〈2〉



 授業開始の30分前。

 無駄にでかい校門を越えて学園の敷地内に足を踏み入れた途端、紅蓮の光が前方から押し寄せた。


 俺は瞬時の反応を見せて能力を発動させる。

 完全に防いだつもりでも、体感はきっちり熱さを訴えてくるもんだ。

 身体を覆った特製の耐熱泥パックは、役目を果たすと瞬時に乾燥し、ぼろぼろと崩れ落ちていく。

 それらを無造作に引きがして、俺は正面をにらみつけた。


「つい昨日あんだけヤリあったってのに登校早々これかよっ! 昨晩もまた、俺が恋し過ぎて寝むれなかったのかあ?! ――霧島てめこら!!」

「その下品な口が皮膚ごと焼け落ちる様を想像したら、確かに胸の高鳴りが抑えられないわね」


 掌をこちらに向けて立ちはだかるは言うまでもなく霧島凛。

 愛が重いぜ、まったく。


「お! またやってんのか、霧島と玄田の二人。つか、これで何回目よ」

「さあな。けど30回は軽く越えてんだろ」


 校舎の正面玄関へと真っ直ぐ続く正門坂で、対峙した俺達二人を登校途中だった周りの生徒たちがやいのやいのと群れを成して取り囲んで輪を作る。

 タブレットで撮影してアプリで実況し出す連中も。

 ほんと、外野にとっちゃ娯楽の一部か。


「朝から霧島さんの勇姿が見られるなんて超ラッキー!」

「霧島さーん! カッコイイー!!」


 校内でいつの間にか出来上がっている霧島凛後援会ファンクラブのメンバーである女子徒達が無意味にワーキャーと黄色い声を発している。

 美人ってそれだけで得だよなくそ。

 この見てくれが一級品なだけの狂犬のどこが良いんだか理解に苦しむ。


 もっとも、本人はそんな彼女等をうとましく感じているらしく、甲高い声を上げる少女たちを苛立たしげにキッとめつける。

 それでもその殺気十分な視線を受けて、黄色い声援は加速するが。


「霧島さーん! その寸詰まりのだっさいドワーフ、今日こそやっつけちゃってぇ!」

「――誰がドワーフじゃい!?」


 野次馬から飛ばされた失礼極まりないあまりの言葉に、思わず怒鳴り返してしまった。

 西ヨーロッパの伝承に出てくる鍛冶が得意な小人にたとえられて、さすがの俺もご立腹である。

 背が低い割には幅があるのは認めるが、あそこまで寸胴でも小さくもねえよ。


「うわっ! キモイ! ドワーフがこっち突っ掛かってきた!」

「サイアク!」

「だから誰がドワーフじゃあ!?」

「どう見たってあんたドワーフよ! 足短いし! ずんぐりむっくりだし!」

「し、身長の事はともかくなあ! ずんぐりむっくりとは何だ!? これは日々のたゆまぬ鍛錬の賜物たまものであって、むしろれするような肉体美だろうが!?」


 俺は日々の成果をまざまざと見せ付けるべく、ブレザーの上着とシャツを剥ぎ捨てて、鍛えに鍛えぬいた見事な上半身を陽光の下にさらした。

 結構すぐ脱げちゃうんだね、仕方ないね。


「ぎゃーっ!! 脱いだっ!? ――変態じゃんこいつ!!」

「――キモっ! ――キモ過ぎてヤバイ!?」

「てゆーかむしろ、筋肉ムキムキなのがカッコイイとか思ってるその感性が壊滅的にキモイっ!!」

「キモイから早く死んでっ?!」

「…………っるせえええええぇ!!!!」


 ぶっちゃけ彼女達の俺を見る目は汚物を見るときのそれであった。

 少なくないショックを強引になかった事にするかのように、俺は吠え立てた。


 なんだよ、ちくしょう……!

 そんなにお前らナヨナヨしたカマホモっぽいのが活躍するのが好きかよ……!

 ふざけんなよ、男は黙って筋肉だろうが……!


 そんな俺の横合いから、灼熱の風が叩きつけられる。

 服を脱いでいた事で皮膚感覚がさらに鋭敏になっており、俺はさっきよりも余裕をもってそれに対処できた。

 ほらね? 別に脱ぎたかったとかじゃなくて、ちゃんと意味があったんだよ? ――うんあの、筋肉鍛えても炎は防げないのは知ってるから。


 分厚い土の層が瞬時に俺の外形に沿って出来上がっている。

 別にこの能力は俺の身体の外観に沿わなければ発動しないわけじゃない。しかし反射的な発動となると、どうもこの土偶のような形に落ち着いてしまう。

 クセみたいなもんか。


 炎が過ぎ去った頃合いを計り、全身を可動させまとった土くれを剥がす。

 泥のからを破るよう肉体を外気にさらして、俺は再び霧島と対峙する。


「他の女生徒とくっちゃべってないでもっと私を見てってか?! どんだけ俺にゾッコンLOVEなんだお前は!?」

「ごめんなさい、反吐が出るほど嫌いよ。でも安心して、消し炭になったあなたならもっと好きになってあげられるから」


 そう言って霧島は微笑む。

 毎度見てきた――背筋をそそけ立たせる程に迫力があって――そして同時に、男なら誰だって無意識に肉体の一部もそそけ立たせてしまうくらいに艶めかしいそれだ。


 両の手には鉄をも溶かす炎熱を宿らせながら、いつだってこの女はこういう蟲惑こわく的な氷の微笑をたたえている。

 まあ、認めるよ。

 そんな様は言葉では表し切れない程に美しい。

 多くの人間を虜にしちまうだけはあるって事。


 さて、この美貌の精神病質者サイコパスをどうしたもんか。

 またマジメな警備員さんの到着を待つべきか。

 いや、それよりは――


 実は彼女が学園の敷地内に足を踏み入れたのと同時に襲ってきたのには、ちゃんとした理由がある。

 こんな人里離れた場所であっても、俺達がその特殊な能力を使用できるのはこの学園の敷地内のみである。

 もっと厳密に言うと、特定の授業の間だけ教師や監督官の目の届く範囲での使用が一般的に許可されているという区分。

 建前上は、そうなってる訳だ。


 そして学園外、下の歓楽街や寮内での能力の意図した使用は厳禁である。

 いいや、厳禁どころかご法度はっと

 校内以外で公に能力を使用しようものなら、下手すりゃ危険因子と見されて常駐している警備隊にその場で連行されたっておかしくはない。


 それがこの場所での最低限の規則――即ち、俺ら異能者と普通の人間とが共存していく上での一番の取り決め事だ。

 だから霧島は、校内に俺がきっちりと入ったのを見て仕掛けてきた。

 学園内ので能力の使用であれば、たとえ許可が降りてなくても昨日のように若干のペナルティが課せられる程度。

 あるいは見つかった相手にもよるが、運がよけりゃ口頭注意だけで済むなんて事さえある。


 という事なのでこのまま回れ右をして校門から外へと抜け出れば、少なくとも霧島に襲われる事はもうない。

 さすがの彼女もそこまでクレイジーじゃあない。

 霧島の斬りつけてくるような視線と相対しながら、俺はその策を実行すべきか悩んだ。


 悩んでいるポイントというのは、まさに彼女の目的がそこにあるからだ。

 もう直ぐ始業のチャイムが鳴る頃だろう。

 この地で、俺達をしっかりと管理する事を至上の理念としている学園側は、そんな俺達の規律にそぐわぬ勝手な行動をほど嫌う傾向にある。

 俺達が真面目に毎日きっちり学園に向かい、そこで生活を送る事を最も重視している。

 つまり、サボリはかなり重い厳罰に処される訳だ。

 理由なき反抗を常とする思春期の我らにとっちゃ、痛手な事この上ない。

 たまには破壊工作サボタージュだってしたくなるさ、こちとら10代の若者だぜ?


 という様な訳で、一度学園に足を踏み入れたら最後、余程の急病でもなければ授業が終わるまで帰宅は許されない。

 その鉄の掟を破ると、とんでもない量の補習やら課題やらの嵐で面倒臭くて憤死する事態に陥る。


 そう、彼奴きゃつの狙いはそこだ。

 つまりは悪質なイヤガラセなのだ。――ファッキューキリシマ。


 奴の狙いに甘んじれば、少なくともこれ以上命を狙われる事はない。

 しかし、その場合厳罰に処されるのは俺だけとなる。

 今ここで学園側が動くまで睨み合いを利かせれば、昨日のように痛み分けには持っていける。

 無論、それまで俺が生きていたらな。

 まあ易々とくたばる気はないし、渉り合えるだけの自信はある。

 ただそれだって確実じゃない。

 俺の反応が一瞬でも遅れれば、この身は火だるま。

 運が良くても全身火傷は必至。下手打ちゃ焼死。――こなくそが。


 遠巻きな観衆と成り下がっている他生徒が面白がってはやし立てる中、俺と霧島の睨み合いは続いていた。


 と、そんな俺達の間に割り込む人影があった。


「き、霧島さんっ!」


 華奢きゃしゃで小柄な身とくせの多い長めの髪がチャームポイントで、そこらの女の子よりも女の子している男子生徒――時野谷だ。


「霧島さん! こ、こんな事もうやめにしてよ! もうこれ以上、亮一くんにひどい事しないで!」


 彼は震える声と体とで、しかし果敢にもあの霧島凛の目の前に立ちはだかった。


「……能力の発動さえもままならない出来損ないは黙ってなさい」


 険のある声音で、目の前の小さな少年を見下ろしている霧島。

 その片手にぼうっとほむらが点った。

 そしてあろう事か、彼女はその掌を俺ではなく時野谷の顔面へと向けた。


「おい!? 霧島!」


 無意識に上擦うわずったがなり声が出る。


 地味と思われがちながら、それでもこの土塊の能力を最大限に駆使して防御できる俺と違い、霧島のその極炎の奔流ほんりゅうを防ぎ切る術を持つ生徒は数える程もいない。

 これまでと比べ物にならない緊張感がその場に走っていた。


 はしゃいでいた他生徒達も一瞬にして声を潜める。

 なんだかんだと、霧島の炎を受け切れるだけの力を俺が持っているからこそのバカ騒ぎだ。

 いくらなんでも、本当に目の前で人死にが起こるのを望んではいまい。


 時野谷は動かない。

 恐怖で動けないでいるのか、今の俺からの位置ではその表情をうかがうことが出来なかった。


 意を決して、俺は足を踏み出した。


「ちょっ……どうなるのこれ?」

「し、知らねぇよ」

「ねえ、さすがにマズイんじゃない?」


 ひそひそとささやくような声が周りから聞こえだした中、俺は足取りを確かに、時野谷の背中を通り越して二人の間に身を押し込ませる。


 そして、炎を纏ったまま時野谷に向けられている霧島の腕を掴んで引き寄せた。

 放射状に拡がる熱波は、その部分を直接は掴んでいないというのに身が焦げるほど熱く感じられる。

 だが、ひるんではいられなかった。


「止せよ。やり過ぎだ」


 努めて冷静に、俺は低い声を絞り出す。

 彼女はその張り詰めたような視線を時野谷から間近な俺へと移す。

 その事で時野谷は、まるで突っ掛けが取れたかのように、すとんとその場に腰を落としていた。


「止めないでくれる? 一般人の殺害は危険因子と見做されて即刻排除、けれど相手が異能者であるなら不幸な事故としてだけ扱われる。……ここはそういう場所でしょう」  

「馬鹿、冗談キツイぞ」

「冗談?」


 俺の言葉に、霧島がここに来てその頬を凄絶に歪めた。

 

「可哀想に、まだ自分が向こう側にでもいるつもりなのね、自分の事をまだ『人間』だと……。私達はね、兵器――もう道具なの。能力を存分に振るう事ができるようになる為だけに育てられ、人間達の尖兵として化け物達と戦わせられる――そういう存在よ。未だにの出来損ないの駒を一つ壊したからって、私が処分されるいわれはないわ。だって、私の方がはるかに優秀な駒なのだから」

「お前……」


 その霧島の長台詞を聴いて、俺はそれ以上言葉をつむげなかった。

 それは何も霧島だけが思っている事柄なんかじゃない。

 この学園に通う生徒全員が、言葉にしないだけで本当はみんなそう感じている事だ。

 俺達が〝異能者〟――いいや、世界から見放された〝異端者〟であると。


 ぐっと奥歯を噛んでしまっていた。

 わずかとはいえ、たかぶった感情を誤魔化すよう全身に力が入った。


「あなたならその程度のこと弁えていると思ってたけど、どうも思い違いだったみたい。腕を放して」


 無意識に込めていた握力を緩める。

 彼女のその手首に、くっきりと跡が残ってしまっていた。


 けれど声を掛けるいとまも見せず、「興が逸がれた」と素っ気なく言い残し、霧島はその長い後ろ髪をひらめかせて校舎の方へと歩き去ってしまう。

 周りを取り囲んでいた他生徒の集団も、次第、何やらバツが悪そうに散り散りとなって抜けていく。


 俺はなにやら遣り切れずに嘆息した。


 気持ちを切り替え、まだ青い顔で尻餅をついたままの時野谷に振り返って手を差し伸べた。


「時野谷、大丈夫か?」

「りょ、亮一くん……」

「無茶な事しやがって」

「ご、ごめん」

「いいさ――ほら、立てるか?」


 涙目状態でしどろもどろな感じの時野谷を引っ張り上げるように立たせた。


「本当にごめん」

「そんなに謝るなよ。あれだろ、俺の事を助けようとしてくれたんだろ」

「その、えっと……」

「一応、礼は言わなきゃな。ありがとよ――時野谷」


 俺が霧島に付け狙われてるのを全部自分の所為せいだと思っている時野谷は、なんとか彼女を説得してみるつもりだったんだろう。

 話の通じる相手でないのを良く知っている俺からすれば、無謀以外の何物でもないと断言できるが。


「あぅ……。なんだか情けないよ、ボク」


 しゅんとした困り顔の時野谷を見て思わず口元が緩んだ。

 まあ、立つ瀬がないというか――そういう心境なのは容易にみ取れる。

 それでも、その心意気は嬉しく思うわけだ。


「でも、やっぱり亮一くんはすごいね……」

「すごい?」

「だって毎日あの霧島さんと真っ向から顔を合わせてるんだもん。ボクなんか、霧島さんのあの迫力に負けて、動く事もできなかった」

「あー……ま、そうだな。なんか眼が怖いんだよなあ、アイツ。肝がうすら冷えるって言うのか」

「う、うん……。言いたい事わかるよ」


 絶世の美人であるのは認めるが、危ういオーラが半端ない。

 狂犬霧島女史の異名はくつがえしようがないのだった。


「亮一くんはどうして平気でいられるの?」

「うーん、慣れだろうな。あとは何だ、人間色々あるよなって話だ」

「――え?」

「いや、人それぞれ何がしかあんだろ? アイツがああなのも、事情があるんじゃないかって気がしてさ」


 少なくとも今日はその何がしかが垣間見えた様な気がした。

 俺の思い過ごしてあるかもしれないが、けれどもそう感じた。


「そっか。……うん、そうだね」

「まあ、アイツの事はもういいだろ。それよりさっさと教室行こうぜ。なんか肌寒くなってきたしさ」

「えっと、たぶんそれは亮一くんが上に何も着てないからだと思う」

「……おお。なるほど」

 

 どうりでさっきから通学途中の輩が俺のこの見事な肉体をじろじろとイヤラしい目で眺めてくるのだった。

 もう、しょうがないにゃあ。


















「おーい、玄田」


 教室に入るなり、そう気安く声を掛ける男子生徒がいた。

 丸刈りの頭部、浅黒い肌や引き締まった身体などはいかにもスポーツマンという印象。

 まあ無論、惚れ惚れするような肉体を誇る俺から言わせれば全体的にバルクがまだまだな貧弱加減ではある。


「まだまだよのう小僧」


 腕を組んで大仰に構えて応対する。


「誰の真似だそれ? いやそれよりさー、さっき窓から見てたけど、今日はなんかお前ら様子が違ってなかったか?」


 この野球一筋の健康球児みたいなのは羽佐間はざま奨真しょうまという。

 俺と同じような時期に能力を発症させ、今期ここに入学したばかりの同輩である。

 それ故か、やたらと親しげにしてくる。

 俺としてもこういう手合いは気楽で良い。

 人柄の方もやたらと気安く陽気で自信家で、時折かなりウザイが、まあ、おもしろい奴だ。

 癖なのか、時折片目――左目だけをいわくげに閉じさせて、そこにしたり顔であったりドヤ顔を貼り付けていたりする。


 「今日はなんかお前ら」というくだりは多分俺と霧島の事だ。

 毎度毎度あんな激しい肉体言語コミュニケーションを繰り広げていりゃ、話題にもなる。


「あれだ、マンネリ解消法ってやつ」

「は? なんだそれ?」

「夫婦長続きの秘訣」

「真面目に話ふってんだが」

「離婚調停は泥沼ぞ?」

「意味わかんね」


 今朝の件をなんと説明すればやら。

 かなり面倒臭かったので、テキトーにはぐらかして俺は席に着いた。

 そんな俺にしつこく食い下がるよう、羽佐間が俺の机の端に腰を落ち着けやがる。


「まあ何でもいいけどよ、しっかりお前が霧島の手綱たづな握っといてくんねーとこっちに飛び火して迷惑が掛かるわけ。そこんとこ頼むわホント」


 まさに他人事と言ったていで、羽佐間はひらひらと手をかざす。

 そりゃまあ、攻撃性に富んでいて殺人的威力なあの能力に対抗できるのはこのクラスじゃ俺だけだろう。

 けど、だからって俺が負わなきゃならない責任ってわけじゃない筈だ。――そもそもあの切れたナイフみたいな性格をどうにかすべきだっての。


「そりゃお前みたく、ただ遠くを見えるってだけの能力じゃ荷が重いわな」

「あ? 視力が上がる程度の能力で悪いかよ」


 当て付けとして、俺は羽佐間のその役に立つようで立たないようで案外使い身は豊富かもしんないがやはりぱっとしない――そんな彼の能力を冷やかす事にした。


「え? え? あれ? もしかしてあなた、アフリカのマサイ族の方ですか?」

「んだよてめ? 喧嘩売ってんのか?」

「ちょ、止めてくださいよお。そんな超人的に視力が良いはざーさんに喧嘩売るわけないじゃないですかあ。やだもお」

「てめーだってハニワになる程度の能力だろーが!?」

「ハニワ舐めんなやコラ!」

「――あァ!? 俺のこの〈回帰せし原初の眼力アイズ・オブ・ネイティブアフリカン〉を先にディスったのはてめーだろーがよォ!?」

「上等じゃワレェ! したら俺のこの〈掩蔽された土塊の支配者ドレスアップ・クレイゴーレム〉とどっちが上か白黒つける言うんか?!」

「やったろーじゃねーかっ!! おおン?!」

「何こらタコこらあ!?」


 俺たちは既に臨戦態勢で立ち上がっていた。


「俺なんかチョー遠くまで見えるもんね! マジ! すんげー遠くまで見渡せるし!」

「はあ?! 俺なんか全身おおわれたら息すらできないんですけど?! 割と毎回、命がけでこの能力使ってんですけど?!」

「おら見ろ! 今なんか俺、あの遠くの山に野生の狐の姿を見つけたからな! やっべー! マジかわいい! 狐マジかわいい!!」

「俺だってこうやって――もがもがもがもがっ!!」


 窓から必死で遠くの景色を見つめながらわめき続ける羽佐間と、全身が土で覆われて言葉もろくに喋れなくなった俺。


「あの、二人とも、もうすぐ先生来るから……」


 そんな俺達はどん引きしている時野谷がおずおずと両手をかざして制止にくるまで、血みどろで熾烈な争いを繰り広げたのだった。



 そうこうしてる内に予鈴は鳴り、数分後にこのクラスの担任である教師が姿を見せた。



「よーしほら、席につけ」


 平坦なトーンの声をその場に響かす担任。

 ざわついていた教室もそれを合図に次第と空気が変わる。


 眼鏡を掛けた素朴なあんちゃんというのがこの国村くにむら昌良まさよしという教師の印象である。

 担当は一般教科の現代国語。

 30歳で妻子持ち、現在2歳になる娘を溺愛中。


 この特殊な形態の学校の教師は、意外にもごく普通の人である。

 俺も入学初日はこの事実に驚いた。

 てっきりいわゆる先輩方――異能者の先人達が指導にあたるものと思っていたからだ。


 しかし、そもそも俺達のこの異能の力は個人個人でまったく系統が違うものであり、その育成――あるいはコントロールの仕方もつまりはその個人にちなむところが大きい。

 故に同じ能力者であっても、それが適した教育者という事にはならない。

 例えば俺などは発症から一年足らずで能力をほぼ完璧に使いこなせているが、逆に何年たっても上手く扱えない生徒も数多くいたりする。

 それならばという判断が下されているのか、あくまで教師という役職の人間は異能者ではない普通の人間で占められている。


 しかし無論、一般教科と特別学科の教師には大きな違いがあった。

 一般教科のそれは国村先生のように雇われの地方公務員である。

 同じく特別学科の教師も公務員ではあるが、しかしそれは国家公務員の中の特別職と呼べるかなり珍しい業種だった。


 即ち、特異体に関する専門家スペシャリストで構成されている。

 多くが博士号を持つ一流の科学者でもあるという話だ。

 俺達のこの能力はまだ科学的にきっちりと解明されたわけではないが、能力の扱いや育成に関して言えば、そういう研究者が指導には適任であるという事らしい。

 彼らの事は、通常の教師との差別化のため教官と呼び表す事が多い。


 それ以外にも監督官という聞きなれぬ役職がこの学園には居る。

 彼らこそがそう、この学園の卒業生であり、人類の天敵――化け物達と日々第一線の場で戦っている我らの先輩方である。

 そういった彼らが俺達の相談役あるいはそれこそ監督役として、常時この学園に何名も待機しているのだ。

 主に特別学科の授業をする際は、教官と監督官のワンセットで行われる。

 有事の際の抑止力として補佐的に同行しているっぽい。


 また監督官だけでなく、もしもの時の為、セキュリティの問題として学園には高度な監視システムが導入されており、区画毎にコープを組んでいる例のマジメな警備員さん達も日々学園内を巡回してらっしゃる。


 しかし、そこまでしても一般の人間の恐怖は拭えないらしい。

 この場所の職員達が見せる瞳の中には、過剰な恐怖やら嫌悪やらが窺える時がある。

 そして教師達の多くも、そんな一群に属しているに他ならない。


 が、しかし――

 それでも変人奇人はいるもので、彼らの中には俺達の事を色眼鏡を掛けずに見てくれる人間だっている。

 このクラスの担任、国村先生はまさにその典型だ。



「――あっかーん! また遅刻や!!」


 そんな折、騒々しさを隠しもせずに女生徒の一人が教室のドアをかいくぐって飛び込んできた。


「こら水宮、これで何回目だお前は……」

「ちゃうねんて国やん! うち朝弱いねんてば! 体質やねん!」

「先生の事を『国やん』とか呼ぶんじゃない。もういいから、席につけほら」

「え!? もしかして国やん、ぎりぎりセーフにカウントしてくれるんっ?!」

「その妙なあだ名で呼ばなかったら、一考の余地もあったんだがな。――もちろん立派な遅刻だ」

「なぁーんでぇ!?」


 遅れて滑り込んできたのは騒々しさとれしさに定評を持つ水宮みずみや晴香はるかという生徒だ。

 やったらと元気で剽軽ひょうきんな、クラスのムードメーカーという奴か。

 国村先生もそれを知っているからか、まくし立てるようにまだ言い訳を続ける彼女を慣れた風に受け流している。


「っていうか、『国やん』の何が気に入らんのよ?! 国やん――ええやん――かわいいやん!」

「主にそうやって語呂よく言い回してくれる所だ」


 教師を含めたこの学園で働くあらゆる人々は、俺達が学園寮に強制転居させられたのとは違い、望めば公共住宅のような施設をこの町で与えられる。

 だがほとんどは外界から片道数時間をかけて通ってきている。――律儀な事に。

 しかしながらこの国村という物好きな教師は、この町に住居をもっていて妻と子供の3人家族で一緒に暮らしていた。


 尖らせた口でまだ文句を垂れている水宮を押し遣るよう席へと向かわせて、国村先生は教室内を見渡した。


「みんな揃ってるな――って、また霧島が居ないのか。病欠の連絡は受けてないぞ。どこに行ったんだあいつ?」


 教卓の端末から俺達の出席状況を確認していた国村先生が、そう難しい顔色を見せる。

 そういや教室に入ってから姿見てないな。

 やーいやーい、あいつサボリー。サボリは重罪ー島流しー。……あ、ここがすでにその流刑るけい地か。


 噂で聞いた所あの女、ワルの親玉だってのにこうして自由に学校をサボっているとかで、何日も姿を見せない事すらざらにあるとか。

 よくは知らんが、能力者として優秀故に特別待遇を受けてるなんて話もある。

 奴の狂犬っぷりをはかれば即刻檻にぶち込むべきだってのに、ああやって横暴の極みを続けられるのもそんな裏の事情があるからか。

 世の中間違ってるぜ。


「玄田、霧島はどこ行ったんだ?」


 唐突に、国村先生は俺を名指しする。


「いや、なんで俺にくんすか」

「なんでって、お前なら知ってるんじゃないのか?」

「知りませんよ。どんな判断基準ですか」

「そうなのか? まあ、いずれひょっこり出てくるか。にしてもまったく、お前達は困った問題児だな」

「えーっと、聞き間違いかな? その言い様だと、まるで俺まで問題児扱いされてるっぽくありません?」

「ああ、そうだぞ」

「………………」


 風評被害ってレベルじゃねえよ、ふざけんな。

 俺は清廉せいれんを常とするごく真面目な生徒の一人だっつーに。


「まあそういう訳で、遅刻常習犯の水宮と問題児の玄田は昼休みに職員室まで来るように。じゃあHRを始めるか」

「ええーっ!? 何やのそれぇ!」

「………………」


 どういう訳だよちくしょうが。


 霧島死すべし――

 取りえず俺はこの呪詛じゅその言葉を午前中の授業時間を使って唱え続けた。

















 昼休み、はなはだ不服ではあるが俺は職員室へと向かっていた。


 教室を出る時に同じく呼び出しを喰らっていた水宮もついてきて、今は横に連れ立っている。

 活発さが感じられる明るい色合いの髪はショートヘアーがよく似合ってる。

 くりくりとした愛嬌のある大きな目と、そしてよく笑ってるせいか口元から終始覗いている八重歯がチャームポイントだ。

 発育も良く、歳相応に肉感的というか――異性からすれば充分魅力的な容姿をしてるわけだが、どうもそういう匂いがないというか、異性として意識させない異性という風情がある。

 水宮はともかく底抜けに明るく楽しいやつという印象しかなかった。


「もお最悪やぁー。またどっさり課題出されるんかな」

「課題か、くそ面倒だな」

「りょーちんもそう思う? もう国やん真面目ってゆーかカタブツすぎるわ! ちょっとぐらいはユウヅウしてくれへんと!」

「りょーちん? ……え? もしかして、俺の事?」

「そやでー。玄田亮一やから『りょーちん』な! 『くろちん』とどっちかで迷てんけどな。もしかして『くろちん』のが良かった?」

「いや、そうじゃなくて……」


 記憶にある限りでもそんなに深い交流をした覚えがないと思うのだが、随分と馴れ馴れしいわけで。

 まあ、水宮はこういうキャラだから仕方ない。――そういう天真爛漫らんまんっぷり、嫌いじゃないわよ。


「でも、りょーちんはええなぁー。入学した時からランクAやったんやろ? 前期の特別学科のテストもパスっていう話らしいし。うらやましいなぁもう」


 両腕を腰の後ろに組んで顔を傾け、水宮は横からのぞき見るようにしている。

 そういった仕草一つ一つに何やら華があるというか、可愛らしさがある。

 狙ってやっているという意識が感じられないのでそれが素なのか。


「へえ、そうなのか」

「――って、自分それ知らんかったんかい!」


 おうす、スパーンと切れの良いツッコミが俺の肩に入った。

 これが本場仕込みってやつか。

 顔をくしゃくしゃにした目一杯の笑顔で、水宮ははしゃいでるように見える。

 時折こういうコミカルな役柄を演じてみせるものの、打算とかそういう類の言葉は始めから存在してないような――そんな性格をしていそうだ。


「むむ? りょーちんエエ身体してますのぉ」


 そして「ほほぉー」というどっかの鑑定人的ニュアンスで、了承も得ずに人様の肩やら腕やら胸やらを露骨にいじくりだしては得心したよう頷く。


「お前って、フリーダムだな」


 それ以外に掛ける言葉は思いつかなかった。



 学園の校舎は広く清潔感にあふれている。

 閉鎖空間という事を感じさせない努力が各所に見受けられた。


 ともかく敷地だけはあるらしく、使用目的のない余剰スペースの至る所に植物の緑が配置されており、休憩用のベンチなども多数見受けられる。

 豪奢ごうしゃな巨大スクリーンなんかも許す限りに設置されているらしく、民放からケーブルテレビ、ネット配信番組まで幅広く映している。

 また校舎全体の壁の内部に有線接続のケーブルがかれているので、そこらの壁に見受けられる端末からいつでも個人で自由にアクセスができる。

 随分と気前のよい環境だが、やっぱり個人IDを通さないと使用できない構造上、いわゆるお約束として情報の検閲けんえつや監視とかされてんだろうか。

 もしそうなら、ぶっちゃけもうエロサイトの履歴をどうこうするとかの問題じゃねえな。


 生徒達も一見すれば伸びやかな学園生活を満喫まんきつしている。

 まあ数メートル毎に設置されている監視カメラや、時折すれ違う物騒な風体の警備員さん達さえ目にしないようにすれば。



 そんな折、取り取りに好き勝手な映像を流していた校舎内のスクリーン達が途端に統一性に目覚めたかの如く、呼吸を合わせて一つの画面へと切り替わる。

 館内のあらゆる端末のその画面に、緑地に白の文字で『長峰ヶ丘学園放送』というロゴが数瞬ほど映された。

 次に画面に現れたのは3Dアニメで描かれた丸っこいキャラクターだ。


『みんなー! 学園通信の時間だよ!』


「あ、モンモくんや」


 脇の水宮がその画面に釣られ、嬉しそうに声を上げた。

 今映っているのは、長峰ヶ丘学園広報担当大臣こと――学園公認マスコットのモンモくんである。

 ニホンモモンガをモチーフとしていて、もっこりもっさりとしたその造形がまあ愛らしい事。


『五月ももうすぐ終わって、六月に入れば梅雨の時期だけれど、みんなは元気に学園生活を送れてるかな? ボクは雨の日は産毛が水を吸って、とっても重くなるからちょっと嫌いな季節なんだ』


 鼻に掛かるようなその声でモンモくんは取り止めもない世間話から入った。

 彼は大抵、学園側からの連絡事項の際にこうして起用される。

 今もそうやってキャラクターを維持する為の身の上話(?)で間尺を合わせがら、学園からの連絡や注意喚起を内実として話している。


『そうそう、この長峰ヶ丘では、雨の日に地面がやわらかくなって危なくなる場所がいくつもあるんだ。新入生の皆はまだ良くは知らないと思うから、学園の敷地内であっても、IDタブレットの被災マップで警告される地域へは入りこんじゃダメだよ。事前によく確認しておいてね』


 有名な声優さんの声をサンプリングしてそれを合成編集しているらしいが、機械音声とはまるで思えないその完璧な肉声感である。

 その都度つどに吹き替えを頼んでなどいられないだろが、この技術の方がよっぽど金掛かってそうだ。


『あと最近、そのIDタブレットの機能を阻害するような悪質なプログラムが出回ってるんだって! みんな、よく分からないものをダウンロードしたりするのはやめようね。安全で快適な学園生活を送る為に、IDタブレットは必要不可欠だよ。もし壊れちゃったりしたら大変だ!』


 管理者様直々の、いかにもらしいお達しだ。


 IDタブレット――俺達の身分を証明するそれ。

 支給されたこの高機能なスマホは無論、GPSによって学園の全生徒の位置を常に監視している。

 そして例外なく所持させる為にか、学園内のあらゆる施設の使用にはこれによる個人認証が必要であった。

 授業に臨む際にだって自分達の机に空けられた読取りリーダー部分に差し込まねばならないし、寮にいてもそれで入館と退館のチェックをつけられるという徹底ぶり。

 そんな端末に、不具合でも起こされたらたまったものではなないのだろう。


『悩み事や相談はいつでも最寄のカウンセリングルームで受け付けてるからね。ボクも居るから、みんな気軽に会いに来て!』 


 皮膜の張られたその体を広げて、学園上層部の意思伝達媒体こと――長峰ヶ丘のご当地ゆるキャラ『モンモくん』は、画面の外の俺達に向かってバイバイをして消えた。

 そうして館内の画面はまた、各々がそれまで映していた映像に戻った。


「はぁー、今日のモンモくんもモッフモフやったなぁ」


 学園側の思惑はともかくとして、割りと生徒達には人気のモンモくん。

 く言う俺も、その大きな尻尾やつぶらな黒目の瞳、もふもふとしたお口など、まるで嫌いではない。

 だが何より俺の心を打ったのは、彼のそのファッション――裸ネクタイという超絶紳士スタイルだ。

 クールだぜモンモくん。



 ひたすらに広い学園の敷地を練り歩き、何度か建物をまたいでようやく職員室や防災及び警備の中央管理室コントロールセンターなどが割拠しているエントランスホールまで来た。


「――ぬはっ! もしやあれは!?」


 と、昇降口の上にある職員室を目指して階段を昇ろうとした時だった。

 何やらボディブローでも貰ったかのようなくぐもった声を出す水宮。


「猫さんがおるぅー!」


 その次にはまさに猫なで声といった風なそんな甘い声を出し、目をキラキラと輝かせた。

 彼女の視線の先を見遣れば、昇降口から突き出た広い庭の一画で日向ぼっこでもしてるのであろう茶色の毛並みの猫が丸くなっている。

 飛びつくように、水宮は何の迷いもなく上履きのままその猫の元へと駆け寄るのだった。


 突発すぎるその行動に面を喰らったが、仕方なく俺もあとに続いた。

 山の最中にあるここでは、時折、無頼の野生動物が姿を見せたりするが、猫というのは珍しかった。

 おそらく飼い猫だろう。

 事実、無遠慮にで回そうとする水宮の手つきに特に抵抗もしない。

 首輪などは見て取れないがかなり人に馴れているらしい。


「猫さんどっから来たん? 下の町からここまで登ってきたんかー?」


 撫でられている猫の方はどうでも良さそうに大人しく丸くなっているというに、何故か水宮の方が「にゃーにゃー」と声を上げてテンションMAXだ。


「あざといな」

「――ちょっ!? そらないでりょーちん?! 猫さんの愛くるしさには何人なんぴともあらがえず、人間はみんなドレイとなり下がってしまうんやでっ!? セツリなんやで!?」

「俺、犬派だし」

「……せ、せ、戦争や!! それ言い出したらもう戦争や――ジブン?!」

「まあ、ほんとは犬猫限らず動物は割となんでも好き」

「なんやー、びっくりしたわ。りょーちんとはわかり合えんのかおもた」

「にしてもそいつ大人しいな」


 さっきから水宮にいいように撫で回されているが、猫の方は随分ずいぶんと無防備かつ無頓着むとんちゃくだ。


「やっぱ下からここまで登ってきてもうたんやろか。寮内はペット禁止やし、もしかしたら学校で誰かがこっそりうてるとかかなぁー」


 しかしそんな疑問を並べ立てていた水宮の手の内で、猫は2度ほど大きく背を伸ばし曲げして体を震わすと、とんっという軽い足取りで中庭の奥の方へと駆けていく。


「あぁー、猫さん行ってもうた」


 随分と名残おしそうにその背中を見送っている水宮。


「まあ、もし誰かが学校で飼ってるならまた会えるだろ」

「そやろか……。――ああもう! うちの能力が猫さんを自由に呼びよせるヤツやったら良かったんに!」

「どゆ意味だそれ?」

「うちの能力、知っとる?」

「いいや」


 クラス全員の能力を把握してる生徒などいない、俺は素直に首を振る。


「りょーちんには特別に見せたげる。あ、でも、ここら辺におるかなぁ……?」


 思案気な顔つきになった水宮が、ぴんと一差し指を立てて腕を突き出す。

 疑問を隠し切れずにその指先を怪訝けげんに眺めていた俺だったが、次の瞬間、ぶぅぅんという既知感のある独特な羽音に反射的に上体が固まった。

 見れば、水宮のその一差し指に小さな黄色いのが止まっている。


「これが、うちの能力」

「……はちだな」

「そやー。ミツバチさん」


 わざわざ俺の目の前に蜂の止まったその指先を近づけてくる。

 さすがにちょっと冷や汗ものながら――しかし、その止まった蜜蜂はやたらと大人しい。

 ちこちこと触覚を動かしながら、水宮の指を渡ったり戻ったりしている。


「昆虫を呼び寄せる能力か。そういや聞いた事あるかも」


 昆虫の中には意思疎通の手段として特殊な匂いフェロモン分泌ぶんぴつし、それをもって端的なコミュニケーションを図る種がいる。

 その特殊な分泌物を作り出すというのが、水宮の特殊能力であるらしい。


「うーん、昆虫っておっきく区切るのもあれやねん。やってうち、ミツバチさんしか操れへんもん」

「そういう制限があんのか」

「それに操る言うたかて、そんな便利に動かしたりもできひんのやで? 今もこうやって、うちの事をお花かなんかとカン違いさせて呼びよせてるだけやし」


 なるほどな、さっきからせわしなく動いているのはそのせいか。

 花だと思い込んでるその蜜蜂は、今必死に蜜を探してるってわけだ。


 その蜜蜂のせっせとした動きを眺めていた俺を、水宮は何やら含みありそうな顔でっと見てくる。


「これ、ショボイとかおもう?」

「いや、そうでもないだろ。あれだ、威圧効果は結構高いと思うぞ。あとはほらアナフィラキシーショックとかもあるしな」

「化け物相手にそんなん通じるかーって話やわ! もー、こんな能力ぜんぜん嬉しないし! せめて、オオスズメバチとかやったら……あ、あかん――あいつら顔めっちゃ怖いねん! うち、あんなんと仲良くやってけへん!」


 早口で自身の能力の不平をまくし立てる水宮。

 それを言うなら俺だって、土塊じゃなく金塊とか石油を出せる能力が良かった。そしたらウッハウッハだもんな。


「ま、異能の力ってもピンキリだな」

「ほんまやわ、こんな力で何せえ言うんよ」

「そうネガティブになる事もないって。あれだ、ハチミツ食べ放題じゃねえか」

「それは……――有りやなっ!!」

「有りなのか」

「よし、うち養蜂園を開く事にします」

「がんばれ」


 水宮は何やら吹っ切れたような顔して、ひゅっと指を動かした。

 するとそこに止まっていた蜜蜂は羽を広げて空へと飛び立つ。そのままどこかへと飛び去り、戻ってくる事はなかった。


「あかんあかん、また道草してもうた。国やん怒っとるわー」


 遅刻癖はもしやこれが原因? ――と、そんな真相を匂わせる水宮の発言だ。


 上履きの泥を落として、俺達はやっとの事で職員室へ着いた。昼休みはそろそろ終わりそうな気配である。

 まあ、俺のせいじゃないよな。


「失礼しゃーす」


 だるさ満開で俺は職員室のドアを開けた。


 初等部、中等部、高等部と校舎が分かれているこの学園ではあるが、職員室はそれに応じて分かれているわけではない。

 全教職員が詰め込まれているため、この職員室はとんでもなく広い。

 そこから高等部担当の区画を探し出して、さらにそこから目当ての国村先生を見つけなければならない。

 厄介すぎるこの構造だが、それはセキュリティ上の仕組み故だ。

 つまり中央警備室と同じ建物内に一般人である教師達を集めておかなければならなかったという理由。

 何とも当てつけがましい。


 しばらく彷徨さまよった挙句、ようやくと目的を達成する俺達。

 ただしそこには先客の姿があった。


「霧島、お前が優秀なのは知ってるが、入学から今日までに至って一体どれだけの問題行動を起こしてきていると思ってるんだ。特別学科の成績だけで帳消しにできるわけじゃないんだぞ」


 そのなまめかしい姿態を半身に構えて、我が三千世界の怨敵――霧島凛が国村先生のお説教を受けてる。

 ていうかそれ、説教を受ける態度じゃないから。


「ん? ――玄田に水宮! 遅いじゃないか! 何してたんだ!?」


 俺達に気づいた先生のその怒りの矛先が向きを変えた。


「ちゃうねん国やん! ここに来るまでに、めっちゃ障害があってん!」


 猫という名のな。


「水宮! またそんな見えいた事を言って! どうせくだらない道草をしてたんだろう! 猫でも居たのか――ええ?!」

「す、鋭い……! なんで知ってんの?」

「やっぱりか!」


 白状しちゃったよ。

 薄々感じてたけど、この子あれだ――アホの子だ。


 大きな溜め息を一つ吐いたお疲れのご様子の国村先生は、眼鏡を外して眉間をつまむようほぐした後、気持ちを切り替えるようにまた掛け直した。


「ともかく水宮、お前にはこれだ」


 机の引き出しから束になっている用紙を取り出し、水宮に無理矢理それを押し付ける。


「何やのこれ?」

「反省文!」

「うえぇー!?」

「俺はずっと前から、お前のその遅刻癖があまりにも改善されない様ならこれを書かせるって言ってたよな?」

「びえーっ!!」

「いいか、最低でも20枚だ。それ以下のは受け付けないぞ」

「え……? にじゅう……まい……?」


 先生の言葉に水宮は魂の抜け落ちた真っ白な抜け殻となる。

 とんだ鬼畜眼鏡っぷりだぜ国村ティーチャー。


「来週までに書いてくるように。さあ、もう行っていいぞ」

「……にじゅ……じゅ……にじゅ……まい……?」


 つっけどんに促されるも水宮は言い渡された課題内容のショックの方が大きいらしく、ただ色を無くした状態のまま覚束おぼつか無い足取りで去っていった。


「先生、俺はいいんで?」

「玄田と霧島、お前らには込み入った話をしなきゃならん。ちょっと場所を変えよう」

「はあ……」


 なんだかより疲れた顔になってる担任に続いて、残っていた俺と霧島も無駄に広い職員室を後にする。

 その際、ガンを飛ばしてくる霧島を牽制けんせいするため目線が外せなかったのが厄介だった。

 油断すればタマを取りにくる。――そういうヤツだ。


 職員室の向かい側、小休止用のベンチやテーブルが並んだ一画で自販機から缶コーヒーを購入していた国村先生。

 それを開けながらこちらに向き直る。


「お前らも何か飲むか?」

「や、いいっす」

「……………」


 霧島は不貞腐ふてくされた子供のようにだんまりを決め込んでいる。

 特にそれを気にも留めない先生は「そうか」と漏らし、一口喉に通してからおもむろに話を再開した。


「単刀直入に言うがな、お前達はいくらなんでも問題を起こし過ぎだ」


 その「達」という部分を取り沙汰ざたして思い切り反論をなげうちたかったが、まあここはぐっとこらえておく。


「今期が始まってから二ヶ月も経たず、合計で34回の無断能力使用による騒乱。これは前代未聞だぞ?」

「記録を塗り替えたわけすか。誇らしい限りで」

「こら、真面目に聞け」


 合いの手を入れたつもりが怒られてしまった。――てへへ。


「いいか、このままだとな……いずれは『監査室』が動く事になる。いや、もしかしたらもう動いてるかもしれない」


 その「監査室」と言い放った時、デフォルトでどこかとぼけてるような国村先生のそのご尊顔がえらく険しいものに見えた。


「……執行機関と名高い『監査室』ですか」

「詳しく知ってるのか? 玄田」

「まあ噂とかで、それくらいの予備知識はありますよ」


 俺達みたいな異能者をこの学園に掻き集めた一番の理由、それは俺らを査定するためにあると言っても過言ではない。

 俺達の能力がどれほどのものか、その力で人類にどれだけの貢献ができるか――いいやあるいは、どれだけの〝害〟になるかを調べるためここに集められたわけだ。


 そして監査室とは、その最終査定を担うこの学園の一機関であり、ある一つの「処置」を施す事を権限として許された存在だという。

 学園そのもの中に組み込まれている訳でなく、学園側からの要請に応じて動く独立した部署があるという話だ。

 つまりは外部機関というヤツらしい。

 わざわざそうめいを打つのは、あくまで第三者的立場から公平に判断を行うというそういう類の建前だろうと思える。

 学園と生徒の関係、そこにシステム的なワンクッションを置く事で公平感を出している。――あくまで公平〝感〟だ。

 実際には権力は学園上層部に集中しているので、そこに意味などはない。


 また、その実体は掴めずとも、かなりきな臭い連中であるとの噂。

 先に述べたその「処置」とは、即ち学園からの排除。

 同時に学園の庇護――認可と言い改めるべきか――を受けれない特異体の居場所は、今の所この世界にはない。

 つまりは……と、いう具合なのである。


 昔は問答無用でしょっかれる生徒がいたとか、そして連れて行かれた生徒は二度と学園に戻る事はなかったとか。

 「監査」というより、まさに「執行」という意味合いのが強い訳だ。


 ただまあ、あくまでもそういう噂である。


「でも先生、そのいわくつきの監査室って、結局は生徒を脅す為のでっち上げだって噂っすよ? 少なくとも、もう十年――いや二十年近くはそこに連れてかれた生徒なんかいないって話で」

「そう言われてるらしいな。けど実際に俺達教務課の人間は、監査室なる存在が権限を実行した際の諸々の処理を記したガイドラインを与えられているんだぞ。確かに、俺だって監査室それ自体を眼にした事はないが……」

「それ、更新されてないだけで実はもう機能してないんじゃないすかねえ」

「だとしてもだ。いいか玄田、この学園じゃ俺達教務課の人間には権限なんて有って無いが如くなんだ」


 この学園の教師はあくまで雇われの地方公務員である。

 ある程度の機密は知らされるものの、根本的には彼らは一般市民。


「もしこの先、本当に監査室が動いてお前達が連れて行かれたら、俺はもうお前ら二人に何もしてやれない事になる」


 国村先生はそう言ってに苦そうに顔を歪めた。

 それはどうもコーヒーがという話ではないらしい。


「だから、頼むから、もうこれ以上の問題になるような……そんなバカな真似はしてくれるなよ」


 地味でぱっとしないその顔に真摯しんしさを乗せて、国村先生はそう呟いた。

 ほんと、変テコ極まりない人だ。――心の底からそう思う。


「わかってくれるか、玄田」

おっしゃりたい事は……」


 いくらひねくれ者の俺でも、先生のその心遣いは素直に聞き入れる。――てか、俺の方は問題起こすきなんてさらさら無いんですがねっ!


「霧島、お前も」

「話はそれだけですか?」


 ようやく口を開いた霧島が、そう興味無さげに吐き捨てた。


「それだけって……お――おい、霧島!」


 長い髪をひるがえしてきびすを返したのは、馬鹿女だ。

 こいつには人からの心遣いを受け取れるだけのまともな感性はないのか。


「霧島のやつ、一体どういうつもりなんだ……」


 嘆くようにその後ろ姿を見やって、国村先生は誰ともなく呟いた。

 どうも根深いようで、あのトンチキな性格は。


「玄田、すまんがこれからもあいつの事を頼むぞ」

「……え?」

「お前だって、自分の彼女の身が心配だろ」

「彼女?」


 この眼鏡はいきなり何を言い出したんだろうか。

 ちょっと本気で戸惑ってる。


「お前ら二人、付き合ってるんだろう?」

「……え?」

「違うのか? お前ら二人、そういう関係なんじゃ」

「ちょっと存じ上げない事実です」

「なんだ違ったのか。お前らいつも、あんなに仲良さそうなのになあ」

「……え?」

「いやだから、いつもお前らがあんな親しげだからな。そうなのかと思って」

「……先生、もしやその眼鏡、度が合ってないのでは?」

「何言ってる。この前新調したばかりだぞ」

「あ、はい」


 質朴しつぼくというよりは朴念仁ぼくねんじんというか、素でこういう風なんだよなあこの人。


 まあ、霧島が日々俺に向けて「熱を振り撒いている」のだけは紛れもない事実なんだが。

 ――物理現象的な意味で。



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