第19話迷宮の主――クラフトパーソン

 扉の向こうは、古いタイル張りの風呂場だった。

入口から見て、右斜めに金属製の浴槽があり、そこには墨色の液体が満々と溜められている。

目の細かい壁は所々が剥がれており、露出した石壁が荒廃を演出。天井から吊られた照明の下、中央に持ち込まれたベッドに華奢な人物が寝かせられている。

隣のテーブルに安置されているのは見た所、10代。


 金髪に丸みを帯びた鼻、顎は小さく女性にすら見えるが、男性だろう。

胸部は薄く、乳房は見受けられない。腹が開かれており、チューブのようなものが数本はみ出している。

悲惨ではあると思うが、深い憐れみを感じるメンバーはここにいない。


 その傍らで、肥満体の男が此方を見ている。

スキンヘッドに革の腰巻、こちらも上半身は裸。ただし兜を被った骸骨のような、黄銅のマスクで顔を隠している。

彼は右手を腰に当て、突然の侵入者に呆れた様子だ。左手のチョッパーナイフが揺れる。


「なんだいきなり…?ノックも無しに失礼じゃないか、えぇ?」

「おじさん、独りで何してるの?」

「見りゃわかるだろ!火炎の檻(ファイア・ケイジ)」


 黄銅の屠殺者が炎に包まれる。

彼は雄叫びをあげつつ、ベッドから遠ざかった。男が二歩踏み出した頃、佳大の剣は彼の顔の前にあった。

横薙ぎに振るわれた剣がマスクを割り、チョッパーナイフが佳大の脇腹を打つ。服が裂ける。

部屋の奥に飛ばされ、佳大はタイル壁で背中を強かに打った。


 迷宮の主は仲間を呼ぶ。

床から数十の腕が突き出るが、その瞬間に凍り付く。

高位の氷結魔術が絶え間なく襲い掛かってくる異常空間で、屠殺者が呼んだ魔物は一度も攻撃する事無く絶命した。


 爆発するような冷気と氷刃が佳大に浴びせられる。

クリスが部屋の入口から、男目がけて放った力の奔流に、佳大は呑み込まれたのだ。

男を包む炎の檻が冷気を蒸発させ、水蒸気が広がり、それすら瞬く間に凍り付く超低温。

寒気に遮られた視界の向こうから、クリスとジャックが口争する声が聞こえてくる。


「寒い!俺達まで殺す気か!?」

「だらしないなぁ――よ!」


 男――迷宮の主は声だけでクリスを捕捉し、肉切り包丁を袈裟懸けに振り下ろす。

対するクリスも斬撃の脇を潜り抜けると、男を左肩を掴み引き倒した。

顔や体に叩き付けられる大量の雹を意に介さず、馬乗りになって何度も拳をつき下ろす。


「おい、この吹雪を止めろ!クリス!」


 魔物とはいえ、皮膚が裂けるほど寒い。


「アハハハ…、どいてよ、邪魔!」


 クリスは裏拳一発で身体を掴んだジャックを殴り飛ばす。

身体がぐるりと捻り、旋風のように振るわれた腕の一撃を受け、ジャックは血を吐いた。

それを耳にしながら、佳大は大股で2人の元に近づいていく。踏みしめる度、足裏から乾いた音が立つ。


「ほらほら何やってんの?おい、そいつ死んでるぞ」

「ヨシヒロ、こいつどうにかしろ!」

「どうにかしろってな、俺が言ってどうにかなるかよ、先出てるぞ」


 その一言で、クリスは我に返った。

冷気が止むと、視界が戻る。腿の下では迷宮の主の上半身が、骨も内蔵も無い挽肉に変化している。

両腕は泥遊びをしたように赤褐色に染まっていた。クリスは部屋を出ていく佳大に声を掛け、2人を追いつく。


「あ、その子連れてくんだ」

「当たり前だろ。死んでるみたいだけど…」


 佳大は顔を顰めつつ言った。

死体を触るのは初めてだ。自ら行動する事を止めた少年騎士の身体は中々重いが、今の佳大には関係ない。

クリスが冷気を放ったからだろう、その皮膚は金属のように冷たい。


「お?」

「どうした、早く帰るぞ」

「いや待て、動いた気がする」

「え、ほんとー?」


 クリスは少年の身体をひったくり、胸にぴったりと耳を当てる。


「…!音がする」

「それだけじゃない、腹の傷が塞がってる」


 3人は帰還の魔術を使わず、少年の様子を見守る。

浴場を改装した手術室の前に、霜の降りた身体を横たえ、様子を見守る。

佳大が掌を当てている箇所が溶け、健康な色艶が戻る。掌が熱を発しているのだ。霜を払うように、身体を撫でる。


「う、うぁぅ…」


 やがて少年が瞼を開けた。

彼は寝ぼけているように、3人の顔を順繰りに眺める。

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