第72話冥界の法廷―努力はしたんです―
ナイを含めた4名が隠れた黒雲を伴って、佳大はステュクス河の上を飛んでいく。
老人の漕ぐ船が一枚の木の葉にしか見えない程、スケールの大きな河を、佳大は10秒かからず渡り切った。
「おい!勝手に川を渡るな!」
下方から怒鳴り声が飛んできたが、佳大は一瞥もくれない。
好きで来たわけではないのだ。グレアム老人に文句を言われる筋合いはない。
河岸から細い坂が伸びており、道は緩くカーブしながら、巨大な門に行き当たる。ハデス=クレイン神が運営する、法廷への入口だ。
川辺に立ち、黒雲から仲間を降ろす。
その時、武装した兵士が続々と接近してきた。真皮が剥離しており、筋肉や骨が所々露出している。歩兵が殆どだが、馬に乗った個体もいる。
「何コイツら」
「冥府の警備隊だな」
「戦いに来たんじゃないけどー!退かせてー!」
佳大が声を張り上げる。
その間も兵隊は距離を詰めてきており、ジャックはしびれを切らしたように魔本を展開した。
「光の刃(シャイン・エッジ)」
あと一息で騎兵が佳大一行を間合いに収めると思われた時、眩い光が彼らの視界を遮った。
光は亡者の兵隊を呑み込み、斬り刻む。風に吹かれた木の葉のように宙を舞い、やや離れた位置に甲冑や騎馬ごと、細切れにされた。
「一応忠告したし、いいよな?」
坂道を登り、法廷に通じる門の前に立つ。
左右では高層ビルの如き高さの城壁が天に挑んでおり、真下から見上げると、壁の頂は空に溶けて見えない。
身長の10倍以上ある巨大な扉に掌を添え、押し出す。開く方向が違うのか、強い抵抗が伝わってきた。さらに力を込めると、何かが砕ける嫌な音と共に、扉が奥に向かって開く。
自動車4台並んで走れる広さの廊下を抜け、吹き抜け構造になっている円形の広間に入ると、3名の巨人が佳大一行を座して待っていた。
2人の巨人の中央、一際高い位置に青白い肌の壮年男性が座っている。
顔を髭で覆い、鉄の兜を被った彼は、手元に直剣を置いていた。優に20mは距離があるが、大きい。目測で全長5mはある。
巨人たちは一様に武装しており、筋肉を象った胴鎧と脛当、篭手を身に着けている。
「裁判でもないというのに、このような場所に足を踏み入れるとは。アルゴス以来だ」
「来たくて来たんじゃない。迷い込んでしまってな、恐縮だが地上への道を教えてくれないか?」
ジャックが前に歩み出る。任せろ、という事らしい。
「そこな黒髪の男、知っているぞ。我が姪ロムードを殺めんとする痴れ者」
最上段に座る男――冥界王ハデス=クレインは冷えた目で佳大を見下ろした。
佳大も表情の抜けた顔で、髭だらけの面を見上げる。剣呑な雰囲気を察し、ジャックは内心舌打ちをした。
「…殺すかどうかは、女神の相手次第だろう。問答も無くこちらの世界に放り込まれれば、憤慨するのも無理はない」
「一瞥をくれただけで、会話する気は無かったと聞いたが?どうだ」
クレインは佳大に水を向けてきた。
下段に座る巨人――タルタロスとエリュシオンは胸のむかつく微笑を貼りつけながら、やり取りを眺めている。
「…相手がそれほどの大物は知らなかったのです。女神と教えてくだされば、態度も多少変えました」
「ふふん?」
ジャックは内心意外に思った。
この男はクリスと違って常識人だが、我が強い。相手の高圧的な態度に手をあげると思ったが…いや。
(不満はあるか…)
嫌にへりくだった口ぶりから、癇癪を起す寸前のような危うさを感じる。
「ならば地上に戻り、ロムード神殿に参上するがいい。我が姪の兵となるなら、二柱の女神を手にかけたそこな女の罪とこれまでの狼藉、不問にしよ――」
宣告を言い切る寸前、3体の巨人を光の波濤が呑み込んだ。
開戦の鏑矢である死の輝きは、クレインの支配域である冥府の中、彼の意志を頓着する事無く、文字通りの雷速で裁判官席を砕いた。
砂塵が舞い上がるが、ほとんど間を置く事なく、風の刃が円形の広間を埋め尽くす。
落胆をありありと滲ませた溜息を吐くジャックとは対照的に、クリスは調子を取り戻したらしい。毒気のある笑みを浮かべて駆け出した。
風の刃に身を削られる中、クレインは直剣を手に取り立ち上がる。
裁判官から戦士となった冥王の前に、柿色の肌をした鬼が歩み出た。一歩ごとに大きさを増し、腕の間合いに敵を収めるより早く、その全長は10mに達した。
平坦な足場に並べば、両者の目線の高さは殆ど同じになる。
「貴様に裁判は無用。タルタロスで永遠の責め苦を受けよ!」
「知るか」
冥王と異邦人の戦いが始まった。
佳大はクレインの元に一直線に向かい、鋭い突きを避けて右フックを浴びせる。
兜の巨人は法廷を破壊しながら飛んでいき、外の丘陵に落ちた。建物よりクレインの身体の方が硬いのだ。
クレインが打たれた直後、冥界を地震が襲った。
追ってきた佳大目がけて、続けざまに3連斬を浴びせる。
佳大は身体を捻り、相手のタイミングに被せるようなカウンターを浴びせるも、最後の右からの薙ぎ払いを胸で受けてしまう。
筋肉を薄く切ったその傷の周囲が黒く変色し、組織の一部が崩壊する。冥王の神力を帯びた直剣は、無銘とは言え侮れない威力を持つ。
重傷でないが、佳大の背筋に冷たいものが走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます