〈7〉


 週末明けの放課後、寮に戻っても暇を持て余すだけなので、俺は学園内の図書館へと向かおうとしていた。


 高望みさえしなければこの刑務所のような生活も悪くない。

 寮では毎日、味も量も申し分ないきちんとした食事が出るし、見つける努力さえすれば娯楽もある。

 無理をして下の町までり出す事もない。


 広すぎる校舎群は目的の場所まで向かうだけだというに、あり得ないぐらいの時間を要求する。

 いっそ校舎内にもモノレールを走らせろと思う。


 すると渡り廊下の先に、向き合っている二人の人間を見つけた。

 白衣のようなものを着ている妙齢みょうれいの女性と――そして特に、着崩れたような軍服を来ている規格外に大きな背中には強烈な見覚えがあった。


「文治さん」


 俺は久しぶりに見れたその頼もしい背中に、思わず声を弾ませてしまった。


「おぉ、亮一か」


 岩が動いたような錯覚をともなって、その巨体がこちらを振り向く。

 身長190を超える筋肉質なその肉体は、圧巻という言葉では表せないほどの迫力を有していた。

 脂肪を排しながら鍛えこまれて肥大化した筋肉が、深緑色をした軍服のその分厚い生地を内側から押し上げている。

 ただそこに立っているだけなのに何かの圧力が熱となり、むっと漂ってくる。


「お久しぶりです。こっちに戻ってたんすか」

「ちょっとした用事でな」


 その重厚だがつやのあるバリトンいかつい容姿にとてもよく似合う。

 四角い頑丈そうなあご、分厚いくちびる獅子鼻ししばな、雑に刈られた短い頭髪。

 一見すればおっかない事この上ないのだが、彫りの深いその目許はいつも優しげだ。


 彼の名前は鎖崎さざき文治ぶんじ


 年齢は30代後半ぐらいか。――詳しくは知らない。

 UVFの隊員であり、今年の春までは任務中に負った大怪我のリハビリを理由にこの学園の監督官を兼任していた。 


 UVFとは――Unionユニオン the Variousヴァリエース Forceフォース――人間と異能者を混成して組織された国連所属の精鋭部隊の総称。

 即ち、人類の安寧あんねいおびやかす化け物達――PD型親類種の出現にいち早く駆けつけて、これと相対する集団の事である。

 常に第一級の場で戦い続けている本物の英雄リアルヒーローたちだ。


 そしてそんなUVFの中でも、彼の横に並ぶ存在は無いとされている。

 ――いわく、最強の能力者であるとか。

 ――いわく、いや能力を使わなくても最強であるとか。

 ――いわく、むしろ能力を使わない方が強かったとか。

 そんな類の大袈裟な噂話だが、彼にはそれを真実とさせてしまう程の説得力があるのだけは確かだ。


「あら玄田くん、今期入学の君が鎖崎さんを知ってるの?」


 大岩のような文治さんの背中に隠れて見えなくなっていた女性が顔を出した。

 高等部一年の特別学科を担当している寒河江さがえ理紗りさ教官だった。

 もうそこそこな年齢だと思われるが、ヒールに厚化粧、白衣の下はいつも派手な色合いのスーツを着ている。


「入学前の年明けから新学期が始まる4月までの間、文治さんには無理を言って指導をお願いしていたもんで」

「まあ、そうだったの。それは意外」


 俺がここに連れてこられたのは年明け早々だが、検査やら何やらの結果待ちで入学を4月からの新年度に繰り越した。

 学園には居たが授業に参加していなかったその期間に文治さんと知り合ったのだ。


「どうだ最近は、ちゃんと鍛錬は続けているか」


 そう言って文治さんのごつい掌が俺の肩をぐっと力強く包む。

 次の瞬間、不可思議な事に俺は体勢をぐらりと揺らめかせる。

 身体が勝手に横に流れ、つんのめってこけそうになる体を必死で保った。


「ふっふ、相変わらずバランスが悪いな。負荷の高いトレーニングばかりしている証拠だ。筋肉を大きく育てるのもいいが、大切なのはそれの合理的な使い方と、そして体幹だと教えたろう」

「ちゃ、ちゃんと走り込んだりもしてますってば」


 文治さんのこのマジックの種明かしを未だに俺はされてない。

 一体全体どういう力の加え方をしてるのか、手で触れるだけで俺の身体の芯を揺らしてしまう。

 まだその能力を見た事のない俺にとっては、それが文治さんが発現させたチカラなのかともいぶかしむが、実際の所は判断できない。


「それでは鎖崎さん、例のお話はこちらから理事に通しておきますので」

「ええ。よろしくお願いします」


 寒河江教官がにこりと軽い会釈をして、その場を後にする。


「何の話してたんすか?」

「なぁに、ヒヨッコのお前には関係のない事さ」


 今度はその大きな掌がぼふっと俺の頭を覆う。

 さすがに子供扱いのしすぎに腹を立てる場面だった。


「必ず士官候補の推薦枠を獲得して、入ってやりますよ――UVFに。そんで絶対、文治さんの下で働きますから俺」

「そうか、待ってるぞ――」


 口の片端だけをニッと横に引いて、その頼もしい笑みを顔半分に文治さんもまた行ってしまった。


 UVFの隊員は化け物相手に日夜熾烈しれつな戦いを繰り広げている。

 この学園に姿を見せたのだって、きっと特務とくむか何か授かったからなんだろう。

 名残惜しいが引き止めるわけにはいかない。

 遠ざかるその大きな背中を眺めつつ、俺は何の言葉も口にはしないのだった。


 俺の野望の原点は間違いなくあの人だ。

 ヒーローになりたい――いいや、本当はあの人のようになりたい。

 世界や他人が自分達にどれだけ冷たくあろうと、それでもその世界や他人を守るために命を削って戦う。


 俺はあの人のようなヒーローでありたいと願う。


 この世界は俺達にとってあまりに苛酷かこくなのかもしれない。

 それでも、俺が俺である事をやめるだけの理由にはならない。――かつて、そういう気持ちをあの人から貰ったのだ。





















 文治さんからダメ出しを受けたので、さっそく俺は目的を変えて走り込む事にした。

 実はここ最近、ランニングをサボっていたのは紛れもない事実。――まったくなんて精確さだよ。


 秘めたる野望のため、三か月ちょいの間、軍隊式の特殊な訓練を無理を言って文治さんから受けていた。

 彼がこの学園を去ってからも自主練習的にそういう訓練を日課としている。


 更衣室で運動服に着替え、中庭で軽く体をほぐす。


 この自然豊かな土地は、鍛錬に用いるために手頃な地形が豊富にある。

 例えばちょっとした崖の上からロープでも垂らせば登攀とうはんの訓練場になる。

 そういう秘密の場所を入学早々から見つけて活用していた。


 登攀――クライミングの鍛錬は良質だ。

 見た感じで腕力を中心に鍛えているように見えて、実は何よりもバランス感覚、身体のかんとなる部分の筋肉が鍛えこまれる。

 登っている内に知らず、そういう部分が矯正されていくのだ。

 時折もっとハードにと指の力だけで全体重を支えてみたりするが、それだって肩、背中、腰――それら中枢がきっちりと仕上がっているから出来る芸当だ。

 下の町に行けばボルダリングの練習場は幾つかあるが、この野性味あふれる環境がたまらんのだよ。


 まあただ今日は走り込むのが目的だ。

 険しい坂道をという選択もあったが、今からこの学園の山を下るにはさすがに時間が掛かり過ぎる。

 校舎近辺でも事足りるならば、わざわざ遠出するまでもない。


 幸いというか、敷地だけはえげつなく広いこの学園の長所として、どこであっても体を動かすのにはばかる必要がないというのがある。

 様々な木々で彩られた中庭だけで、普通の学校のグランドの4倍近くはある。

 もうこれはちょっとした森だ。

 入学当初、教室移動の度にタブレットのナビ機能を片手に目的地を探し当てていたのを思いだす。

 まあ、今でも油断すりゃ校舎内で漂流なんてざらなわけだが。


 学園は、既に人影を無くしつつある。

 そんな物寂しい風景を流しながら、俺は自らの身体をいじめ続けた。

 基礎体力には自信がある方だが、持久力がないと自分でも分かっている。

 走り始めてわずかで息は上がり、体は汗でまみれてくる。

 インターバルを取りながらそれでも繰り返し走り続けた。


 肉体に蓄積ちくせきされていく疲労のこの感覚――何となく好きだった。

 頭でっかちな俺みたいなのは、こうでもしてないとどうでもいい事を際限さいげんなく考えあぐねてしまう。

 頭が真っ白に近付いていくこの感覚は、具合が良い。


 体感で一時間半ぐらいは経ったろうか。

 ペースを落とし、汗が引くまで中庭をゆっくり歩きながら息を整える。


 すると、目の前をさっと横切る小さな影があった。

 日が傾いて暗くなり始めた中庭に光る小さな目が二つ。

 どうやら猫みたいだ。

 それもこの前水宮が我を忘れるほど「にゃーにゃー」していた、あの茶色い毛並みの猫だ。

 やっぱりここに住み着いているらしい。

 茶色の猫は俺を見て一声甲高く鳴いたかと思ったら、しゅっとしげみの方へと隠れてしまった。

 何となくだが、でもどっかにあるのかと気になった。


 一度近場の水道でゆだった頭を水で洗い流してから粗くタオルで拭く。

 その後で猫が入っていった茂みを掻き分け、木々が交差するように乱立するその中心部へと俺は向かった。


 中心部はほんとうにちょっとした森林地帯である。

 湿った空気と薄暗い景色、かなりおどろおどろしい。

 そんな中、地面から出張った岩の陰に目当ての茶色い猫を見つける。

 しかし驚いたことに猫の姿はその一匹だけではなかった。

 他にもう二匹、白黒のブチ猫とキジトラ模様の猫が岩陰にてくつろいだ様子で寝ころんでいる。


 だがもっとも驚いたのは、そこに人影があった事だ。


 見知らぬ女生徒が岩のくぼみに腰掛けて、足元の猫たちを眺めていた。

 その着ている制服からこの学園の生徒だとは分かる。

 小柄で大人しそうな女生徒だ。

 制服が高等部のもので、左胸にある記章ワッペンの形からして同学年だ。

 手に提げたビニール袋の中には猫用の缶詰だろうか、そういったものが透けて見受けられた。

 どうも彼女が猫たちの飼い主らしい。


 ふと俺の事に気がついたらしく、視線が下から上へとなぞるように動いた。


「あ……」


 小さな声が上がる。

 そして、相手はそのままの状態で固まった。


「ああ、悪い。驚かすつもりはなかった」

「…………」


 挨拶代わりにそうびたのだが、なんだか様子がおかしい。

 口を開けた状態のまま、その生徒の動きが完全に止まっている。

 心無しか瞳孔どうこうも開いてる気がする。


 ともかく俺は、相手の反応を待った。

 5分か10分かはしただろうか、おもむろにその開いたままの口が痙攣けいれんするように動き始めた。


「……ドウモ……デス……」


 ――カタコト⁉ ――カタコトナンデ⁉

 見た感じは同じ日本人だろう。

 癖が多いのかぼさぼさの黒い髪、大きめの眼鏡の奥の目鼻や口などの造形もごく平均的なそれだ。


「その猫たちの、飼い主さん?」

「ア、ハイ……あ、イヤ、違いマス……」

「えーっと?」

「ア、シュマセン……飼ってるわけじゃないでス……ハイ」

「う、うん。そうか」

「ハイ……シュマセン……」


 顔が紅潮して冷や汗をかいている。視線が定まらずせわしなく動いている。やたら早口である。口の中だけで喋るため声が小さい。

 ――これはあれですね、コミュ症ってやつですね。


 まずい、どうすべきか。

 これ以上刺激しないように早々にこの場を立ち去るべきか。

 しかしこちらから話しかけておいて立ち去るというのも、それはそれで失礼に値しないだろうか。


 どう行動すべきか考え迷っていた俺だったが、ふと周りの猫達が何やら物欲しそうな声で鳴き始め、凍りついている女生徒の足元に擦り寄る。

 どうも猫達は餌が欲しいみたいだ。

 その事に気付いた女生徒は、弾かれたようなぎこちなさで提げていたビニール袋から猫用の缶詰を取り出した。


「あ……」


 しかし、彼女はまたしても小さく声を上げる。

 見遣れば今度は缶詰を凝視したまま固まっている。

 その視線の先を数度辿たどって、俺もその事を知る。

 彼女が買ってきたらしいその缶詰は、素手で開けるためのタブなどが付いていないのだ。

 そこから察するに、おそらく缶切りとかを用意してこなかったのだろう。


 猫達は甲高い声で甘えるように彼女の足元に身を寄せているが、このままではお目当てのご飯には有り付けそうにない。


「ちょっといいか、それ貸して」

「エ……ハイ、あの…?」

「いや、その缶詰なんとか開けられる」

「――え?」


 沈んでいた表情が俺の一言でぱっと華やいだ――気がする。


 こんな事もあろうかと、俺は日夜ディスカバリーチャンネルで学習していたサバイバル技術を披露してやる事にした。

 いや何を隠そう、実はこういう機会を待っていた。


 特に俺が缶切りなどの道具類を持ってないと知ってか、若干疑っているらしい彼女はおそるおそるに缶詰を差し出してきた。

 俺はそれを受け取ると、側にあった岩の平らな部分にさも当然のように缶詰の上面を押し付けた。

 そして俺の挙動を不審げにながめている女生徒にまるで構わず、思いっ切りがっしゃがっしゃと缶詰をその状態で岩にこすりつける。


 俺の奇行を驚愕の目で見つめる彼女と猫達。


 十分なまでに摩擦を加えた後、掌の上に戻し、缶詰を挟み潰すように両側面からぎゅっと握った。

 すると次の瞬間、ぱっかりときれいに缶詰の上側のふたが外れる。

 少しだけ中身をこぼしながらも、蓋は完全に開いた。


「あっ……」


 またしても小さく声を上げる。

 しかし今度のそれには、少なくない感動が含まれていた事だろう。


 摩擦で密封してある蓋のへりの部分が剥離はくりし、握ったことで内部からの圧力によりもろくなった蓋が押し出されて外れる。

 一般的な構造の缶詰ならば、硬くて平面な場所さえあればこの方法で開封は可能だ。

 いやはや、ディスカバリーチャンネルって凄いもんだ。


 俺は同じ要領で、残りの缶詰も開けてやる。

 彼女はそれをコミカルな猫のイラストの描かれたお皿に盛って、さっきからせびるように鳴いている猫達へと差し出した。

 ようやくご飯にありつけた猫達はよほど腹が減っていたらしく、がっつくようにしてまたたく間にそれを食べ終えた。

 取り敢えず俺は役に立てたようだ。


「ありがトウ……ゴザイマス。その、アノ……」

「いやいや、どういたしまして」

「アノ……玄田くんも、猫好きですか?」

「――うん?」


 その女生徒の言葉に違和感を覚えまくりで、思わず間の抜けた声を返していた。

 俺いつ自己紹介なんてしたっけか?


「あっ、アノ……あれ? 違う? ……でも、玄田くんじゃ……?」

「いや、うん。俺は玄田だけど――うん?」

「……私……同じクラスの……神山です」


 やっべぇ。

 これはいけない、人としてやっちゃいけない事をした。


「ああ――うん! 知ってたよ。同じクラスのカミヤマだろ? 最初から気付いてた」

「………………」

「ほんとほんと! 会った瞬間から分かってたから、うん」

「………………」

「そのー、ね? ほらあの……」

「………………」

「本当に申し訳ない」

「いいです。私、影薄いカラ……」


 そういう事言われると余計に罪の意識で胸が苦しくなるわけだが。

 しかしながら、二ヶ月弱も経つのにクラスメイトの顔をまるで存知上げていなかった俺が全面的に悪い。


「それに私、こけ女だから……関わりたくないのもワカる」

「苔女?」


 俺がおうむ返しに問うと、神山はこくりとうなずく。

 そして、さっきまで座っていた岩に指の腹をぴたりと付けた。

 するとたちまちに灰色の岩肌が濃い緑色で覆われていく。

 何事かと驚いた俺だったが、よくよく注視すれば岩の表面にふさふさとした植物らしきものが生えているのに気がついた。


「へえ、なるほど苔か」

「アノ……こんなの、気持ち悪いよ……ね……?」

「いいや、そんな事ないだろ」

「エ……? でも、変だし……」

「馬鹿言え。そんなの言い出したら、俺達全員が変って事になる。神山が苔女ってんなら、俺なんか土男――いや、泥男か」

「……あ……」


 よくは分からないが、俺の言葉に納得したのだろうか。

 またしても停止している彼女だったが、さっきよりは表情が柔らかい気がする。


 それらが発現した事で、彼女が周りからどういう扱いを受けたか。

 親しかった人間の目がどういう風に変わったか。

 だが少なくともここに居る俺達だけはその思いを共有できる立場にある。

 それ故に俺ははっきりと答えた。


 これを才能として受け止めきれる人間も居れば、呪いとして受け取ってしまう人間もいよう。

 けれどこの学園にいてのみは、それは目や耳や鼻の形、声や体付きと同じで、ただの個性であると――そう信じたいもんだ。



 そろそろ、日も暮れ切ってしまいそうだ。

 元から薄暗いこの場所は一足先に夜になったかのよう。


「だいぶ暗くなってきたな。荷物を校舎のロッカーに預けたままなんだ。悪いけど先に帰るわ。またな、カミヤマ」

「あっ、ハイ……。また……」


 そう切り出した俺に向かって手の先だけを動かし、小さくバイバイをしている。

 なんだかその様が気の小さい彼女らしく妙に似合っていた。





















 寮に戻ってから、さっきあった失敗談を自室で時野谷に笑って聞かせた。

 まさか同じクラスの人間だとは思いも寄らなかったというインパクトが強くて、誰かに話さずにはいられなかった。


「――てな事があってさあ。いや参ったよ」

「うん、神山さんだよね。神山かみやま癒月ゆづきさん。というか、亮一くんあの……」

「おう」

「神山さんの席、亮一くんの後ろなんだけど」


 うっそだー。

 そんなまさか、いくらなんでもそれは……うっそだー。


「――冗談?」

「――本当」


 そんなバカな、嘘だと言ってよ。

 いや、これはもうあれだ――俺の認知能力が低いとかじゃなくて、神山のステルス能力がズバ抜けていると言うべきではないのか――むしろそっちの方が特殊能力なんだろうきっと――目の前で苔を生やした様に見せたのは実はトリックで、なんかこうよくある思考の穴とかを突いた――ともかくトリックなんだよ‼


「もしかして時野谷、今ちょっと俺のこと軽蔑してる?」

「さすがに、ひどすぎるよそれ」

「いやいやいやいや、実際あれよ? ね? 実際問題かなりのあれよ? ほらつまりさ、俺がどうとかじゃなくてね? 何て言うかさ、かなりのさ? こう擬態ぎたい能力? ……彼女かなりのステルスっぷりだと思わない?」

「ちょっともう話しかけないでくれるかな」

「――時野谷⁉」

「知らない」


 割と本気で怒っているらしい時野谷はぷいっとそっぽを向いてしまった。

 そんな仕草でさえ胸を打つ可憐さだったが、それはともかく、このままでは時野谷に見捨てられてしまうので俺は限りなくみじめに取りつくろった。


「ま、待ってくれ――時野谷ぁ! お前に捨てられたら、俺は一体どうしたらいいんだっ……⁉ ああうあう……謝るからあ……! 明日ちゃんと神山に謝るからあぁぁ……! うぇうえ……おえっ……」

「ほんとにもう、人として最低だよ?」

「それは俺も思った。本気で悪かったと思ってる」


 別れ話を切り出されたダメ男的なリアクションで、なんとか時野谷との関係を維持できた。

 ふう、一件落着。


「話は聞かせて貰った!」


 そんな折、出し抜けに部屋のドアがばんっと勢いよく開けられた。


「なんだハゲ、呼んでねえぞ」

「だからハゲじゃねーっ!」


 しょぱなからテンションを飛ばしまくってる羽佐間だった。

 俺と時野谷の二人だけの時間を邪魔するとは、なんて野暮だ。


「盗み聞きしてるような奴はハゲだ。ハゲの中でも最も残念なハゲだ」

「ハゲハゲうるせーよ! 坊主にしてるだけだっつてんだろ!」

「現実を受け止めろハゲ」

「だぁからっ! ……つかなお前、そういう事を言ってくる奴に限って将来ハゲたりすんだからな!」

「ぬかせ。俺の一日のワカメの摂取量なめんな」

「――気にしてんじゃねーか!」


 そんな不毛な会話を繰り広げた後、場を仕切り直すように羽佐間はびしぃっと俺に指を突きつけた。


「ともかくだな、話は戻るが、その神山の能力かなり使えると見た」

「はあ?」

「いいから玄田、お前彼女を口説き落としてこっちに協力させろって」

「ふざけんな。俺は交際の前に、まず文通から始めるタイプだ」

「知るか! 男なら一発かましてこい!」

「そもそも何を根拠に巻き込むって?」

「だからよ、ステルスだよステルス」

「お前、マジで馬鹿だったっけ?」

「へっ! 言ってろ! 俺にはちゃんとしたプランがあんだよ。ともかく、今週の課外授業までに神山をこっちに引き込んどけよな。じゃ、そういう事で――」


 やって来た時と同じぐらいの唐突さで、ばたんとドアを閉めていった。


「なんだアイツ?」

「さあ」


 顔を見合わせるしかない俺達だった。



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