〈18〉




 霧島のたっての願いで、彼女に肩を貸しながらこのBセクションという区画の最奥さいおう部へと向かっていた。


「あの白衣に仕事が終わったって報告しないでいいのか?」

「必要ない。どうせ施設の内部モニタで事の顛末てんまつを確認してる」

「いかにもって話だな」


 その話を肯定するかのように、施設全体から地鳴りのような音が響く。おそらく、あの20cmのチタン鋼の壁がせり上がっていく音だ。

 つまりもうこの施設を封鎖しておく必要がなくなったという事。

 そしてその判断が下されたという事は、やはりずっと俺達を見ていたのだろう。



 辿たどり着いた先は、頑丈な複数の格子こうしによりロックされている複合扉。


 霧島が扉の横に設置されている入力盤のキーを打ち込み、指紋と静脈のスキャンをする。

 するとパイプが左右に抜かれていき、幾重いくえにもなっていた鉄扉てっぴが割れるように開く。


 内部は、薄灰色の無機質な廊下が続く。

 側面の壁には〔Sector B‐5〕というプレート。

 先には複数の部屋があるが、霧島は迷う素振りも見せずにその一つへと足を進めた。


 その部屋の内部はそれまでと随分様相が違っていた。


 電灯の類は点いてない。が、部屋全体がブルーライトのような淡い光で照らされている。

 それは所狭しとならんだPCのディスプレイが発しているもの。

 画面にはよく分からない表示の数列に加え、図形やら波形。

 この部屋、間取り自体は広いというのに、ごちゃごちゃと機器の類がひしめいていて窮屈きゅうくつだった。


 左手に別口のドアらしきものがあり、正面の壁には横長のガラスを埋め込んである。

 その先から白色の光が漏れている。

 奥にまだ、ここと区切られた部屋があるようだ。


 霧島は部屋に入るなり、正面の窓付きの壁側に並んでいるモニターの一つをにらみつけている。


 俺はそのもとへ歩み寄った。

 そして、奥の部屋に何があるのかを見た。


 それは何の変哲もない部屋だった。

 明るい色合いのシンプルな寝室と呼ぶべきか、もしくは病院の個室と言い表した方が良いか。

 ただ一点、人工透析とうせき機のような大掛かりな装置が隣接された大きな寝台――それが物珍しい形をしている。

 リング状の複数の機器が寝台とセットになっている。まるでカプセルのようだ。


 今その装置の影になって全容は見えないが、そのベッドの上には誰かが寝ているのは判る。

 素足の先だけが見えていた。


「良かった……大丈夫みたい」


 ぽつりと、誰に向けてでもなく呟いた霧島。


 かすかに聞き取れたその声に俺は驚く。

 言葉の内容にではない、その声色がとても柔らかなものだったからだ。


 素早く脇のパネルを操作し、霧島は振り返った。

 けれど俺の事などまるで目に入ってないかのよう、彼女は左手にあるドアを開けて駆け出していく。


 その時、正面の壁――ガラスの向こうでにわかに装置が稼働しているのに気が付く。

 寝台を覆っていたリング状の機器が動いて、まるで寝台そのものを吐き出していく様に壁へと収納される。


 ベッドには、寝巻きパジャマ姿の小さな子供が乗せられていた。

 幼い少女だ。


 その部屋の左側から、霧島が飛び出してくる。

 どうやら左手のドアでここと向こうは繋がっているらしい。

 霧島は吐き出されたベッドの許へと脇目もなく。そして、寝かしつけられている少女のその小さな手を取った。


 すると、やおらに少女が身動みじろぎをする。

 寝返りを打つようにしてから眠そうにまなこを擦ると、自分の脇にいる霧島の姿を見つける。


 またしても、俺は自身の眼をうたぐった。


 き止めていたものがついにあふれ出したかのように、あの霧島が安堵の涙を浮かべている。

 それはこれまで俺が一度だって目にした事のない表情で、何と言うか、至極人間的なものであり、いつもの彼女がかもす刃物のように張り詰めた美しさとは別のもの。

 霧島が見せる顔というのは、敵意丸出しの剣呑さか獲物を追い詰めた時に見せる妖艶さかの二択だった。


 だから俺はその時、かなり動揺していたと思う。


 もっとはっきり言おう――

 その泣き笑いのような暖かな微笑みに、俺は心を奪われた。

 恥ずかしい話、俺の人生の中でこれ以上のものはないと断言できる程に、その表情を美しいと感じてしまった。


 そしてまた一つ、間抜けに驚く事となった。


 霧島のそばで身を起こした少女の顔に見覚えがあった。

 そこに居たのは、いつかの歓楽街――あの新しく出来たという和菓子屋で俺にみたらし団子を強引におごらせた、あのミラクルキューティな女の子ではないか。

 驚きが連鎖すると共に、頭の中で引っ掛かっていた違和感がほどかれる。


 そういう事かと、得心した。

 名前も教えてくれなかったあの少女、どこか見覚えがあるとずっと思っていた。

 年齢相応の幼さの中に見え隠れしていた妙な色気といういか魅力というか、その雰囲気が霧島にそっくりなのだ。

 現状も合わせて考えると、つまりそういう事だ。


 彼女らは血の繋がりを持った姉妹なのだろう。


 それで霧島は隔離かくりされた中に残されてしまったこのセクターB5という場所を取り戻そうと、あんなにもらしくなく余裕を失っていた。


 あの霧島が家族のために、か。

 とんでもなく意外な事実だ。


 いや、そんな風に考えるのはおこがましいか。

 俺が知ってる霧島なんてそのごくわずかな部分でしかないのだから。


 完全に防音なのか、ここからではガラスの向こうで顔を向き合わせている二人の会話はは聞こえない。

 しかしその暖かな雰囲気は伝わってきた。

 彼女らの会話はすごく気になるが、俺がお邪魔していい空気ではなさそうだ。


 そう思っていた矢先、ガラスの向こうであの少女と目が合う。

 途端、驚き半分喜び半分のような顔で目を大きく開いて俺を指差す。

 霧島を振り返りながら、はしゃぐように何度もこちらを。


 苦笑しつつ、俺もそちらの部屋へと向かう事とした。


「玄田亮一! 玄田亮一!」


 ドア口に立った俺を指差し、呪文か何かのように人様のフルネームを連呼する幼女。

 相変わらず失礼な――と思いつつ純真な笑顔がまぶしいなあちくしょう!


「よう、久しぶり。今日はお名前、教えてくれるんかな」

「知りたい? そんなに知りたいの? 玄田亮一」

「そりゃあな。だって君の事、何て呼べばいいか分かんねえで困ってんだから」

「んー、そっかぁ。じゃあいいよ、教えてあげる」


 相変わらず元気一杯だなこの子は。


「わたしけいだよ! 〝霧島〟恵!」


 少女は自らをそう名乗った。

 やっぱりか。


「なんでここにいるの?」

「まあ、色々あってと言うか」

「ほら恵、お喋りはそのぐらいで。検査のための支度をして」

「ええー⁉ また検査するのぉ……」

「仕方がないの。施設に障害があって、しばらくこの部屋の接続が切れていたんだから。システムが休止していた間に、何か問題が起こっていたら大変でしょう? あなたの体の為なの、我慢して」

「凛がそう言うなら……。しょーがないなぁ」

「うん、恵は偉いね」


 本当にこの幼い少女に接する時の霧島は、驚くほどに穏やかな表情だ。

 その眼差し、その声色、子供をいつくしむ母親のそれによく似ている。


 そういえば何時いつぞや、屋上から奇妙な霧島を見たとか羽佐間が言ってたな。

 存外にもそれはこの光景だったか。

 二人で歓楽街までお出掛けか、仲むつまじい。


 少女が促されるまま素直にベッドから降り、ウサギのぬいぐるみをそのままき物にしたような可愛らしいスリッパに足を入れた。


 よくは分からないが、どうやら少女をこの地下の別施設にある検査部門まで連れて行かなければならないらしい。

 もうここに脅威はないからバイパスの地下道は繋がっている。


 俺達は来た道を引き返すのだった。


「ねえねえ! 玄田亮一も凛と同じですっごい変なカッコしてるよ」

「本当にね、変な恰好。早く着替えなきゃ」


 霧島は幼い少女と手を繋いで歩いている。

 なんだか親子みたいで微笑ましい。

 いやまあ、ほんとに親子な訳ないよな年齢的に。――歳の離れた姉妹って言うべきか。


 俺はそんな二人を後ろから眺めながら続いていた。



 すると前方の廊下の端から複数の人間が姿を現した。

 武装した数名の兵隊と、その中央に白衣の男。


 彼らがこちらに近づいて足を止める。


 白衣が進み出てきた。

 不健康そうな細い面にギラギラとした生気が宿っている。

 赤植晃一郎と言ったか、こいつこそが元凶だ。


「二人共、まずは生還おめでとう。実に素晴らしい働きだった」


 大仰に手を広げて、俺達を労ってくれているらしい。――イラつく仕草だ。


「赤植教授、恵の精密検査をお願いしたいのですが」

「ああ、勿論だ。もう準備はさせてある。行きなさい」


 従順かつ冷淡な口調に立ち返って、二言三言、霧島は奴と言葉を交わす。

 未だ彼女とこの機関との関係がはっきりと解った訳ではないが、それでもおよその察しは付く。

 あの霧島が飼い犬と成り下がっている理由――それは今、彼女のそのかたわらに居る存在だろう。


 霧島と少女の二人は数名の兵士に先導されるようにして、その場から離れていく。


「ねえ、玄田亮一は?」

「彼とはここでお別れ」

「ええーっ! せっかくいっぱいお話できると思ったのにぃー!」

「……きっとまた、そういう機会があるから」

「うーん」


 ちらりと霧島が俺を振り返る。

 その一瞥いちべつは、いつものあの攻撃的なものではなかった。

 何か言いたそうな逡巡しゅんじゅんをその眼に乗せて、しかし結局何も言わずに顔を戻した。


 俺はその後ろ姿から、目の前の白衣へと視線を移す。


「――それで、俺は実験動物よりも役に立ちそうかい?」

「それはもう、本当に見事な働きぶりだ。まさか本当にあれを仕留め、あまつさえ生き残ろうとはね」


 俺が生き残った事が不都合極まりないと言わんばかりだ。


「君の能力はして強力とも思えないが、それでも多くの兵が敵わなかった相手を策と機転で見事に討ち取ったものだ。現職の対PD種部隊顔負けじゃなかろうか」


 随分と事の成り行きに詳しい。

 やっぱり高みの見物をしていやがったな。

 誰の所為でこんな状況になって、どれだけの人間が死んだと思ってんだ。


「ともかく素晴らしい働きだった。君がここまでやってくれるとは」


 目の前の男――赤植が手を差し出し、握手を求めてきた。


 一体、どういうつもりだ?

 俺をおだてて上手く踊らせようって腹か? 

 調子が良すぎるぜアンタ。


 しかしまあ、今目の前の手を打ち払うのはあまりに短慮たんりょでガキっぽいよな。


 俺はその握手に表面だけとは言えこころよく応じる事にする。

 差し出された手を軽く握って、この上なくさわやかに笑む訳だ。


「あんたの言う通り、あの化け物、ただのPD種だとは思えない程に凶悪だったぜ。多くの兵隊がくなったみたいだが、ほんと倒せて良かった。あのままじゃ無為むいに人員を消費していくしかない。さっさと国連軍の対PD種部隊にでも通報してればこんな……ああ、そうか。ここ秘密の地下組織だっけ? そりゃ、おいそれと部外者は呼べないか。限られた戦力で対応するしかないよな。あるいは事情を知ってる人間に無理を言って融通ゆうづうして貰うかだ。それだって易々やすやすとは事は運ばないだろうから、どっちみち苦労は絶えねえな。まあでもこれはPD種を檻に閉じ込めて飼おうとしたあんたの責任だぜ? ……本当に、よく解りもしない存在を、手前勝手に支配できると思い上がってるあんたの身から出たさびってヤツだ」


 そこまで矢継ぎ早に言葉を舌に乗せた俺は、最後の締め括りとして相手の掌を渾身の力で握り込んだ。

 痛みからか、その顔が引きるよう歪んだ。

 登攀クライミングで鍛えた指の力は相当なもんだろう?


「本当に、賢しいね……。要らぬ知恵までつけたと見える」

「何の事だよ」


 さも何事もないように手を放し、再び爽やかに笑んで見せる。


 霧島からの話を聞き、この男が追い詰められている事は知っている。

 確か最初に会った時こいつは「学園にまた借りを……」――なんて言っていた。

 悪の組織めいた風情をかもしているが、こいつの一存で俺の身柄をどうこうは実は出来ないって事だ。

 学園上層部にお伺いを立て、許可なりをもらって初めてこいつ等は事を起こせるのだろう。

 それらは霧島の話を加味し、そこから推察すれば判る事だ。


 詰まる所、時野谷達を人質に取られているという前提が間違っていた。

 こいつにとって俺らは、手を出す事ができぬ故にさっさと消えて欲しかっただけの「厄介」――それ以上の意味はなかった。

 姿を見られない内に眠らせて帰そうとしたのだってそういう事。

 俺一人が無駄に機転を働かせなければ、このようにはなっていなかった。


 が、しかし――

 その俺が居たからこそ、コイツがわずらっていた最大の問題を解決できたのも事実。


「で、俺の処分はどうなるよ」


 さて、どう出る?

 あの取引の内容通りに俺は自身を証明した。

 それでもやはり秘密の漏洩ろうえい危惧きぐし、学園上層部の心象をさらに悪くしてでも俺を始末するのか。


 脇に広がる兵士の数は6人。

 握手の為に近づいたこの距離ならば、この赤埴という男を盾にも取れる。

 だがやはり俺の能力でプロの兵士6人を相手するのは厳しい。


 内心の動揺を悟られまいと敢然かんぜんとしているつもりだが、それでも喉は震えそうになる。


「君が信頼に足る人間だとは、大いに理解したよ。大いにね」


 押し黙っていた赤埴が、僅かに顔を上げて言った。


「じゃあ、解放って事か」

「約束通りに」


 やっぱりか。

 俺一人とて脈絡みゃくらくなく消えたら学園では大騒ぎ。これ以上、この男は厄介をこうむるつもりはないらしいな。


 狂気的ではあるが、物事の道理はわきまえている男のようだ。


ただし、こちらの条件を一つんでくれるのならばの話だ」


 内心の安堵の長溜息の合間に、この男はぬけぬけとそんな事を付け足しやがった。

 おいこら、そんなの取引には入ってなかったろう。


「条件ってのは?」

「君が考えてる以上に、我々は君という人間を買っている。今後も出来れば我々の協力者として力を貸して貰えると助かる」

「……へえ」


 驚き――いやいや、このくらいなら予想はできた範囲の提案だ。

 だから俺は極めて素早く二つ返事をする。


「ま、別にいいぜ。その条件で」

「やけにあっさりじゃないか、構わないのかね?」

「ああ。微力ながら」


 この男を許す気はない。

 だが、だからってここでこいつを殴り倒してどうにかなる問題じゃない。


 自分の未熟さは重々じゅうじゅう承知している。

 今の俺ではこの一連の事態を処理できない。

 学園は上層部がこいつらと繋がってるから論外として、外部――国連軍などに通報してみたって確実じゃない。


 だから今はまだそうやって尻尾を振っておいてやるさ。

 いずれ、その喉笛のどぶえに喰らいつく為にも。


 それに何より、霧島とあの少女――二人の事が気に掛かる。

 今ここで感情的に動くより、まだこいつらとのパイプは繋いでおいた方が賢明だろう思う。


「よろしい。将来、PD種から人類を守る救世主となる事を夢見てる君のような人材が味方についてくれて良かった。今後とも頼むよ、未来の英雄ヒーローくん」


 口元のその小馬鹿にした感を隠そうともせず、奴は鷹揚おうように頷いた。


 皮肉のお返しのつもりかよ。――器が小せえぞ。


























 これまでの人生で体験した事のない恐怖と興奮からか、背中の大怪我の痛みなど吹き飛んでいた。

 だが事態が収拾しゅうしゅうし、安堵を覚えると、望んでもないのに激痛がぶり返す。

 勘弁かんべん願いたい事この上なし。


 そんな訳で、正式な設備と医療スタッフによる治療を要望した。

 幸いここの施設の医療水準はとてつもなく高いらしく、適切な処置を受ける事ができた。

 まあ、俺の背中の傷を見て医者は大層怪訝けげんな顔をしていたが。

 話じゃ大々的に皮膚移植でもしない限りこの火傷あとは完全には消えないらしい。

 まったく霧島め、お嫁にいけなくなった責任をどう取ってくれる。


 施設の医務室で点滴を受けている間、痛み止めの成分も相まってか、つらつらと意識は落ちそうになる。

 今は何時で、時野谷たちは本当にちゃんと学園に戻っているのか。怪我による体力の損耗そんもう、そしてこれまでの疲労もあり、そんな事を考えつつも耐え切れず意識は溶けていく。





 どれくらいの時間眠っていたか。



 そんなに深くは落ちていなかったと思う。


 気づいた時、医務室に治療を施してくれたさっきの医者はおらず、しかし見知った顔が一人、部屋の入り口の脇に背を預けてこちらをにらんでいた。


「寝首でも掻きにきたのか? ……霧島」


 大胆不敵に――のつもりだったが、自身の口から発せられたものはかすれていて如何いかにも弱々しい。

 ダメージはほんと深刻っぽいな。


 俺はゆっくりと上体を起こし、彼女と向き合った。

 霧島は今、スキニーにえり元が肩まで空いている薄手のセーター姿だ。

 いつもはっているその長い髪をナチュラルに降ろしていた。


「具合はどう?」


 努めて冷静な声色だが、不機嫌さが含有がんゆうしているのはその表情や目つきからも判る。


「良くはないな」


 霧島は押し黙る。

 こりゃおそらく俺の状態を確認しに来たってわけじゃない。

 仕方がなくこちらから問い掛ける事にする。


「俺の事が心配でここに顔を見せた――って訳じゃあるまいに。何か用でも?」

「これを返しにきただけ」


 霧島が差し出したのは俺の制服の上着だ。

 「そりゃどうも」と言って俺は床に素足を着け、自身の制服を受け取る。

 やっぱりまだ少し、頭がふらつくようだ。

 無理せずベッドに座り直す。


「あなたのお友達、既に学園の方へと移送されていたわ」

「そうかい。皆が無事なら安心したよ」


 というか全員クラスメイトなんだがね。

 つれない霧島女史である。


「それと――」


 若干言いよどむように、霧島は言葉を区切ってたたずまいを直した。


「赤植から、話は聞いた」


 その件か。

 霧島が全てを言わずとも、すぐさま俺は判然とした。


「初めに断っておくが、これは俺もあちら側も想定していた話の終着点――まあ即ち落とし所ってやつだぜ」

「あなたも想定していた?」

「ああ。考えてもみろよ――今回の一件で俺は確かに奴等に自身の有用性を示せたさ。けどな、いくらなんでもここの秘密を知っちまった俺をそれだけで野に放してくれるわきゃない。あいつ等が俺に首輪を付けようとしてくるのは至極当然だ」

「確かに、そう仕向けられてるようね」

「奴等からしたら後はそこへ落とすための手法さ。おそらく時野谷達の事をチラつかせて、脅しをかけてくるつもりだったか。あるいはおいしそうな餌でもぶらげてきたか。まあ、どっちでも構いやしねえ。俺に交渉権なんて無いに等しい。だから、そういうまどろっこしいのはナシで話を呑んでやったのさ。その一点にいてのみ奴等は唖然あぜんとしてたろうから、一矢いっしは放てたかな」

かすりもしてない矢でしょうに」


 俺の精一杯の虚勢を霧島は切って捨てるかの如くだ。

 とても辛い。


「まあ、少なくとも俺は奴等の天秤てんびんを傾けさせた。秘密が漏れるリスクよりも、俺個人のポテンシャルを奴等に垂涎すいぜんさせる事ができた。おかげで俺がここと関係を結びさえすれば、時野谷達には害は及ばないって訳だ。今のこの状態が俺に導き出せた最良の結果ってやつだな」


 恥も外聞がいぶんもない。

 それが今の俺の限界だ。

 いやいや、むしろここまで見事やってけた自身を褒めちぎってあげたいね。


「あなたの言い分は理解できる。けれども、その選択が後にどれほどあなたを後悔させる事になるか……私にはそれが目に見えてるのよ」


 霧島のその眼には変わらず、芯からともっているような迫力が窺える。

 この組織が相当にヤバイってのは判ってるつもりだが、そういう風に脅されると後悔の波が押し寄せて来そうだ。


「……俺としちゃ、お前の事情の方が気になってしょうがないがな」

「他人の事によくよく首を突っ込みたがるのね」

「好奇心が旺盛おうせいなんだよ」

「そういうのはデリカシーがないって言うの」

「半分は冗談さ」

「半分は? なら残りのもう半分はどういう了見りょうけん?」

「そうだな、お前の立ち位置を知っておきたい」

「……立ち位置?」

「お前がここの秘密組織にどっぷりなのか、それとも俺と同じような境遇に立たされているのか。それを知っておかないと、これからのお前との距離を計りかねるわけさ」


 まるで気負ってない俺の態度に、しかし霧島は相変わらずだ。


「とは言うものの、実はそこらへんの予想は既についてたりする」

「言ってみなさいよ」

「恵ちゃんだっけか? ――あの子が理由なんだろ」


 俺のその答え合わせの問いかけに、しかし霧島はうなずきも首振りもしない。

 厳しい目つきで、っとこちらを捉えている。


「その背景は察しようがないけどな。でもあの霧島凛を飼いらせられる理由なんてよっぽどのもんだろう。例えば家族の身とか」


 もっともあの霧島が家族を案じて――ってのすら、俺には衝撃的だ。


「……腹立たしいけれど、おおむねはその通り」


 そう言って、長いこと肺に詰めていた空気を吐き出した様だ。

 どうやらその呼気と共に張り詰めていたものも逃げていったらしく、今のその霧島の表情に剣呑けんのんさは感じられない。


「可愛い妹のために頑張るお姉ちゃんってか? 意外すぎる一面だぜ」

「うるさいわ」

「まあ確かに、恵ちゃんはとびきり可愛らしいもんな。そりゃお前とて溺愛できあいもするか。顔立ちも含め、どことない雰囲気までそっくりだし」

「……でしょうね。私たち〝双子〟だから」


 冗談めかした軽口がすべりをよくしてきた頃、霧島からのその返答に思わず釘を刺された。笑いがい止められる。


「〝双子〟?」


 俺は怪訝にたずね返していた。


「そう、私とあの子は一卵性双生児」

「ハッ――お前幾つだよ」

「16。あなたと同学年でしょ」


 霧島の言葉を一句ずつ飲み込みながら、頭を整理する。


「……じゃあ、つまり……」

「ええ。あの子も実年齢は16歳」


 そんな馬鹿な話が――そう言おうとして、俺は直ぐさま思い至る。

 PD型症候群に属する奇妙な症例、そのワンケース。

 そう、時野谷の姿が俺の脳裏には浮かんでいた。


 だが同時にあの子の異彩いさいさにその疑念の矛先が向かう。


「待てよ霧島、あの子は……幼すぎやしないか?」

「無駄に頭が働くあなたの事だから、それは肉体を指しての疑問じゃないんでしょうね」

「あ、ああ……。あの子は16年も生きてるにしちゃ……あまりに歳相応すぎる。外見と中身が適合しすぎてるだろ」


 時野谷と同じような症例ならば、肉体はその成長途上で止まりはするものの、そこから外見とは不相応に精神は加齢していく筈だ。

 けれどあの子の内面にはまるで違和感はない。

 健全とすら言えるほどに。


「恵は……あの子はね、特例中の特例なの」


 霧島は目線を床へと落とし、その沈んだ視線と同等な声色で語り始めた。


「世界でも他に例を見ない。あの子は0歳児の時――生まれ落ちたその瞬間から、PD型を患っていたの」

「生まれた時から? そんな馬鹿な――」

「――あるのよ。PD型の多くは、第二次性徴せいちょう期に入ってからの発症が一般的。けれども世界であの子だけが、第一次性徴が起こった直後――即ち、母親の胎内でPD型として発症し得たの。……この世界であの子だけが」


 思わず俺は、顔をてのひらで覆うように押さえていた。


 そこまで聞けば察し得る。

 霧島の話はなにも身体しんたいにおいてのみではない。

 人間としての最も根幹を成す脳機能――つまりはそれの成長も同時に止まっていたという話なのだろう。


 脳の成長はおよそ0~3歳児の間がもっとも顕著であるとされている。

 その大部分においてが人格の基礎を形成する下準備となるという。

 だが生まれてからずっと赤ん坊のままだったあの子は、詰まる所、人間として意識が確立されることなく歳を重ねたという事だ。


「まだ私達に自我も芽生えていない頃、成長速度のまるで違う私達を両親は不審に思い……それで発覚したってわけ。それ以来、私達はこの場所で育ってきた」

「この場所って、――この研究所でか?」

「そう。物心ついた時からここが私達の家」


 日本でPD型として発症したならば確かに、長嶺ヶ丘ここに放り込まれる。

 たとえ自我もまだ芽生えていないような年齢であっても。

 さらに言うならば、世界でも類のないその特殊さ故に彼女らは上の学園ではなくこの地下深くの研究機関に引き取られたと。


「けどその、お前も一緒にここでってのは………」

「特に不思議でもない話よ。PD型に血縁は関係なくとも一卵性双生児として同じはいから分化した私達。母体内であの子だけが発症し、私だけがまぬがれた。――その理由を解き明かしたかったのでしょう」

「……………」

「私達、両親の顔も名前も知らない。望めばこの施設の人間から名前くらいは聞き出せるわ。でもそんな事、どうだっていいの。私にとっても、あの子にとっても、世界で家族と呼び合える存在はお互いだけ……」


 あの幼い少女と接する時に見せた、あの思わず見れてしまう穏やかな表情――その片鱗へんりんかすかにただよわせた霧島がそこに居た。


 けれども、その内側にはうれいのような悲しげな色合いが確かに。

 少なくとも俺にはそう見える。


「それで、0歳児のまま成長が止まってしまったあの子――恵ちゃんが、今の状態まで育っている理由ってのは……」

「ここの研究機関――あの男、赤植晃一郎の功績……いいえ、功罪って所かしら」


 先程までのそれと打って変わった自嘲じちょう的な含みを以って、霧島が投げ遣りに視線をこちらへと当てる。


「可能って事なのか? 成長が止まってしまうそれらの病気の治療が」

「唯一この場所でなら、少なくとも人為的に成長を促す事は可能みたい。勿論、莫大ばくだいな手間と費用を犠牲にしてでしょうけど」

「ここがPD型に関する研究の最新鋭ってのは、そういう事か」

「類を見ない症例だからこそ、あの子はこの機関に収容されたわけ。運が良い事に……」


 それは、最大限の皮肉にしか聞こえなかった。


「〝私達〟が9つの頃だった。あの子の研究データを充分に集積した彼らは、さらなるデータを求め、それまで誰も踏み込まなかった領域を目指した。つまり自分達の手を加えてあの子のさらなる分析を開始した」


 研究の為の治療――いいや、病気の治療などという概念すらないのかもだ。


「自分達でPD種を生み出そうとしたり、病状に手を加えてまでデータを欲したりと。……成る程、確かにここは前進的な研究施設だ」


 それが良いか悪いかは別として。


「でもおかげで、一生赤ん坊のままもやの掛かったような意識しか宿していなかったあの子が、今は人並みに泣いたり笑ったり怒ったりして、人の本来の領分であるところを存分に謳歌おうかしている。……目一杯なくらいね」


 あの子の元気溌剌はつらつとした声や笑顔が俺のイメージの内にもぎる。

 けれども俺は、そう言葉を洩らした霧島のさり気ない表情の変化。

 自嘲的な顔つきの中にひそんだどこか暖かみのあるもの――そんな表情を匂わす霧島をこそ、居たたまれなく思ってしまう。


「恵ちゃんは、もしかして自分の病気の事を知らないんじゃ……」

「そうよ。出来れば私はその事を知って欲しくないと思っている。自分が研究の為だけに飼われていて、その為だけに治療を施されてるなんて残酷な事実……あの子とは無縁でいさせてあげたいの」


 最もな、意見なんだろう。

 まだあんな年齢なんだ。この世の全ての暖かいもの、優しいものだけを側に揃えてやりたいと思うのも無理はない。


 同時に、俺は恵ちゃんに対するもう一つの疑念をも浮かばせた。


「それだけじゃないんだろう」


 霧島が息を呑むように俺を見た。


「恵ちゃんがこの施設に縛り付けられているのは、本当に成長を促進させるという治療の為だけか?」

「………………」

「あの大掛かりな装置。恵ちゃんを見つけた時のお前のあの反応。これは俺の推察なんだけどな霧島、恵ちゃんはこの場所でなければ生きていけないんじゃないのか」


 数秒、何とも言い表せない心持ちで俺は霧島と見つめ合った。

 そして彼女は頷くように視線を下げた。


「本当に無意味なほど頭が回るのね」

「じゃあ、やっぱり……」

「成長を促進させる治療の副作用なのか、この施設と……そしてあの男の技術なくして、あの子は長く生きられないわ」


 あんまりな……話じゃねえのか、それは。


「幸いな事に私も早い時期からPD型として発症し、この圧倒的な異能の力を得られた。だから私がこの力を用いてこの機関に貢献こうけんさえしていれば、ある程度の融通ゆうづうはつけられる」


 その為に、二人分の重荷を背負ってこいつは……。


 いつも感じていたこいつの危うさ。

 そして学園での傍若無人ぼうじゃくぶじんなあの行動の数々。

 それはこの研究所がバックについているから可能であった。


 そして、同時にそんな非生産的な問題行動に走らせる要因でもあるのだ。


 必要な事なんだ。

 自らを取り巻く制御できない趨向すうこう、――それと折り合いを付けていく為にはそういう部分があってしかるべきなのかもな。

 特に俺達のよわいでは。


「だからあなたの最初の質問、その二つの答えはどちらとも私に当てまらないわね。私は心からこの機関に恭順きょうじゅんしてるわけじゃない。けれどこの施設なくして――ひいては赤植晃一郎という人間なくしては、私が求めているものは得られない。……そんなところかしら……」


 軽い吐息を漏らして、霧島は壁から身を離した。

 それで彼女はお喋りはおしまいという意思を表示したかったのか。


 だが思いがけず、取り止めのない言葉が自分ののどいて出る。


「霧島、お前には……」



 ――味方はいるのか?――



 そんな事を問おうとして、しかし急いで口をつぐんだ。


 物心ついてよりこんな場所で育ち、周りの人間は彼女らを研究対象としてしか捉えていない。

 そのような境遇の相手に問う内容ではないのかもしれない。


 あるいはきっぱりとその口から「そんな人間はいない」と答えられたのち、俺はどういう言葉を続けるつもりなのか。



 ――なら、俺がお前の味方になってやる――



 そんな台詞をにべもなく言葉にできる程、俺が能天気で無責任であったなら楽だったろう。

 けれども俺は、自分の言葉に責任も持てないような人間になりたくない。

 言葉だけ綺麗に立派にほざこうとも、厳然たる事実として、俺は今のこの事態を一人で処理する事もできないちっぽけな存在だ。


 俺が憧れ、夢想したヒーローであったなら、こんな地下の秘密基地などドカンとやっつけて、彼女達を諸々の問題ごとまとめて救いだせるのかな。

 だが、現実は……。



 霧島が言葉を途切れさせてしまった俺を少しいぶかしむように首をわずかに傾け見つめてくる。

 俺はただ、その視線を辿たどり返し、力無く首を振るしかなかった。


 彼女はそれに胡乱うろんな……少しの戸惑いを見せただけ。



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