〈15〉


 真っ直ぐ続く幅の広い片側二車線の道路を遮断しゃだんするように、その分厚い鉄板は立ちふさがっていた。


 脇道のようにもうけられた配管用の通し穴からハッチをくぐって、その鋼鉄の壁の向こうへと連行される。

 俺達が足を踏み入れるや、お見送りの兵士さん方は取りつく島もなくハッチを固く閉ざした。

 死んで来いってか。


 右を振り向けばその巨大な鉄板は完全に降り切り、後方の通路をふさいでいる。

 あの白衣は20cmの厚みがあるチタン鋼だか言ってたか。随分とご大層な代物だ。


 先程、この場所の大まかな見取り図を見た。

 驚いた事にここは地下室なんて規模じゃなかった。

 ビル群が丸ごと地下に収容されているような超大型施設らしい。

 区画毎にへだてられた階層のある施設が連続し、そこをバイパスするように幅広の地下道が繋いである。

 その地下道とやら、なんと学園の方まで続いているという。

 つまり学園を中心とした地下5,6kmにわたって、このような施設が埋没してあるという事らしい。

 大規模な地下鉄の駅を想像してくれれば分かり易いか、そんな大掛かり過ぎるもの。


 ちなみに今俺達がいるこの隔絶かくぜつされた施設、どうやら学園の方へと通じる箇所のようだ。

 現在の奴等は、止むなく主要幹線道路を塞いでしまい色々と支障を来たしてる状態ってやつらしい。


 話し振りから察するに、学園の西方――蒼沼の下に広がるこれらの施設群は、さっきの白衣の男が一手にり仕切っている。


 とは言っても、どうも腑に落ちない。

 あいつら本当に学園の関係者なのか……?


 あの男も兵士達も、俺の事はまるで知らなかった。

 そりゃ無論知り合いじゃねえが、問題は俺の能力について何の対策もしてなかったってポイントだ。

 さっきも今もあの兵士達、俺の背中に銃口を近づけていた。

 おそらく、初めに見せた能力使用が皮膚ひふを覆わせた形で発動していたから、そこそこの距離を保てばは安全だろうとたかくくったのだろう。

 だが俺がその気なら、自在に形成できる土塊つちくれで瞬時にその銃口を塞げた。

 俺の力については学園なら事細かに把握してる。連れて来られてからのあのしつこいぐらいの臨床実験まがいの検査やテストやらで。

 だってのにあの等閑なおざりな対処。

 ますます奴等の本質が見えてこねえ。


 向かいの壁に大きく〔Section-B〕と描かれていた。

 俺は左手――幅広い通路の前方へと向き直る。

 両方の壁は相変わらず蛍光灯が埋め込まれているコンクリ仕立て。

 白線で区切られた車輌用の往路おうろ復路ふくろが真っ直ぐに続くが、その先は羊歯しだの葉のような通路。


「なあ、いい加減この手錠てじょう外してくれないか」


 さっきから俺の事などまるで構わず、ここに取り残されたもう一人は既に通路の先へと足を向けている。


 後ろ手に錠をされたまま、俺は取り急ぎその背中を追う。

 さっき兵士に手錠の鍵を渡されたのを見ている。――さっさと外して貰えないもんか。


「状況は理解してるつもりだ、逃げたりしないから手錠を外してくれよ」


 小走りに近づいて相手の正面まで回りこむ。

 相手はそれに構いもせぬよう、歩く速度すら緩めない。

 おかげで俺は相手の歩幅に合わせて後ろ向きに歩かなければだ。


「必要ない」

「必要ないって……」

「どこかに隠れでもしている事ね。あとは私一人で始末をつけるから」

「一人で? ……あんた軍人か? もしかしてUVF所属の?」


 相手は質問をまるで無視するように歩みを速めた。

 不慣れな後ろ歩きの俺はといえば、蹴り足を強めてそれに並走する。


「待ってくれよ。確かに俺はまだ学園の生徒だし、実際にPD種との戦闘経験もない。それでもあんたと同じ能力者だ。それなりに役には立てるさ」

「あなたの能力が役に立つ? 土塊で作った甲羅にこもるしかできないあなたが、どう私の役に立つと?」

「確かに俺の能力は攻撃的じゃないが……って、え?」


 予想外の言葉に、足がもつれて転びそうになる。

 横手の壁にもたれるようにして体勢を立て直したが、歩みは止まる。

 その俺を追い抜いて奇抜な恰好の相手は遠ざかっていく。


「あんた今、何て……? 何で俺の能力を知ってんだ……?」


 確かあの白衣は俺を能力者として紹介したが、その能力についての言及はまだされていない。

 ――何故、こいつは俺の能力を把握している?


 5mほどは俺を行き過ぎてから、相手はおもむろにその足を止めた。

 そして軽く溜め息でも吐いて振り返ったかと思えば、被っているメットの首周りに手を遣る。

 パシュっとした空気が弾けるような音が二度ほど続き、相手はその白色の斬新なデザインのメットを脱ぎ放った。


 まず目を惹いたのが長くつややかな黒髪。

 メットに押し留められていたそれが、流れ出るような美しさでさらりと大きく広がる。

 そのしとやかな髪を掻きあげて見せた眉目は、佳麗かれいと形容する以外になかった。

 切れ長な目はどこか気怠けだるげに映えていて、鼻や唇なども見事なまでの端整さだ。

 ほぼ無表情だと言えるのに、どこまでも色っぽい。


 俺はその顔を知っていた。

 ――いや、知っていたというか忘れもしない。


「お前……き、霧島ぁ⁉」


 SFチックな装甲服の中身、あろう事かそれはあの霧島凛だった。


「――なんでお前がここに居るんだよ⁉」

「それはこっちの台詞。玄田亮一、なんであなたがここに居るのかしら」

「そりゃ、色々あってだな……――いや、だから何でお前が⁉」


 思わず声が上擦る。

 全く以ってここ数時間ほど、予想だにしなかった事の連続である。


「色々? 何がどうなってこの極秘の研究施設にあなたが居る事になるの? それもこんな大規模な非常事態の時に」

「いや、だから! ……てかその口振り、この施設について随分と詳しそうだな」

「確かに詳しいわ。けど、それをあなたに話す義理があると思うの?」

「……ああ、そうかい。じゃあ俺の方も話す必要ないな」


 霧島は相変わらずの殺気充分な一瞥いちべつを俺にくれると、その長い黒髪を指で無造作にまとめてメットを被り直した。


 正直、何で気づかなかったのかと自問する。

 くぐもって聞こえていたとはいえ、今思えばあれは霧島の声だ。

 〈火炎ブレイズ〉などという如何いかにもなコードネームや、おまけにあの思わず見蕩みとれてしまうプロポーション。

 要素は幾らもあった。


 しかしながら、思わぬ事態に俺自身も知らぬ内に気が動転していたか。


 霧島は先程と同じように、俺の事などお構いなしに通路を進んでいく。

 やはり俺もその背中に追いすがった。


「おい! だからこの手錠を外せって」

「言ったでしょう、隠れてなさい。あなたが甲羅の中で縮こまっている間に、PD種の始末はつけておいてあげる」

「無茶言うな! 戦闘慣れしている軍人やUVF隊員とかならともかくな、お前だってまだ学園の一生徒だろ!」

「馬鹿にしないで。私は他の奴等とは違うわ」

「相変わらず大層な自信だな、おい! けどよ、お前が能力者として優秀なのはあくまで学園の生徒ではっていう限られた枠内での話だろうが!」


 指摘したその事実に言葉が詰まる霧島。


「これから相手にする化け物の情報をお前も知らされてんだろ? 相手はライフル弾も効かない体長4m以上ある猛獣だ。おまけに車一台と真正面からぶつかって、それを軽く弾き飛ばすんだぞ。あの金属質の外殻がいかくじゃ、対戦車用の兵器でようやく仕留められるかどうかってとこだ」


 当たり前の話だ。

 いずれ俺達はどういう形であれPD種への対応、あるいはそれらに類する問題処理のために社会へと放たれる。

 しかし今の俺達は学園で戦闘訓練などを受けているわけではない。

 直接的な駆除処理――即ち戦闘を望む者は、学園卒業後に志願し、防衛大学校等の特殊な専門コースに入る。

 能力者として奇異の目にさらされていても、俺達はまだただの民間人だ。


「それで、そんな相手にあなたがどう役に立つの?」

「頼りないってのは分かるが、けど一人で挑むってのは無謀過ぎだ。あの白衣じゃないが、俺だっておとりなり盾なりにはなるだろうがよ」

「囮? 盾になる? ……そんなに死にたい訳?」

「んな訳あるか。けどお前一人を死に行かせるのも、なんか御免ごめんだ」


 途端、ぴたっと足を止めて俺へ向き直る。


「前からそうだった……あなたのそういう正義漢ぶった言動がしゃくなのよ……――反吐へどが出るほどに」

「……そいつは、悪かったな」


 目元のバイザーだけでは霧島のその表情は窺えないが、その声色や漂う雰囲気がどうにも険を帯びている。

 嫌われてるのは知ってたが、ここまで敵意を見せられるとは。


「けど、それはそれとしてだ。お前だって死ぬ事を望んじゃないだろうに。なら俺と共闘した方がが有るってのは判るだろ」

「あなたはその身を盾にして、それで殺されると?」

「はっきりそう言われると答えにきゅうすけど……。そうならないに越した事はないが、最悪そうなる事も覚悟してる」

「何様のつもり? ヒロイックに自己犠牲する自分に酔ってるの? そうやって自分を高尚な人間だと思い込みたい? ――だから反吐が出るって言うのよ」


 そう声を震わせる霧島。

 珍しく――いや、初めてだったろう。彼女が激昂げっこうする様なんてのは。


「おい、落ち着け……」


 なにか、妙だった。

 いつもの霧島は余裕綽々しゃくしゃくとは言わないまでも、常に悠然ゆうぜんと構えていて、どんな強風をもやなぎのように受け流すタイプだ。

 だが今の彼女にはその余裕がまるでない。

 声色や仕草から、どうもある種のあせりのようなものが窺える。



 と――、そんな時だった。



 オオオオオオッッというような、コンクリの壁と壁を反響してきたすごい音を聞いた。

 びりびりとした音圧が遠くから木霊こだましてくるかのように、今いる俺達の通路まで響き渡る。

 それはまさに獣の咆哮ほうこうと呼ぶべきもの。


「やばいな、たぶん俺達に気づいたぞ」


 相手は変容したとはいえ熊だ。

 熊の嗅覚は哺乳類の中でもずば抜けている。まだ距離はありそうなものの、俺達の存在を嗅ぎ分けたとしてもおかしくない。


「おい霧島――頼むからこの手錠外してくれ。これじゃあ逃げるのに全力疾走するのだってさわりになんだよ」


 切羽詰まった発言に、霧島は鋭く舌打ちはしたものの、ようやくと手錠の鍵を俺に向けて投げて寄越した。

 後ろに手を回されている俺にそれがキャッチできるはずもなく、腹に当たって地面へと落ちたそれをしゃがんで後ろ向きに回収しなければだ。

 ――いやまあ、ご丁寧に外してくれるとは思ってなかったけどさあ。


 そんな地味な悪戦苦闘をしてる俺を尻目に、霧島が雄叫びのあった方向へと駆け出していく。


「馬鹿、だから無謀だ!」


 何とか鍵を拾えたものの、それをされている手錠の鍵穴に挿すことがこれまた至難であった。

 充分に時間を浪費してしまい、霧島の後を追うのに出遅れる。


 もう通路の先に霧島の影はない。

 中央の幅広い通路から道が区画毎に左右に枝分かれしていて、その先は十字路が連続している。

 そのいずれかの脇道に入っていったか。


 後を追うべく駆け出した俺。

 だが、意外にもその目的はあっさりと果たされた。


 交差した通路を何度目か抜けた折、脇道の先にたたずんでいる白黒の奇抜な後ろ姿を捉えた。


 佇んでいる――いいや、霧島は立ちすくんでいた。

 俺もその理由をはっきりとこの眼で拝む。


 一体どれほどの力が加えられたのか、その通路の左右、コンクリートの壁が瓦解がかいするように崩れていて、瓦礫がれきが道の端に積まれている。

 壁の中に埋まっていた内部の配線か何かがまる見えになるほどの大穴も幾つか。

 まさに爪跡と表すべき、4条ほどの傷が両壁のそこかしこにも見える。

 それらは太く、そしてかなり深い。硬いコンクリを粘土のようにえぐっている。


 そして何より、瓦礫に埋もれるようにして無残な肉塊にくかいが血をしたたらせて通路の上に散らばっている事。


「霧島」

「………」


 俺は立ち竦む霧島の横に並んだ。


 肉塊――それが元人間であったのは明白だ。

 姿形、服装、判別するための要素はまだそこに残留している。とてつもなくむごい形態になろうとも、まだ。

 どれほどの人数になるのか――残念ながら、瓦礫に埋もれて正確には数え切れない。


 辺りをつぶさに観察する。

 空の薬莢やっきょうが大量に撒かれている。平たく潰れた弾頭もいくつか見受けられた。

 この場所で交戦したが、やはりまるで歯が立たなかったという始末か。


 俺はすぐそばに転がっていた血まみれの小銃を拾いあげる。

 だがフレームがいびつなまでに変形していて、とても使い物にはならない。


 次に瓦礫の中から比較的損傷のない銃器を見つけて取り出した。

 引き金の安全装置が掛かったままだ。これの持ち主は不意討ちを喰らってしまったのだろう。


 この独特な外形デザインの小銃、にわか軍事ミリオタの俺も知っている。

 Kel-tecRFB――ブルバップ方式という弾倉をグリップや引き金よりも後方に取り付けるデザイン。さらにこいつは排莢はいきょうを銃口の上部から前方に向けて行うという変態チックな構造だ。

 バトルライフルなどに使用されるNATO規格の7.62mm×51弾を射ち出す強力な半自動突撃小銃セミオートアサルトライフル


「何してるのよ」

「いや、威嚇いかくぐらいには使えるかと思ってな」

「そんな気休め……。そもそもそれ、使った事あるの?」

「知識だけなら無駄にある。実銃を触ったのは今が始めてだけど」

「馬鹿みたい。玩具オモチャを拾って満足したなら、それを握り締めて震えながらどこかに隠れてなさい」

「そういうお前こそ、震えてるぜ」

「――震えてる……?」

「別に普通の反応だろ。気負うなよ」


 この状況におびえない方がおかしい。

 恥辱の極みのように鋭い声を上げる霧島だが、俺はその事を責めるつもりで言ったんじゃない。


 なんせ俺だって怖いんだ。

 全身の力を緩めると震えで歯が鳴りそうになる。

 銃を取ったのだって余裕からじゃない――不安から、少しでも武器になるものを携帯したかっただけ。


 生臭く、鉄臭いような臭気が漂っている。

 この光景、現実なんだなと精神の内側でぽつりと声が漏れ出た。


 弾倉マガジンを一度外し、遊底チャンバー内の弾丸も取り出して残数を確かめる。再び差し込んで、銃身バレル側面上部の槓桿チャージングハンドルを引いて給弾する。安全装置セーフティロックを外す。


 実銃はやっぱり、何かこうずっしりとしいる。

 重いというよりは怖いという感情がそうさせるのだろうか。

 威力が高い分、射撃時の反動も相当だろうし、思うようには撃てないだろう。

 まあ別段これで仕留めるなんて都合良く考えてない。

 意識をこちらに向けられれば、もしもの時には役立つ。


「さて、どうする? 相手には嗅覚って武器がある。もう近くまで来ていてもおかしくない。ここで戦うか?」


 立ち上がり、銃をたずさえて辺りを警戒する。


「いい加減にして。その余裕ぶったような態度、はっきり言って目障りよ」

「いい加減にするのはお前だろ――霧島」

「……どの口が言ったの?」

「状況をかえりみてみろ。俺達は今、こんだけの殺戮さつりくをしでかした化け物を相手どってるんだ」


 辺りに変化はない。

 しかし、いつその変化があってもおかしくない状況に立っている。


「さっきの白衣の言葉を聞いてる限り、俺らは今、都合の良い使い捨ての駒にされてんだよ。お前があいつらとどういう関係かは知らんが、それでも今の状況からその事実は変わらねえ」

「…………」

「前に言ってたな、俺たち異能者は道具なんだって。多分、その通りなんだろう。それでも、だた使い捨てられるってのはやっぱり納得いかないもんだ」


 言葉を失くした相手のその表情は判別できないが、それでも俺は霧島を真っ直ぐに捉えた。


「だから生き残ろうぜ。無様に使い捨てられてたまるかよ」


 少しの沈黙が流れる。

 俺はさとすつもりで言葉を選んでいたが、最後の部分はほぼ本音だった。


「そんな事、あなたに言われるまでもない」

「じゃあここは一つお互い協力しようや。お前の能力がとんでもなく高威力なのは知ってるさ。嫌という程にな。けど、それじゃあ不十分だ」

「偉そうに……」

「まあ、そう喰ってかかるな。考えがある――勝算があるんだよ」

「勝算?」


 策をろうする――弱い者が強い者に勝つための常套じょうとう手段。

 俺は能力も大した事ないから、そういう部分で遣りりせにゃならん。


「いいわ。聴いてあげる」

「ありがたいこった。けどそう暢気のんきに話し込んでる時間もない。霧島――この区画には詳しいのか?」

「それなりにって所かしら」

「なら通路が狭くなってる場所まで案内してくれ。狭けりゃ狭いほど良い。ともかくあの巨体なんだ、容易に動き回れない場所に誘い込んだ方が有利だ」

「理には適ってるようね」


 さすがに頭が冷えたか、少しだけいつものあの冷静というか狡猾こうかつというか――そんな霧島に立ち戻ってくれた。


 四方を警戒しながら、彼女は脇道のさらに奥の方へと足を向ける。


「遠いのか?」

「いいえ、そうでもない」

「願ったりだ。必要以上に動き回るのは危ないだろうしな」


 気配はまだ感じられないが、この広い区画内どこに潜んでいるとも限らない。

 あれだけの巨体ながら、野生動物というのは元来知恵を巡らすもの。奇襲なんて簡単にやってのける。

 そう考えればこちらも下手に動き回るべきではない。


 霧島の後に慎重に続く。


 幾つか角を曲がっていくが、大破壊の後は変わらずだ。

 壁の角が抉り取られたように無くなっている箇所もある。

 あの化け物はよほど無軌道に暴れまわったらしい。

 途中幾つかシャッターの降りた扉らしきものもあったが、変形してるものばかりだ。


「そういや人の気配はなさそうだが、施設の人間は全員退避できてるのか?」

「でしょうね。生き残れた人間は」

「……なるほど」


 訊くまでもない事だったか。

 あの白衣は「む無く隔離かくりした」とか言ってたっけ。

 その〝已む無く〟の部分なわけだ。

 さっきから死体には何度も顔合わせしているが、戦闘員ではないのも混じってるのか。


「酷いもんだな。これがPD種の害ってやつか」

「ツケを払っただけよ」

「そりゃそうだが、まさか捕らえた相手がこうも凶暴だったとは考えてなかったんだろうよ。その認識の甘さは責められるべきだがな」

「フフ……」

「可笑しいかよ?」

「いいえ。あなたに真実を話す必要もないものね」

「どういう意味だ――」


 その時、今一度あの凄まじい雄叫びを聞いた。

 さっきよりも大きく、そして反響してくる間隔かんかくが短い。


「くそ、近いな……! どうもあちらさん、隠れる気なんて無さそうだ。真っ直ぐ俺達を追ってきてる」

「この先に狭いトンネル状の穿孔せんこうがある。そこなら奴も容易には身動きできない」


 今度は断続的に咆哮が木霊する。

 どうやら俺達が近いと知って、脇目もなく突っ込んできているのだろうか。

 音の方へとすきなく意識を向けながら、駆け出した霧島の後を追い、この巨大な迷路のような区画をしばらく走った。


 やがてコンクリの壁に穿うがたれた洞穴の入り口が見えた。

 その手前へと素早く張り付き、後ろから迫ってくるすさまじい音の正体に備える。


「中のトンネルの先は?」

「通路は途中までよ。確か行き止まりのその脇に、防火扉と非常階段があったと思うけど」


 そのトンネルは二本のポールとテープで封をされている状態だ。

 中を覗くと、50メートルほどの狭い通路とその先の黒々とした無味簡素な壁。壁の上部では大きな換気扇ファンが回っていた。

 右脇には暗褐色あんかっしょくの鉄板がはめ込まれ、一部分がドアの形に空いている。

 さらにその奥、明かりの類がないが薄暗い中に階段らしきものがわずかに見えた。


「よし、これなら」

「どうする気? まさか、この中で戦うとでも」

「そうなるな。けど逃げ場なしの一本道で真っ向から挑むなんてのは自殺行為だ。逃げる隙間のない中を猛スピードで迫ってくるトラックみたいなもんだからな」

「なら外で戦うべき。一体何を考えてるの?」

「映像で見る限り、あのスピードには勝てそうにない。人間の足なんて全力疾走しても時速30キロも出ない。こんな直線的な通路しかない場所じゃ、逃げ回ってもすぐ追いつかれるさ」

「逃げる? 馬鹿言わないで、あいつを仕留める事が目的なのよ」

「仕留めるって簡単に言うが、お前の能力がどれだけ殺人的でも――それでもあの化け物を一撃で仕留められる訳ないだろうが。相手はけようともするし、反撃だってしてくる。そういう戦いになるんだ。筋力、持久力、生命力――どれをとっても俺達に勝ち目はねえよ」

「言われなくても、そんな事……。それでもやるしかないのよ」

「落ち着け。だから、攻守を俺とお前で分担すんだよ」

「分担?」

「言ったろ、協力しようって。お前の炎がどんだけの威力かは、いつも受けてきた俺がよく知ってる。だからお前は攻撃――その火力を相手に向けて一点集中で照射することにだけ意識を傾けろ」

「捨て身で攻撃に専念しろって事?」

「ああ。そして、俺があの化け物の動きを止める」


 ぐっと首筋に力を入れ、俺は言い切ってみせた。


「相手は銃弾も効かないような奴だが、それでも生物だ。あの金属の外殻もお前の炎でなら燃やしくせると思う。だがその為には奴に継続して火炎を当て続けなけりゃだ。動きを止めて、そしてそこにお前の全力を叩き込む。俺はその機会を作るべく前に出る。つまりお前はほこ、んで俺が盾ってわけだ」

「……どう考えても、割に合わない。――あなたが」

「まあな。土塊をまとう程度の能力の俺じゃあ、そういうポジションにもなるさ」

「あれの動き、止められるの?」

「確実に、とは言えんな。俺だって素人だ。精一杯やるとだけ」

「あなたって馬鹿なのかしら」

「お前な」


 しかしそれでも、霧島は俺の考えに納得してくれた素振りを見せる。


「後ろからあなたごと焼き尽くすつもりでいくから。責任は持たない」

「それぐらいの気概でいてくれたら頼もしい。お前は通路の奥、あの防火扉の中で構えていてくれ。俺が奴を誘い込んで、動きを止める」

「やっぱり馬鹿だわ」

「言ってろ」


 そんな事を吐き捨てて、それでも霧島は指示通りトンネルの奥へと向かった。

 俺はそれを見届ける暇もなく、大きな通路の方へと向き直っていた。



 さてと――

 さっきから膝の震えを誤魔化すのに必死なわけだが。


 自分でも馬鹿だとは思ってる。

 それでもあの化け物を倒す算段は、これくらいしか思いつかなかった。

 仮に霧島が一人で挑んで俺だけが生き延びたとしても、俺には攻撃手段なんてない。――ろくに扱った事もないこのライフルで無様に足掻あがく程度だ。


 そう、鍵となるのは霧島だ。

 あいつの火炎――あの能力ならば攻撃手段としては申し分ない。

 だから俺の役割は彼女のその力を最大限にか活かせる場を作ること。


 またあの凄まじい咆哮がとどろく。

 今度のはかなり近いらしい。もう角の向こうから姿を現しても不思議じゃない。


 さてさて、本気で武者むしゃぶるいが止まらんぜ。

 歯の根が噛み合わずに軽くカチカチと鳴る。――おしっこ漏れそう。

 冷静に、冷静にだ。

 小胆な俺でもわずかな勇気を掻き集めりゃ、やれない事はない。


 射撃を安定させる為、片膝を突いて姿勢を低くする。

 ライフルの銃床底部ストックを肩に押し付けて固定し、光像式反射照準器ホログラフィックサイトを覗き込んで狙いを澄まし、凄まじい音のした方向へと銃の先端を定める。

 こいつの威嚇いかく効果で動きが鈍るだけでももうけだ。



 そして、俺はその光学レンズ越しに見る事になった――



 曲がり角の先が一瞬暗くなったかと思いきや、その影からぬうっと抜け出たように巨体がその身をさらす。


「……やべぇなありゃ……」


 ほんとにデカイとしか言えなかった。――紛れもなくあの映像で見た熊の化け物だ。

 地をうようにべたりべたりと歩いてきた。

 車輌用のこの幅のある通路を以ってして、その圧迫感はぬぐえずにいる。

 まだ距離は大分ある筈なのにこの存在感と言ったらどうだ。

 いつか見た怪獣映画で、ビルの隙間から姿を現すそんなシーンを思い起こさせる。


 奴も俺の姿を捉えたか、四足から後ろ足だけで立ち上がると、一声「グオオオオッッ」という凄まじいあの咆哮を放つ。

 音圧はこちらに向かってほとばしる。


 距離はおよそ30m強。

 俺は狙いを確かに引き金トリガーく。


 銃口マズルから火花が散る。――しっかり固定しているつもりでも、銃身そのものが上方に跳ね上がる。

 射撃の反動リコイルを肩と背中の筋肉でなしながら、俺は単発射撃を的確に相手の中心軸を捉えて叩き込んだ。


 308NATO(7.62mm×51弾)の初速は818m/sだ。

 一見、飛び出しの際が最も破壊力がありそうに思えるが、実はそうじゃない。

 弾頭ブレットが飛翔する際、旋条ライフリングによって回転が加わる訳だが、弾が飛び出した当初それはひどく不安定なもの。

 ピストル弾と違い、ライフル弾が細長い形状をしている事が関係しているのだが、所謂いわゆるケツ振り運動という状態にある。

 独楽こまが回転を開始してしばらくしてからその軸が安定するように、そのケツ振り運動もある一定の距離を飛ぶ事で安定する。

 それがおよそ100mから150mの間。

 弾の破壊力という意味ではこの範囲がもっとも高いとされる。


 つまり今の奴と俺との位置では、RFBの威力の最大値は叩き込めない。

 だが、100m以上の距離を狙撃する困難さを考えればこれでいい。


 暴れ回る銃身を的確になだめめ、相手を照準器内の光点ドットに重ねてはリズミカルにトリガーを絞る。

 実銃は初めてだって割に、自分でも驚くほどうまく使いこなしてる。

 素人の腕じゃ、30mでも離れりゃ命中は難しいだろう。

 しかし今回に限っては、的自体が相当にデカイ。

 そして急所を狙ってる訳じゃない。ともかくどこだろうと当たれば良い。


 だが、やはりというべきか――

 何度か命中したというのに、丸みを帯びた甲羅のようなあの外殻は弾丸の入射角度を反らし、あるいは単純にはじき散らして、致命打どころか何の揺らぎを与える事すら出来ずにいた。


 どっこい、そんなのは想定済み。

 注意を俺にしぼらせた事こそが重要。


 奴は猛然とした勢いでこちらに突進してくる。

 その迫力はこの距離であっても損なわれない。

 すぐさま片手を地面に付け、能力を発動させた。――俺と奴とをさえぎるよう通路に分厚い土壁を形成させる。


 次の瞬間、奴は構わずその即席の壁に突っ込んだ。

 化け熊は豪快にそれをぶち破り、その巨体を再び俺の眼に晒す。


 どうやらこっちの推察の通りであるらしい。

 ――「実験」は成功だ。


 素早く転進する。

 反転して壁を穿うがった道の奥まで退く際、その洞穴の入り口に先程よりも倍は厚みを持たせた土壁を形成してふたをした。

 ただでさえとぼしい明かりの穿孔内部がさらに薄暗くなる。


「霧島! 来るぞ――構えてろ!」


 奥の側面、防火扉からこちらの様子を窺っている奇抜な恰好の相手にそう叫んだ。


 ズンと地面すらも揺らす振動と音が響く。

 奴がその壁にまた体当たりをかましたのだ。

 しかし、今回のは一撃では砕けない。

 だが二度程それが繰り返されると、土壁にヒビが入り表面がぽろぽろと剥離はくりしだした。


 俺は急ぎ通路の奥まで退き、その地面に向けて自身の能力を発動させる。


「何を――」

「まあ見てろ!」


 今居る俺の地点を中心にトンネルのこの通路を泥でおおわせる。

 これでいい、取っ掛かりはこの程度の仕掛けで充分。


 トンネルの入り口に、唸り声を上げながら鋼皮メタルスキンの化け熊が姿を見せる。

 俺はマガジン内の銃弾を全て撃ち尽くすつもりで、相手に向けてトリガーを引き絞った。

 トンネル内では銃声の反響音が凄まじく、しかしそんな事に構わず只管ひたすらに浴びせ続けた。

 全身を鋼鉄のよろいで固めた相手にとっては豆粒でも投げられてる程度の気分か。

 だがこうも立て続けに銃撃を受けて平然としていられまい。

 奴はさも鬱陶うっとうしげに、空気を盛大に震わせてたけった。


 挑発は見事、役目を成した。

 道幅を埋め尽くすその巨体を滑り込ませるように、壁を背にした俺の方へ尋常ではない勢いで迫り来る。


 ライフルを放り捨て、再び能力を発動する。

 自身のすぐ手前に穴幅を覆ってこちらの姿を隠すような土壁を再び。

 同時に後ろの壁には、化け熊に向かって鋭く伸びる特大の岩棘いわとげを何本も――自身に出来る最大の硬度で形成した。


 これで準備は全て整う。

 素早く、不審そうに立ち臨む霧島の元へ走った。


「来るぞ、構えてろ!」


 俺が転げるように防火扉の中へ入った直後、これ以上ないというほどの恐ろしげな咆哮が、土壁を越してくぐもった響きで鳴り渡る。

 まさに奴が、それを以前と同じように途轍とてつもない体重と筋力から繰り出されるその突進で障害物を破ろうとした。


 その瞬間――


 俺がしつらえた分厚い筈の壁はさも容易く粉々に吹き飛び、化け熊がこちらを凝視ぎょうしするようなかたむいた体勢で――しかしすべるように扉の先を通過していく。

 そして、交通事故でしか聞かないような衝撃音がその場に反響した。


「霧島――今だ‼」


 俺の号令に、待ち構えていた霧島が扉の向こうの相手へと最大火力を放出する。

 両の掌を相手に向け、そこから膨大な熱量を発生させる。

 火炎の津波――毎度浴びせられてきたその極悪な炎は今、間断なく化け熊に向けて照射され、紅蓮の光が辺りに満ちいく。


 壁に衝突したダメージと、そして棘に貫かれ、奴は身動きも取れず、悲鳴なのか咆哮なのか知れない耳をつんざく声を上げる。

 そこにもって霧島の灼熱地獄。

 防火扉の向こうから物凄い熱波が押し寄せてくるのを体感する。

 熱いなんて言葉じゃ足りない、空気が沸騰ふっとうしているかのように呼吸ごとにのどが焼けつく。

 しもの化け物も、これではたまったものじゃないだろう。


 終わってみれば、実に単純な策だった。


 奴は泥でぬかるんだ通路により滑って転んで、傾いた体勢のまま俺が仕掛けた棘付きの壁へと激突した。

 泥で滑らせ、壁に作った棘で刺す。――傍から聞けば間抜けとも取れる程。


 だが俺はあの映像を見た時から思い至っていた。

 それは、あれほどの巨体があれだけのスピードを出せるという点にだ。


 単純な法則である。

 500グラムの物体が50kmの速度で動くのと、500kgキログラムの物体が50kmの速度で動くのでは、そこに宿ったエネルギーの総和に雲泥うんでいの差があるという事。

 鋼鉄を着込んだ奴の自重は500kgでは済まない。

 それ故に、その質量があの速度で突進すればコンクリの支柱やマイクロバスだって容易く吹き飛ばせるさ。

 つまり奴の規格外の筋力が生み出すベクトル、そいつは生半可なまはんかに制御できる代物じゃないってわけだ。

 事実として、この区画の至る所に大穴が空いていた。

 それは奴の突進の凄まじさを物語ると同時に、その力加減――制御の困難さもさらけ出していた。

 先程の通路でも俺はわざわざ避けて通れるスペースを保って土壁を作ったというに、奴は真っ直ぐに俺へと向かってきた。

 奴の突進にコントロールが効かないの確かめた訳だ。

 速力があれば爪楊枝つまようじだって鉄板を貫く。

 銃弾を軽くね返す自慢の鎧も、自らの超パワーがあだとなって俺のこしらえた棘にブスリだ。


 だが無論、仕掛けはそれだけじゃない。


 最後に作ったあの壁――実はあれ、中身は空洞。

 形状を自在に操れるという俺の能力の最大の長所、それによって造り出した張り子の壁って訳だ。

 無論、奴にそんな事は判別できない。

 「猪口才ちょこざいな、同じように突き崩してくれるわ!」――とか思ったかどうかは兎も角、奴は迷いもなく全速力でそのスッカスカの壁に踊り掛かったって顛末てんまつ

 その後に待ち構えていたのは、泥でぬかるんだ床と行き詰まりの壁から生える何本もの岩棘。

 まあ、奴が激昂してくれるまでき付けた俺の勇敢さあってか。

 存分に褒めちぎってくれ。



「はぁっ……はぁ……!」


 霧島が膝を折った。

 照射時間およそ1分といったところか、それが能力使用の限界なのだろう。――気力や体力をごっそり持っていくからな。


「平気か?」


 押し寄せる熱から退避するように下がっていた俺は、陽炎かげろうのように揺らめく熱波の坩堝るつぼと化したそこに一歩近づく。

 見れば、防火扉が熱でけてかすかに変形している。

 その向こう側はどれほどのものか、世界が炎によって橙色オレンジに上塗りされていた。


 ふらりと立ち上がった霧島が、熱源から少しでも逃れるように俺の元へ覚束無おぼつかない足取りで。

 側で見ると霧島の様子がおかしい。

 霧島というか、その身を固めている奇妙な装甲服――白い保護具のようなものから細い煙が上がり、青い火花を散らしていた。


「おい、本当に平気か?」

「悪いけど……これ、脱がして……」

「脱がすってお前」


 霧島はまた膝を付くように身を落とし、背中を俺に向けた。

 細くけぶる背中の白い装甲までもがうっすら変形している。

 熱のせいだろうか、表情は窺えないがかなり苦しそうな雰囲気だ。


「首筋の……ボタンを……」

「ボタン? いっぱいあるぞ、どれだよ」

「全部、よ」


 力無いそんな声が漏れる。

 彼女の首筋に――正確にはそのフェイスメットの後頭部に、いくつかのボタンが配置されている。

 俺は霧島の言う通りにその全部のボタンを押す。

 だが熱でゆがんでしまっているらしく、反応が返ってこない。

 どうやら接触不良らしい。俺は霧島のメットを押さえ込み、渾身の力でその全部のボタンを掌で押し込んだ。

 瞬間、プシュッとした空気の破裂する音が連続し、上がっていた白い煙が増大するように太く噴出した。

 間近の俺はその蒸気のような煙を一身に浴びてしまう。

 だが熱くはない、むしろ橙色したこの世界の中でそれはとても冷たかった。

 液体窒素――そういう類のものか。


 その白い煙を盛大に噴き終わると、霧島は弱々しくその身の装甲を取り外していく。

 最後にメットを脱ぎ捨てた霧島。

 結っていない黒髪が流れるように広がる。

 苦しそうに息を吐き、彼女は後ろの壁に背を預けて座り直した。


「冷却機能を備えたスーツでも、このざまね……」

「ご大層なSFスーツだと思ってたがそんな機能付きか」


 なるほど。

 生身の彼女は確かに炎を一定以上の間隔で使用していた。

 それは気力的な側面よりも、放出する熱で自分自身をも焼き焦がしてしまうのを防ぐ目的だったか。

 強力な能力といえど、メリットデメリットはあるか。


 霧島の息はまだ荒い。

 白い防具を脱ぎ捨て、彼女は今、光沢のある黒地のインナースーツの恰好だ。

 炎の橙に照らされ、なんだか余計に扇情的である。

 辛そうに眉根を寄せているその額に汗で張り付いた前髪――そんなさまがこの上なく綺麗だった。


「……何?」


 疲労からか、どこか胡乱うろんとも取れるそんな霧島と眼が合う。


「いや、その……お疲れさん」

「まさかあんな策が通用するだなんて」

「結果良ければ全て良しだな」

「自信なかったの?」

「言ったろう、確実じゃないって」

「……呆れた」


 全く以ってその通りだ。

 タイミングが大きくずれていたり、相手が全力で突進してこなかったりしたら、きっともこうも上手く事は運ばなかったろう。

 正直、運も味方してくれた。


 右手の方向に、上に昇る鉄板製の非常階段が見える。後から施工せこうして取り付けるタイプの鉄骨階段だ。

 その奥――さっきの通路からは、まだ炎の勢いが衰えず、ぼうぼうと空気を焦がしていた。

 密封された場所であったなら、酸欠にすらなる勢い。

 周りに可燃物の類もないから、こっちまで火の手は伸びてこない。時間を置けば鎮火していくだろう。

 だがサウナよりもひどい。


「セクターB5ってのは?」


 唐突に、そう問いかけていた。


「あなたが、どうしてその事を訊くのよ」

「そのB5とやらを奪い返したくて、そうまで気持ちが先走ってたんだろ」

「………」

「あの白衣との会話を聞いてりゃ、それくらいは想像つくさ」

「そう……」

「まあ、話したくないならこれ以上詮索せんさくしねえよ」

「あなた……そうやって自分は特別だ――自分は大人だって風に、いつも物分かりの良いフリをするのね」

「なんだそりゃ」


 ホント嫌われたもんだ。――まあ、知ってたけど。



 そんな時、ふと違和感を覚え、防火扉の先に視線を投げ遣った。



 さっきまでまばゆいまでに見えていた炎が姿を消している。

 ようやく鎮火してきたかとも思えたが、どうも変だ。

 熱波はまだ伝わってくるというのに、まるでかげったかの如くそれまでの橙が色をすぼめている。

 本当に何かでさえぎられたかのように、炎の明かりがこちらまで届かなくなった。


 そして――


 熱でけかけていた防火扉をあめ細工ざいくのように引き千切って、巨大な腕が姿を見せた。

 黒くぶすぶすと焦げ付いた腕が爪を立てて、その熔解ようかいして脆くなった鉄扉を切り裂いた。


 次いで現れたるは、同じようにくすぶった大きな体躯たいく


「そんな……⁉」

「くそッ! 立て――霧島!」


 瞬時に横の霧島の腕を取って立ち上がる。

 未だ覚束無い足取りの彼女に構わず、力任せに引っ張るようにして右手の非常階段に取り付く。


 直後、あの恐ろしげな咆哮が最も身近で俺達の耳を貫いた。


 踏み出す前足が地面に付いたそこから液体のようなものがどろりと垂れる。

 血液ではない、熔けた金属だ。

 自身の皮膚を覆っていたその鋼鉄の鎧が、高温に晒され続けて流れ出しているのだ。

 恐るべきは、そんな高熱の中にそれだけ身を置いていて尚、奴はまだ生きているというその事実。


「行け! 早く昇れ!」


 まだ回復し切れてない霧島を押し放すよう階段を昇らせる。

 俺はその後ろで振り返り、化け熊と対峙たいじした。


 さらに醜悪な見た目となった奴は、激しい怒りをあらわにして唸り猛っている。

 地面に片手をつけ、眼前の化け熊との間に分厚い土壁を形成させるべく意識を集中する。だがコンクリートの床からまるで土石流が噴出するようにして土壁が出来上がるまでの最中――そのタイムラグを利用して、奴は飛び掛ってきた。


 次の瞬間、最大の硬度と厚みを込める筈だったその壁は不完全な状態で叩き壊され砕け散った。


 この距離じゃ無意味だと、迷わずそう判断を下す。


「玄田亮一!」


 上から霧島の鋭い声が飛んだ。

 一階半昇ったその薄暗い踊り場から、手摺てすりに身を預けるようして両の掌をこちらに向けていた。


 素早く俺も階段を駆け上がる。

 その後ろから、霧島の炎が真下に向けて放たれた。

 暗闇の中、ほむらの光がその長く艶やかな黒髪に反射して場違いにも美しかった。

 けれど炎に照らされた当人のその顔は緊迫の渦中にある。


 また悲鳴のような雄叫びがとどろく。

 だが今の霧島のそれは、先程のような勢いもなければ断続して照射もできていない。


「よせ、無理すんな! それにこんな所で下に向けて炎を吐いたんじゃ、俺達までじきに熱でやられちまうぞ」


 一息で階段を駆け昇り、肩で息をしながら再び狙いを定めている霧島の腕を取って制止した。


「それより今は逃げるんだ!」

「――行き止まりなの」

「……行き止まり?」


 その言葉を聞いて上を見渡した。

 この先には通路もドアの類もない、途中で途切れたような階段と四方を囲むコンクリートの壁だけ。


「なんだここ? 非常階段じゃねえのか」

「図面ではそうなってた。……でも工事がそこまで追いついてないみたい」

「なんだよ――それ⁉」


 がくんと階段が揺れ、俺達は平衡へいこう感覚を失った。


 化け熊がここまで上がろうとして鉄板に前足を掛けた。

 だがその体重をこの鉄骨階段は支え切れず、大きくゆがむ。

 それでもお構いなしなのか、奴は底を踏み抜き、鉄板が音を鳴らして大きくへこむのを意に介せず恨めしげに俺達へと。


 霧島が再度攻撃を仕掛ける。

 しかし明らかにその炎には威力がない。

 奴はもうそんな程度では悲鳴すら上げなくなっていた。


 手負いの獣――脇腹に大きな傷穴を開かせ、自慢の鎧はほとんど熔け出している。

 それでもその脅威は損なわれず、むしろ凶暴さが増している。


 このままじゃマズイ。

 奴が俺達の元に至るまでもなく、この階段が重量に耐え切れず崩壊するのは目に見えていた。


 何か手立てはないかとすがるように再び辺りを見渡した折、霧島の炎に照らされて壁の上部に格子状の窓枠を見つけた。


 通気孔ダクトだ。

 お約束ながら、こういう時ほど彼らが活躍してくれる事もない。


 そこまで手の届かない高さがあったが、俺の能力で段差を作れば問題ない。

 すぐさま横手の壁からその通気孔まで土塊で足場を形成させる。

 そこに昇って壁に片足を掛け、格子状の枠を全身の力で引き剥がす。

 ちゃっちいボルト類が弾けて枠は外れる。


 中を確認すると、上下共にケーブルやらがひしめいているものの内部はかなり広い。――人が入るには申し分ないスペース。


「霧島こっちだ!」


 手を伸ばしてそう叫ぶ。

 だが振り向く彼女のその動作がすこぶる鈍い。

 今にも倒れそうなほどの顔色。

 間違いなく限界を超えて能力を発動させた代償として、体力を根こそぎ持っていかれてる証拠だ。


「馬鹿野郎、無理し過ぎなんだよ」


 躊躇ためらってる暇はなかった。


 そのもとまで駆け戻り、欄干らんかんに腕を絡めて立っているのがやっとの状態の彼女をかかえ上げた。


「ちょっと……!」

「怒るのは後にしろ――」


 今一度、階段全体が不快な音を立てて大きく歪む。

 振り向くまでもなく、化け熊の荒い息遣いがもう近くで聞こえていた。


 最早もはや斜めに傾いている踊り場の床を踏み抜いて足場に飛び乗り、その入り口に霧島の体を押し込む。

 抗議の声を上げる相手に構わず、さらに奥まで突き放す。

 自分もそこに足を掛けようとしたまさにその時、一際大きく鉄板が鳴るのと同時にあの恐ろしげな咆哮が短く唸りを上げた。


 条件反射だったと思う。

 背中に物凄い風圧のようなものを感じた俺は、背面をいつもの要領で土塊で覆わせて防御していた。


 途端に物凄い衝撃が後ろから全身を突き抜ける。


 何が起こったかまるで分からない状態のまま、それでもダクトのその内部に向かって吹き飛ばされたのを辛うじて認識。

 二転三転、視界がぐるぐると回って体中を狭い内部でしこたま打ちつけた。


 全身がしびれるような錯覚におちいり、今自分がどういう状態かも知れず、五感が消失する。

 あるいは実際、ごく短く失神していた。


 真っ白の頭が真っ先に取り戻した感覚は、痛覚だ。


 背中が焼けるように熱かった。

 呼吸を忘れてしまう程の痛みが電撃のように神経を駆け巡った。

 声を上げていたのか、声すら上げれなかったのかも判別できない。ただ芋虫のようにうめいて体をよじった。


 次第と、痛み以外の感覚も戻る。


 痛みはますます鮮明になる中、それでも我が身が狭いダクトの中でもみくちゃに押し込まれているのを自覚する。


 だが奇妙な感触がさっきからある。

 自分の身体の前面に、心地の良い温かさがあった。

 そして掌に、何やら柔らかい膨らみが。

 頬を預けてみるとなめらかな質感の肌触りで、しかし、なんだか良い匂いがした。


 そして混濁している意識の中、それでも俺は顔上げた事をひどく後悔する。


 何故なら、視線だけで人を殺せそうな――瞳孔どうこうの開き切った、この世の物とは思えない超絶なまでに睥睨へいげいした霧島の顔がすぐ間近にあったからだ。 

 ――ああくそ、今は弁明するのだって億劫おっくうなんだよ。



 もうどうにでもなーれと、俺はまたその形の良いふくよかな胸にほおを預けた。




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