夕焼けに恋のせて

みりん

第1話

わたしはバスの停留所の前でしゃがんでいた。


ランドセルの中からビニール袋を取り出す。


ビニール袋の中には、お母さんにバレないように仕込んでおいたお砂糖が入っている。


わたしはそのお砂糖を指でひとつまみして停留所のベンチの下にそっとおいた。誰にもバレないようにするためだ。


ほろほろとお砂糖が落ちていくくすぐったい感触はとても心地よかった。


「アリさん、喜んでくれるかなあ」


少し大きい独り言、いつもより少し軽いランドセル、そして目の前で飛んでいる蝶。全てが春で染まっている。


わたしは今日から小学5年生だ。わたしはこの小さな村に住んでいて、この村から少し遠い小さな分校に通っている。


同じ学年の子はわたしを入れて3人しかいない。全ての学年の人数を合わせても7人しかいないのだ。


進級しても勉強以外何も変わらない。


友達と楽しくおはなしする毎日、もっと、もっと、素敵なことがあればいいのに…


そんな小さな願いは清々しい青空に吸い込まれていった。


爪に挟まった砂糖を取り除いて、大きく背伸びをして立ち上がる。


相変わらずここの停留所には人がこない。


この村にはわたしと近所の高校生のみさきお姉ちゃんしか子供がいない。みさきお姉ちゃんはわたしよりももっと早く家を出ているし、遠い高校に通っている。


バスに乗る人が少なすぎるのは、この村自体がのんびりしすぎているからだと勝手に思っている。


雲の数を数えていたら、遮断するように目の前でバスが止まった。


バスにはいつも眠っているおばあちゃんしかお客さんがいなかった。


「こんにちはー、緑原分校行きでーす」


いつも通りの渋い声の田中さんの声がバスに響………かなかった。


その声は今までの運転手さんよりも少し高く、若くてさわやかなお兄さんの声だった。


あまりにも動揺していたため、バスの乗り口の段差で足が止まっていたらしい。お兄さんが慌てて運転手席からこっちへ向かってきた。


「きみきみ、大丈夫かい?」


黒髪のお兄さんが目の前にいる。


「あっ、大丈夫です。ごめんなさい。その…田中さんの声じゃなかったので。ちょっとびっくりしちゃいました。」


そういうと、お兄さんは優しく笑った。少し小柄で、まだまだ大人ではないような、そんな大人だった。


「そうだよね。俺は今日から望嶺村のバスの運転を担当することになったんだ。野坂です。よろしくね!」


お兄さんはわたしに優しく笑いかけた。


「わたしは望嶺村に住んでます、宮部美奈です。」


「よろしくねー美奈ちゃん、あ、時間がやばいね。美奈ちゃん乗って乗ってー!」


野坂さんを気にしすぎて、すっかり時間など忘れていた。


「あっはい!」


急いで一番前の席に座った。ここなら野坂さんと話せることができるかもしれない。心臓がトクトクと音を立てている。不思議な気持ちだ。


「野坂さんは、もともと運転手さんの仕事をしていたんですか?」


本当はこうやって運転手さんと話すのもいけないことだと思うけれど、今は寝ているおばあちゃんしかいない。きっと大丈夫であろう。


野坂さんはわたしの言葉を聞いた瞬間、バスを動かした。


「俺はねー、今年からバスの運転手さんになったんだ。去年はバスの運転手の試験……テストをやったりしていたんだ。実は今日から初めての運転手さんの仕事なんだ。楽しみにしてたんだ。今日をね。」


野坂さんはハンドルを動かしながら話した。こっちからでは表情が見えないけれど、きっと今笑っていると思う。


「そうなんですか。わたしも今日から5年生なんです。」


ショートパンツのポッケを指でいじりながら言葉を発した。


「5年生か。そっかそっか。勉強も難しくなってきた感じだよな。頑張って!」


頭を撫でられているような感覚になった。

こそばゆくて、気持ちが良くて、とろけてしまいそうな…


「はい。野坂さんも頑張ってください。」


わたしは野坂さんの背中に向けて笑顔で話した。きっと野坂さんも笑顔なのだ。


「次は緑原分校ー。 美奈ちゃん、頑張ってね。」


こんな自由な運転手さんは他にいるだろうか。というか怒られないのか少し心配だ。


バスが止まったのを確認して、わたしは椅子から立ち上がる。ポッケに入ったお財布から200円を取り出してお兄さんに渡した。


「ありがとう!じゃあね!」


お兄さんのさわやかな笑顔になぜか目を向けれなくて、無言でバスから降りてしまった。


バスは扉を閉じて、私よりもその先へ行ってしまった。


分校に向かって足を踏み出していく。なんだか今日はいつもよりも足が軽かった。






「みーな、今日授業中すっごい笑顔だったね!どしたの?」


教科書をランドセルの中にしまっていると、親友のナホがぐぐっと迫ってきた。


「びっ、びっくりした。特になにもないよ?」


ナホはさらにぐぐっと私に近づいた。


「嘘ー!!絶対嘘だ!だってなんか、恋してるような顔してたもんね!」


こ、こい…恋!?


「恋なんてそんなの…高校生からでいいよっまだ私には早いっていうか…」


「あっはは!私のパパみたいなこと言って。まあ、楽しそうな表情してたよ。きっといいことあったんだなあって思ってさ、なんかあったら言ってね!あ、そうそう交換ノート。連休だったからたくさん書いたよ〜みーなもたくさん書いてもいいんだぜ?んじゃ、ばいばい!」


ナホはいつも自由気ままに生きている。交換ノートをクリアファイルにいれて、ランドセルを背負って分校から出た。


恋…恋か。

夕暮れを眺めながら停留所のベンチに座る。


ナホも恋…とかするんだろうか。きっとみんなは同じ歳の子が好きなんだろうな。


バスが来るまであと30分もある。ナホの交換ノートを見ると、今までの3倍くらいの量の文章が書いてあった。


文字はせんから飛び出したり、いつもよりも文字が大きかったり、とにかく思いのままにかいているような、そんな文章だった。


ナホの文章はまとめて言うと、買ったお洋服、買ったねりけしの報告、好きなタイプが書かれていた。


ナホの好きなタイプは優しくて、頭が良い人らしい。


わたしは交換ノートに今日の朝のことを書こうか迷った。野坂さんのこと。とくとくしたこと。親友になら打ち明けてもいいのかも。


鉛筆をとりだして、思うがままに文を書いた。




気づけばバスの優しい音が聞こえた。野坂さんに会えると思うと、胸がはずむ。


バスが目の前でとまる。バスには野坂さん以外に誰も乗っていなかった。


ふしゅうと優しい音がなったと同時に、ドアが開いた。


野坂さんはこっちを見て手を振っていた。


「学校おつかれー!頑張ったね!」


「…はい、ありがとうございます」


小さいお辞儀をしたあと、朝と同じ席に座っる。席が少し暖かかった。私よりも前にここの席に座っていた人がいた…。そう考えると少しモヤモヤしてしまった。


「じゃあ出発するね」


バスが動いた瞬間に、野坂さんは「あっ」と声をあげた。


「誰もいないからこのまま直行で朝と同じところまで行くけど大丈夫かな?」


「はい。大丈夫…です。」


止まらなかったら、野坂さんと一緒にいれる時間が少し減ってしまう…一瞬迷ったが、お母さんに怒られてしまうだろう。


野坂さんが頷く動作が少しだけ見えた。バスは畑だらけの道をどんどん走っていく。


「本当に望嶺村は穏やかな場所だね。俺もここに住みたかったなあ」


「いい場所だと思います。野坂さんもここに住みませんか…?」


無理だとわかっていても少し期待してしまう。そもそも野坂さんはどこに住んでいるんだろう。


「うーん、きっと無理だろうなあ。俺はここより少し遠いところのアパートで一人暮らししてるんだ。ここに住んだらお金が…それに、友達とも離れたくないからな…もう20歳過ぎてんのに、まだまだ子供だなってつくづく思うよ。…あっ、ごめん。少し難しい話だったね。」


バスの速さが私にでもわかるくらいに少し遅くなった。


「大丈夫です。なんとなく、わかります。私もお母さんとお父さんがいないと寂しいですし…。」


野坂さんはハハッと笑った。


「わかるよ、その気持ち。…お父さんとお母さん、大切にしてあげてね。」


なんだか寂しそうな声のトーンだ。夕焼けが野坂さんの表情を隠した。


バスの停留所についてしまった。あらかじめ用意しておいた200円をお兄さんの手におく。


「じゃあね、美奈ちゃん。また明日。」


朝とは違って野坂さんの顔をしっかりと見ることができた。明るい笑顔と、真新しいスーツ。


「…私がいるから…野坂さんはひとりじゃないです。」


勝手に口から恥ずかしい台詞がでてしまった。はっとなって両手で口を隠す。


野坂さんは少しびっくりしたあと、はにかんだ笑顔になった。


「ありがとう。」


今までの野坂さんとは違う不思議な表情。

切なそうで、嬉しそうな。


私は急いでバスから降りた。自分でも驚いている。


「な、なんで…」


ランドセルが重く感じる。バスは夕焼けの色と混ざり合って、遠くへ行ってしまった。




続く

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