〈8〉



 朝、教室で確認してみると、神山は本当に俺の席の後ろだった。


 彼女はそこで背を丸めるようして文庫本を読みふけっている。

 驚愕きょうがくに打ちひしがれてざわざわと震えている俺へ、時野谷の呆れたような冷たい視線が刺さる。

 なんとか声を掛けようとしたのだが、相手は本から顔を上げようとしないくらい夢中になってる。

 どう切り出せばよいのやら――そんなこんなでタイミングをいっし続け、昼休みになるまで行動に移せずいた。

 時野谷の俺を見る目がどんどん冷淡になっていく手前、意を決してこのタイミングで声を掛ける事にした。


「よ、よおっす! 神山」

「あ、ハイ……ドウモ……」

「昼飯、いつもどうしてんだ? 食堂か?」


 俺の問いに、神山はがさごそとパンの入った紙袋を取り出した。


「買ってあるんだ……うん、そうか」


 一緒に食堂へ向かうという、自然に会話をつなげるための最大の口実を失った。

 ここで俺がパンなり弁当なりを用意していればまだチャンスはあったろう。

 しかし俺はお昼はいつも食堂派。

 すでに俺が手足をプラつかせつつ、特に何をするでもなくここにとどまっている事自体が不自然だ。

 彼女は紙袋を手前にかかえたままうつむいて、相変わらず身動みじろぎしない。


「まあ、あれだよな? なんつーか、ほら……うん……」

「……………」

「実際――実際な? 天気がさ……天気が良いよな……うん、天気がほら……」

「……………」


 ――きつい。

 俺だって本当はけっこう人見知りなタイプなんだよ。

 よく知らない人の前では緊張して、上手におしゃべりなんかできねえんだよ。

 すがるような目で2列となり後ろの時野谷を見るが、彼は首を横に振るだけ。

 せめて羽佐間を巻き込んでわずかばかりでも会話の切っ掛けを作ろうとしたが、奴は既に食堂に向かった後だった。――くそったれい。


 こうなったらもう、切りふだを抜き放つ他なかった。


「み、水宮ぁー!」

「はえ?」


 教室の入り口あたりで他生徒と大きな声で談笑していた水宮を――おそらく対極に位置するであろう彼女を――俺は召喚しょうかんした。


「何やのもう? 大きい声出してからに」


 水宮が怪訝けげんな顔をしながらのこのことやって来る。


「あー、おっほん、神山――これが水宮だ」

「エット、ハイ……あの……?」

「それから水宮、こちらは神山癒月さんだ、ご挨拶あいさつなさい」

「うん、知っとるよ」

「――いいから挨拶なさい!」

「へぇ? まあ、ほんなら……水宮晴香です、よろしく」

「ア、ハイ……神山です」


 二人とも釈然しゃくぜんとしないまま、それでも素直にぺこりとこうべを垂れる。


「えー、それで水宮、お前は猫が好きだよな」

「うん、好きやで」

「それに神山、君も猫が好きだな」

「はい……」

「え? ――そうなん?」


 よっしゃ、喰いついた。

 俺は内心で大きくガッツポーズを取る。


「実はな、この前国村先生に呼び出された時に中庭で見かけたあの猫、神山がえさとかやっているそうだ」

「――それホンマ?」

「アノ……えっと……」

「ゆづちーがその猫さん飼っとんの?」

「ア、チガ……飼ってはない…です、ゴハンあげてたら、なついてきて……増えちゃって……アノ……」

「――増えた⁉ 増えたてどういう事⁉」

「中庭の奥の雑木林ぞうきばやしが、猫達のたまり場みたいになってんだよ。そこに茶色のやつ以外にもう2匹はいた」

「ウン……あそこに……今は3匹」

「どういう事やの……どういう事やのそれ⁉ ――どこのぱらいそやのそれぇーっ‼」


 信じ切れぬという風に、水宮は頭をかき乱して声を荒げた。


「なあ――なあっ! うちもそこ行っていい? 猫さんにゴハンあげていい?」

「べ、別に……私に許可とらなくテモ……その……」

「ゆづちーお願い! うちも一緒に行ってええやろ? ――なあ! ほんまお願い!」

「アノ……だから……」

「お願いお願いお願い! 一緒に! なあ!」

「……じゃあ……その、一緒に」

「ほんまに? やったぁ! ――そしたら早速今日の放課後な、猫さんとこ行く時、うちも一緒に連れっててな」

「……うん」


 ドヤァァァァァ。

 何たる天才的采配さいはいであろうか。

 氷をかすは熱。旅人のコートを脱がしたのも太陽。

 かたくなな神山の心理的障壁をこじ開けたのは、お日様のように無遠慮で厚かましい水宮だった。

 無論、この俺の目論見もくろみ通りである。

 正反対な性質の二人――そんな対極に位置していた星が、今この瞬間俺の導きによって交わったのである。

 陰陽、和合すべし!


 これで少なくとも水宮をダシに、今週の課外授業の計画に神山を巻き込む事が可能となった訳だ。


 ただ、未だに目的を果たしていない俺を見る時野谷の目は相変わらずのジト目だ。

 ――それはそれで刺激スパイスがあって大変良ろしい。


















 放課後、気晴らしのため校舎の屋上へと上がった。


 山の上に建てられているだけあって、ここからの景色は壮観そうかんだ。

 下を見遣れば濃い木々の緑が斜面に沿って広がり、それを線路が真っ直ぐに割っている。

 路線を辿たどってみれば繁華はんかがいに行き当たり、ここからなら大小様々な施設が並んでいるその全容が見渡せる。

 今日は空も晴れ渡っているから、実にい。


 しかしそんな折、出し抜けに持ち前のタブレットからシステム音が鳴った。

 無駄に機能をそろえたこの官給品かんきゅうひん――いわゆる独立型の情報端末としても機能する。

 その一端である校内の敷地にいさえすれば望んでなくともリアルタイムで接続されるオンラインコミュニケーションアプリ――まあつまり、簡易的なメッセージを高レスポンスでやり取りできる学園全体を巻き込む高機能なチャット――から俺あてにメッセージが来た。


「羽佐間か……」


 画面には羽佐間のIDが付随ふずいされたメッセージが表示されていた。

 極めて面倒臭かったが、仕方なく操作する。無駄にった視覚エフェクトで画面からは文字が飛び出して見える。


[今ドコだ?]


[屋上]


[どこのだよ]


[学校]


[なめてんのか]

[学校のどの校舎かきいてんだよ]


[その問いに答えるには]

[まず我々が]

[どこからやって来て]

[どこに向かうのかという]

[命題を]

[解き明かさねばならない]


[何言ってんのオマエ?]


[つまり]

[人の一生というものはだな]


[語りだすな]


[聞けよ]

[今から深い事を言うんだから]


[めんどうな事いいから]

[どこだよ?]


[じゃあヒントな]


[うるせー]

[さっさと答えだけ言え]


[無理です]


[早く]


[嫌です]


[いいやもう]

[こっちでタブレットの追跡アプリ]

[使うから]


[ストーカーやめて]


[キモイなお前]


[暴言はNG]


[うわ]

[東側校舎の4番棟かよ]

[なんで教室から一番遠い]

[そんなトコに]


[話す事は容易い]

[だが]

[理解を得る事は容易くはない]


[別にどうでもいいか]


[そりゃないぜ]


[中央まで降りてこいよ]

[俺も向かうから]


[やだ]


[上がって来いってか]


[はい]


[シ・ネ]


[チャットの利用規約違反]

[これは通報ですね]


[そこから飛び降りろ]


[もはや言い逃れできないレベル]

[司法が今]

[俺に味方した]


[なんならこの手で落とす]


[明確な殺害予告の証拠]

[法廷で会おう]


[あーもう]

[ほんとメンドいなオマエ]


[お]

[示談か?]

[示談か?]


[行ってやるからよ]

[絶対そこから動くなよ]


[前向きに]

[検討させて頂くという形で]


[やっぱり]

[シ・ネ]


 とまあ、いつも通りそんなこうばしいやり取りが終わると、俺はいっそうだらけて景色をながめる作業に戻った。



 それなりの時間そうやって頭を空っぽにしていると、後ろから馴染みのある声が掛かかった。


「あー、ようやく見つけたぜ」

「本当に来たのか――ヒマかよ」

「うっせ」


 ベンチでくつろいでいた俺は、面倒臭げに声の主を振りあおぐ。


「マジで何してんだ? こんな人気ひとけのない屋上なんかで」


 天気が良かったので時野谷に「まずウチさぁ、屋上……あるんだけど……焼いてかない?」と日向ひなたぼっこに誘ったが、やんわりと断りを入れられた次第しだいで――計画の反省点を洗い出していただけだ。


「特に何も。そんで、どうなすったね?」

「ふふん、聞いて驚け――まさに天啓てんけいってやつだぜ」


 またそうやって左のまぶたを閉じて、何の根拠も無さそうな自信にあふれたお得意な顔を見せる羽佐間。


「お前の言ってたタブレットの強制GPS機能と、境界に近づいたら警告文が送られてくるって話――本計画の最大の問題点であるそいつら」

「どうにか出来るってのか」


 高機能でありながらコンパクト――そんなハイテクのかたまりである自らの電子生徒手帳をもてあそびつつ、羽佐間は得意気に話を続ける。


「言ったろーが、天啓ってやつだ、ちぃっとばかしヤバイ賭けではあったがな」

「というと?」


 勿体ぶる羽佐間に俺は身体ごと向き直った。


「実は俺らのタブレットから、一時的に学園とのリンクを切断できるっていうとんでもねープログラムがあってだな」

「なんじゃそりゃ? それって、間違いなく違法なんだろ」

「あんまし大きな声で言えねーが……そういう分野に強い人間が学園の卒業生にいたらしくてな、その人が独自に開発したっていうコンピュータウィルスの一種なんだが、それがここ最近になって表に出回ってるんだとさ。学園側も火がついたような勢いでこの違法プログラムの駆除くじょ注意ちゅうい喚起かんきをしてるけどよ」


 そういえば、モンモくんがそんな事を言ってたっけか。


「しかし、こーいうモンの感染力はその経路けいろの多さから爆発的に拡がってくワケよ。それを今回、先輩方が人脈をフルに活用してくれて」

「――入手できたと?」

「ふふん、どーよ? すごくね?」

「いや、お前がすごい訳じゃねえが……成る程、そのウィルスに外に抜け出る際の俺達のタブレットが折り悪く感染しちまって――というあらましか」

「あくまで不幸な事にその時だけ、な」


 羽佐間がそうニヤリとして、言外に悪巧わるだくみのり糸をにおわす。


 確かに一応の筋道は立っているか。

 要約すると、俺達の生徒手帳の方に細工をほどこし、GPSをくらませ、学園警備部隊からのその警告文に気づかないフリを決め込むという算段。

 そのプログラムとやらが確実に通信機能やGPS機能を停止させてくれるなら、問題はクリアされたと言って良い。

 タブレットの不具合、そして監視網の不備――この二つの不幸な事故により、俺達は晴れて学園を抜け出せる訳だ。


 ――が、なんだか出来すぎた話に聞こえなくもない。

 俺はその事実を天啓だなんだとは受け止める気はさらさらないのだが、当の羽佐間は何かもうノリノリである。


「そんなわけでよ、計画に向けて障害は一つ一つ取りのぞかれてる状態なんだが……」


 調子良さげに語っていた羽佐間の表情がうつろいだ。

 何やらふくみのありそうな言葉を残して、口を閉ざしてしまった。


「見通しは良好なんじゃねえのか、なんでそこで歯切れが悪い?」

「まあ、その事は良いんだが、そのだな……」


 らしくない羽佐間のその素振そぶりに俺はいぶかしげな眼を向けていた。


 ややあってから、羽佐間は意を決した様にこちらを向く。


「聞いた話なんだが、玄田――お前さ、霧島との件でもしかしたら監査室に目をつけられたかもって話……本当かよ?」

「その事か」


 俺はまた大仰おおぎょうに青空を見上げる。


「目をつけられるかもって話で、国村先生には釘を刺されたのは確かだな」

「マジなのか? さすがに問題行動起こし過ぎたって事か? ……にしたってちょっと、学園に入って二ヶ月でってのは異例だろ……」

「先生にもめられちった」


 俺は何ともないという風をつくろっていたが、しかし羽佐間の顔は深刻だった。

 どうやら、一丁前にこちらを心配してくれているらしい。


 能力の無断使用――正確には能力を使用して騒ぎを起こした事をとがめられてのこの事態である。

 能力の使用そのもの自体は実はそんなに罪じゃない。

 羽佐間のように使用しているかどうか他者から判別できないのもあれば、自身でコントロールできずに発動させてしまうケースもある。

 問題はそれを用いて騒乱そうらんを呼ぶことであった。

 そういう意味で、俺と霧島の激しいディスコミュニケーションはこの上なく人目をひく訳だ。

 そんな度を越した回数の騒ぎでなら学園の上層部が指を向ける道理はある。

 そして、まだ真実か定かではないが、その手段として監査室なる存在が姿を現す確率もだ。


「すまん玄田、俺もだいぶお前と霧島の件は面白がってた感がある。まさかそんな大事おおごとになるなんてよ」

殊勝しゅしょうなお前って気持ち悪いな」

「真面目な話だぜ――茶化すなよ、今回の計画だけどな、お前はやっぱ外れた方がいいかもな、これ以上さすがに悪い評価を受けるワケにゃいかねーだろ」


 俺を探していた目的はその事を伝えるためか。

 らしくないその気遣いを俺は鼻で笑う事にした。


「馬鹿言え、俺の能力が必要不可欠だから、今回の話を持ち掛けたんだろ? 心配しなくとも最後まで付き合ってやるよ」

「いや、そうは言うがよ――」

「確かにまあ、これ以上バカな事はするなと国村ティーチャーにも言われたばかりではある」

「ならやっぱり……」

「けどまあ、あれだ羽佐間――バカな事もできない人生に意味はないってな」


 そう不敵に笑んでみせた。

 無理をしてというのじゃない、そういう気概から自然と口元がつり上がる。


「お前……マジで?」

「大真面目マジで」


 呆気あっけにとられていたような羽佐間の顔が、俺に応じるよう次第といつもの自信気なものへと変わる。


「玄田お前、思ってた以上のバカだな」

「そうらしい」

「でも、まっ――そうだよな! バカな事は出来る内にやっておかなきゃだな!」


 そう言って羽佐間は気味の良い声を立てて笑った。

 俺とこいつは、お互いこういう感性だから何を元手にするでもなく親しくなったのかも知れない。

 そんな事を思った。


 しかしまあ、俺としちゃそういう向こう見ずさだけでこの計画に乗ったわけじゃなかったりする。

 というのも、きっと見極めたいのだろう俺は。


 遠影先輩との話が俺の中でずっと反芻はんすうされている。


 今回の計画、いわば学園の管理体制の不備を突いて外に抜け出す――彼らがもうける最大の禁忌きんきを破るというもの。

 だが、たとえその様な免罪符めんざいふがなくとも、監査室とやらが動く事態になったとして、彼らが俺に一体どういう決断を下すのか。

 ――それを見てみたい。


 遠影先輩達も、学園側の逆鱗げきりんに触れないぎりぎりのラインを見極めながら活動している。

 それはひとえに不安であるからだ。


 俺達にとって、学園という存在は保護者という立ち位置である。

 その親達が本音の部分で俺らをどう思っているのか、きっとそれを探りたいのだ。


 あるいはやはり、結局俺らは「怪物」でしかないのか。

 その腹を痛め、血の繋がりを持つはずの実母実父に捨てられた俺らは、やはり異質な「怪物」でしかないのだろうか。

 それを問い掛ける相手が、悲しいかな、今ここには学園という存在しかない。


 だから、なのだろう。


 つまるところ、わざと親に悪戯いたずらして困らせて、本当に自分が愛されているのかを知ろうとしている幼子――

 そういう部類なのかもしれない。


 最近は、よくそんな風な事を考えている。


 まあ、単純明快――ただのねっ返り。

 反骨はんこつ心と打算とで学園に一泡ひとあわ吹かせてやろうという気持ちが強い事も確か。


 というわけで、かずまれに俺達を心配してくれるお人好ひとよしな担任の厚意は無碍むげにせざる得なかった。

 すまんな、国やん。


「ま、そういう事なら今回の計画、最後まできっちりと頼むぜ」

報酬ほうしゅうの方もきっちりな」

「へへっ、やーっぱお前ってさ、つくづくみょうな奴だよな」

「お前に言われたくはない」


 俺達はそんな軽口の応酬おうしゅうしばらく続けた後、一息を入れるようにして屋上からの景色に目をやった。

 そこには梅雨つゆ入り前のよく晴れた色の空が広がっていた。



 すると、何やら羽佐間が思いがけず頓狂とんきょうな声を上げた。


「ん? ありゃ霧島の奴じゃねーのか」


 唐突に天敵の名前を出され、俺は眉根まゆねを寄せた。

 羽佐間は眼をらすように屋上からフェンス越しに遠くを見ている。


「そういやあいつ最近とんと見ないな、珍しい事でもないって話だが……んで、どこだよ?」

「歓楽街のとこにいるな」


 身を乗りだして足元の校庭付近へと視界を向けようとした俺は、羽佐間から返ってきたその言葉にずっこけそうになる。


「――馬鹿お前、ここから歓楽街までどれだけ距離あると思ってんだ。そりゃ能力あるお前なら容易たやすいんだろうがなあ」

「くやしいか玄田よ? 俺のこの〈回帰せし原初の眼力アイズ・オブ・ネイティブアフリカン〉がうらやましくてたまらないだろぉう?」

「こんな時でもないと自慢できないからって、必死だなおい」

「ふふん、負け惜しみはよせ……よ……って――お? おお? のおおっ⁉」


 急調子にそんな風な奇怪な叫び声を上げ始めた羽佐間。


「何の動物の鳴き真似だそれ」

「いや……その……」


 どうも羽佐間の様子がおかしい。

 ふざけているようではない、実にリアルなテンパリっぷりをかもしていた。


「一体どうしたってんだ」

「いや……えーっと……霧島がな、笑ってるんだよ」

「はあ?」


 何を言ってるんだかこいつは。 

 霧島が笑ってる? ――そりゃあわらうだろうに。

 いつも俺と相対している時のあの腰が抜けそうなほどに妖艶ようえん嗜虐しぎゃく色に満ちた、そんな笑みを浮かべてるんだろうさ。


「あの凶悪女、今度はどこの誰を相手にしてんだか」

「こ、子供だな――小さい女の子だ」

「あのサイコパス、ついに見境みさかいをなくしやがったか……!」


 幼い少女にあの魔性ましょうの笑みでせまる霧島を想像し、直ぐさま俺は警備隊への通報を懸念けねんした。


「ああ、笑ってるな、霧島が……すっげー幸せそうに」

「……――はぁ⁉」


 だが羽佐間の次の言葉でそんなイメージは吹き飛び、思わず上擦うわずった間抜けな声がれていた。

 聞き間違いだろうか――

 今、なんだかとても不自然な事を聞いた気がするんだが。


「……幸せそうに笑ってる?」

「ああ、なんつーか、幸せ一杯って感じの……ほら、子供と一緒にいる時のお母さんみたいな顔してる……」

「……き、きき、霧島が? それはあの霧島がか?」

「お、おうっ」

「いや……いやいやいや! 落ち着けよ羽佐間? ……いいか? 霧島だぞ? あの霧島凛だぞ?」

「わわわ、分かってる! 俺もこの眼で見ている光景が信じらんね」


 霧島が幸せそうに笑っている? まるで慈母のように?


 有り得ない、それは有り得ない、有り得る訳がない――いやあってはならない、そんな事があってはならない、宇宙の法則が乱れるってレベルの話じゃない、絶対にあってはならない――そんなのは夢だ、悪夢だ、この世の終りだ、破滅はめつだ、終焉しゅうえんだ、アポカリプスだ、核戦争後の世界だ、ウェイストランドへようこそだ――


「なあ? どうしよう玄田?」

「…………」

「俺、変なものでも食っちまったかな?」

「……見てない」

「は?」

「……お前は何も見てない」

「ええっ?」

「今日お前は何も見てないし、俺も何も聞いてない」

「おうぅ?」

「そういう事だ、羽佐間――これ以上言及げんきゅうするな」

「……わ、わかった」


 その悪夢からめる事を願いつつ、俺達は逃げるように屋上を後にした。





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