〈4〉




 小中高一貫教育の長峰ヶ丘ながみねがおか監獄――もとい学園は、ちゃんと土日は休んでくれる。

 と言っても寮内で過ごすか、やっぱり自習のため学校まで出向くか、もしくは山麓さんろくの歓楽街まで繰り出すか――

 だいたい3つのこの行動パターンしか生徒達は持ち合わせていない。


 よほど成績が良く、模範的生活態度の虜囚りょしゅう――もとい生徒であれば、分厚い申請用紙と格闘して外界まで出向く事を許されている。

 それでも立派な監視がつくらしいが。


 不幸にも学園始まって以来の問題児として見されている俺には、その権利がはるか遠くに感じられる。

 無難に刑期をつとめ上げるかと部屋の中、寝巻きを兼ねたジャージ姿でごろごろして物思いにふけっていると、自室のドアをノックする音が聞こえた。


「入って、どうぞ」

「亮一くん?」


 時野谷だった。

 私服姿の所を見ると、彼は今からどこかに出かけようかという状態らしい。

 それも制服じゃないからおそらく行き先は一つ。


「出掛けるのか、時野谷」

「うん。それで亮一くんはどうしてるのかなって思って」


 六畳一間の狭い寮の一室、床に胡坐あぐらきながらベッドの側面に背をつけている俺の向かいに時野谷はちょこんと収まった。


 薄茶色の長い巻き毛と愛くるしい目鼻や口、その前髪に隠れがちな瞳からはいつも控え目な視線を送ってくる。

 長い禁欲生活の果てならば、押し倒しても情状じょうじょう酌量しゃくりょう無罪セーフになりそうなほどのルックスである。

 いや事実として、彼はこのむさ苦しい高等部男子寮の紅一点だ。

 多くの男子学生がこの寮内にて如何いかんともしがたい青臭い情動を苦心して持て余している折、時野谷に対してよこしまな考えを抱く事があるという。

 考えるだけなら問題ないですし。――ま、多少はね?

 女人禁制のこの場では致し方なし故、みなそこは――時野谷を除いて――公然の秘密だ。


「ところで時野谷、ちょっと女装とかしてみないか」

「えと、唐突な上に発言の意味がまるでわからないよ……?」

「ああ、すまん。ちょっと本音がタダ漏れった。忘れてくれ」


 俺とした事が、煩悩ぼんのうに後押しされてとんでもない事を口走ってしまった。

 普段あれだけ理性と知性をつかさどるような人格者だというのに、ほんと若さってのは怖いもんだ。

 まあ、それはそれとして。


「それで、下の町に行くのか」

「うん。買い物ついでに」

「よくまあ飽きもせず。俺なんか三日で飽きたぞ、あんな場所とこ

「そんな事言ってもしょうがないよ。それに、どんどん新しいお店とかできてるらしいよ」

「新しいお店ねえ」


 俺は頭の後ろで指を組んで、時野谷のその言葉を反芻はんすうする。

 それらが作られた経緯けいいと目的を察すれば、俺はどうしてもあの場所を純粋に楽しめない。

 言うならば、俺達にていのいい玩具おもちゃを与えて、反抗の意思やストレスを取り除こうって魂胆こんたんなわけだ。 


 町全体が超大規模なショッピングモールという形態に留まらず、遊園地のようなものまで隣接されている。衣服から日用品、雑貨用品から娯楽用品、そして肩を並べて連なる食べ物屋、その他あらゆるレジャー施設、アクティビティがそろっている。

 確かに類を見ない程の娯楽提供ひまつぶしの場だ。


 今じゃその規模や種類の豊富さなどにかれて、外界から一般の人間が遊びにくる始末。

 最高峰のセキュリティに画期的で斬新なインフラ設備の整ったこの町は、次世代のモデルタウンとしての価値が高く、それを見越して多くの業者がそこで利益を得ようと出資や出店の競争をしてるってのが裏の事情だ。


 基本的に日本円も使用可能だが、この場所では独自の通貨制度がある。

 その事実がまた、潤沢じゅんたくな利益を運んでくる要因となってるとか。


 ここでの通貨はscという。

 semiセミ currencyカーランシ――直訳して準通貨とかいう、考えた奴らのやる気の無さを体現するような名称。

 貨幣かへい価値は円と等しい、1sc=1円だ。

 驚くべき事に、物価はおよそ日本の――ここも日本だが――半分程である。

 税というものが存在しないのもる事ながら、基本的に物価が安く設定されている。

 そもそもここは町そのものが行政の直轄ちょっかつで、経済とは無縁であるからだろう。

 あるいは円の価値を損なわないための配慮はいりょか。

 まあそれでも、民間業者は利益を得ようと躍起やっきになってここに押し寄せるが。


 何故、学園が面倒をかけてまでこんなものまで作り上げたか? 


 真実の所を俺達が知るよしもないが、およその察しならば付く。

 即ち支配体制を強固なものとするためであろう。

 金銭の動きにのっとり人間の行動は容易く左右される。

 生活必需品は寮にて事足りる生徒達は、所謂いわゆる遊ぶ金欲しさに従順となるわけだ。

 遊びたいがために必死で学校の授業にのぞむ。

 ある意味これって物凄く健全だと思える。

 ここは教育機構なんですがそれは? ――というツッコミもあるだろうが、それ故に独自の通貨制度を確立させたと言っていい。

 つまりはおままごとの延長線上だ。


 このsc、紙幣や硬貨などは存在せず全て電子通貨マネーとして扱われる。

 俺達がこの学園でもっとも大事にしなければならなないIDタブレット、この端末に前期と後期、学校の授業期間に並列して振り込まれるシステム。

 ここじゃ、コレが財布代わりって事。


 さらに言うとこいつはパスポートのような役割もになっているため、不所持で出歩くのは違法である。

 これがまた面倒な制度だった。

 落としたり無くしたりすれば厄介な事態になるわけだから。

 まあ精度の高い認証システムによって守られているから、紛失してもそうそう悪用される心配もなかったりもする。


「ここで腐っててもあれだし、俺も久しぶりにあのたこ焼き屋台に顔出すか」

「その、言いにくいんだけど……あそこのたこ焼き屋さん、もうなくなったよ」

「――うそん⁉」

「あんまり味も良くなかったし、店主のおじさんが無愛想だったから人気にんきでなかったんだと思う」

「わかってねえ! わかってねえよ! あの決然としていて無骨な感じの親父オヤジこそが、店の最大の魅力だったんだろうが」

「う、うん……。でも他のみんなはそうは思わなかったみたい」

「なんでだちくしょう! 味なら、あの向かいの創作ケーキ屋とかいうゲテモノオブジェを平然と客に出すスイーツカフェのが絶望的だのに!」

「あそこはネタ的なおもしろさがあって、意外と需要が高いんだって聞いたよ」


 何てこったい。

 俺はもう二度とあのリアルに不味いたこ焼きが食べれないってのか。

 火の通りにムラがありすぎてべちょってなってるあの食感も、タコの入りが乱雑すぎてタコとかもうどうでもいいわ的な心境にしてくれる感じも、何よりあの頑固一徹がんこいってつ職人の技が光るみたいな雰囲気をかもしといて、実は単に手先が不器用で愛想の無い性格をしてるだけっていう――

 あの親父にもう会えないだなんて!


「あ、あ、あんまりじゃねえか……!」

「あそこ今は甘味処かんみどころになってるよ。みたらし団子がおいしいとかってクラスのみんなが言ってたかな。亮一くんの感性に合うお店のご主人かどうかは分からないけど、一度行ってみる?」

「普通に美味いっていう評判なら、期待はできんなあ」

「そうなんだ。ごめん、ボクにはよくわからないや」

「まあいい。俺も時野谷にお供するよ」

「ほんとに! ……あ、でも、相変わらずその恰好かっこうで行くんだね」


 はずんだ声でうなずいたかと思いきや、残念そうな顔になって時野谷は俺の全身に一瞥いちべつをくれる。


「この学園指定ジャージがどうかしたか」


 お給金が期待できない問題児な俺にとっては、自身を着飾るなどという贅沢ぜいたくもってのほかだ。

 学校に行く時は制服、それ以外はジャージ、これで全てが事足りる。

 なんと言っても学園側からタダで何度でも支給される利点は大きい。

 花の高校生? オシャレ? ――ちょっと何言ってるかわかんないです。


「ごめん。いつもの事だよね」


 若干、呆れ気味の時野谷がそこにいた。






















 外界からふもとの町を貫いて、山頂の学園までモノレールが敷設ふせつされている。

 そのため生徒にとってはこれが交通手段の要だ。

 学園から町までの自動車道はあるが俺達には関係がない。そこを通って徒歩でも降りられるが、そんな面倒なことをする奴は少ない。



 町に着くと、そこはもうにぎやかな喧騒けんそういろどられた別世界であった。


 地方の小都市レベルの規模ながら、この長嶺ヶ丘には一通りの都市機能を保つための施設が揃っている。

 郊外には滑走路まで備わっている――空輸便のための空港だ。

 この歓楽街の反対の山すそには発電所や工場など立ち並び、さながら灰色の外観という感じだが、こっちは本当に色彩があふれる華やかさ。


 また山頂の学園とも違い、ここは活気で満ちている。

 一般の客もさる事ながら、ここでは生徒達も窮屈きゅうくつな学園生活のさを晴らそうと目一杯に楽しんでいるからに他ならなかった。


「相変わらず、鬱陶うっとうしいぐらいに賑やかだな」


 周りの喧騒に辟易へきえきしてそんな言葉が口をつく。


「亮一くんは……こういう雰囲気って嫌いだっけ」

「いや、そういう意味で言ったんじゃない。ただまあ、周りとの熱の差分がひどいとは感じるが」

「亮一くん、あんまり浮かれる事とかなさそうだもんね」


 はにかむような愛らしい表情で、時野谷は含み笑いを漏らした。


「んな事はねえよ。俺だってそりゃ、ハメを外して前後の見境もなくはしゃぎ回る時だってあるさ」


 まあ若いからね、前後の見境なんてすーぐ飛んでっちまう。


「うん。けど、そうじゃなくて――」

「んん?」

「……ううん、ゴメン。何でもないよ」

「何だよ、時野谷」

「アハハ――いいんだ、忘れて」


 なんだかはかないような時野谷の面差おもざしだった。

 この幼い容姿の級友はたまにこんな表情をしてくれる。

 どうも切なくて放っておけない気持ちにさせるが、けれども踏み込む事を決定的に許してくれない雰囲気も同時に発している。


 だから、こういう時はちょっと寂しい思いだった。


 さっきの自分の発言の何が彼の胸臆きょうおくに触れて、どういう情緒じょうちょを呼び覚ましたのか。

 その判断のつけようがまるでないが、別に俺は周りの賑やかさ自体を非難するつもりはなかった。

 けれどこの華やかで平和そうな町並みに雑じっている異物を――もうこの町の誰もが気にも留めなくなっているという事実に、俺はついてけないのだ。


 まあ分かり易く言おう。

 この町も上の学園と一緒で、ごついアーマーを着込んで重そうな自動小銃を引っ提げた、真面目な警備員さん達が日々たゆまなく警邏けいらしてらっしゃるという事。


 俺達が一般人との接点を唯一持てるこの場所柄な故か――しかし、楽しげな買い物客とれ違うあのキナ臭い一団はいつ見ても奇抜だと思うんだがなあ。


 そんな風に思うのは俺だけなのか、学園の生徒も外界からお越しの一般客もその存在は有って無いかの様。

 一般客からすりゃ、俺達という異質な存在から守ってくれている心強い味方なのだろうし、学園の生徒からすりゃ、見慣れた光景ってやつなのかもしれん。

 あるいは生徒達にとって、自分が世界から逸脱いつだつした首輪付きの存在であるという事を意識させるその端くれから視点を遠ざけたいのか。

 意識してそれを視界の中から排しているのか。


 この町に来る度、毎回そんな風な考えをめぐらしてしまう。


 そういう自身の面倒臭い性格のせいで、この場を純粋に楽しめないというのも事実だろう。

 もしかして俺のこういう厄介な部分が時野谷に良くない印象を与えたか。

 自分の心の内を無意識に周囲に振りまいてしまうというのは実に情けない。いましめねばだ。



 話題を変えようと、横の時野谷に話を振ろうとした時だった。


 突如とつじょ、華やかな空気を上から強引に破り裂くかのような一大音が鳴り渡る。

 けたたましい警告音とでも言うべきか、意図的に人の注意を促すべく不快な音階で構成されたサイレン。

 一箇所からではなく、町全体からそんな音が響き渡っている。


「――な、なに?」


 傍の時野谷もいきなりの事態に身を強張こわばらせている。

 周りをうかがえば、それまでなごやかだった客たちも似通った反応を余儀なくされている。


「これって、まさか……PD種警戒警報か⁉」

「うそっ……!」


 合同訓練で覚えのあるその特徴的なサイレン――

 間違いない。


 そして間髪かんはつを入れず、俺達のタブレットが警告の為のエリアメールを受信した。

 中身はマップ化されたここら一帯の地形だ。

 そこにリアルタイムでかぶさってくる赤い円は、ライブ感満載で俺達にPD種の脅威を教えてくれてるかのよう。


 近辺がにわかに慌ただしくなる。

 この警報は町中に流されているだろうから、目に見える範囲以外もおおむね同じような状況だろう。


 PD種の出現はもはや、地震などの災害のように取り扱われている。

 極端な話、人間が買っているペットが症状を表すことだってある。確率としちゃかなり低いらしいが、そういう事例を聞いた。


 ただPD型症候群の発生自体をそれほど恐れる事はない。

 発症したのが俺みたいにあまりぱっとしない能力だったり、さして人間への害とならない場合だってあるからだ。

 飼っている犬が宙を歩くようになっただなんて――奇怪であっても笑い話の種になるような症例、そんなのが報告されるだけで済む場合もある。


 だが発生地周辺の住民へ、害の大きなPD種の出現を警告するそれらが発せられたという事は、そういうくくりで済ませられる事態ではないという事。

 これが訓練でないならば、すぐにも避難体勢に移行しなければ。


「ヤッバ! 本当にPD種が出たのこれ?」

「それっぽい」

「PD種が出たのかよ? ――この近くで⁉」

「場所は学園の西側の森林地帯って……うわ! 数キロの距離じゃん!」

「って事は、森の中の野生動物が発症したって感じ?」


 近くに居た俺達と同年代の一団が、タブレットを凝視しながらわめき合っている。

 しかしそこに緊張感など欠片かけらもない。

 と言うのも俺達、人間の害となるほどのPD種になんてお目に掛かった経験などないのだ。――授業で資料映像を見たくらい。

 だから歳相応の、何やら気の緩んだ対応をとってしまう。


 そんな俺達とは対照的なのは大人達だろうか。

 特にくだんの警備員さん達など、反応も素早く規律を保ったまま行動に移っている。

 全地形対応車ATVで乗り付けた治安部隊の一群が、動揺している町の人間を割いて一方向へと向かっていく。

 さすがはプロの兵士というべきか、こういう時は素直に頼もしい。


「亮一くん――ど、どうしよう? こういう時ってどうするんだっけ……」


 不安からか、うるんだ目をした時野谷がすがるように俺を見上げてきた。

 そのあまりの可憐かれんさに、状況を忘れて思わずぎゅっと抱き締めたくなる。――いかん、危ない危ない危ない。


「時野谷、そう不安がる必要もないだろ。俺達はただ指示に従って避難ひなんするだけじゃないのか」 

「そ、そっか。……ならよかった」


 いくら近場にPD種が出現したからって、何の準備も心得もない俺達がり出されはしない。

 人類――学園が、そのために俺らを保護してるのは暗黙の了解であるが、だとしても訓練すらほどこされてない俺らをかつぎ出す訳にはいかんだろう。


 俺のその言葉に、時野谷は幾分かやわらいだ。


 と、そんな折だ。

 断続的に鳴っていたサイレンが急遽きゅうきょ、まるでぶつ切りしたかのようにぴたりと止んだ。


 不審がって、俺達はその場で意識をかたむけていた。

 すると数秒ほど間を置いた後に、先程のサイレンが誤作動であるという旨のアナウンスが流れ出した。


「なんだよ、誤報かよ! びっくりさせんなー」

「なーんだ」

「ちょっと期待したのにな」


 途端、場から張り詰めていたものが抜け落ちていく。


「でもこの警告用のライブメール、解除されないいんだけど?」

「ホントだ」

「え? 何? どっちが正しいのこれ?」


 町に響くサイレンは止んだのに、俺達の端末が受信しているその災害状況をリアルタイムで知らせる機能が解除されない。

 この状態では一切の操作を受け付けず、タブレットの他の機能が使用できないのだ。


 その混乱がしばらく場を支配していたが、しかし数分の後、何事もなくそれらも霧消むしょうする。


「あ、直った」

「ただのタイムラグかよ」


 先程のものが誤報である旨のメッセージがタブレットに新しく届く。

 それを契機に半刻も時を費やさず、不穏さでざわめいていた町は今はもうあの華やかな喧騒に立ち返っていた。

 その変わり身の速さに驚くべきか。――いや、そんなもんだろうと思う。


 横合いの時野谷も、安堵の表情を隠せずにいるようだ。


「誤作動か。珍しい事もあるもんだな」


 というか、今の感じ……奇妙に引っ掛かる不自然さだった。


「でも、何事もなくてホント良かった」

「それに越した事はないが、若干俺も人生初のPD種とのご対面となるかと――そんな風な事を考えちまったな」

「亮一くんは怖くないの? ……PD種とか」

「そりゃあ怖いさ。けどまあ、心積もりだけはしてる」

「……そっか」


 また含みのある微笑を見せる時野谷。

 やはり深くは立ち入れず、俺はいつものように当たりさわりのない会話を促した。


















 グルメ通りとかそんな風な名前で呼ばれている、軒並み食い物屋でひしめきあってる通りへと来ていた。


「亮一くん、どうする? ボク、ここを抜けた南側の雑貨屋に用があるんだけど」

「そうだな、お互い用事済ませてから後でまた合流するか」

「わかった。じゃあ、また後でね」


 時野谷は街路を足早に駆けていく。

 俺は独り、その小さな背中を見送った。


 通りを流れる人波は相変わらずに能天気そうだ。

 先程の警報のことについて世間話をしているのもあれば、そんな事にはまるで触れずはしゃいでいたりする。


 さて、俺も気持ちを切り替え、あの親父の跡を継げるだけの逸材かどうか、その甘味処というのを吟味ぎんみしてみようと思う。


 記憶を頼りに、かつての馴染なじみであったその店までおもむいていた。

 看板や外装は違ってもそのこぢんまりとしたたたずまいと狭いカウンター越しに見て取れる内部の間取りには、懐かしきあのたこ焼き屋の名残がある。

 思わず涙がちょちょ切れそうだ。

 かつて、その狭い出窓から腕を組んでむすっとした顔を覗かせていたあの親父はもういない。

 代わりに今は、身ぎれいで柔和そうなおじいさんが馴れた手つきでお餅をこねていた。


「いらっしゃい。何にしましょう?」


 立ちくす俺に気がついた店主が、人を選ばない笑みでもって声を掛ける。

 清潔感があり器具なども整然としている店内の作業場。出っ張ったカウンターには色鮮やかな種類の餅菓子が精緻せいちなまでに並んでいる。

 あ、ここ普通に美味しい店だ。


「お客さん?」

「ああ……はい、えっと……」


 どうしよう、もうぶっちゃけ不合格な事この上ない。

 しかしここで何も買わずにすたこらと去るのも感じ悪い。

 俺は極力迷ってる風を装い、店頭に並べられたとても美味しそうな団子や大福やらを眺めていた。


「ここのお店、みたらし団子がすごくおいしいよ」


 そんな折、俺のすぐ側から元気溌剌はつらつとした声が発せられる。

 横を振り向けば、何故か俺に寄り添うように立っている小学生の低学年くらいの女の子がニコニコとしたほがらかな笑顔でいる。


「だれ、キミ?」

「ここのお店、みたらし団子がすごくおいしいよ」


 先程の台詞せりふを寸分もたがわず、同音に読み上げる女の子。


 長く真っ直ぐな黒髪をサイドテールにして、歳相応の可愛らしさを演出している。

 フリルの付いた短いスカートや、よく分からないロゴのようなのがプリントされたシャツすらも、その髪型によく似合っていた。

 まだ幼く感じられる容貌ようぼうながらも、成長すればきっとすごい美人になるだろうと思えるほどの器量良しな子だ。

 その風采ふうさいには、どこか覚えがある気がした。


 少女は笑みを絶やさずいる。

 唐突すぎて戸惑ったが、どうやら俺にオススメを教えてくれたらしい。

 俺はそのささやかな好意に応えるべくした。


「じゃあ、みたらし団子にしようかな。すいません、みたらし団子を一つ……」

「――このお店、みたらし団子がすごくおいしいよ!」

「――!?」


 今度はかなり食い気味に、俺の言葉に被せるようにして飛ばしてきた。

 何事ぞ?


「このお店、みたらし団子がすごくおいしいよっ!」


 女の子はまたも台詞を繰り返す。――俺の目を見ながら。

 どうもその目線には何かが意図されている様だ。


「このお店、みたらし団子がすごくおいしいよっ‼」

「…………………」

「このお店、みたらし団子がすごくおいしいよぅっ‼」

「…………………」


 どうしたもんか、どんどん語気が強くなってるんだが。

 ぶっちゃけもう察しが付いてるんだけど、あまりにも手口が大胆というか強引というか、豆鉄砲を喰らったはとな心境。

 しかし、こうしてこの女の子と見つめ合っていても仕様がない。

 俺はびた首をぎぎぎっと動かして団子屋の店主に向き直った。


「すいません、みたらし団子を二つください」


 途端にぱぁぁっと花が咲くかの如く、少女の笑顔がさらに加速する。

 なんちゅータカリの手法か。


「はい、みたらしニ本ね。包みます?」

「そのままでいいです」


 和風で古めかしい店の飾り付けディスプレイの中にある異物――タブレットの画面をかざして決済するためのコードリーダーに、俺は自分の電子生徒手帳を押し当てた。

 そして、店主から受け取ったお団子の片方を当社比1.8倍増しでニッコニコとなっている女の子に差し出す。


 一串に6つも団子がささっている結構なボリュームのあるそれ。丁寧に作られている味がして、とても美味しい。

 やっぱり不合格じゃないか。


「えーそれで、キミは何でまだついてくる?」


 琥珀こはく色の甘だれでっぺを汚しながら、それはそれは美味しそうに団子にかじりついている少女を振り返ってたずねた。


「おふぃーふぁん、ふぅふぉふぁふぉーふぃふぃふぇお?」

「食べ終わってからでいいから」


 俺の言葉にもきゅもきゅと小動物のように集中して団子を食べ始める女の子。

 微笑ましくあるその光景をしばらくは眺めていた。


 やがてお食事シーンは終わる。

 口まわりをべとべとにしている彼女のため、近くのドラッグストアでウェットテッシュを購入して渡す紳士な俺。


「お兄ちゃん、『くろたりょういち』でしょ?」


 いや、「さん」を付けろよ。


「……いや、違いますね」

「え! ちがうの⁉」

「はい。知らない名前ですね」

「ちょっとさっきの見せて――」

「おうん――⁉」


 いきなりジャージの尻ポッケトからタブレットをひったくられた。


「――あっ! やっぱりお兄ちゃん『くろたりょういち』じゃん! なんでウソつくの⁉」


 認証画面に表示されている俺の生徒番号付きの名前を見て取った女の子が、とがめるようにこちらを見る。


「それ、拾ったヤツだし」

「さっきこれでお金はらってたじゃん! ひろったやつなら使えないよ! ――それぐらい知ってるもん!」

「いやその、改造パスとかあるし? まあぶっちゃけ、俺ってスーパーハッカー的なあれだし?」

「じゃあわたし、これ持ってツウホウする」

「――それ以上はいけない!」


 駆け出そうとする彼女を全力でいさめた俺。


「じゃあやっぱり、お兄ちゃん『くろたりょういち』なの?」

「そう呼ばれる事も……なくはない」

「なんでウソつくの⁉」


 それを認めたら、なんか負けた気がするんだ――とは言えなかった。


「嘘言ってすみませんでした」


 取りえず女の子相手に深々と頭を下げて陳謝する。

 自分の半分ぐらいの歳の子供に、情けなくこうべを垂れるこの屈辱感。――ありじゃないか。

 そんな誠実極まりなく真摯な俺の態度に向こうも怒りを収めたようだ。


「それで、そういうキミは何かね? どこの誰かね?」

「んーとね……。――やっぱりまだ教えない」


 上目づかいで何やら思案した後、悪戯いたずらっぽいませた笑みをひけらかす。

 こんのガキんちょめが。


「えっとお、お嬢ちゃんはあ、何が目的なのかなあ?」


 思わず笑顔が引きるのを必死に耐え、ジェントリィな応対に努める。


「べつに目的ってゆうのもないけど」


 人差し指をあごに当てて、勿体ぶるように視線を俺から外している。

 その仕草が見た目との不釣合いな感じギャップがあって、なんだか妙に色っぽい。

 やっぱりこの子の印象、どこか知ってる気がする。


「ほんと何なのキミ?」

「えへへ。本当はね、お兄ちゃんとちょっとお話してみたかったの」


 しまいには、そんな風な事を言ってはにかむよう相好そうごうを崩し、歳相応の愛らしさをこれでもかと前面に出してくる。

 かわいいなあ‼ ――ちくしょう‼


「じゃあねお兄ちゃん。お団子おいしかった」


 大きく手を振りながら、輝くようなその女の子が駆け出していく。


「どういう事なの……」


 俺にはもう、そう呟く他なかった。


 本当に一体何なんだ。

 あの子はあれか、神が俺をイケナイ方向へと導かせるために遣わせた御使いだったりするのか? 

 こんなんノンケになるわ。


「っていうか、生徒手帳を返せ!」

「――あ!」


 駆け出して行った少女が、すごすごと戻ってきた。



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