第73話神の肉を食べてみましょう

 示し合わせた訳でもないが、クリスは下段に控えていたタルタロス、エリュシオンの元に向かう。

タルタロス、エリュシオンもまた風の刃に斬りつけられながら、小剣を抜いていた。彼らが愛剣を振るうより早く、クリスは黄金狼に変じて爪撃を浴びせる。

2体の巨人は跳ね跳んで躱すも、クリスからすれば、よちよち歩きの3歳児と変わりない遅さだ。

しかし身に着けている防具は流石に硬く、クリスの爪でも一息には裂けないが、他に見るべき点はない。喉笛と露になっていた上腕が深々と裂け、血が噴き出した。

さらに黄金狼はエリュシオンの右脛に噛みつくと、裁判官席の背後に流れる河に向かって、巨人を放り投げた。


「なに…!」

「何だい、その反応。ひょっとして予想してなかった?それは心外だなあ、身の程を教えてあげるよ」


 ジャックの眼には十数体に分裂しているようにか見えない速度で、クリスは追撃を繰り出す。

投擲されたエリュシオンが川面に着水する前にその身体を浚い、横薙ぎに斬りつける。

同胞を助けんと跳躍し、白刃で斬りかかるタルタロスを、クリスは数えるのも面倒な斬撃の嵐でもてなした。

佳大が放った風の渦と、クリスのが飛び跳ねる事で生まれる爆撃のような衝撃により、法廷は瞬く間に廃墟と化す。


 その嵐が遠ざかった事を感じ、ターニャは息を吐いた。

戦闘が始まってから、度々地震が冥界全体を揺らしているが、彼女らには届かない。


「ら、楽勝みたいだね…ジャック」

「このまま押し切ることを祈るよ」

「とはいえこのまま座ってばかりもいられません。ターニャ、シャンタク鳥を」


 シャンタク、とネズミ女はオウム返しにする。

馬頭の、鱗で体を覆った鳥と説明され、彼女は名前を了解。3頭の翼竜の如きシャンタクを呼び出す。

その象―ジャックはそれを見た事がない―のような巨体を見て、ローブの魔術師は息を呑んだ。


「これが…」

「さぁ、どんな妨害が来るか分かりません。彼らがあの3柱を仕留めるまで持ち応えるくらいはしましょう」

「ふん。試し打ちくらいにはなるか」


 3人はそれぞれ魔鳥に跨る。

シャンタクは騎手の意を汲んだように羽ばたき、冥界の空に舞い上がった。


 その頃、クリスは2体の巨人を蹂躙していた。

大気を足場にした三次元の動き、佳大のバックアップを受け取った事で、すれ違っただけで神格に傷をつける事が出来る。

彼は川に落ちたエリュシオンを忘れたように、タルタロスを連撃によって、空中に縫い留めていた。


「ねぇねぇ、君らは神様なんだろう?なら一つくらい隠し玉を持っていると僕は思っているんだけど、どうかな?」


 クリスは巨人を嬲るのに飽きると蹴り飛ばし、咆哮と共に冷気を吐き出した。

周囲の気温が零下40度をあっという間に下回り、野外法廷の外、冥府を7巻きするステュクス河の一部が氷で覆われる。冥界に雪が降った。


「ただ頑丈なだけなら山でも崩していたほうが、人の役に立つと思うんだ。…お前程度の愚図が僕と佳大を見下ろそうなんて1000年早い」


 クリスの姿が消えると同時に、周囲に吹き荒れる寒気が勢いを増した。

タルタロスは小剣を手に立ちあがると同時に、エリュシオンの姿を探す。彼は河岸に手をかけ、引きずり込まんとする亡者の群れに抵抗していた。

なかなか脱出できないのは、亡者の勢いではなく凍てついた川の水に腰を取られたからのようだ。エリュシオンは亡者を斬りつけ、氷を崩し、タルタロスを引き上げる。


「エリュシオン!鍵を開けるぞ!」

「な、そんな真似をすれば我らがどうなるか…」

「万が一、クレインが破れるようなことになって見ろ、その時こそ冥府は終わりだ!覚悟を決めるのだ!」


 タルタロスは消えた黄金狼を警戒しつつ、逡巡するエリュシオンの答えを待つ。

あの少年の言うとおりになっているようで癪だが、エリシア女神やヴァルダ男神のような戦闘的逸話を持っていない以上、もはや隠し札を切るしかない。

即ち、それぞれが管轄する地獄と天国の扉を開けるのだ。


「いや――」


 そこまで口にした時、二人の巨人が動きを止めた。

エリュシオンの目の前でタルタロスが引き倒され、その頭部に黄金狼が齧りついた。

澄んだ破砕音と成す術なく頭から食べられていく同胞の姿だけが、天国の管理者を貫く。獣人の少年が、タルタロスを頭から食べている。

それを間近に見ながら、エリュシオンには雪と雹で身体を打たれる事しかできない。捕食する間、何度か地面が震えたが、黄金狼に気にした様子は無い。


「鍵を開けるってどこの鍵?開けたら何が起こるの?」


 エリュシオンはクリスの異能により硬直させられ、瞬きすらできない。


「ああ、御免ね。ほら、喋っていいよ」

「何をしている?」

「はあ?そんな質問受け付けてないけど、まー、いいや。前に佳大と戦った時、左足を食べてさ。負けちゃったんだけど、ふわっといい気持ちがしたんだ。だから君達も食べてみようと思ったんだけど、味が薄いねぇ」


 呑気に喋りつつ、クリスはタルタロスの上半身を殆ど胃袋に収めた。

心臓を食べ、満足した彼はエリュシオンの拘束を解く。何をするか期待していたが、呆然としたまま動かない。

エリュシオンは爪で小突かれると、身体に火がついたように逃走。


「ねぇー?助けてーって言ってみたら?」


 エリュシオンは事ここに居たり、覚悟を決めた。

鍵を開ける。神々に愛されし文人や英雄の住む島、エリュシオンの住人に加勢させるのだ。


「我、賜わりしは至福の島。蜜の芳香、風に乗れ。今、永遠を与えられた者がやってくる」


 同名の天国、エリュシオンを開く文言が冥府の空に溶けた。

しかし、5秒が過ぎても一切の変化はない。クレインと佳大の戦闘音、クリスの冷気だけが彼の周囲にある。

黄金狼に引き倒された時、不意にある考えが浮かんだ。


「私を裏切ったのか!エリシアァ――!!」

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