〈16〉



 そこはおそらく、施設の職員用の休憩きゅうけい室――

 椅子とテーブルが固まって配置され、筆記具やメモ用紙、はさみなどが置かれている。

 壁沿いには自販機の類が列をなし、簡易な洗面所もある。

 湯を沸かすためのキッチンには簡易棚が備え付けらえており、調味料やらの容器が見受けられた。


 霧島が天井にもうけられたそのダクトの窓枠を一心に蹴破けやぶり、軽やかな身のこなしで部屋の中央へと降り立った。


「降りられる?」


 彼女はちらりと部屋の間取りを確認した後、上を仰いで俺の方へと顔を向ける。


「受け止めて……くれんのか……?」

「冗談」

「はっ、だろうな……」

「待ってて。足場を作るから」

「悪い……」


 霧島が端にあったテーブルと椅子を動かしてきて、ダクトのすぐ下に俺が降りれるよう足場を組む。

 彼女もまだ体力が完全に回復したわけでもないだろうが、それでもさっとした動作だ。


 どうやら俺の方がダメージは深刻らしい。

 情けない事にその程度の高さを降りるにも一苦労で、ほぼ落ちるようにしてその足場に取りつく。

 無事に床まで辿たどりついたと思えた瞬間、安堵から膝が抜け、その場でうずくまってしまう。


「かなりひどいわね、その傷」

「そんなに、か……」


 呼吸が激しくなるのを抑えられない。

 自分では背中の状態を確認できないが、それでも余程の怪我を負っていると自覚できた。

 背中から尻にかけて濡れているのが分かる。

 ズボンに染み渡って、そこからさらに床面へと垂れている。――歩くたび真っ赤な跡を残して。

 卒倒しないでいられるのが、我ながら驚きだ。


「傷の具合、診てあげる。こっちの机の上に伏せて」

「医学の心得でも……?」

「応急手当ぐらいは」

「……わかった。……任せる」


 膝に力が入らず、ほぼうようにして長方形の机の上に乗った。

 霧島は洗面場からペーパータオルの束を抱えて持ってくると、俺がうつ伏せた机の側に立った。


「上着とシャツ、脱がすから」


 そう言って俺からブレザーの上着を取り去った。

 その上着からは土塊の欠片かけらがぼとぼとこぼれ落ちている。重みも相当に増していて、どさりと床に置かれた。


「とっさに能力を使用したのね。そういう抜け目なさは、流石ってところ」


 次にシャツをもがそうとする。

 ぬちゃりとした粘着質な音が響くのを自身の耳が捉えた。


 霧島はそこで言いよどんだよう口をつぐむ。

 彼女が手に持つそのシャツは血で汚れ、繊維がズタズタになっていた。


「それでも、こうまで肉をえぐるだなんて」

「どんな、具合だ……?」

「背中から腰にかけて、真横に4条の切創せっそう。どれもそれなりに深い。けれど幸い、骨や臓器までには届いてなさそう」

「鍛えてるからな……」


 偉大なる筋肉信仰のおかげだ。やったぜ。


「軽口を叩く余裕はあるみたいね? けど能力で防御してなかったら、あなた今頃は上半身と下半身に分かれてたかも」

「命が……あるだけでもってか……」

ずは血を止めるわ」


 姿勢を変える度に背中に激痛が走る。

 しかし反射的に硬化させてまとった土塊と、必死に鍛え上げてきた自慢の背筋が我が身を決定的な深手から遠ざけてくれた。

 あとは出血さえ何とかできれば、持ち直せると思いたい。


 霧島はペーパータオルの束で俺の傷口を圧迫する。

 実際、さっきから血を流し過ぎている――致死量とまではいかなくても、意識がなくなってもおかしくはない。


 そんな折、真上のダクトの奥からまたあの恐ろしげな咆哮ほうこうが鳴り響いた。

 どうやらあの化け熊はまだあそこに留まっているらしい。


 あの時、俺に向かって渾身の一撃を浴びせた奴だが、あそこの鉄板はその重量についぞ耐え切れず、階段そのものがひしげて崩壊した。

 それに巻き込まれて奴も落ちていったらしいが、無論その程度でたおせる相手ではない。

 今まだ、そうして俺達を探している。


「化けもんが……」


 解っていた事だが、何十人という武装した兵士が相手でも歯が立たなかったモンスターだ。

 今こうして生きていられるだけでも信じがたいのかもな。

 それでも奴を仕留めない限り、俺達にも明日あすはない。


「駄目ね、血が止まらない」


 そう言いながら、俺の血をふんだんに吸って用を成さなくなった紙束を放り捨てた霧島。


「それに薬がないから、傷口を化膿かのうさせないよう消毒もできない」

「シャレに……ならんな……」


 妙な空白と悲愴めいた雰囲気を察知した俺は思わず霧島の顔を見上げた。


「どうした……?」

「試してみたい事があるの。いい?」

「いや……『いい?』ってお前……」

「止血と消毒、同時に出来る方法を思いついたのよ」


 ――なんかヤバイ。

 霧島の顔つきが、いつものあの獲物を前にした捕食者のそれに限りなく近づいている。

 唇だけがを描いて吊りあがり、蠱惑こわく的な笑みを浮かべている。

 まな板のこいっていうか、これもう手遅れなあれだ。


 制止の声も発する間もなく、霧島は俺の口に新しいペーパータオルを束ごと突っ込む。

 うめき声しかあげられなくなった俺の耳元で、冷淡さの中に妙に熱っぽさがこもってるそんな声音でこの魔性はささやく。


「鍛えてるんでしょう?」


 肯定も否定もない俺の首筋に、霧島は肘を乗せるようにしてし掛かった。


 その瞬間だ――

 背中に膨大ぼうだいな熱量が発生した。


 声にならない叫びを上げてる俺の身体を身体で押さえ、霧島は荒療治は続ける。

 熱いとか痛いとかそういう感覚を通り越し、潜在的な恐怖だけが頭の中を跳ね回った。

 退いていた脂汗がまた全身から噴き出し、自分の意識のどっかで走馬灯のような感慨すらチラつく。


 そして、肉の焦げるような臭いが辺りに漂う頃になって、ようやく霧島は俺から身を放した。


「終わった」


 耐えがたい苦痛の余韻に全身を戦慄わななかせ、俺は口ん中に突っ込まれていた紙束を引っこ抜く。


「おま……おま……――おま……え……」

「とりあえず、血は止まったみたいだから成功」

「ぐっ……! ぬぐぐ……!」


 言葉が上手く出てこない。

 もうこれドSってレベルじゃねえよ……鬼畜って度合いじゃねえよお……。

 傷口を炎で滅菌消毒し、いで患部を焼く事によって出血も止める。

 どこのランボーが行う治療スタイルだボケが! 実際にそんな事を――しかも他人にやってのけるとかガチの狂人か!


 そんな文句すら舌に乗らず、ただ項垂うなだれるしかなかった。




















 しばらくはほんとに身体に力が入らず、本気で伏せる。


 すると、軟質なゴムを刃物で裂くような奇妙な音が聞こえた。

 力無く音の方を振り向くと、あろう事か霧島が自分が着ている黒のインナースーツを肩口からはさみで切り裂いている。


「……今度は何なんだ……?」

「この特殊スーツ、人口皮膚の概念を取り入れてるの。丈夫なだけが特徴でなくて、通気性に優れていて抗菌性も一級のもの」

「――って、おい⁉」


 躊躇ちゅうちょも何もなく裂いた箇所を広げるようにスーツを破り、その素肌の肩をあらわにした霧島。

 あまりに自然に素っ裸になろうとする手前、さすがの俺とて平常心を保つ事ができずに声が上擦る。


「な、何を考えてんだ……!」

「だから言ってるでしょう。このスーツの特別な生地は、傷ついた患部の保護に最適なの。特に包帯代わりにするには」

「いや、そりゃ解ったが……そんな何の恥じらいもなく……。てか、なんで下着も何もつけてないんだよお前」


 無造作とも思える仕草でスーツを完全に脱ぎ切った霧島はこちらに背を向けているとは言え、本当に何一つとして身につけてない状態。


 悔しいがその美しい肌、そして肢体したいが目に焼きつく。

 洗練された美しさと呼ぶべきか。

 その長い足も形の良い尻も、肩から腰にかけてのいかにもな女性特有のラインも、横合いから少しだけ見える張りのある乳房も――ホントこりゃもうしばらくはオカズに困りませんぜ。


「人口皮膚の役割を担うスーツだから、素肌の上から着るのは当たり前よ」


 霧島は今、一糸いっしまとわぬ姿で脱ぎ捨てた自らのスーツをさらしのように鋏で切り揃えている。


「それはそれとして、まずは何か着ろよ……!」

「それだけの傷を負ってるのに随分ずいぶん元気ね」


 何一つ隠そうともせず、霧島がこちらを振り返った。


 「ひゃっほー‼」と叫んで踊りだしたい内心なのを懸命にこらえて、俺は顔を背けた。

 ちらりとだけど見えてしまった。一番見ちゃいけない部分を。

 いやほんと怒るべきなのか感謝すべきなのか、これもうわかんねぇな。


「おま――お前な……」


 素足で近づいてくる霧島の気配。

 俺が寝そべる机にコトリと何かを置いたのを耳にする。出来るだけ霧島本人は視界に入れず、それを確認した。

 あめ色の液体が入ったびん。ラベルには「純正はちみつ」と書かれていた。


「ハチミツ……たしか火傷や傷の保護に有用だったか」

「何もしないよりマシでしょう?」


 後を振り向けない俺はなされるがまま。

 どろりとした感触を背中に受けても、声すら上げずにいた。


「包帯巻くから身体起こして」


 紳士な俺はかたくなに顔を背けながら、その言に従いもそもそと身を起こす。もう抵抗の意思など飛んでった訳で。


 半裸の状態の俺のすぐ後ろに全裸の霧島。

 これは何てプレイだ? ――そりゃ体の色んなトコが元気にもなるわ。

 そんなこちら葛藤かっとうなど歯牙しがにもかけず、霧島は俺の切創に火傷まで加わった状態の傷口にこしらえたスーツの切れ端を胴に沿って当てていく。


「両手、上にして」


 ほとんど密着した距離で、そう言って人の体に両脇から手を伸ばしてくる。

 いやこれマジでそんな事をされると肌と肌が触れ合っちゃってるんです勘弁してくださいどないせぇちゅうねんありがとうございます‼

 自分でも訳が分からぬ心境の内に、それでも霧島は平然と特殊な生地の包帯を患部に巻き終える。


 なにこれ? 嫌がらせか? 万が一にも誘ってるわけじゃあるまい。――じゃあやっぱり嫌がらせなのか?


 霧島は俺の上着の土を払い落とし、まるで取り替えるようにそれを羽織はおる。

 ようやくと何かを着てくれたが、いや、下を隠せ下を。

 それじゃあ一番見えてはイケナイ箇所が、最も修正が必要な部分が、姿勢によって映ってしまうだろうが。


「ど……どういう神経してんだお前……?」

「何が」

「だから、どういう神経してんだって。人に平然と裸見せておいて、よく何食わぬ顔してられるな」

「そこらを這いずる虫に裸を見られたからって、目くじらを立てる人間なんていないでしょう。それだけの事」

「……ああ、そうかい」


 やっぱ狂人だ。

 正真正銘、霧島の思考は他とは決定的にズレてる。


 さっきまで湧き起こる情動との戦いで艱難辛苦かんなんしんくだった俺だが、今はもう溜め息しか出てこないのである。

















 先程から、あの化け熊の雄叫びは聞こえない。

 さすがに移動したと見える。


 姿勢を変えようとりきむ度に背中の傷が痛むが、それでも今の状態ならある程度は動ける。

 さっき自販機から購入したブドウ糖飲料で多少なり失った血を補充できたと思いたい。――実際にはそんな訳はないが。


 俺は部屋の入り口を調べるためドアまで向かった。

 内開きのドアの先には鋼鉄製のシャッターが降りている。これでは出られそうにない。


「休んでなさい」


 椅子の上でその悩ましげな足を組んでいる霧島が、俺を一瞥いちべつして言う。

 その姿勢の破壊力たるや凄まじかった。

 なんせその奥はナッシングパンティである。――頭の内でファンファーレが鳴り響くレベル。


「やけに静かなせいか、落ち着かなくてな」

「確かに静かね。あいつ、私達を探してるのかしら……」

「だろうよ。ここは一階層分差があるから、容易には見つけられないとは思うが。それでも楽観はできねえか」


 俺の言葉に、霧島はまた黙り込む。

 元の場所に戻り、向かい合って座るとあれなので俺は横向きに椅子に腰を下ろした。


「心配すんなって。また何か手を考えるさ」

「余裕ぶってるけれど、自分の状態わかってる?」

「一応は。そういうお前はどうなんだ? 体力的に、あとどれくらいの炎が使えそうだ?」

「全力で照射して10秒持つどうか。間隔を空けて使えば、そこそこは」

「あの冷却装置もない分、火力は半減どころじゃねえな」

「奴も手負いなはずよ。刺し違えてでも」

「そういう考えでいると、ここぞって時に命を無駄に捨てちまうぞ」

「……」


 不機嫌そうに俺から顔をらした。

 本当に今日の霧島は何か思い詰めているというか、気負い過ぎの感がある。

 危険な兆候だと思える。――能力の限界も見極めず闇雲に突撃していったのでは、勝てるものも勝てなくなる。


「PD種か……。こんなにも恐ろしい相手だったなんてな」

「……あれは特別よ」


 こちらには視線をくれようとせず、霧島はただつぶやくように言葉を返す。


「特別? まあ確かに、あれほどの個体はそうそう出てこないか」

「本当に何も知らされてないのね」

「さっきからどういう意味だよ」

「逆に訊きたいわ。あなた、この施設の存在をどう捉えてるの? こんな徹底した秘密主義の地下研究所、一体どんな理由があって公にできないのか」

「それは、俺も考えてはみたさ。けど確証めいたものなんて今の状態じゃ掴めっこない。ただ感じてるのは漠然とした底の知れなさというか――」

「そのイメージは間違ってない」


 どこか自嘲じちょう的な響きを含んで、霧島が息を漏らす。

 俺はその横顔を見定める。 


「知ってるのか、お前なら?」

「教えてあげてもいい。でもそれを聞いてしまうと、もう後戻りはできなくなる。――色々な意味で」

「今だって後戻りできるような状態じゃねえさ」

「確かにそうね」


 ふと霧島が、素の笑みをらした。

 驚きだ――いつもあの大人びた魔性のような笑みのイメージしかなかったから、そういう歳相応の表情がやたらと新鮮に見えた。


「……なに?」

「いや、何でも無い。続けてくれ」


 ほうけた様にのぞき込んでしまったのを誤魔化し、話の先を促す。


「この施設がPD型症候群のみを専門とした特別な研究機関であるのは、既に察しがついてるでしょう。実際、世界でもここ以上に最先鋭の研究所は数える程もない」

「その話だけじゃ、まだここを極秘裏にする意味はないな」

「まだ、ね。……私達を含め、PD型というこの病気、その全容はまるで解っていない。その内でも特に大きな疑問が二つ。――何故このような超常の力を扱えるのか。そして、何故唐突にそれらの力に目覚めたか。主にこの二種類が難問なの。この施設は特に後者、なぜ生まれた時は何の異常も見受けられないような健常な個体が、成長途中で突然変異のようにこの病気を発症し得るか。その点にいての研究が主なの」

「つまりなぜ能力を使用できるかでなく、なぜ俺達だけが能力を使用できるようになったかについての研究って事か」

「ええ。私達と他の人間には、この病気が発症するまで差異なんてなかった。けれども私達はこの能力に目覚めた。その違いが一体何であるのか、それを追究するためのこの施設は創られた。その目的の為、ここではある種の……ある種の禁忌タブーが研究に用いられている」

「禁忌……?」

「PD型を発症した個体の細胞を培養して、それを別の個体に投与し、PD型として同じ能力を発現するかどうかの実験。本来ならば正常な個体にPD型の細胞を定着させても、それが引き金となる事は有り得ない。けれどもその不可能を……ある一人の人物のその天才的な頭脳と、そして何万回と繰り返したその天文的な確率で以て成功させてしまったのよ。――ここの研究機関が初めて」

「……つまり、人工的に異能者を創り上げたと?」

「正確には人間での実験はまだ成功してない」

「成功してない……って、人間で実験してるって部分は否定しないのかよ。いや、おかしいだろそれ」

「世界ってそんなものでしょう」


 話のその内容に、思わずしかめ面になってくる。


「頭が痛くなってきた……」

「そう? でも驚く事はまだ沢山とある。例えば、今私達を危機に追い詰めている張本人――あの化け熊の事とかね」

「……話の流れからして、あの化け物はここの試験管から生まれたってか」

「ご明察」

「馬鹿げてやがる……!」


 思わず口汚く吐き捨てもする。

 あまりにも常軌じょうきいっした内容じゃねえのかそれは。


「さらに言うと、あの化け熊、逃げ出したのは何も今回が初めてじゃないの」

「――は?」

「ここ一週間の間に三度、監禁した檻を破って脱走してる。そしてその内二度はこの地下施設から抜け出して外の世界へと飛び出した」


 もう言葉が紡げなかった。

 俺達にあてがわれたもの、それは狂気の沙汰さたの完全な尻拭いだ。


「幸いこの地域には学園以外に人の住んでる場所はない。その学園の上層部も、この地下の特別な研究所の事は把握しているから、ある程度ならあの化け熊の痕跡を揉み消す事ができる」


 PD種を自然発生でなく造り上げ、しかもそれを野に放つとかよ。

 開いた口が塞がらないって言葉を超越してるぜ。


「そういや先週の土曜日、歓楽街の方でPD種出現の警戒警報があった。システムの誤作動って事でその場は収まったが、まさかあれ、逃げ出したその化け熊の事だったんじゃ……」

「可能性は高いでしょうね」

「誤報つっても、なんか不自然だったからよく憶えてんだ。それにその話の流れじゃ、ここ一週間ほど学園の西側のセンサーを含めた監視網が機能していない事も何か裏がありそうだ」

「西側――蒼沼付近の事ね。確かに学園上部の連中が、機密のため処理を全てこの施設に預けて、町の警備部隊には誤報として押し通したとも考えられる。センサーの事も、前もって細工をしていてもおかしくはない。それだけの徹底した守秘体勢をとっているもの」


 何てこったよ、おい。

 俺達が掴んだあの情報がこんな大きな事態の端くれだったとは。

 水宮のアホ、そして羽佐間のハゲ――お前ら絶対許さない。


「一度目の脱走はこの地下施設内に留まったものの、二度目の脱走で奴はついに外へと逃げ出した。あのPD種、生まれて初めて外の世界へと抜け出せたけれど、大事に至る前にこの施設の部隊だけで捕獲され連れ戻された。けどそれがあやまちだった。早急にその場で殺しておくべきだったのよ」

「再び逃げ出したわけか。学習しねえな」

「一応は擁護ようごすると、あの熊――元は1mにも満たない体長だったの。ところがまるで秒刻みに成長するかのよう、体格に合わせて檻を用意しても、瞬く間に骨格や筋力が肥大化していって用を成さなかったらしいわ」

「どういう事だそれ。つまり、より頑丈な檻に閉じ込める度、その檻を破れるだけの体格に成長した? しかもたった1,2週間の間で? ……そりゃもう、変異したというべきだな」

「その理屈は皆目かいもくわからないけれど、その環境から脱するために肉体が有り得ないようなスピードで生育する。その上一度使用した薬物などにも耐性をつけていくらしいの。おかげでどうにも手が付けられず、今はあれほどの大きさに」

「それはPD種だからか? ……それとも他に何か……」


 あの鋼鉄の外皮、あんなものをまといながら動くには相当の筋力が必要になる。その為にまず骨格が強固に変化し、そしてあれだけの規格外の体躯に育った。

 それにしたってその流れは異常だ。

 生育というレベルではなく、まさに変異と言うべきか。


「解らない。ともかくあれは再び逃げ出した。そして今度は危うく、学園の境界域まで迫ったという話よ。学園に侵入してしまうその瀬戸際のラインで、研究所の戦力を総動員して辛くも三度目の捕獲に成功した」

「そりゃ、さぞきもを潰したろうな」


 学園の境界の先で俺達が見たあの光景。

 森の木々が何かの物凄い力で引き倒されていた箇所――あれは奴が原因か。あの規格外のパワーで暴れまわった結果か。

 町のすぐ近くでそんな事が起こっていようとは、学園上層部とやらは随分と隠匿いんとくに骨を折った事だろう。


 裏にそんな事情があったと露知らず、暢気のんきな考えで俺達はここまで至ったってわけかい。

 迂闊うかつって言葉じゃ済まないな。


 学園のヘリ部隊が飛んでなかったのも、この事態を発覚させない為に何かしらの圧力や妨害があったからか。

 俺達が幸運もしくは不気味と思っていた事態、全てがここに直結してやがる。


「けれどもその時の戦闘で、この施設に配備されていた多くの兵力が失われた。それでもまだ、あれをほうむるという手段を講じなかったのは愚かとしか言えないわね」

「成る程、それで今のこの事態か……。けど、何故そうまでして?」

「膨大な数の実験の繰り返しにより生まれた、貴重な研究対象だからでしょう。ここの最高責任者……あの赤植あかばね晃一郎こういちろうという男は、そういう種類の人間よ……」


 苦々しくとさえいえる表情で、霧島はそう吐き捨てた。


研究狂マッドサイエンティストってか」


 あの何かに取りかれたかのような不気味な風貌――理性の中に埋もれていてなお、切っ先を晒す冷たい狂気。

 今ならば納得だ。


「その執着心がこの現状を呼び、戦力を失っていた奴は、さすがに決断を下したって訳かい。そして俺は都合良く、奴のそんな尻拭いに巻き込まれたと」

「本当に、何であなたがここに居るのかしら」

「あれだな、ある意味で何かの思惑のようなものさえ感じるが――」


 俺は霧島にここまでの経緯けいいつまんで説明した。


 羽佐間の提案に乗って馬鹿馬鹿しいと自覚しながらも学園の外に出るというスリルを――そしてその事によりもたらされる事態をも、試してみたかったと端的に述べた。


「呆れた大馬鹿。そんな下らない理由で学園の規則を破るだなんて」

「まあ、そうなんだが……」


 うん、でも待って? 確かに俺達は大馬鹿だったけれども、学園で顔合わす度に突っ掛かってきて騒ぎを起こすこの人も大概ですよね?


「それでここの機密保持の為に捕らえられ、無駄な抵抗をしたあなただけは帰るに帰れなくなり、お友達を人質にされて今私の目の前にいるって事?」

「概ねそんな感じで……」

「ほんと救いようがない」

「面目次第もなく……」


 あれ、俺なんでコイツに怒られてんだ……?


「今となっては、あなたも奴を仕留めない限り解放されないのね」


 ふと会話が止まる。

 霧島は何かを待つように視線を俺へと傾けたまま、口を閉ざしている。

 妙な沈黙の意味を量りかねて俺は目線で疑問を示す。


「……訊かないの?」

「何をだ」

「自分の理由だけ話して、私がここにいる理由は尋ねないつもり?」

「さっきも言ったが、無理して訊き出す気はねえよ」


 俺のあっけらかんとした返しに、霧島はその整った眉を不快げに寄せた。


「そうやってまた……」

「ああもう、はいはい。余裕ぶってる訳じゃなくて、どうせ訊いても教えてくれないだろうから尋ねませんよ」


 いつも学園で見てきた霧島の剣呑けんのんさが再燃している。ほんと女のヒスって面倒臭い。

 こちらも負けじと、学園で霧島と相対した時のように不敵に笑んでやる。


「霧島よ――やっと気力がみなぎってきたみたいじゃねえか。そんじゃそろそろ、打って出るとしようかい」

「またその場限りの稚拙ちせつな罠でも思いついたのね」


 言ってくれるぜ、ちくしょうが。


「地形にるかな」

「……本当に、あれをたおしきれると思う……?」

「だから絶対じゃねえさ。例えばこのまま立てこもってれば、あの赤植ってのが援軍を派遣してくれるとかなら――そっちに賭ける方がは有る」

「それはない」

「全く無いって確証が?」

「ええ。そもそも三度目の捕獲時、ここの戦力は既に半壊に近い状態だった。けれどもあの男は欲を出して奴を殺さず、学園の上層部に依頼して兵力の増強を図った。この申し出には学園側も色好い返事を出さなかった。当たり前の話、学園側にだって余らせている戦力なんてない。それでも昨日、ようやくと部隊を借り受ける手筈が整ったとか漏らしてた。……その部隊が今どうなってるか、あなたもその目で見たでしょう」


 そう言われて真っ先に思い至った。

 初めて見る事となったあの凄惨な光景――車両用通路で鏖殺おうさつされていた兵士達の姿を。


「無理を押して借り受けた兵士達まで無駄にしたのか」


 そうか、俺みたいなガキの口車に乗ったのだって、そういうむに已まれぬ背景があったからか。


 そう言えば昼間、蒼沼に向かうトラック群と鉢合わせていた。

 中身はこの為の兵員だったか。

 閉鎖された地下道を使用できず、わざわざに地上を通ってまでやってきたというに、その顛末てんまつがあれか。

 さすがに同情する。


「結局は俺達で片をつける以外には選択肢はないか」


 しかし、これは考えようによってはチャンスだ。

 あの化け熊を見事仕留めれば、一方的に下位に立たされている俺の立場が変わるぐらいのデカイ貸しになる。


 わずかながら光明が見えてきた。


 気合を入れ直して、俺はよそおいを改める。

 その仕草に霧島も相変わらず不機嫌そうに、それでも決意のこもった顔で椅子から立ち上がった。


「あと、お前その恰好ほんと何とかしろ」


 目の保養――もとい毒って次元を超えてんだよ。



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