一人、それだけで確実に不幸になる人間がいる。


 ああ、――そうか。

 だからあいつ、あんな辛そうな顔をしてるのか。


 俺の命と恵ちゃんの命を天秤てんびんにかけ、そして選び取った。

 それでも俺がこうして目の前で生きている間はその葛藤かっとうが消えず、繰り返し、繰り返し、何度も胸を締めつけられる思いで唇を噛んでいる。

 その懊悩おうのうを必死で内に押し止めて、あいつは俺を見据みすえている。


 なんだ霧島――

 お前ちゃんと良い所もあるじゃねえか。



 その苦悩から今、開放してやるべきだろう。



 ヒーローとは誰かのために自らを差し出せる人間であるという。


 なら、やっぱ充分だよな。

 俺がここで死ぬ理由としちゃ、それで充分な筈だよな。

 俺は立派に本懐をげているよな。


 時野谷達がこの先も平穏に学園生活を送れるようになる為、そして今もそうやって必死で心を凍らせて耐えているこの霧島の為にも――

 俺の命はここで犠牲にするべきだ。


 そう、思う。


 ……思いてえよ。


 ――だってのに!

 俺が目指したのはこんなんじゃないって、そう心の声が鳴り止まないんだ!

 最後に立っていたい場所はここじゃないって! 何度も何度も心が叫びやがるんだよ!

 ――ああ、くそったれ‼


 必死で不敵な顔を維持するのがやっとだ。

 気を抜けば泣き声を上げちまいそうなんだ。

 「助けてくれ!」「死にたくない!」って、大声でわめき散らしそうになりやがる……。


 なあ、ほんとうに――誰か助けてくれ。

 神様でも何でもいいから、この状況を変えてくれよ。



 赤植の掲げていた腕が、ゆっくりと振り下ろされる様に動く。



 その瞬間――

 俺は場違いな〝もの〟をそこに見ていたた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る