〈13〉


 日はとっぷりと暮れ、夜は深まるばかり。

 そしてもう2,3時間もせず、日付をまたいでしまう。


「おいこらハゲ」

「はい……」

「お前、すぐヘリが俺達を見つけるとかぬかしたよな?」

「はい……」

「学園側にすぐバレちまうから、動けるのは半日だけって計画だったよな?」

「はい……」

「どうすんだお前これ?」

「はい……」

「いや、本当どうすんだよ?」

「はい……」

「はいしか言えねえのか?」

「…………」


 未だ人影など見えず、夜空も至って静かだ。

 捜索隊こねえじゃんか。


「もしかして、ボク達が居なくなった事に気づいてないのかな……?」

「いや時野谷、その可能性は限りなくゼロだぞ」


 授業の際は、必ず自席にタブレットを差し込まなければならない。つまりはそれが点呼だ。

 寮においても、門限内に自室のスロットに差し込んで置かなければ様子を見に来られるレベルの監視体制。

 俺達の行動は基本的に筒抜けである。

 偶然に偶然が重なったとしても、そんな可能性は無いとすら言える。


「やっぱりあれか? パトロールのヘリ部隊のトラブルってやつ。これまで一機も見てないっつーのはなあ。そのせいで、捜索に手間取ってんのかもよ」

「もしくは学園全体に何かあったかだ」

「マジかよ? 話のスケールが大変なことになってねーか」


 さて、一体どうすべきか。


 昼間の疲れから俺達の体力は消耗しょうもうしている。

 強行軍を覚悟で学園まで突っ切って戻るか、体力を温存させて救助が来るのを待つか。

 とはいえ、深夜の森の中をくなど正気とは思えん。


「そういえば、気になってたけど――」


 時野谷が唐突に切り出す。


「昼間のあのトラックの群れってどこに行ったのかな? タイヤの跡は蒼沼ここの近くまで続いてたのに、そこからぱったりと途切れてたよね?」

「樹海の中にでも入ってったんじゃねーか」

「車で入れるような場所か」

「じゃあドコ行っちまったんだよ?」

「それが不思議だから、時野谷は尋ねてるんだろうが」

「あ、そういう事かよ」

「ボケボケやな、はざーちゃん」

「お前が言うなっつーの」

「……亮一くんは、どう考えてるの?」


 漫才を始めた羽佐間達を差し置いて、時野谷はこちらに目線を傾ける。


 時野谷の疑問はもっともだ。

 タイヤの跡はちょうど今俺達が居るこの沼の前まで続いていたのに、そこから忽然こつぜんと消えている。

 これでは確かに羽佐間の言う通り森の中に入ったか、しくは沼の中に入っていったとさえ思える。


「そうだな……どこに消えたかはまるで想像できんが、あれだけの規模の車輌群だったんだ――きっと何かを輸送してたんだとは思う」

「何かって何やの?」

「それが見当つかん。こんな場所だから伐採した木材とか、土砂とかそういう類のものだとは考えられるが」

「そもそも、マジでどこに消えたんだよ。蒼沼を越えた先にだって樹海しかねーぞ」

「道は一本だから、引き返してきたんならボク達ともう一度遭遇するはずだしね」

「けっこうホラーな話やな」


 説明のできない事があまりに多い。

 しかし、今はこれ以上の状況悪化を防がねばだ。

 あとどれだけ待っていればいいのか。

 ともかくまきの予備が必要になるだろう。


「仕方ねえか」


 俺は空気を変えるよう、どっこいしょと立ち上がる。


「どした、玄田?」

「薪がやっぱり足りない。最悪火が尽きればあの小屋に戻ればいいが、出来れば絶やさずにおきたい。小屋の中に何枚も板があったろ。あれをいて使わしてもらおう」


 厚さ的にもちょうど良い。縦に裂いて分割すれば、それなりの量にもなるだろう。

 何より、今から樹海の中で乾いた枝を捜すのは流石に難儀だ。


「僕も行こうか?」

「いいって。休んでろ時野谷」

「でも、朝から亮一くんばっかり働いてるし」

「気にするな。動いてる方が落ち着く性分なんだ」

「ご苦労だなー」

「お前は一緒に来い」

「あぁ? なんでだよ」

「楽してるお前を見るのがしゃくだからだ」

「んだよ――それっ!」

「いくぞおら」

「はざーちゃん、気張りぃや」


 人任せにしようとする羽佐間を促し、水宮のそんな暢気のんきな声に見送られ、俺達はさっきの小屋へと引き返す。


 距離はそれほど無いが道中はやはり空恐ろしい。

 振り返れば炎のだいだいが見え、水宮達のお喋りの声が遠く聞こえるが、やはりここは寂然せきぜんとした樹海の最中であった。


 小屋の明かりは点けっ放し。

 発電動機が切れてしまったら目も当てられないが、灯りの数は多い方が目立つだろうという配慮からだ。


 ――と、そこで疑問に思った。


「あれ……?」

「なんだよ、立ち止まって」

「いや、小屋の発電機はどこだ」

「発電機? なんでそんなのが有るんだよ?」

「なんでも何も、お前がそれをを動かしたから電気が使えるんだろ」

「……ハァ?」


 ふざけている風でなく、本気で羽佐間は不審な顔をしている。


「ふつーに電灯のスイッチ入れたら、点いただけだぞ」

「んなアホな。羽佐間よ、電気がどこから来てるか知ってるか?」

「最寄りの発電所だろ」

「その発電所から、何を経由してこの小屋に電気が通ってるって?」

「そりゃあ……あ、そうか、電線」


 その事にようやく羽佐間も気がついたらしい。

 この辺りまで電線も電柱も伸ばされていないのを首をめぐらして確認している。


「あれ? じゃあ、なんで電気点くんだよ――この小屋?」

「だから普通は備え付けの小型発電機があるんだよ。ガソリンで動くような」

「そんなの俺、触ってねーぞ。つか見てもねーよ」

「……そうみたいだな」


 ぐるりと小屋の周りを調べるも、そういう形跡はない。

 森の中、ぽつんと建ったそこから眩い灯りが漏れている。

 この光は果たしてどこから来ているのか。


「あれじゃね、景観がどうので地下にインフラを全部通しちまうだろ。この小屋も地下から電気がさ」

「こんな小屋一軒のためにか?」

「わかんねーぜ。元々ここら一帯にそういう設備が通ってたのかもだし」

「当初は学園の規模をここまで広げるつもりだったのか。上下水道も通ってるし、確かにその可能性も……。いや、しっくりこねえな……」

「気にしすぎだ玄田。俺らにとっては、インフラが通ってる事はありがたい以上の意味はねーだろ?」

「お前なあ……」


 羽佐間の言い分はあまりに能天気だが、確かに今その事を究明できるでもない。かかずらっていても進展はないか。


 切り替えて、無造作に立掛けてある板を棚にあった手斧で細かくばらす。

 板はちょうど一畳分の大きさで厚さは3cm、それが数枚。――何に使用するのか知らないが今は薪として使わせてもらおう。


 切り割った端から、羽佐間が拾っては運ぼうとする。

 もっとまとまった量になるまで待てば往復する回数を抑えられるというのに、相変わらず段取りの悪い奴だ。

 実際、何度も往復するはめとなり、あろう事か俺を批難ひなんしてきやがった。


 小屋の中にあった全部をばらす。

 それほど必要ないかとも思えるが、あとどれだけ待っていればいいのか。多いに越した事はないはずだ。


 羽佐間がりずに文句を垂れながら何度目かのピストン輸送に発った折だった。


 ふと人の気配を感じて、隣の部屋の窓に目がいく。


「誰だ?」


 薄く開いたガラス窓の向こうに誰かいる気がして、思わず声を掛けた。


「羽佐間……じゃねえよな――」


 あいつは今さっき歩いてったばかりだ。


「おい……? 誰だよ」


 思わず警戒心がつのる。

 斧を手に、立ち上がっていた。


 数秒待ってみたが、窓の向こうからの反応はない。

 近づいてそのガラスを全開にして外を覗き込もうとした。

 その時になって、見覚えのあるふわっとした薄茶色の髪質が窓の隙間に浮かんだ。


「ごめん、亮一くん……ボクだけど……」

「時野谷?」


 次いで、愛らしいその目許が覗く。

 窓の高さのせいでそれ以上は顔を出せないようだが、そこにいたのは間違いなく時野谷だった。


「なんだ、結局手伝いに来てくれたのか。いいから休んでろって言ったろ」

「えっと……」

「ったく。大方あっちでも羽佐間が盛大に愚痴ぐちってたんだろ。奴の妄言もうげんなんぞ、気にしなくてもいいのに」

「あはは……」


 まさしく天使のような時野谷だ、居たたまれなくなったのだろう。――羽佐間のボケナスアホめ。


「あの、そのね……ちょと亮一くんと話したくて」

「話?」


 それでわざわざこっちまで来たのか。

 時間ならたっぷりあるし、向こうでも話ならできるだろうに。


 いや待て、という事は皆の前では話しにくい内容なのか。

 なんだろう、愛の告白かな? ――よっしゃバッチコイ!


「………………」


 時野谷は慎重に言葉を選ぶようにして目を伏せた。

 それは想定していた以上に長い沈黙となっていた。

 まさか本気で愛の告白のパターンかこれ? ――いいよ、こいよ! 全力で時野谷を抱き留める準備はあるから!


 とか思っていたら、時野谷はその場ですっと反転して後ろを向く。

 俺からはふわふわとしたその後ろ髪が見えるだけとなった。


 外の壁に背中をつけ、心持ち空を見上げるようにしている。

 そして、それまで胸に溜めていたらしい息を長く吐いた。


 また沈黙が流れる。


 どうやらふざけてる場合でなく、本気で何か言い辛い事のようだ。

 いつもの時野谷とはどこか違う悲愴ひそうめいてさえいる節。


「どうしたよ、時野谷。もしかしてまだあの話を引きずってるのか」

「えっ?」

「ほら、さっきのチーム編成の――お前の能力云々の事」


 俺は自分から、そう話を促してみた。


「あ……! うん、そうだった。その事も、ちゃんと話したかったんだ」


 少しだけ、そう声の調子を弾ませる。


「あの時、亮一くんが言ってくれたあの言葉。――本当に嬉しかったな」

「別に大層な事は言ってねえがな」


 さっきは柄にもなく感情的になっていたので、若干気恥ずかしいセリフも言ってしまった。――よって、ちょいはぐらかしておく。


「そんな事ないよ。あの時、亮一くんが言ってくれた……あの言葉のおかげで……ボクは自分で選ぶ事ができるようになったんだと思う」

「なんだそりゃ?」 


 何だか随分と大袈裟おおげさな表現をする時野谷だ。


「――あはは、ごめん。えっとそうじゃなくてね、本当に感謝してるって伝えたかったんだ。あの時の事だけじゃない、色んな場面での事……亮一くんには感謝してもし切れないよ」

「なんだ、改まってさ」

「ううん、ボクだけじゃない。みんなが亮一くんの事、頼りにしてるんだと思う。いつだって、亮一くんは僕らの前に立ってくれる。みんなの風除けになろうと、色んな事が押し寄せてきても……亮一くんはたくさんの荷物を背負って……ずっと前を――」

「時野谷?」


 どうした事だこのベタめは。

 そりゃあ今日は朝から色々と気張ってはいたが。それだって、羽佐間のグダグダな計画案のせいで止むを得ずって感じでだ。


「えっとあの、そうじゃなくて……亮一くんは頑張り屋さんだって言いたかったんだ」

「頑張り屋さんねえ」

「うん。とっても頑張り屋さんだよ。辛い事があって、立ち止まる事があっても、亮一くんはいずれ前を向く。そして気が付いたらもう歩き出しているんだ」

「本当にどうしたんだ時野谷? 何だか変だぞ」

「えへへ、ごめんね。うん、だいぶ変だよね、今のボクは……」

「やっぱり疲れが出てるんじゃ? 今日は結構な道のりだったからな。だから休んでろって言ったのに」

「でも、どうしてもいておきたかったんだ。なんで亮一くんは……そうやってみんなのために頑張れるのかなって」

「なんで、ってか? ……そりゃまあ、そういう風に生まれたからだろうぜ」

「性格って事?」

「おうとも。自分なりの分析なんだがな、結局、俺ってドがつくナルシストなんじゃねえのかなって気がすんだ」

「――?」

「いや、つまりさあ、情けない自分ってのを――誰よりも俺自身が許せないのさ」


 俺の自己分析を時野谷は神妙に聴く。


「きっとあれだ、自己愛性障害とかそんな病気なんだろう。俺は、俺自身が、強くてかっこ良くなきゃ満足できねえのさ。自分が自分を好きでいられるよう、俺は必死で努力をしてるって訳だな。誰かのためとかじゃなく、結局は自分本位さ」


 日頃、意味もなく繰り返していたそんな考察。

 実際、おおむねその通りだろう。――決して俺は、出来た人間でも、優しい人間でもない。

 そんな俺を見せ掛けで勘違いして欲しくはなかった。

 特に、この時野谷には。


「ふふっ……あはは!」


 けれど時野谷は、そんな俺のセリフを聞いてどうしてだが嬉しそうな声で笑った。


「やっぱ、ひでえ答えだったか?」

「ううん、そうじゃないよ。今の答え、なんだかすごく亮一くん〝らしい〟なって」

「そりゃ俺の考えだからな」

「うん、そうなんだ。きっとそういう事なんだと思う。亮一くんが亮一くん〝らしい〟のは当たり前なんだ」

「お、おお……」

「今の答え、なんだかボクすごく好きだな。いかにも亮一くんが言いそうなんだもの」

「えーっと、あれ? もしかして馬鹿にしてる?」

「違うよ」

「まあ、馬鹿にされても仕方ねえ発言だったが」

「そんな事ないってばっ」


 顔は見えないが、それまでのどこか沈んでいた時野谷の雰囲気が明るいものへと変わっていた。

 よくは分からんが俺の話で何か吹っ切れたのか。


「それでね、続きなんだけど、最後にもう一つだけ……訊いてもいいかな?」

「別に最後と言わず、好きなだけ訊いてくれて構わねえよ」

「もし、もしもの話だけど……『頑張らなくてもいい』って知ったら――亮一くんはどう思う……?」

「何だそれ」

「その……『頑張らなくていい』というか、『頑張らない方がいい』って知ったら……亮一くんはどう思うかな? 世の中、色々な事があるから……知らないでいた方が良かったって話や、関わらないでいた方が幸せだったって話……あると思うんだ。そういう事があらかじめ判っていたら、亮一くんはどうするかな」


 なんとも哲学的な話だった。


 時野谷の言いたい事は理解できる。

 結局、俺らは完璧でも万能でもない訳だ。

 そんな俺らがどう必死にあがこうと、どれだけ気張ろうと、導き出せない結論――辿たどり着けない結末はあるって話だろう。

 ならば始めから、何もしないでいる方がお利口さんだ。


 それは判る。

 が――


「さっきも言ったが時野谷、俺は『欲しがり』なんだぜ」

「うん……」

「結果がどっちに転ぼうがよ、きっと俺は、まず第一に何も知らなかった自分――何もしようとしなかった自分ってのに、腹を立てちまうと思うんだ。全部が全部、思い通りにいかねえのは知ってる。それでも俺は、我がままで欲しがりなのさ。多くのコトを望んで、多くのモノをこの掌で掴みたいってな具合によ。そんな俺が過去を振り返って、その手すらも伸ばさなかったって知ったら、まず俺は〝俺〟を許さねえよ」

「……やっぱり」

「なんだよ、『やっぱり』ってのは」

「今のその答え、ボク何となく予想できてたよ」

「ほお? そりゃ悪かったな、予想を裏切れなくて」

「違うよ亮一くん。〝期待〟を裏切らないでいてくれて良かったんだ」


 その時になって時野谷が振り返った。

 窓越しにはその目許だけだったが、まるで心の底から安堵したというように笑んでいるのが見て取れた。


「ごめんね長々と。ボク、もう行く事にするね」

「そうだな、やっぱ水宮達のとこに戻ってた方がいい」

「うん……。ありがとう、亮一くん――本当に」

「だから大した話はしてねえよって」

「えへへ」


 またそうやってゆるやかに笑む時野谷だ。


 がさりとした葉擦れの音が遠ざかっていく。


 後になってふと、何やら引っ掛かる言い方をしていた時野谷に気づく。

 それに恥かしがり屋さんのその性格は知ってるが、扉側からではなく隠れていたように窓から顔を出したのも変だ。

 とは言え、まあ向こうに戻ってから尋ねてみりゃいいか。


 俺は中断していた作業を再開した。











 立て掛けてあった板は全てばらした。

 ついでに持ち運び易いよう、近くにあった縄で縛って束にしておく。


 だというのに当の羽佐間の野郎がいつまで経っても戻ってきやがらねえ。

 あんちくしょう、面倒臭くなって投げ出しやがったな。

 残りはなんとか俺なら一度で運べる量だが、――ええい、忌々いまいましい。

 しかしここで印字を切って呪法を唱えていてもらちがないので、俺は聞き分けよく薪束全部を担いで立ち上がった。


 その時、ふと感じた。


 何やらこの部屋の間取りがどうも奇妙に映る。

 正確に言葉にはできないが、物の配置というかその全体像に意図的な何かを覚える。

 立て掛けてあった板が無くなったせいか、奥の壁だけやたらと寂しい印象。

 あふれんばかりの物が詰め込まれた棚をどうして入り口から向かいの壁には設置しなかったのか。

 棚でなくても、釘の一つでも打って何かを吊るせばいいのに。

 奥の壁だけが妙にさっぱりしている。


 しかして、不可解な印象を覚えるだけでそれがどうしたで終わる話。

 俺はただ残りの切れ端を担ぎ直して、焚き火の所に戻る事にする。



 その道中、草の上にばら撒かれた木板の切れ端を見つける。


「なにやってんだ、あの馬鹿」


 そう悪態を吐いた矢先――

 その草むらの影に埋もれている靴と学生服のスラックスをも発見した。

 怪訝けげんにその場所に近づいて、瞬間、ぞわりと撫で上げられるような緊張感が。


 静かであった。


 ちょっと前まで微かに届いてきていた、よく響く水宮の笑い声も聞こえない。

 火を焚いた場所と小屋とにそう距離はない。

 事実、炎の明かりと小屋の電灯の光、どちらかを向けばどちらかを判別できる。


 そのちょうど中間地点で倒れているのは羽佐間だ。


 疲れて寝てしまったのか? 

 正直、そういう間抜けな状況であってくれたら良かった。

 疲労から気を失うように眠りついてしまう――あるにはあるかもしれないが、この場でそれは解釈が甘い。

 何より、こちらに背中を向けている羽佐間のその後ろ首に奇妙な物がある。

 幾条いくじょうもの飾りひもがついた指先ほどの小さなつつ

 矢羽やばねと同じ原理をするその飾り紐は、旋回を安定させる為のもの。 

 そこに、注射器に似た小型の投げ矢ダートが刺さっていた。おそらく殺傷性のない特殊な用途の。


 歩みを止める事なく、草むらに倒れ伏している羽佐間のすぐ傍まで至る。

 そしてそこで膝をついてさらに羽佐間の様子を確認すべく臨んだ。


 ほとんどかんに近い思いつき。

 一割二割の疑念から、しかし小心な俺は自分の首筋を土塊で覆わせていた。

 そして無防備に自らの体をその場で静止させる。


 直後――

 軽い衝撃が後ろ首に伝わる。

 空気を切り裂くような鋭い飛翔音が、前後して鳴った。


 抱えていた切れ端を取り落とし、俺は肘をついて四つん這いだ。

 自分のうなじに手を遣れば、やはり筒状のものがが刺さっている。

 羽佐間の横のその草むらに、不自然にならないよう努めて倒れこむ。


 この注射筒、空気圧で打ち出す類の強力な鎮静薬――つまり中身は麻酔か何かだ。大脳や脳幹辺りを問答無用で黙らせるレベルの。

 遠影先輩の話で聞いてなかったら、思い至れなかった。


 それらが飛んできて、俺や羽佐間に刺さった角度から見て、右手の樹海側――小屋と焚き火とを繋いだ道の脇に何かがひそんでいる。



 長いような時間、俺は息を殺して待った。



 やがて、土を踏む複数の足音がこちらに近づく。

 人であるのは間違いない。

 だが捜索隊という雰囲気ではない。

 だから俺は手を打った。能力を使って。


 その目論見はこうを奏する。

 闇の中で何かが動いている。それも一つや二つではない。暗くてはっきりと見えないが、その格好も辛うじて判断できる。


 次の瞬間、まばゆい光が差す。

 軍用ライトか何かの強い光源。それが宙に向かって合図のように振られた。


 照らされた灯りで、俺はその場に現れた彼らの姿をはっきりと見る。

 学園の警備部隊の腕章は見受けられない、しかし似通った装備をまとっている。

 装甲戦闘服コンバットアーマー最新式の自動小銃FN SCAR-H――およそ判別し易い。


 だが内一人の手には、他と装いが違う古めかしい形状のライフルがたずさえられていた。

 よくよく観察すると、それはまさかの国産の傑作銃――三八式歩兵銃アリサカ・ライフルじゃねえか。

 だが排莢はいきょう部分が魔改造されているレベルだ。

 機関部の構造が比較的に簡略なその骨董こっとう品を空気圧で打ち出す麻酔銃へと改造したのだろうか。――なんと贅沢ぜいたくな事を。


 直後、木々の向こう側、蒼沼の方角から車の排気音が響いてきた。

 闇を裂くヘッドライトの光芒こうぼうも見える。

 車両か何かが蒼沼のへりを渡ってきたのだ。

 その場に居るはずの水宮達が騒いでないという事は、となりの羽佐間と同じような状態にされているって事か。


 男達がライトを手にこちらに近づいてきた。

 俺は相手から見られないよう草で顔を隠しつつ、慎重に様子を窺う。


「本部、全目標は昏睡。次の指示を――」


 一人が、胸に取り付けられた無線機に向かって喋る。

 抑揚のない冷徹な声。学園でもよく聞いていた気がする。

 ザザッとしたノイズ混じりに、こっちには聞き取れない音量で無線機の向こうから返答が来る。


「……了解」


 その無線機持ちの合図により、男達は構えていた小銃を肩に戻し、警戒をいた。


 さて、こっからどうしようか。

 思わず策をろうしてみたものの、この状況が危ういのは変わらず。


 まず、こいつ等は一体誰だ?


 十中八九で学園の関係者だろうが、捜索隊とは違う。

 いや仮に捜索隊だったとして、麻酔銃で昏倒? ――奴ら、なんでこんな手法を取ったのか。

 学園を抜け出した俺達に対して彼らが御冠おかんむりだったとして、普通に姿を見せればいいのではないか?

 あの様子から察するに、脇の樹海の影に潜んでいた?

 ……いつから?


 そもそも学園の警備部隊なら俺達を連れ戻す事しか考えない。

 彼らは怒るとかしかるとかいう概念――真っ当な人間に対するコミュニケーションを俺達とは取ろうとしない。


 学園を抜け出した俺達を危険分子と捉え、問答無用で昏睡させたか? それこそ今回の俺達の悪だくみがどこからか漏れてしまった? 

 にしたって警告もなしとはに落ちない。


 まるで彼らは、俺達に姿を見られる事を忌避きひしているようだ。

 影に潜んで音のしない空気銃によって麻酔針を飛ばす。――忍者かよ。


 次の瞬間にこちらが何をされるか解らぬ分、素直に眠らされておく訳にはいかなかった。

 それでも、ここからどう動くべきなのかね。

 害意を見せたならすきを突いて先手を――とも考えていたが、そもそも麻酔薬で眠らそうとしてきた手前、どうも相手側の目的がはっきりしない。


 その時、俺の眼と鼻の先に黒い軍用ブーツが現れた。


 横の羽佐間の体が無造作に動かされ、引きられる気配がある。

 不自然にならないよう、俺も目を閉じ、身体の力を抜いた。

 どうやら渡ってきた車両の方へと俺達を運ぶつもりらしい。


 ともかく今はすがまま、まだ動くべきではない。

 状況をもう少し掴むまで狸寝入たぬきねいりは続行だ。


「全員を貨物トラックへ乗せろ」


 男達の会話が聞こえる。


「引き渡すだけでいい。後はあちら側の仕事だ」

「道中、目を覚ましませんかね」

「心配ない。少なくとも半日は眠ったままだ」

「それほど強力な効果が?」

「常用すれば廃人確定だぞ。記憶障害まで併発へいはつさせる威力だ」


 なんか、恐ろしい会話を繰り広げてんだが。

 他のみんなは大丈夫なのかよ?


 というかやはり、捜索に来た警備部隊ではないらしい。

 本当に何者だこいつ等?


 あわよくば適当な場面で逃げ出そうかとも考えていたが、俺一人だけ逃げ出すのもどうかだ。

 というより意識を失くしているであろう時野谷達と離ればなれになるのは避けたい。


 とは思うが、今この状態では現状維持しか手立てがない。



 しかし、最悪なケースが待っていた。

 男の一人が何か懸念を覚えたのか、手にしたライトを俺の顔に当ててきた。

 こっち向けんな! ヤメロッテ!


「こいつ……? ――おい貴様!」


 あっ、ダメみたいですね。


「どうした、何事だ?」


 その剣幕に触発されるよう他の男達もこちらへとせる。

 渋々しぶしぶと眼を開けて、俺はゆっくりと身を起こした。勿論、ホールドアップも忘れずに。


「こ、こんばんは」


 俺の動きに反応し、一斉にライトと銃口がこちらに重ねられる。

 寸分の差異もない、見事な反応と連携だ。――挨拶しただけなのにね。


「学園の警備隊の人ですかね? 俺らの捜索に? いやあ、お手数をかけます」


 立ち上がって愛想笑いをかましながら、俺は初めて彼らと顔を合わせた。


「森の中をですね、迷っちまいましてね? で、運が悪い事に、タブレットが壊れてるみたいなんすよ。助けを呼ぶにも連絡が出来なくて、ほとほと困ってたんすわ」


 そんな空気ではないと知りつつ、とりあえず俺は手筈てはず通りの言い訳を繰り出してみる。


「…………」


 無論、彼らはだんまりだ。――ひどく剣呑けんのんに。


 魔改造アリサカを構える一人が、ボルトアクションで給弾する。

 しかし、それをリーダー格と思しき一人が制止した。


「よせ、今からでは意味がない」

「では始末しますか?」


 動きを止められた兵士のその一言で、自動小銃を持つ周りがACOG高度戦闘光学照準器を覗いてトリガーに指を乗せる。


「本部に指示を仰ぐ」


 胸の無線機を取り出した一人以外は冷酷なまでの目で俺を貫いている。

 おまけに複数の銃口を向けられ、しかもトリガーには指。

 ――人生初めての体験である。噛み締めなきゃ。


 あやふやな光源ならともかく、あのの強いライトの光に照らされりゃ俺の首を覆っている土面を見破られて当然か。そこで止まっている麻酔針の事も。

 狸寝入りなどお粗末な策だった。

 けどあの段階で思いついたにしちゃ、上策とも言えるんだがなあ。


「…………了解。地下へと連行します」


 通信を終えた一人の目配せにて、トリガーから指が外された。

 向こうの警戒の色合いは強くとも俺は生き返った心地である。


「残りも確認してこい。本当に意識を失っているかどうか」


 その指示により、四人が樹海を抜けていった。


 少しして、内一人が戻ってきた。


「問題ありません。こいつだけのようです」

「なら当初の予定通り、この対象以外は運べ」


 その一人が残っていた羽佐間を担ぎ上げ、また去っていく。


 そして取り残される俺。


 会話の流れ的に俺もそっちに混ぜて欲しいんだが。

 視線で問うてみても、彼らは警戒した冷徹な目を向けるだけ。


「来い、歩け」


 二人に減った男達にせっつかれるよう銃を向けられ、俺は自主的に両手を頭の後ろに回してその指示に従う。


 向かわされたのはあの小屋だ。


 彼らが小屋へと足を踏み入れた瞬間――空気の圧が抜けるような独特な音を響かせ、奥の壁が変形した。

 板張りのその壁面が吸い込まれるようさらに奥へとへこむ。そして地面に収納されるよう下にスライドしていった。

 そこから姿を見せたのは、ステンレス製の階段。旅客機などのタラップというべきか。

 蛍光灯を埋め込まれたコンクリートの壁が左右に、まるで縦穴のように地下深くへとそれは続いていた。


 こいつはあまりにもそれっぽくて逆に驚きが小さい。

 どこかで遠隔操作しているのか、裏手の小規模な丘も含め、なるほどこの為だけにカモフラージュで建てられた小屋なのか。


 そんで、この奥には何が待ち受けているやら。


「入れ。妙な気は起こさずにな」


 またも気まぐれで銃口を突きつけられる。

 当たり前の話、毎回その感触にびくりとしちまう。


「どういう事なんすかね、これって?」

「発言は許可しない。黙って入れ」


 学園の警備隊と同じく高圧的だ。

 だがそこに明確な違いが感じられる。


 こいつら、いよいよとなったら本当に俺を撃つだろう。

 その徹底した職業意識の塊のような眼を見れば瞭然りょうぜんだ。


 学園の警備部隊もプロだ。

 しかしその目的――職業意識とは、秩序を保つ事であり、その為の手段だ。だから彼らが無為むいに発砲をするような事はしない。


 しかしこいつはどこか違う。

 手段がその目的でもある連中な気がする。

 そう、最終手段としての殺害ではなく、最初からその殺害を請け負うような人種。


 本気で変な事は考えない方が良さそうだ。

 俺は従順さをこれでもかと見せつけ、そのタラップに足を掛けた。



 かなりの距離、それは続いていた。

 前に一人、後ろに一人、その間に挟まれ急勾配こうばいなその階段を降りていく。



 やがて、開け放たれた広い場所へと至る。


「うぉ……」


 思わずそんなうめきが漏れる。


 ここは地下じゃないのか――目の前にひろがるのは広大な空間だ。

 打ちっ放しのコンクリートの壁は変わらず、しかし天上までの高さはかなりある。そして縦横に広い道路が張り巡らされている。

 それは大型車ですら悠々と通れる道幅。

 トンネルの中ような風景だが、この場所がかなりの規模である事は容易く判る。


 道路の端で待たされていると、一台のジープが目の前で停車した。

 周りの男達に無言でそれに乗れとせっつかれ、俺はそのほろを掛けられた軍用ジープに乗り込む。

 その際、車内になんでそんなもんを常備してあるのか、俺は許可も取られず後ろ手に手錠をされる。

 まあ、「申し訳ありませんが手錠をさせて貰ってもよろしいですか?」「はい、どうぞ」とはならんだろうが。――普通は。


 座席に揺られながら、途中、鋼鉄製のシャッターが降り厳重に封鎖されている通路もいくつかあったのを眼にする。

 何やら物々しい雰囲気だ。



 さてさて、これらから俺はどうなっちゃうのやら。



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