〈3〉




 小中高一貫教育の長峰ヶ丘ながみねがおか監獄――もとい学園は、ちゃんと土日は休んでくれる。

 と言っても寮内で過ごすか、やっぱり自習の為学校まで行くか、もしくは山麓さんろくの歓楽街まで繰り出すか、だいたいその3つの行動パターンしか生徒達は持ち合わせていない。

 よほど成績が良く、模範的生活態度の虜囚りょしゅう――もとい生徒であれば、分厚い申請用紙と格闘して外界まで出向く事を許されている。

 それでも立派な監視がつくらしいが。


 不幸にも学園始まって以来の問題児として見されている俺には、その権利が遥か遠くに感じられる。

 無難に刑期を勤め上げるかと部屋の中、寝巻きを兼ねたジャージ姿でごろごろして物思いにふけっていると、自室のドアをノックする音が聞こえた。


「入って、どうぞ」

「亮一くん?」


 時野谷だった。

 私服姿の所を見ると、彼は今からどこかに出かけようかという状態らしい。

 それも制服じゃないからおそらく行き先は一つ。


「出掛けるのか、時野谷」

「うん。それで亮一くんはどうしてるのかなって思って」


 六畳一間の狭い寮の一室、床に胡坐あぐらを掻きながらベッドの側面に背をつけている俺の向かいに時野谷はちょこんと収まった。


 薄茶色の長い巻き毛と愛くるしい目鼻や口、その前髪に隠れがちな瞳からはいつも控え目な視線を送ってくる。

 長い禁欲生活の果てならば、押し倒しても情状酌量しゃくりょう無罪セーフになりそうなほどのルックスである。

 いや事実として、彼はこのむさ苦しい高等部男子寮の紅一点だ。

 多くの男子学生がこの寮内にて如何いかんともしがたい青臭い情動を苦心して持て余している折、時野谷に対してよこしまな考えを抱く事があるという。

 考えるだけなら問題ないですし。――ま、多少はね?

 女人禁制のこの場では致し方なし故、みなそこは――時野谷を除いて――公然の秘密だ。


「ところで時野谷、ちょっと女装とかしてみないか」

「えと、唐突な上に発言の意味がまるでわからないよ……?」

「ああ、すまん。ちょっと本音がタダ漏れった。忘れてくれ」


 俺とした事が、煩悩ぼんのうに後押しされてとんでもない事を口走ってしまった。

 普段あれだけ理性と知性を司るような人格者だというのに、ほんと若さってのは怖いもんだ。

 まあ、それはそれとして。


「それで、下の町に行くのか」

「うん。買い物ついでに」

「よくまあ飽きもせず。俺なんか三日で飽きたぞ、あんな場所とこ

「そんな事言ってもしょうがないよ。それに、どんどん新しいお店とかできてるらしいよ」

「新しいお店ねえ」


 俺は頭の後ろで掌を組んで、時野谷のその言葉を反芻はんすうする。

 それらが作られた経緯けいいと目的を察すれば、俺はどうしても純粋にあの場所を楽しめない。

 言うならば、俺達にていのいい玩具おもちゃを与えて、反抗の意思やストレスを取り除こうって魂胆なわけだ。 

 町全体が超大規模なショッピングモールという形態に留まらず、遊園地のようなものまで隣接されている。衣服から日用品、雑貨用品から娯楽用品、そして肩を並べて連なる食べ物屋、その他あらゆるレジャー施設、アクティビティが揃っている。

 確かに類を見ない程の娯楽提供ひまつぶしの場だ。


 今じゃその規模や種類の豊富さなどに惹かれて、外界から一般の人間が遊びにくる始末。

 最高峰のセキュリティに画期的で斬新なインフラ設備の整ったこの町は、次世代のモデルタウンとしての価値が高く、それを見越して多くの業者がそこで利益を得ようと出資や出店の競争をしてるっていうのが裏の事情だ。


 基本的に日本円も使用可能だが、この場所では独自の通貨制度がある。

 というより実際ここは日本の中の独立国家と言っても差し支えない。

 その事実がまた、潤沢じゅんたくな利益を運んでくる大きな要因となっている。


 ここでの通貨はscという。

 semiセミ currencyカーランシ――直訳して準通貨とかいう、考えた奴らのやる気の無さを体現するような名称。

 貨幣価値は円と等しい、1sc=1円だ。

 驚くべき事に、物価はおよそ日本の――ここも日本だが――半分程である。

 税というものが存在しないのもさる事ながら、基本的に物価が安く設定されている。

 そもそもここは町そのものが行政の直轄ちょっかつで、経済とは無縁であるからだろう。

 あるいは円の価値を損なわない為の配慮か。

 まあそれでも、民間業者は利益を得ようと躍起やっきになってここに押し寄せるが。


 何故、学園が面倒をかけてまでこんなものまで作り上げたか? 


 真実の所を俺達が知る由はないが、凡その察しならば付く。

 即ち支配体制を強固なものとするためであろう。

 金銭の動きに則して人間の行動というのは容易く左右される。

 生活必需品は寮にて事足りる生徒達は、所謂いわゆる遊ぶ金欲しさに従順となるわけだ。

 遊びたいが為に必死で学校の授業に臨む。

 ある意味これって物凄く健全だと思える。

 ここは教育の為の機構なんですがそれは? ――というツッコミもあるだろうが、それ故に独自の通貨制度を確立させたと言っていい。

 つまりは、おままごとの延長線上だ。


 このsc、紙幣や硬貨などは存在せず全て電子通貨マネーとして扱われる。

 俺達がこの学園でもっとも大事にしなければならなないIDタブレット、この端末に前期と後期、学校の授業期間に並列して振り込まれるシステム。

 ここじゃ、コレが財布代わりって事。


 さらに言うとこいつはパスポートのような役割も担っているため、不所持で出歩くのは違法である。

 これがまた面倒な制度だった。落としたり無くしたりすれば厄介な事態になるわけだから。

 まあ精度の高い認証システムによって守られているから、紛失してもそうそう悪用される心配もなかったりもする。


「ここで腐っててもあれだし、俺も久しぶりにあのたこ焼き屋台に顔出すか」

「その、言いにくいんだけど……あそこのたこ焼き屋さん、もうなくなったよ」

「――うそん!?」

「あんまり味も良くなかったし、店主のおじさんが無愛想だったから人気にんきでなかったんだと思う」

「わかってねえ! わかってねえよ! あの決然としていて無骨な感じの親父オヤジこそが、店の最大の魅力だったんだろうが?!」

「う、うん……。でも他のみんなはそうは思わなかったみたい」

「なんでだちくしょう!! 味なら、あの向かいの創作ケーキ屋とかいうゲテモノオブジェを平然と客に出すスイーツカフェのが絶望的だのに!!」

「あそこはネタ的なおもしろさがあって、意外と需要が高いんだって聞いたよ」

「――マジかよ!!」


 何てこったい。

 俺はもう二度とあのリアルに不味いたこ焼きが食べれないってのか。

 火の通りにムラがありすぎてべちょってなってるあの食感も、タコの入りが乱雑すぎてタコとかもうどうでもいいわ的な心境にしてくれる感じも、何よりあの頑固一徹がんこいってつ職人の技が光るみたいな雰囲気をかもしといて、実は単に手先が不器用で愛想の無い性格をしてるだけっていう――

 あの親父にもう会えないだなんて!


「あ、あ、――あんまりじゃねえかっ……!」

「あそこ今は甘味処になってるよ。みたらし団子がおいしいとかってクラスのみんなが言ってたかな。亮一くんの感性に合うお店のご主人かどうかは分からないけど、一度行ってみる?」

「普通に美味いっていう評判なら、期待はできんなあ」

「そうなんだ。ごめん、ボクにはよくわからないや」

「まあいい。俺も時野谷にお供するよ」

「ほんとに! ……あ、でも、相変わらずその恰好かっこうで行くんだね」


 はずんだ声でうなずいたかと思いきや、微妙な顔になって時野谷は俺の全身に一瞥いちべつをくれる。


「この学園指定ジャージがどうかしたか」


 お給金が期待できない問題児な俺にとっては、自身を着飾るなどという贅沢は以ってのほかだ。

 学校に行く時は制服、それ以外はジャージ、これで全てが事足りる。

 なんと言っても学園側からタダで何度でも支給される利点は大きい。

 花の高校生? オシャレ? ――ちょっと何言ってるかわかんないです。


「ごめん。いつもの事だよね」


 若干、呆れ気味の時野谷がそこにいた。




















 外界からふもとの町を貫いて、山頂の学園までモノレールが敷設ふせつされている。

 そのため生徒にとってはこれが交通手段の要だ。

 学園から町までの自動車道はあるが俺達には関係のない。そこを通って徒歩でも降りられるが、そんな面倒なことをする奴は少ない。



 町に着くと、そこはもう賑やかな喧騒けんそういろどられた別世界であった。


 地方の小都市レベルの規模ながら、この長嶺ヶ丘には一通りの都市機能を保つ為の施設が揃っている。

 この歓楽街の反対の山すそには発電所や工場など立ち並び、さながら灰色の外観という感じだが、こっちは本当に色彩があふれる華やかさ。


 また山の上の学園とも違い、ここは活気で満ちている。

 一般の客もさる事ながら、ここでは学生達も窮屈な学園生活のさを晴らそうと目一杯に楽しんでいるからに他ならなかった。


「相変わらず、鬱陶うっとうしいぐらいに賑やかだな」


 周りの喧騒に辟易へきえきしてそんな言葉が口をつく。


「亮一くんは、こういう雰囲気って嫌いだっけ?」

「いや、そういう意味で言ったんじゃない。ただまあ、周りとの熱の差分がひどいとは感じるが」

「亮一くんってあんまり浮かれる事とかなさそうだもんね」


 はにかむような愛らしい表情で、時野谷は含み笑いを漏らした。


「んな事はねえよ。俺だってそりゃ、ハメを外して前後の見境もなくはしゃぎ回る時だってあるさ」


 まあ若いからね、前後の見境なんてすーぐ飛んでっちまう。


「うん。けど、そうじゃなくて――」

「んん?」

「……ううん、ゴメン。何でもないよ」

「何だよ、時野谷」

「アハハ――いいんだ、忘れて」


 なんだか儚いような時野谷の面差しだった。

 この幼い容姿の級友はたまにこんな表情をしてくれる。

 どうも切なくて放っておけない気持ちにさせるが、けれども踏み込む事を決定的に許してくれない雰囲気も同時に発している。


 だから、こういう時はちょっと寂しい思いだった。


 さっきの自分の発言の何が彼の胸臆きょうおくに触れて、どういう情緒を呼び覚ましたのか。

 その判断のつけようがまるでないが、別に俺は周りの賑やかさ自体を非難するつもりはなかった。

 けれどこの華やかで平和そうな町並みに雑じっている異物を――もうこの町の誰もが気にも留めなくなっているという事実に、俺はついてけないのだ。


 まあ分かり易く言おう。

 この町も上の学園と一緒で、ごついアーマーを着込んで重そうな自動小銃を引っ提げた、真面目な警備員さん達が日々たゆまなく警邏けいらしてらっしゃるという事。


 俺達が一般人との接点を唯一持てるこの場所柄な故か――しかし、楽しげな買い物客と擦れ違うあのキナ臭い一団はいつ見ても奇抜だと思うんだがなあ。


 そんな風に思うのは俺だけなのか、学園の生徒も外界からお越しの一般客もその存在を有って無いかの様。

 一般客からすりゃ、俺達という異質な存在から守ってくれている心強い味方なのだろうし、学園の生徒からすりゃ、見慣れた光景ってやつなのかもしれん。

 あるいは生徒達にとって、自分が世界から逸脱いつだつした首輪付きの存在であるという事を意識させるその端くれから視点を遠ざけたいのかも知れない。

 意識してそれを視界の中から排しているのだろう。


 この町に来る度、毎回そんな風な考えを巡らしてしまう。


 そういう自身の面倒臭い性格に辟易してこの場を純粋に楽しめないでいるというのも事実だろう。

 もしかして俺のこういう厄介な部分が、時野谷に良くない印象を与えたか。

 自分の心の内を無意識に周囲に振りまいてしまうというのは実に情けない。戒めねばだ。



 話題を変えようと、横の時野谷に話を振ろうとした時だった。


 突如、華やかな空気を上から強引に破り裂くかのような一大音が鳴り渡る。

 けたたましい警告音とでも言うべきか、意図的に人の注意を促すべく不快な音階で構成されたサイレン。

 一箇所からではなく、町全体からそんな音が響き渡っている。


「――な、なに?」


 傍の時野谷もいきなりの事態に身を強張らせている。

 周りを窺えば、それまで和やかだった客たちも似通った反応を余儀なくされている。


「これって、まさか……PD種警戒警報か?!」

「うそっ……!?」


 合同訓練で覚えのあるその特徴的なサイレン――

 間違いない。


 そして間髪を入れず、俺達のタブレットが警告の為のエリアメールを受信した。

 中身はマップ化されたここら一帯の地形だ。

 そこにリアルタイムで被さってくる赤い円は、ライブ感満載で俺達にPD種の脅威を教えてくれてるかのよう。


 近辺がにわかに慌ただしくなる。

 この警報は町中に流されているだろうから、目に見える範囲以外もおおむね同じような状況だろう。


 PD種の出現はもはや、地震などの災害のように取り扱われている。

 極端な話、人間が買っているペットが症状を表すことだってある。確率としちゃかなり低いらしいが、そういう事例を聞いた。


 ただPD型症候群の発生自体をそれほど恐れる事はない。

 発症したのが俺みたいにあまりぱっとしない能力だったり、さして人間への害とならない場合だってあるからだ。

 飼っている犬が宙を歩くようになっただなんて――奇怪であっても笑い話の種になるような症例、そんなのが報告されるだけで済む場合もある。


 だが発生地周辺の住民へ、害の大きなPD種の出現を警告するそれらが発せられたという事は、そういうくくりで済ませられる事態ではないという事。

 これが訓練でないならば、すぐにも避難体勢に移行しなければ。


「ヤッバ! 本当にPD種が出たのこれ?」

「それっぽい」

「PD種が出たのかよ? この近くで!?」

「場所は学園の西側の森林地帯って……――うわ! 数キロの距離じゃん?!」

「って事は、森の中の野生動物が発症したって感じ?」


 近くに居た俺達と同年代の一団が、タブレットを凝視しながら色めき立っている。

 しかしそこに緊張感など欠片かけらもない。

 と言うのも俺達、人間の害となるほどのPD種になんてお目に掛かった経験などないのだ。――授業で資料映像を見たくらい。

 だから歳相応の、何やら気の抜けた対応をとってしまう。


 そんな俺達とは対照的なのは大人達だろうか。

 特にくだんの警備員さん達など、反応も素早く規律を保ったまま行動に移っている。

 全地形対応車ATVで乗り付けた治安部隊の一群が、動揺している町の人間を割いて一方向へと向かっていく。

 さすがはプロの兵士というべきか、こういう時は素直に頼もしい。


「亮一くん――ど、どうしようっ!? こういう時ってどうするんだっけ……?!」


 不安からか、うるんだ目をした時野谷がすがるように俺を見上げてきた。

 そのあまりの可憐かれんさに、状況を忘れて思わずぎゅっと抱き締めたくなる。――いかん、危ない危ない危ない。


「いや、そう不安がる必要もないだろ。俺達はただ、指示に従って避難するだけじゃないのか」 

「そ、そっか。ならよかった」


 いくら近場にPD種が出現したからって、何の準備も心構えもない俺達が駆り出されはしない。

 人類――学園が、その為に俺らを保護してるのは暗黙の了解であるが、だとしても訓練すら施されてない俺らを担ぎ出す訳にはいかんだろう。


 俺の言葉に、時野谷は幾分かやわらいだ顔を見せる。


 と、そんな時だ。

 断続的に鳴っていたサイレンが急遽きゅうきょ、まるでぶつ切りしたかのようにぴたりと止んだ。


 不審がって、俺達はその場で意識をかたむけていた。

 すると数秒ほど間を置いた後に、先程のサイレンが誤作動であるという旨のアナウンスが流れ出したのだ。


「なんだよ、誤報かよ! びっくりさせんなー」

「なーんだ」

「ちょっと期待したのにな」


 途端、場から張り詰めていたものが抜け落ちていく。


「でもこの警告用のライブメール、解除されないいんだけど?」

「ホントだ」

「え? 何? どっちが正しいのこれ?」


 町に響くサイレンは止んだのに、俺達の端末が受信しているその災害状況をリアルタイムで知らせる機能が解除されない。

 この状態では一切の操作が受け付けず、このタブレットの他の機能が使用できないのだ。


 その混乱が場を満たしていたが、しかし数分の後、何事もなく解除される。


「あ、直った」

「ただのタイムラグかよ」


 そしてやはり、先程のものが誤報である旨のメッセージが新しく届く。

 それを契機に半刻も時を費やさず、緊張感のある不穏さでざわめいていた町は今はもうあの華やかな喧騒に立ち返っていた。

 その変わり身の速さに驚くべきか。――いや、そんなもんだろうと思う。


 横合いの時野谷も、安堵の表情を隠せずにいるようだ。


「誤作動か。珍しい事もあるもんだな」


 というか、今の感じ……奇妙に引っ掛かる不自然さだった。


「でも、何事もなくてホント良かった」

「それに越した事はないが、若干俺も人生初のPD種とのご対面となるかと――そんな風な事を考えちまったよ」

「亮一くんは怖くないの? ……PD種とか」

「そりゃあ怖いさ。けどまあ、心積もりだけはな」

「そっか」


 また含みのある微笑を見せる時野谷。

 やはり深くは立ち入れず、俺はいつものように当たりさわりのない会話を促した。


















 グルメ通りとかそんな風な名前で呼ばれている、軒並み食い物屋でひしめきあってる通りへと来ていた。


「亮一くん、どうする? ボク、ここを抜けた南側の雑貨屋に用があるんだけど」

「そうだな、お互い用事済ませてから後でまた合流するか」

「わかった。じゃあ、また後でね」


 時野谷は街路を足早に駆けていく。

 俺は独り、その小さな背中を見送った。


 通りを流れる人波は相変わらずに能天気そうだ。

 先程の警報のことについて世間話をしているのもあれば、そんな事にはまるで触れずはしゃいでいたりする。


 さて、俺も気持ちを切り替え、あの親父の跡を継げるだけの逸材かどうか、その甘味処というのを吟味してみようと思う。


 記憶を頼りに、かつての馴染みであったその店までおもむいていた。

 看板や外装は違ってもそのこぢんまりとした佇まいと狭いカウンター越しに見て取れる内部の間取りには、間違いなく懐かしきあのたこ焼き屋の名残がある。

 思わず涙がちょちょ切れそうだ。

 かつて、その狭い出窓から腕を組んでむすっとした顔を覗かせていたあの親父はもういない。

 代わりに今は、身ぎれいで柔和そうなおじいさんが馴れた手つきでお餅をこねていた。


「いらっしゃい。何にしましょう?」


 立ち尽くす俺に気がついた店主が、人を選ばない笑みでもって声を掛ける。

 清潔感があり器具なども整然としている店内の作業場、出っ張ったカウンターには色鮮やかな種類の餅菓子が精緻せいちなまでに並んでいる。

 あ、ここ普通に美味しい店だ。


「お客さん?」

「ああ……はい、えっと……」


 どうしよう、ぶっちゃけもう不合格な事この上ない。

 しかしここで何も買わずにすたこらと去るのも何か感じ悪い。

 俺は極力迷ってる風を装い、店頭に並べられたとても美味しそうな団子や大福やらを眺めていた。


「ここのお店、みたらし団子がすごくおいしいよ!」


 そんな折、俺のすぐ側から元気溌剌はつらつとした声が発せられる。

 横を振り向けば、何故か俺に寄り添うように立っている小学生の低学年くらいの女の子がニコニコとした朗らかな笑顔でいる。


「だれ、キミ?」

「ここのお店、みたらし団子がすごくおいしいよ!」


 先程の台詞を寸分もたがわず、同音に読み上げる女の子。


 長く真っ直ぐな黒髪をツインテールにして、歳相応の可愛らしさを演出している。

 フリルの付いた短いスカートや、よく分からないロゴのようなのがプリントされたシャツすらも、その髪型によく似合っていた。

 まだ幼く感じられる容貌ながらも、成長すればきっとすごい美人になるだろうと思えるほどの器量良しな女の子だ。

 その風貌には、どこか覚えがある気がした。――いやまあ、気がしたって程度なんだが。


 少女はほがらかな笑みを絶やさずいる。

 唐突すぎて戸惑ったが、どうやら俺にオススメを教えてくれたらしい。

 俺はそのささやかな好意に応えるべくした。


「じゃあ、みたらし団子にしようかな。すいません、みたらし団子を一つ……」

「――このお店、みたらし団子がすごくおいしいよっ!」

「――!?」


 今度はかなり食い気味に、俺の言葉に被せるようにして飛ばしてきた。

 何事ぞ?


「このお店、みたらし団子がすごくおいしいよっ!」


 女の子はまたも台詞を繰り返す。――俺の目を見ながら。

 どうもその目線には何かが含まれている様だ。


「このお店、みたらし団子がすごくおいしいよっ!!」

「…………………」

「このお店、みたらし団子がすごくおいしいよぅっ!!」

「…………………」


 どうしたもんか、どんどん語気が強くなっていってるんだが。

 ぶっちゃけもうなんだかおよそは察しが付いてるんだけど、あまりにも手口が大胆というか強引というか、豆鉄砲を喰らったはとな心境。

 しかしこうしてこの女の子と見つめ合っていても仕様がないで、俺はびた首をぎぎぎっと動かして団子屋の店主に向き直った。


「すいません、みたらし団子を二つください」


 途端にぱぁぁっと花が咲くかの如く、少女の笑顔がさらに加速する。

 なんちゅータカリの手法か。


「はい、みたらしニ本ね。包みます?」

「そのままでいいです」


 和風で古めかしい店の飾り付けディスプレイの中にある異物――タブレットの画面をかざして決済するためのコードリーダーに、俺は自分の電子生徒手帳を押し付けた。

 そして、店主から受け取ったお団子の片方を当社比1.8倍増しでニッコニコとなっている女の子に差し出した。


 一串に6つも団子がささっている結構なボリュームのあるそれは、丁寧に作られている味がしてとても美味しい。

 やっぱり不合格じゃないか。


「えーそれで、キミはなんでまだ付いてくる?」


 琥珀こはく色の甘だれで頬を汚しながら、それはそれは美味しそうに団子にかじりついている少女に俺は振り返ってたずねた。


「おふぃーふぁん、ふぅふぉふぁふぉーふぃふぃふぇお?」

「食べ終わってからでいいから」


 俺の言葉にもきゅもきゅと小動物のように集中して団子を食べ始める女の子。

 微笑ましくあるその光景をしばらくは眺めていた。


 やがて幼女のお食事シーンは終わる。

 口まわりをべとべとにしている彼女のため、近くのドラッグストアでウェットテッシュを購入してそれを渡す紳士な俺。


「お兄ちゃん、『くろたりょういち』でしょ?」


 〝さん〟を付けろよ。


「……いや、違いますね」

「えっ!? ちがうの!?」

「はい。知らない名前ですね」

「ちょっとさっきの見せて――」

「おうんっ!?」


 いきなりジャージの尻ポッケトからタブレットをひったくられた。


「――あっ!! やっぱりお兄ちゃん『くろたりょういち』じゃん?! なんでウソつくの!?」


 画面に表示されている俺の生徒番号付きの名前を確認したツインテロリが、とがめるように俺を仰ぎ見る。


「それ、拾ったヤツだし」

「さっきこれでお金はらってたじゃん! ひろったやつなら使えないよ!? ――それぐらいわたし知ってるもん!」

「いやその、改造パスとかあるし? まあぶっちゃけ、俺ってスーパーハッカー的なあれだし?」

「じゃあわたし、これ持ってツウホウする」

「――それ以上はいけない!」


 駆け出そうとするツインテのロリっ子を全力でいさめた俺。


「じゃあやっぱり、お兄ちゃん『くろたりょういち』なの?」

「そう呼ばれる事も……なくはない」

「なんでウソつくの!?」


 それを認めたら、なんか負けた気がするんだ――とは言えなかった。


「嘘言ってすみませんでした」


 取り敢えず幼女相手に深々と頭を下げて陳謝する。

 自分の半分ぐらいの歳の相手に情けなくこうべを垂れるこの屈辱感、――ありじゃないか。

 そんな誠実極まりなく真摯な俺の態度に幼女も怒りを収めたようだ。


「それで、そういうキミは何かね? どこの誰かね?」

「んーとね」


 上目遣いで何やら思案した後、ませた悪戯っぽさで笑みをひけらかす。


「やっぱりまだ教えない」

「………………」


 こんのガキんちょめが。


「えっと、お嬢ちゃんは、何が目的なのかなぁ?」


 思わず笑顔が引きるのを必死でこらえ、ジェントリィな応対に努める。


「べつに目的ってゆうのもないけど」


 人差し指をあごに当てて、勿体ぶるように視線を俺から外している。

 その仕草が見た目の年齢と不釣合いな感じギャップがあって、なんだか妙に色っぽい。

 やっぱりこの子の印象、どこか知ってる気がする。


「ほんと何なのキミ?」

「えへへ。本当はね、お兄ちゃんとちょっとお話してみたかったの」


 しまいには、そんな風な事を言ってはにかむよう相好そうごうを崩し、歳相応の愛らしさをこれでもかと前面に出してくる。

 ――かわいいなぁっ!! ――ちくしょうっ!!


「じゃあねお兄ちゃん! お団子おいしかったよ! ありがと!」


 大きく手を振りながら、ツインテ幼女が駆け出していく。


「どういう事なの……」


 俺にはもう、そう呟く他なかった。

 本当に一体何なんだ。

 あの子はあれか? やはり幼女は究極にして至高であると再認識させるために、神が俺へと遣わせた御使いか何かか?


「――っていうか、生徒手帳返せ!?」

「――あ!」


 駆け出して行った幼女が、すごすごと戻ってきた。


















「どうしたの? 疲れた顔してるけど」

「……なんでもない」


 待ち合わせ場所にしていたオープンテラスのカフェで、釈然としない俺の表情を読み取った時野谷が心配そうに声を掛けてくる。

 だが一々いちいち思い返すのも疲れるので、特にそれ以上言葉を費やさなかった。


「そっちの買い物は済んだんだな。それで、時野谷は何買ったんだ?」

「うん、ちょっと」


 何やら大事そうに膝の上で紙袋を抱えている。

 気になったので尋ねてみたが、どうも時野谷の反応が悪い。

 あまりしつこく詮索せんさくするのもどうかと思ったので、特にそれ以上意識しないようにした。

 時野谷は秘密主義というわけでもなさそうだが、何か自分のプライバシーに踏み込まれる事を極端に嫌がる節がある。

 恥しがり屋さんなんだろきっと。――無理にでもそういう風に受け止めている。


「そうだ。さっき羽佐間くんから連絡があって、なんか重大な話があるらしいとか。それで今こっちに向かってるんだって」

「なんだ重大な話って?」

「わかんない。詳しくは会ってから話すって」


 こっちに来るのにまだ時間が掛かるらしいので、俺達は飲み物でも注文して待っておく事にした。


 急にやる事がなくなり手持ち無沙汰になった俺は、だらーと力を抜いてテラスから流れる人波を眺めてみる。

 客達の顔ぶれは多くが同世代だと思える少年少女だったが、外界からの遊覧客であろう――時折家族連れの姿もちらほらと映る。


 それは、こくな光景だと言えた。


 特異体として発症してしまった俺達は、家族や友人たちと切り離されてこんな場所に閉じ込められている。

 だが、俺達は何も彼らに会う事を制限されているわけではない。

 その気があるのならば面会などは簡単だ。

 そもそも俺達はここから容易に出ることは叶わないが、一般の人間は今こうして自由に出入りできているではないか。

 つまりあちら側からならば、接触する事など造作もない。

 しかしここに暮らす子供達の多くは、もう家族と顔を久しく合わせてないだろう。


 理由は簡単である。

 俺達が異質な存在へと変貌してしまったからだ。


 特異体の発症に親類血族は関係ない。

 唐突に、ごく微小な確率で、多くが10代の時期に発症するだけ。

 親からしてみれば、ある日突然自分達の子供が怪物ミュータントに変わってしまう。

 そしてほとんどの親が、そこでたもとを分かつのだという。


 特異体を普通の人間として受け入れない社会的な背景もあるだろう。

 単純に生理的な恐怖もあるのかもしれない。

 だが俺達は社会や世間よりも先ず始めに、親から見捨てられる。


 それがどれほど痛ましい話か、言及するのもせん無い。


 俺達は、肉体的に何ら変化はしていない。

 少し奇妙な現象を操れるようになっただけで、今も昔も俺達は〝人間〟だとそう胸を張って言える。

 それでも、彼らからすりゃ俺達は充分に怪物らしい。

 あるいは本当に、俺達の容姿が化け物染みてくりゃあ踏ん切りもついたんだろうか。


 ――いや、今こうやって思考しているこの心は決して怪物などでは無い。


 先ほどの女の子の姿が脳裏に浮かぶ。

 あの子はこの学園のシステムや生徒手帳の事を熟知していた。

 ならば、あの子は休みの日に家族と一緒にこの物珍しい場所まで遊びにきた一般人ではないだろう。

 あんなよわいで、この地にしばりつけられている哀れな〝怪物〟の一人だ。


「亮一くん」

「ん?」

「その……平気?」

「どういう意味だ」

「何だか、思い詰めた顔してたから……」

「そうだったか?」

「うん……」

「……いやー、実はさっきから腹が痛くてな」

「え? おなか痛かったの? ボク、近くの薬局で薬買って来ようか?」

「そこまで大事じゃないって。ちょっと便所行ってくら」


 しゅばっと片手を上げて、俺はトイレへと駆け込むフリをする。

 時野谷の悪い癖の一つとして他人に気を回しすぎるというのがある。俺としてはそんな時野谷だからこそ、あまり心配をかけたくない。



 10分ほど時間を潰して戻ると、折りよく羽佐間達の姿が確認できた。



「羽佐間と、水宮?」

「戻ってきたか」

「りょーちん、まいどー」


 羽佐間だけではなく、どうしてか水宮晴香の姿までそこにあった。

 俺と時野谷、羽佐間の3人はよくつどっているが、このメンバーでの水宮の存在は新鮮だ。


「なんで水宮?」

「まあちょっと事情があってな」


 片目を閉じてしたり顔の羽佐間が勿体もったいをつけて言う。


「――なあなあなあ、それより何でりょーちん学校のジャージ着とるん? 今日お休みやで?」

「何言ってんだ、休みだから着てるんだろ」

「え……? なにそれ……?」

「水宮気にするな。こいつは一年中同じ種類の服を着ちまうようなヤツなんだよ」


 羽佐間が呆れ混じりで知った風な口を利く。

 まったく、一年中ジャージ姿だから何だというのだ。一体、それでどこの誰が困るというのか。


「うわ、それおっさんみたい」

「失礼な。おっさん系男子とかいうヤツだ」

「――つまりおっさんやん!?」

やかましい奴め。それよりお前、国村先生の反省文はもう書けたのか」

「ああああああ! もー思い出させんといてっ!」


 髪を振り乱すようにして、眼前のテーブルにがんっと頭を付ける水宮だった。

 終わってないんだな、ご愁傷様。


「で? はざーさんや、説明はよ」

「ふふん、まあ落ち着けって。今からチョー重要な情報をお披露目ひろめするわけだが、お前ら心積りはいいか?」

「勿体つけんなハゲ」

「ハゲじゃねぇ! 坊主にしてるだけだ!」

「喧嘩はだめだよ」


 おろおろとした時野谷が俺と羽佐間の間に割って入る。


「ああくそ! そっこー脱線したじゃねぇか?! 真面目な話なんだよ! ――茶化すな玄田!」

「善処する」

「それで、一体どうしたっていうの?」

「よし、いいか? もうすぐ学年別で行われる、特別学科の演習があるのは知ってるよな」

「は? 何だそれ?」


 初耳な俺は、思わず素の声で訊き返した。


「知っとけよバカ」

「高等部に入ると、学期の末に大規模な野外での実技の科目が用意されるんだって。詳しくは知らないけど、演習がどうとか」

「演習?」

「簡単に言うとだな、ある特殊な形態の実技のテストみたいなものが用意されてんだよ。主に、この広大過ぎる山ん中の敷地を使って、実際に能力を使用した実技試験を行うらしいぜ。その際に評価を付けられ、それがそのまま前期の成績に直結するってワケよ」

「あー、すまんなあキミタチ。言ってなかったかな? 俺ってほら、ランクAエリートだから? 前学期の試験は実質、免除パスなんだよねえ」

「ふっふっふ、――馬鹿めが!」

「なにぃ?」

「玄田ぁ、そりゃお前、あくまで筆記試験の話だぜい」

「なん……だと……!?」

「特別学科の通常試験とこいつは、まるで気色が異なるもの! それこそ実戦の機会とでも言うべきかっ!」

「――実戦だとぉ?!」

「そして、さらに重要となるのが、この試験がいわゆる個人のスキルを競うだけのものじゃないって所だ」


 演劇ぶっていたオーバーな口振りをひそませ、羽佐間は真剣な目で一同を見渡した。

 俺も付き合い良く、臭い芝居染みたテンションを意図して落とす。


「えっと羽佐間くん、つまりどういう事?」

「班決めをされんだよ。言うならこの試験はチームとして受けなきゃならないって話で、それに沿って試験の内容も用意されてんだ」

「チームプレーってか」

「そう、チームの成績によって評価が決まるんだ。どんだけ個人が優秀であっても、スタンドプレーじゃ割に合わないってこった」


 俺達の特殊能力はそれこそ千差万別だ。

 その中には、これ役に立つのかよって思える様なのもいっぱいある。――いや、もしかしたらそういう類の方が圧倒的に多いやも。

 それでも使い方次第でどうにかなる事もあるし、そして一見何の役にも立ちそうにない能力であっても、誰か別の能力と合わせる事で意外と新たな使い道が開ける事だってある。

 つまりチームを組むという事は、そういう諸々の特性――短所長所を理解した上で、お互いの能力をどう有効に活用できるかを見極めなくてはならない。


「その班決めってどうなんだ、勝手に向こうが決めちまうのか」

「察しがいいな玄田。安心しろ――そのチームは俺達で決めていいんだ。こっちからの申請をきちんと受け付けている」

「成る程ね」


 羽佐間の言わんとしてる所を理解した。


「そしてもっと重要なのは、そこで決められる班は後期の試験にまで継続されちまうって話だ。つまり一年間、決まったチームで試験に臨まなきゃならない。メンバーの変更は一切なしだ」

「そりゃ痛いな。もし相性が悪くまとまりのないチームになっちまえば、後期の試験まで絶望的ってわけか。学園側は、むしろそういう班分けをして限定的な条件下での俺達の協調性や対応力を計りたいってはらか」

「だと思うぜ? 普通こんな重要な話、前もって生徒達に話しておくもんだろ」

「俺達に準備期間を取らせたくないわけだ」


 さすが学園、灰汁あくどいな。


「にしても、すごいね羽佐間くん。どうやってそんな情報仕入れてきたの」

「実はちょっと学園の先輩方と交流パイプがあってさ。まあ、世渡りの基本ってヤツ?」

「よくやったぞハゲ」

「だからハゲじゃねぇっ!!」


 班分けか。

 繰り返すが、これがぐっぱで分かれるドッチボールのチーム分けなんて気安いもんじゃないのは確かだ。

 加わるメンバーの能力を吟味ぎんみし、どう複合させてチーム全体の向上を図るか。

 問題は下準備である。

 クラスの人間の情報を掻き集め、効力が最大限引き出されるチーム編成を組めたものが好成績を収める。


 そして俺達にとっての成績とはイコール金である。

 基本給おこづかいとなる生活態度にちなんだscの配当。そこにさらに試験の点数によってボーナスが追加される。

 その為この学園に落ちこぼれ的な人間は少ない。

 目の前にチラつく現金のため、生徒達は死に物狂いでテストにのぞむ。

 仏門にでも入って欲求を洗い落としている賢人以外、物欲という名の化け物に無様に踊らされ続ける哀れな俺達だ。

 世知辛い。


「しっかーし! 本題はこっからだ!」


 また芝居がかった口調へと改めた羽佐間が、どんとテーブルを叩く。


「あいたたた……! 何すんねんもう!」


 今までずっとテーブルに伏せっていた水宮が顔を上げて抗議の声を上げる。

 どうやら、羽佐間が揺らしたテーブルのせいでおでこを打ったらしい。


「よし、ちょうどいい水宮。さっきの話を」

「へ? ……あ、――うん! 任しとき!」


 羽佐間に話を振られきょとんとしていた水宮だったが、たちまちに状況を思い起こしたらしく、すれ違いにすとんと座った羽佐間と代わって勢いよくて立ち上がっている。


「えー、それではみなさん、セーシュクにお聞きねがいます。この度、職員室に入りびたるとゆー、うちのチミツで粘りづよーいチョウホウ活動が実を結びまして――」

「それ、単に呼び出し喰らいまくってるって話な」

「セーシュクにやで!? りょーちん!」

「わかったわかった」

「えー、ズバリ言うとやなー、今日うちは職員室で小耳にはさんでしもたのです! なんと、今回の演習の場所を!」


「俺から補足説明しよう。毎年差異はあれど実地試験の内容は主に入り組んだ山野の地形内の至る所に設置されたトラップや障害の類をクリアし、どれだけ早いタイムでチェックポイントを通過し、規定のルートを往復できるかという――そしてどのチームが一番に到達するかを競い合うものなのだ」

「なんだよ、レクリエーションみたいじゃねえか」

「馬鹿者が!! お遊びだとぬかすか?!」

「そんなに大変なのかな……?」

「毎年、驚異的な精度のトラップや困難な地形の障害により、チェックポイントの通過を断念させられて戻ってくるチームが後を絶たず、酷い時などには負傷者まで続出する始末だ。あるいはそれらをかわそうとしてコースを外れ、山ん中を遭難するチームまで出てくるって話だぜ」

「思ってたよりヘヴィじゃねえか。気に入った」

「ボクはちょっと不安だよ」


 野外活動アウトドアにちょっと自信のある俺とは対照的に、時野谷は不安そうな顔だ。


「まあ待て、まだ慌てるな。水宮、続きを頼む」

「ほいほい。えー、そんでその実施場所というんは、学園から西4kmちょっとのトコにある蒼沼の樹海やとの事」

「蒼沼か。結構な面積だぞあそこ」

「この地方最大の水源地らしいぜ?」

「そこに広がる樹海ねえ。普通に行っても遭難レベルだろうな」

「だろうぜ。『下見』もせずに行けば、そうなる」


 その部分だけやたらと語気を強めて、羽佐間は意味ありげな笑みを浮かべた。


「何だ今度は?」

「ふふん」

「うぇっへっへ」


 羽佐間と水宮、事情を知っている二人だけが勿体ぶった笑みをたずさえている。


「まさに今日、特別学科の先生達と警備隊の人達とがその事で深刻に話し合ってるのを聞いてしもたのです!」

「教官達と警備部隊の面々がか?」


 そりゃ意外な組み合わせだ。


「そやねん! 今朝な、職員室の隣にある会議室みたいな場所でな、なんや大勢が集まってやいのやいのと話してたもんで、ちょーっと興味をそそられてドアの前で盗み聞きしててん」

「思ってたより大胆な諜報活動だな」

「そしたらなんや、演習するその蒼沼らへんのセンサーかなんかが故障してるらしくてな、カンシモウ……? に穴が開いてるやのどーのって。そんで先生たちは試験までにはきっちり直してもらわんと困るみたいな言い分で、警備隊の方は資材が届かんとどーにもならんいう感じで、周りを気にせんで言い合っとってん」

「監視網か……」


 学園の外側に一層、境域を明確化するためか、そういったものがぐるりと周囲を取り巻いている区画がある。

 その高度なセンサーは野生動物の類には反応せず、人間――俺達の情報だけを読み取り、衛星通信によって警備部隊の中央管理局コントロールセンターに通達される。


「何となく見えてきた。『下見』ってそういう事か」


 役目を終えた水宮は席へと戻り、何故か一仕事こなしたという風な満足気な顔でジュースをすすっている。


「通行を阻害するほどの大掛かりな障害やトラップってんだ、一日やそこらで設置できるもんじゃねーだろ? となると向こう側も試験の為に下準備をこしらえているハズ。実施する場所が割れ、なんとも幸運な事に今現在そこへ向かう途中の監視網が機能してないときた。あとは、理解わかるよな?」

「そ、それって、カンニングにならないのかな……?」

「テストの問題を前もって盗み見る――立派なカンニング行為だな」

「ええ!? だ、ダメだよそんなの」


 誠実な心の持ち主である時野谷が青ざめた表情で首を横に振る。

 まあカンニングなんて、そりゃばれたら色々マズイもんな。

 しかし羽佐間は再び席を立って、良識を示す俺達へと距離を詰める。


「おいおい、考えても見ろ。この事態はあっち側の落ち度で発生したんだぜ? 俺達はただ……そうだな、来週の課外授業の時にちょっとばかしはぐれちまって森の中を彷徨さまよった挙句、不可抗力で蒼沼付近に行き着いたってシナリオはどうだ? その際に若干、演習の舞台となるその場所を目撃しちまったって筋書き」

「筋書きってお前、そんなお粗末な話を誰が信じるかよ」

「そこはあれだ、何とでも言いつくろえるって!」


 強気で羽佐間が言葉を返す。


「だって通常の場合なら、俺達が学園の外に出ようとその区域に足を踏み入れた瞬間、そこら中に無数設置されたセンサー類が稼働して即バレちまう。けど今その西側のセンサー類が機能してないんだぜ?」

「全部が全部って訳じゃないだろうに。所々、穴が空いてるだけじゃねえのか」

「充分だぜ! いいか? 俺達が見つからずに辿たどり着けりゃもうけモン。辛うじて生きてたセンサーに引っ掛かってバレちまったとしても、それはそれで構わないんだよ。そん時になって引き返せばさ」


 羽佐間が語気を荒く、そう言い切る。


「つまりセンサーの不備を突いてその監視網を本当に抜けれるかどうか、試す価値だけはあるって事か」

「そうだ正にそれ! つまり俺達は学園側の落ち度でちぃっとばかしエリア外を遭難しちまった可哀相な被害者って事になるワケよ。そんで運が良けりゃ、今回演習が実施される場所をお目に掛かれるかもって寸法さ」

「ホントにそんなんでゴリ押せるって?」

「ゴリ押せるっつーの!」

「待てよ羽佐間。大体だな、学園側は俺達の位置を常に把握してるじゃねぇか。こいつでよ――」


 言って俺は自身のIDタブレットを手の平でひるがえした。

 そう、学園側はGPSで俺達の行動を終始見守ってくれているのだ。――それが暖かい目でかはどうかとして。


「そもそもそのセンサーが張り巡らされてる監視区域に接近するだけで、こいつに警告文が入るレベルなんだぞ。『学園の指定領域外へと近づいてます』みたいな文面が鬼のような頻度でな。挙句には、それでも無視してると文面が『これ以上進むと警備部隊への通達がなされます』みたいな脅し文句に変わりやがる」

「え、そうなの?」


 俺の発言に、意外にも時野谷がきょとんとした顔を見せる。


「あれ? 俺達より古株の時野谷が知らないのか?」

「だって僕、わざわざ禁止されてる区域には近づかないよ」

「そんなん、うちらかてそうやで。学校側から何回も注意されてる場所に行かへんがな」

「ああ……そりゃまあ……」

「さすが問題児の玄田だ。ここらの事には詳しいらしいな。つか、実体験かよ」

「りょーちん、悪い子や」


 水宮がまるで小さい子をしかるよう、掌で俺の頭を軽くはたく。――お前だって遅刻常習魔のクセして。

 というか別段、俺は悪さを誇ってる訳じゃない。

 入学当初から暇を持て余し、怖い物見たさでその指定領域外へと冷やかしに行った俺には印象深かったって話だ。

 もちろん、ここが監獄であるという認識を深める印象を。


「ともかくよ、センサーが稼働してようがいまいが俺達の行動は筒抜けな訳だ。故障してるかどうかなんて、俺達には関係ねえよ」


 羽佐間の計画とは要するに――

「迷ってたら蒼沼の樹海まで来ちゃったー☆ てへぺろー☆」

「ワザととかじゃないですよー☆ やだもー☆」

「えー?☆ 演習ぅー?☆ 何ですかそれー☆」

「それがここで行われるだなんて知りませんでしたー☆」

 ――で教官達の追及を逃れるというものだ。


 俺達が故意か過失かで、その言い逃れが成立するしないに関わってくる。

 つまりタブレットに警告文が記載されたにもかかわらず、過失で蒼沼まで彷徨さまよったというシナリオは成立しない。


「こいつについては対策なしか?」


 俺はその憎き監視役でもあり、全財産が搭載された生命線でもあるそのタブレットを突きつけた。


「いや! まあ待て! それについても、打つ手はある! ……ハズだ」

「何だそりゃ、言い切れないのかよ」

「待てって! 実はその点については、俺もこの計画の最大の障害になると考えている。故に勿論の事、対策も考えてはいる。だがどうも手立てが限られてくる上に、危険な橋を渡んねーとかもだ」

「ほう」

「だからこの事について、まだ不確定な現段階でネタを晒すワケにゃいかねーんだよ。わかるだろ玄田?」

「ま、話は分かる」

「逆に尋ねるけどよ、もしその点をクリアできたならお前らこの計画に乗っかってくれるか?」


 鼻息を荒くした羽佐間がさらに上体を乗り出す。


 しかしどうにもお粗末で、俺は容易にその企みに乗る気は起きない。

 そもそも学園側がその程度の不備を想定していないとは考え辛い。

 センサーによる監視だって対象が俺達だからだ。学園側は生徒が発現させたその異能を細やかに把握している。

 能力を用いて学園を脱出できるような生徒には、相応な環境を整えている。

 そんな学園相手に通じるような計画とは、とても思えない。

 学園側がもっと退きならないくらい手が回らないとかじゃない限り。


「その計画、問題はまだまだとあるだろ。どうにもなあ……」

「ボクもやっぱり反対かな」

「おいおい! いいか? 試験の全貌を俺達が明らかにするって言うのはだな、何も自分達の成績を上げるためだけじゃないんだぜ? 俺達がその情報を持ち帰れば、どれだけ多くの生徒達が救われると思うよ?」


 羽佐間はテーブルに両手を付き、真剣そうな眼を順に俺と時野谷へと向ける。


「えっと、他の生徒達も救われるってどういう事?」

「こんな不意撃ちのような試験を学校側が実施すれば、準備の整っていない生徒達がどれだけ悲惨な目にうか判るだろ? 試験内容を把握し、公平で無駄にならないようなチーム編成を組ませてやる事が、何よりもこの試験で重要なんだ。そうすればクラス全員――いいや、学年全員が好成績を収め、泣きを見るやつなんて居なくなるんだ! 実際、これはみんなの為なんだぜ! どうだお前ら!? みんなの為に、俺達がえて泥を被ってみないかっ?!」


 顔を高々と上げては拳を回し、熱い瞳で羽佐間はそう弁を燃やした。

 羽佐間の奴、なんだかヒロイックに陶酔していやがる。

 なんて陳腐ちんぷな――と思っている俺の両脇が、同時にばっと身を乗り出す。


「羽佐間くん! すごいよ、ボク感動したよ! そうだよね、このままじゃみんな不幸になっちゃうよね。うん! やろうよボクたちで!」

「えらい! はざーちゃん――えらいでっ! うちの話を聞いてそこまで考えが及ぶやなんて……。自分の成績の事しか頭になかったうちは恥ずかしい! こうなったら、うちも最大限に協力する!!」

「おう! お前らならそう言ってくれると信じてたぜ!」


 単純というか純粋というかけがれを知らないというか、時野谷と水宮の二人はあっさりとその口車に乗っていた。

 二人ともまるでカモだな。


「なあ玄田! お前も力を貸してくれるよな?!」

「あのさぁ……」

「いやっ! みなまで言うな! わかってる! お前ならきっと協力してくれるってな! ――そうだろう玄田!?」

「お前あれだろ? その情報、高値で売れるからだろ?」

「…………………」


 ぽつりを核心に触れた俺の呟きに、それまで暑苦しく迫っていた羽佐間が急に体ごと顔をらした。


「え……? なにそれ、どういう事やの?」

「羽佐間……くん?」


 ほうけたような顔になった二人に視線を当てられるも、羽佐間は顔を背けたままである。


「そりゃあさぞ高く売れるだろうな。前期だけでなく後期のテストにも関わってくるし、誰だって成績は伸ばしたいよなあ」


 畳みかける俺の言葉にも、羽佐間は身動き一つしない。

 上半身をひねった奇妙な体勢でじっと黙している。


 俺は羽佐間の反応をただ待つ。


「…………っだよ……」

「何だ? 聞こえねえ」

「――ああ、そうだよ!! とんでもなく高く売れるんだよっ!!」


 こちらに向き直って、本音をぶちける羽佐間。

 先ほどまでの嘘臭い熱血漢の顔は消え失せ、下衆ゲスな顔付きになってやがる。


「は、羽佐間くん?」

「最悪や」


「マジでシャレになんねーくらいのもうけが出るって先輩方が言ってたんだよ!! いいじゃねぇーかよ?! 買うだけの価値がある情報なんだからさあ!! みんな成績が上がってこっちの懐も暖まって!! みんなハッピーじゃねーかっ?!」


「羽佐間くん……」

「最悪や……」


 顔を伏せて、はあっと大きく、俺は溜め息を洩らさざるを得なかった。

 そして再び対面の羽佐間に向き直る。


「儲けは勿論、折半なんだろうな」

「――亮一くん?!」

「――この流れで話にのるん!?」


 始め驚愕の目つきだった羽佐間だが、俺の顔を窺い見た瞬間、合点が言ったという風にニヤリとする。


「へへっ……玄田――おめぇもやっぱり、同じ穴のむじなかよ」

「ぬかせ、小悪党」


 俺達は交差させるようにがっちりと片腕を組むのだった。


「亮一くん……」

「最悪やー……」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る