〈6〉



 いよいよ計画当日。

 週に一度あるかないかの課外授業の日。

 この時だけは学園から離れ、外との境界に近づく事が大義名分で許可される。


 それまでに羽佐間は裏でちょこちょこと動き回って、何やら色々と画策していたらしい。

 ともかく未だ西側の監視網は脆弱なままらしい。

 計画案にかなり不安が残るものの、決行する価値はあるだろう。


「――みなさんも知ってると思いますが、特異体の発症に関する諸々の問題の起点として、細胞の中にある染色体の構造上の顕著な異変が取り沙汰ざたされています。

 細胞には老化と不死化という二つの特徴的な現象があります。この二つを引き起こす直接的な要因として、テロメア――あるいはテロメアーゼという酵素がありますが、通常の人間と特異体とを比べると、後者の細胞内のテロメアは比較にならないレベルで存在しています。これが先に述べた細胞の不死化を促進させて、細胞の異常増殖を行わせているのです。

 通常、細胞にはアポトーシスと呼ばれる自殺機能があり、多細胞生物であれば、個体をより良い状態に保つためにこのプログラム化された細胞死を繰り返し行っているのが正常な状態ですが、テロメアの働きにより細胞がそのプログラムを受け付けず、只管ひたすらに増殖されていく結果となるわけです。主だった例として、がんという病気がこれに当てはまりますね。細胞が異常増殖し、腫瘍しゅようとなり目に見える異変となって現われる。

 しかし、みなさんの身体には取り分けてそのような症状は現われていません。これこそが即ち、人間と特異体とを明確に線引く条件であるのです」


 うららかな陽射しの下で聞くにはあまりに眠気を誘う寒河江教官の講釈。

 各々好きなように散らばって地面に腰を降ろし、話を聞いている――もしくは聞いてるフリをしている生徒達。

 時野谷と羽佐間と小グループを組んで俺も話しを聞く努力はしていた。

 水宮と神山はまた別のグループだ。

 この前の件以来、二人はよく一緒に居る。――まあ利用するためにそう仕向けたわけだが。


 寒河江教官の難解すぎる講釈はまだ続くっぽい。

 この人は科学者としてかなり優秀であるという評判なのだが、俺達からすれば話が難しい事で有名な厚化粧おばさんでしかない。


 学園圏内の外れにある大きな庭園とでも呼べる場所――西側の山すそに位置するこの場所は、土地を整えてまるで棚田たなだのようにし、それをレンガで区切って教材用の植物畑にしてしまっている。

 そこで俺達のクラスは課外授業を受けていた。

 そのままさらに歩けば深い森へと差し掛かり、学園が定めた領域外へと逸脱してしまう。

 その先にも深い森や平野がずっと続いている。


「それでは、次はこの二つの鉢植えに注目してください。この二つは全く同じ時期に全く同じ環境で育てた植物の苗です。しかし、ご覧の通り二つには目に見えて分かる生育の違いがあります。どうしてこのような事が起こったのでしょうか?」


 きっと片方はやる気がなかったんだろ。


「実はこの二つの苗の一方には、テロメアが異常に含まれているみなさんと同じ特異体の細胞を注入し、特別な外的処置によって定着させてあります。知っての通り、PD型症候群は後天的に発症する事は有り得ません。ですのでこうして細胞を定着させたとしても、それらが特異体となる訳ではありません。

 さて、ではどちらがその苗であるか分かる人はいますか?」


 話をなんとか真面目に聞いていた数少ない生徒達が、寒河江教官の持つ二つの鉢植えの内、生育の大きい方を指差した。


「残念――みなさん不正解です。特異体の細胞が注入されているのは、こちらです」


 そう言って教官は二つの内、小さい方の苗を持ち上げた。

 話を聞いていた生徒達はかすかかにどよめき、まるで話を聞いていなかった生徒達もそのちょっとした波紋に興味を持ったらしく顔を上げた。


「普通に考えれば細胞が異常増殖するのだから、大きく育つのだとみなさんは思ったことでしょう。しかし、現実には特異体の細胞はむしろ健康な成育を阻害するものなのです。どうしてこの様な事が起こるのでしょうか?」


 また一呼吸を置くようにして問いかけをし、一同を見渡す寒河江教官。

 しかし生徒達の反応は当たり前に鈍い。

 科学者じゃない俺達に分かるわけがない。


「残念ながら、その理由はまだはっきりとしていません。しかし、この事はみなさんのその身体の内でも少なからず起こっていると考えられています。幾つか、特異体として発症したその瞬間から肉体が育成を止めてしまったという顕著な事例も報告されています。幸運な事に、このクラスにはその生き標本とでも言うべき症例の子がいますね」


 その言葉と共に寒河江教官は俺の隣に座る時野谷へと視線を投げ掛けた。

 その視線に釣られるようにして、幾人かの生徒も時野谷へと視点を合わせる。

 そんな本人はしかし、ただ恥ずかしそうに顔を伏せている。


 俺は少し、その無遠慮すぎる寒河江教官の物言いが気にさわった。

 まあとは言え、学者なんていう人間は得てしてそういうもんかと無理にでも自分を納得させたが。


「みなさんの身体は今も尚テロメアの働きによって細胞が異常に増え続けている筈です。なのに、みなさんの外形や内部組織にすら、これと言った異変は見受けられません。では、異常なまでに増殖している筈の細胞はどこに消えてしまっているのか? それが分かれば、特異体という存在のその謎を徹底的に解明する事ができるでしょう。……残念ながら今の我々にはまだ到達できない境地です」


 締めくくるようにそう言って、鉢植えを戻した。

 ようやく、長大な割に結論をはぐらかされたその講釈が終りを迎えたようだ。

 ほんと毎回何でこんな話をするのかねこの人は。

 周りの生徒達の多くも、背伸びをしたりして解放された喜びを満喫している。


「はい。それでは実際にここに植えられた特異体の細胞を注入された苗たちを観察してみてください。通常の苗と比較し、気になる点、不審な点などを書き起こし、後でレポートにまとめて提出してもらいます。必要であるなら庭園の外の植物群とも比較してもらって結構ですよ。ただし、くれぐれも敷地内から逸脱しないように」


 地べたに座っていた生徒達がそれぞれ好き勝手に動きだした。

 中にはとんでもない真面目ちゃんがいたらしく、さっきの話の要点を寒河江教官に質問する猛者まで出没していた。


 これはチャンスだった。

 問題は寒河江教官の他にもう一人いる監督官である。


 その監督官はいつの間にかそこに居た。

 白衣の寒河江教官よりも一歩さがった場所に、気付いたら立っていた。

 俺達の紺の学生服によく似てはいるが細部のデザインなどが異なるそんな制服を着ている。

 だが特徴的過ぎるのは顔の上半分――鼻筋から上の部分だけを白い薄布で覆っている事だ。

 そんなフードのような物で常に素顔を隠していた。


 どういう由縁でそんな格好をしているのか。

 まあ何か差し引きならない事情は俺達が特異体である以上付き纏うものだが、それにしたって奇抜であった。

 布を外したら目からビームでも出るのかな。


 たしか彼女は藤林という名前。

 藤林ふじばやし玲鈴れいり――文治さんと入れ替わりに入ってきたらしいかなり若い女性の監督官だ。

 限定的な条件下でのみの〈瞬間移動テレポーテーション〉が使えるとかいう話だ。――ただし、短距離の。


 彼女については奇妙な噂がある。

 存在感が薄いとは言えぬその風貌なのに、学園でその姿を見掛ける事がまるでないらしいのだ。

 監督官は学園に常時待機しているし、一部を除いて寮舎すら一緒の筈。

 けれど彼女は、こうして授業の際以外にはお目見えしない。


 あと目許をそうやって隠してはいるが眼が見えない訳じゃないらしい。

 かわりに彼女、口がきけないらしいのだ。

 いつも持ち歩いている大画面の電子帳面パッドに文字を打ち込んで、ようやく意思疎通が可能である。

 その格好含め、そんなだからか一部の生徒の間では彼女のその素顔についてあれこれと邪推されている始末だ。

 とんでもない不細工なのか、反対にとんでもない美人なのか――という感じで。


 そんな風にはやされるのは、何よりも彼女がとんでもなく機械的で冷たい印象だからだ。

 喋れない事はともかく、そもそも余程の事がない限りこちらとコミュニケーションを取ろうとすらしない。

 故に生徒達からの評判が良くない。

 普通、俺達と同じ異能者である監督官の方が受け入れられ易いのだが、この人は冷徹ドライというか事務的ビジネスライクというか――まあ、そういうタイプの監督官だった。


 彼女は今、きっちりとその職務を果たそうと遠巻きに生徒達の動きを看視している。

 ここで全体の流れに背くような急激な動きをするのは致命的なミスとなるだろう。

 取り敢えずは真面目に授業に臨んでるフリをせねば。


 御座おざなりに庭園内の植物を眺めていると、羽佐間が俺の後ろにやってきた。


「コードα‐3、繰り返すコードα‐3だ」

「そういう暗号みたいなんは予め取り決めておけや。なんの事だかさっぱりだ阿呆」

「作戦決行だってんだよ!」

「今か?」


 俺はちらりと引率の二人を見遣った。

 寒河江教官は質問に来ている生徒に補足の説明を施しているからいいとしても、やはり藤林監督官は俺達から少し離れた場所で全体を捉えるように構えている。


「無理だろ。監督官がこっちの動きをきっちり見張ってるぞ。薄布越しに」

「ふっふっふ……。まあ、見ていろって玄田。俺がここ数日、何の準備もしてこなかったとでも?」

「悪い顔してんなあ」


 羽佐間の言に従って藤林監督官を観察していた。

 すると無線連絡か何か受けたのだろう。彼女は俯き、イヤカム――携帯受令器からの音声にふける。

 にわかに慌ただしい雰囲気へと。

 続いて寒河江教官の許に走り、注意をこちらに促すため肩に手を掛けた。


「お前、何した?」

「くっふふふ。流石は先輩方、時刻通りだぜぇ」

「あ、遠影さん達の差し金か。で? あの人らは一体何をしたんだ?」

「さーてね。気になるなら、教官達に近付いて話聞いてこいよ」


 得意気な面は変わらず、勿体もったいぶるように二人の引率者を顎で示した羽佐間。

 どうにも腹立たしいが、素直にタネを晒してくれそうにない顔をしてやがる。

 仕方がなく、俺は他の生徒に紛れて何事かと緊迫めいている二人に近付いては傍耳を立てた。


「――そうですか、高等部二年の合同実習で……」


 藤林監督官は頷き、打ち込んだ文字を寒河江教官に見せた。


〈人身に関わるというほどの事故ではないが〉

〈一部の生徒が能力の抑制を誤り〉

〈未だに事態の収拾がつかない状態〉


 パッドにはそのような内容の文章が打ち込まれていた。


 その時――

 藤林監督官はこちらに顔を向けた。


 びくっと俺の心臓が跳ね上がる。

 こちらがやましい企みも持っていたからではない。

 一瞬の事だったが、光の加減でか、その薄布の向こうにある印象的な瞳が俺の網膜に焼き付いた。


 金色こんじきの瞳だった。

 だがそれだけでなく、何か異様なものはらんだ輝きをしていた。

 まるで背骨をぞわりと直に撫で上げられるような不快感。同時に頭が痺れるようにぼーっとなる。


 しかしかぶりを振って改めて見直しみても、その顔布は光を透過しそうにない。


 別に俺はそんな怪しげな行動はしていない筈だ。

 努めて平静を保ち、こちらに向いているのか判別できないその視線を辿り返すようにして見せた。

 と、何事もなかったかのように彼女は寒河江教官に向き直る。


「わかりました。そのような事態では仕方ありませんね。こちらは私一人でも授業を続けられますし、藤林監督官は早速応援に向かってください」


 軽く頷いてからきびきびとした動作で敬礼のようなものを返すと、藤林監督官はその場から少しだけさがった。

 次の瞬間、霧にまぎれるようその姿が掻き消えた。

 周りにいた生徒達も驚嘆の声を上げていた。

 あれがテレポか、思ってた以上にふわっと消えるもんだな。


 にしても、さっきの感覚はなんだったのだろうか。

 今はもう薄れてしまって自分でもよく分からない。


 残った寒河江教官は気を引き締めるよう俺達生徒に傾注するのだが、先程から中断されていた質問の応答をせがむよう一部の生徒達に再び取り囲まれる。

 俺は不覚にもまた得心してしまう。

 この状態ならば、話が長くて難解な上に自分のその講釈に熱中してしまう事で有名な寒河江教官だ。

 その不注意を利用すれば上手く事が運ぶという算段な訳か。

 別学年の生徒が事故を起こしたというのは、やはり遠影先輩達の仕業だろう。


 俺は羽佐間の元へと戻った。


「二年の実習で事故だそうだ」

「ふふん。抜かりないな」

「本当に、後で大きな問題にならないだろうな?」

「心配ねーぜ。なんせそういう事に長けた人達だからよ」

「あの違法プログラムの事もそうだが、話よりも大胆不敵だよなあの人ら」

「ま、この学園で問題児なのは、何もお前や霧島だけじゃねーって事さ」

「だから、俺は問題児じゃねえし……」


 ともかくまあ、この瞬間が最大の好機であるのは確かだ。


 俺は少し離れた位置にいる時野谷に目配せをする。

 彼はこの計画に完全には同意しかねているらしいが、それでも仕方がないという風に頷き返した。

 続いて水宮達を見遣ると、あっちは何かもう既に計画の事とか頭から抜け落ちているらしく普通にクラスメイトとはしゃいでいた。

 傍まで行って、その襟を掴んで引きってきた。

 その一連の流れに神山も察したらしく、おずおずと俺達の許へと歩み寄る。

 一応、計画の事は水宮と羽佐間を交えて俺から話してあった。

 特に彼女は「良い」とも「悪い」とも言わず、ただ曖昧に頷いていたが。



 さて、こうして状況は開始される。



 巡回の警備部隊のタイムシフトは羽佐間――というよりは遠影先輩方のお陰で割れている。

 その隙を突き、寒河江教官一人の目を盗んで森の方へと入り込むのは実に容易かった。




















 寒河江教官の眼を盗み、無事に森へ入った俺達。

 まず筆記具などの手荷物を近場に無造作にまとめて置いた。

 だが別段それらを隠す必要もない。

 むしろ森の入り口近くの見つけ易い場所に敢えてさらして置く。

 これは即ち、俺達が遠出をするつもりはなく、あくまで不慮の事故で森の中で方向感覚を失い迷った挙句に領域外へと抜けてしまったという言い訳シナリオの演出も兼ねる。


「よし! 改めて計画を説明すんぞ!」

「今更だな」


 テンションの高い羽佐間とバランスを取るよう、俺は俯瞰ふかんしてツッコミ役になる。


「まずはそれぞれタブレットのマップ機能を参照してくれ」


 各々、自身らの端末で学園の範囲マップを確認する。

 今俺達はその境界ギリギリの地点に表示されていた。

 地図を縮小すると、学園の関連施設以外に建造物がない茫漠とすら言えるここ長峰ヶ丘の地理があらわとなった。


「学園のほぼ真西に蒼沼はあるわけだが、一直線にそこに向かった場合、広大な範囲の森の中を彷徨さまよい歩く事になる。山上の学園を目印に、始めの内はある程度方角が判るだろーがよ。でも森の奥へと入ってくんだ、たとえ方位磁石とか持ってても遭難は必至だぜ」

「素人の集団が森の中、道なき道を行くなんざな」

「ま、そういうワケだ。そんでそれを回避する為に一端南に進路を取り、学園の南西側に広がっている平原地帯まで抜ける。ここなら低い草しか生えてねーし、地形も平坦で見晴らしがいい。何よりこの平野の中には蒼沼まで一直線に続いている道がある。もちろん、舗装ほそうなんかされてねー砂利道だけどな」

 

 確かに地図を航空写真に切り替えると、広い平野の最中に土色の道のようなものが描かれている。


「そっか。直線距離じゃない分歩く距離は加算されると思うけど、その方が確実な手法だよね」


「しつもーん!」

「はい、水宮」

「よう分からんのやけど、距離が短い方が楽なん違うの?」

「距離のみの話で言えばな。森の中を一直線に進む場合、確かに4,5kmで済む。けど足場の悪い地帯を木々に阻まれながら歩く事になる訳だ。勾配こうばいのある地面を上り下りしながら、進路を遮る木々をかわして4,5kmを往く。――水宮、これが楽な道だと思うか?」


 おバカマイペースな彼女の為に、俺が講釈を垂れる。


「それはかなりイヤやわ」

「無理を通せば行けなくもないが、時間と体力の問題だろう」


 俺の念押しに納得したと見える水宮。

 羽佐間がその俺の言葉を引き継ぐよう説明を再開する。


「そんなワケでよ、まず俺達はこれから南側へ一直線に抜けていく。そうするとすぐにでもセンサーに引っ掛かり、俺らのタブレットに領域内離脱を警告する一文が学園の警備部隊が送られてくる事態となる」

「第一の関門って奴だな」

「そこで、俺が苦労に苦労を重ねて入手したこのプログラムの出番ってわけだ」


 さも自慢気に、羽佐間は小指の先っぽ程のメモリデバイスを高々と掲げた。


「それってな、前にしてた説明通りの効果がほんまにあるん?」

「というか、そんな怪しげなプログラムをボク達のタブレットに入れて、何の問題もないって事あるのかな……?」


 首をかしげつつ、もっともな意見を二人ともが述べていた。


「俺もそこだと思う。本当に追跡を消してくれる効果があるのか、あるいは本当にその後のタブレットに不具合が生じないのか、それらは実行してみない事には判別できんってのはなあ」


 この不確定のオンパレードのような賭けに次ぐ賭け。――どうしたもんか。


「まあまあ。その判断は学園と外との境界域に近付いてからでいいじゃねーか。そこでプログラムが機能せず、警告が来るようなら引き返せばいい。そこまでならセーフなワケだしよ」

「確かにそこまでならな。いて言や、寒河江教官に課外授業の場所から離れ過ぎだとおしかりを受ける程度で済む」

「――と言うワケだ。今の内に、早速GPSを停止させとこうぜ。皆の端末内でこれをシェアしてくれ」


 そう気安く言って、羽佐間がデバイスを俺の掌に乗せて寄越す。


「いや、何で俺が一番手なんだよ。どう考えても発起人ほっきにんのお前が先だろうが」

「やー、なんつーか、俺のタブレットって色々なアプリ取り揃えててさー。ぶっちゃけ、何かあると事なんだわ。とゆーワケで、ズボラで流行はやりとか全く興味のないお前のなら、一番被害が少なくて済むんじゃねーかと」

「てめえな……。俺のだって、そりゃあ積極的に使いこなしてるとは言えんが、それでも壊れたら事なのは同じだボケ」

「まあ、そう言わずによ。どうせお前この高機能な端末を10分の1も活用してないだろ?」

「あー、わかる。りょーちんってなんかそんな感じする」

「確かに。実際、亮一くんって面倒臭がって通話に出なかったり、メッセージの返信どころか既読さえも付かない事多いよね」

「え? いや、ちょっと待てよお前ら。なんだこの流れ? 俺なら仕方がないかみたいな空気になってんぞ?」

「実際なー、玄田だもんなー」

「亮一くんだからね」


 なんだこの状況?

 ソーシャルネットワークを軽んじてきたからって、こんな白羽の矢が立つもんなのかよ。

 人間同士は裸でぶつかり合ってなんぼだろ?

 俺はそういう風でいたいんだ。――人と人との繋がりってのはそういう風でありたいんだ。

 だと言うのに、友人達からのこのいわれのない諦観の眼差しである。

 くそう! ネットが人の心をむしばんでいくんだ!


 ――などという論旨ろんしを持ちかけても、もはや乾き切った現代人の心には手遅れっぽいので、仕様がなく俺は毒見役を甘んじる。


 デバイスを差し込んで画面の指示に従って操作すれば、何かのプログラムがインストールされ始める。

 数分も待つ事なく完了したそれを起動すれば、何やらやたらとレトロチックなゲーム画面のようなものが表示されるのだ。


「なんだこりゃ? パズルゲーム?」

「おお。聞いてた話の通りっぽいな」


 羽佐間が横から覗き込んで、景気の良い声を上げた。


「一応の偽装工作さ。いいか? 俺達5人はこの出所不明なデバイスからこのゲームをインストールし、それをシェアして遊んでいた。だが不幸な事に、このゲームには悪性のコンピュータウィルスが潜伏していて、俺達が気づかぬ間にタブレットのシステムをいじくられ、学園との接続を含むあらゆる通信手段が妨害されてしまっていた。ミソなのが、このパズルゲームは近距離の人間となら対戦や協力プレイが可能だって点だ。まさかネット接続を含むあらゆるリンクが切断されてるとは思いもよらず……」

「――という釈明ができるわけか」

「ほんまに何ともない? 後でちゃんと直るん?」


 水宮も俺のタブレットの画面を覗きこみながら不安気に眉根を寄せている。

 まあ普通、ウィルスと知ってそれを自身の端末に導入したくはないよな。


「その点については保証済みらしい。実際、ウィルスの駆除自体は簡単にできる所為で、こういう使い道しかないらしいぜ」


 ネットブラウザを起動してみると[Link Error]という一文が画面に表示される。タブレットの広域通信機能が停止しているようだ。


 その後少し待って、その他の重大な問題が特に起こらないと判り、おっかなびっくりという体で水宮達もプログラムを導入し始めた。

 もう一度試してみたが、確かにあらゆる外部接続が阻害されている。

 この偽装ゲームアプリによる近距離通信のみが生きている。


 最後の羽佐間もそれを済ますと、再び一同に向き直った。


「さて、計画の説明に戻るぞ。これでおそらく俺らの位置追跡と警告は無視できるとしても、蒼沼付近に辿り着く頃には捜索隊が出ているだろう。そうなると、あとは競い合いだ。俺達が蒼沼に辿りつくのが先か、派遣された捜索隊に見つかるのが先かってな」

「もっかいしつもーん!」

「はい、再び水宮」

「行きは分かったけど、帰りはどーするん?」

「お前さー……作戦の根幹からして理解してねーだろ……」

「はえ?」


 鼻水垂らさせてキャンディーでも持たせられるレベルのアホの子フェイスな水宮。


「いいか、俺達の最終目的は捜索隊に見つかる事なんだぞ? あくまで俺達は森の中で遭難して彷徨さまよった挙句、不幸にも蒼沼付近まで行き着いてしまったって筋書きなんだよ」

「つまり、どういう事やの?」

「――だから! 帰りは捜索隊に連行されて学園まで連れ戻されるから! 帰りの心配はしなくていいんだよ! アンダスタン!?」

「おー、それやったら楽ちんや」

「……事情を訊かれても、水宮は絶対に何も喋んじゃねーぞ」

「俺は実際、その部分が苦しいとは思うけどな」

「イケルっつーんだよ! ともかく、捜索隊に発見される前に蒼沼に辿り付いて、件の試験会場をこの目に焼き付けるワケよ!」

「で、羽佐間、その演習とやらにはパターンがあるって話なんだよな」

「おう。卒業生も含め、これまで実施されてきた演習の内容を先輩方が脈々と記してきてくれたお陰で、およその類似点を見つけるだけで試験の全容が明らかになるんだとさ」


 そのパターンを識別するために、俺達が直接出向くという訳だ。


「事がそう上手く運ぶかどうか」

「なんかボク、ドキドキしてきたよ」

「なんや、ピクニックみたい。お菓子とかいっぱい持ってきたんは正解やわ」

「ええーい! 気を引き締めんかうつけ共! 重要なのはこっからだ!」


 ここに来ておろおろとし出す時野谷、きゃいきゃいとやたら楽しそうな水宮、神山はと言えば手持ち無沙汰に両指を下向けに組んでぼーっと佇んでいた。


「ここまではまだ学園の敷地内だ。しかし先に進めばもうエリア外。通常ならば即刻警告が来て、警備部隊を差し向けられて俺達は回収されるハメになる。だが今この瞬間、西側のセンサー網には穴が空いている」

「いぇい! うちのおかげ!」


 得意げにピースサインをしている水宮。――いや、お前がセンサーを止めたわけではない。


「その上、このプログラムが機能してくれている限り、俺達の足取りを掴む手立てが相手側にはない。だがしかし、警備隊とて何も手を打たずにいたわけじゃあない。情報によれば、監視網が機能してない地区には空挺パトロール隊が直接見回りに当たっているという話だ」

「ヘリか、そりゃ厄介だ」


 まあ、それぐらいの対処法を打ってくるのは当たり前か。


「と、そこで重要になってくるのが、玄田の土くれを形成する――『地味すぎて死ぬの?』と言いたくなる程度の能力と」

「おうこら、やんのか」

「新たに加わって貰った神山の、苔を自在に生やす能力」

「あ……ハイ、よろしく……」

「そして無論、忘れちゃいけないのが俺様のこのグレートな能力だ。集中して眼をらせば、数km先の表札だって読んじまう超優秀なハイメディカルオーバースペックエクステンションパワーだ」

「言ってて恥ずかしいだろ、お前」

「えっと、具体的にはどういう事かな?」


 時野谷が気を遣って話の先を促す。


「つまり平野の道に差し掛かっちまえば、後は背の低い草ぐらいしか生えてねーから見晴らしは抜群。だから隠れる事が可能な場所なんておそらくは無し。そんな裸の状態で移動してたら、間違いなくすぐにも空から発見されちまう」

「まあ、普通はな」

「そこで平原を移動している間は常に俺がこの『眼』で空を360度警戒しておく。相手がこちらを肉眼で補足する前に、俺が先にヘリの機影が捕らえちまうってワケだな。向こうさんが常に望遠レンズでも覗いてない限りは、視覚における感知距離の差は歴然よ」

「お前のその物笑いの種にしかならない能力が唯一役に立つ場面か」

「うっせーよ!」


「けどな羽佐間、お前だって常に360度も目を向けてられんだろうに。お前の眼球がカメレオンばりに外角に広がってぐるんぐるん動くとかならともかく」

「うわっ、それ想像してみたらむっちゃキモイな」

「いや割と冗談じゃなく、全方位をカバーしながら人間が行動できるかよ。度を越して視力が良いのと、感知能力とは別物べつもんだぜ羽佐間」


 そう慎重論を唱える俺に、しかし羽佐間はいつものあの得意げな顔を見せている。

 左目を閉じて「ふふん」という感じのあの面だ。


「なんだお前?」

「やー、どうすっかなー。今、言っちゃうかなー」


 何故だか羽佐間は、その問いを待ってたという風な嬉しそうな顔だ。

 チラチラと俺達に目線を配りながら構えている。


「何なん? どしたん、はざーちゃん?」

「言っちまうかー? 言っちまうかなぁー!」


 尻上がりな声で何かを勿体ぶってる様子。――正直、すごくうざい。


「なにか策があんのか? ここに来て、何を出し惜しんでやがる」

「――だよなぁ! もうこの場面だから、秘密になんかしておけねーよなっ!」


 途端、有頂天になった羽佐間が顔をほころばせた。


「あぁ……?」

「いや――ホント、マジに言いたくねーんだけどよ! マジで秘密にしておきたかったんだけどよぉー! しょーがねーよなぁ!」

「羽佐間くん……どうしちゃったの?」

「かぁーっ! マジお前ら、この事は言い触らすなよ? 秘密にしとけよー?」


 嬉しくて堪らないという面で、ポーズだけ困った風を装っている。


「お前らさー、ぶっちゃけ俺の能力が遠くの物を見るだけと思ってんだろーが……――実は違うんだなこれが!」


 俺達は顔を見合わせた。


「――そうなの?」

「――違うん?」 


「正確にはよー、遠くの物が見えるだけじゃなくて多くの物が見えんだぜ」

「何をスピリチュアルな事言い出してんだ」

「ちげーよ、そういう話じゃなくてさ。玄田――『可視光域』ってわかるか?」

「確か……識別できる色の範囲とかいう、そんな話だろ。見る事のできる光線の違いで、色覚も異なるとかいう」

「そんな感じのやつ」

「はざーちゃんら何の話してんの?」

「俺も詳しくは知らねーんだけどよ。一部の虫とか鳥とか蛇とかには、紫外線とか赤外線とかいう人間には見えない光の波長が見えるんだってな。で、まあ、全く同じってワケじゃねーんだけど、俺にも似たような『眼』つーか『器官』があるらしくてな」


「……そりゃ、本当ならすごい話だ」

「遠くの物を見る能力ってのもオマケみたいなもんさ。なんつーか、磁場つーの? そういう感じのモンが視えるようになっちまってよ。そういう大気が歪んでるって言ったらいいのか、何かが在る所にはきざしもあるワケで。――それを見て取れちまうのさ」

「視力が10.0くらいあるだけじゃないってのか?」

「そういうこった。で、話を戻すと、その能力のおかげで特に眼をらして探してなくとも空間そのものに異常が表れるワケよ。しかも、ヘリとかの航空機の類はより一層フォーカスされちまう具合に」

「二人が何の話してんのか、うちにはさっぱりやねんけど?」


 しびれを切らしたように、水宮がずいっと俺と羽佐間の間に割って入る。


「つまり、羽佐間の眼球は高出力のレーダーみたいな役割もこなせるらしい」

「んんー?」


 出来る限り簡潔に説明してみたつもりだが、水宮は唇を歪ませて小首を傾げていた。


「僕もはっきりとは理解できてないんだけど、羽佐間くん、そんな特殊な視界だと実生活が大変じゃないの? 全然、そんな素振りなかったけど」

「別に常にそういう視界ってワケじゃねーんだ。切り替えが可能つーか、制御は出来んだ」

「便利なんだね」

「ただまあ今でこそ何の害もないが、発症当時は苦労したぜー。目を開けてる限り、ぐわんぐわんと世界が歪んで見えててよ。制御がつくようになるまで、げぇげぇ吐きまくったぜ。今でもたまに視界が利かなくなる事はあってさ。そういう時はこうやって、片目だけ閉じてると具合よく収まんだよ」


 そう言って、いつものように羽佐間は左目だけを閉じて見せた。


 普通に驚きだった。

 その眼の能力の事は元より、あの羽佐間の気障きざったらしい片目をつむる癖も、この異能の発現の弊害だったとは。

 普段、羽佐間はそんな素振りをつゆとも見せはしない。

 だが何がしか――俺達はやはり、これらの病気にわずらわされてるもんだ。


「いっやー、マジに秘密にしときたかったんだがなぁー。だってほら、俺のこの超絶最高絶対無敵の特殊能力って、自慢にしかなんねーワケじゃん? マジで参っちまうぜー。自慢するつもりなんかこれっぽちもなかったんだけどよー。――マジにスマンかった、玄田」

「何がだ?」

「いや、正直俺の事、自分と同じぱっとしない能力だと思ってたろー? その期待を裏切っちまってわりーな! 実はお前なんかよりも遥かに優秀な能力でほんとスマン!」


 激烈に上から目線の羽佐間が戯言ざれごとをほざきおる。

 俺の〈掩蔽された土塊の支配者ドレスアップ・クレイゴーレム〉が最強だって、それ一番言われてるから。


「マジ可哀相になってきたわー。お前を裏切っちまって、マジ心が痛むわー」


 調子きやがって羽佐間めが。

 さっきはちょっとだけ見直しかけたが、今はもうその得意げな顔面に拳を埋め込みたくて仕方がない。


「いいから計画の説明を再開しろやハゲこら」


 脱線していた話を強引に戻させる。――決して奴の言う事が図星だったとかじゃない。


「へいへい。で――ともかくだな、問題なのはヘリに気づけても隠れる場所がないって事なんだよ。そこで玄田、お前の能力って確かある程度は形状を自在に変えられたよな?」

「おうとも。形どころか硬度も粘度も変幻自在よ。故に最強よ」

「ああー! わかったわかった! りょーちんの能力でカマクラみたいなん作って、そこに隠れる言うんやろ?」

「お、冴えてるな水宮。――その通りだぜ!」

「やった! うち賢い!」

「しかしそれだけじゃー、まだ半分の正解だな。実はこの件はこれでも十分じゃないかと俺も思ってた。でもな、緑一面の草原にぽっかり土色のそんなもんができたら――やっぱり不審に思うんじゃないかって気がして」

「違和感はあるかもだな。それで神山か」

「そう、神山の能力でお前の作った土のドームにデコレーションして貰うって寸法だ。どうだこれ?」

迷彩効果カモフラージュって訳か」

「しかもドームを覆う苔の成分によって電磁輻射ふくしゃ率を抑制し、ステルス能力は一気に飛躍する!」

「苔ってそんな効果もあるの? すごいんだね、神山さん」

「エエッ?! あ、アノ……ソソ、それは……」

「さらりと嘘をぬかすな。なんだよ電磁輻射率ってのは」


 純粋な時野谷がその出鱈目でたらめに感心し、神山の方は全く以って取り乱した声を上げる手前、俺は向かいの得意面に非難の色を浴びせた。


「玄田……こーゆーのはさ、気持ちの問題だぜ?」


 無駄に爽やかに笑んだ羽佐間が諭すように俺の肩に肘を置く。


 いつか本当に、この顔に拳を叩き込む機会を得ようと思うのだった。


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