第2話手持ちの荷物は使えない

 佳大は、硬い感触と湿りを感じて目を開けた。

ホールにいたはずの彼がいたのは、背の高い木々が陽光を遮る森の中。

落ち葉を枕に、仰向けに寝転がっていたのだ。身を起こし、周囲を見るが大きな動物の気配は無い。


(おい、なんだこの状況…)


 あの女のせいか?まだ昼飯をも食べてないのに。

傍らにあったのは鞄。中には買ったばかりの加熱用カキ、折り畳み傘、カッターナイフ、毛糸の手袋。

ポケットにはハンカチと財布、スマホ。スマホは圏外と出ている。


(とりあえず歩くか)


 森を30分も歩いていると、水の注いでいる沢に出た。

飲料――と考えて、佳大は思いとどまる。生水をそのまま飲むと体を壊す。寄生虫だっているだろう。


(濾過する…うーん)


 使えそうなものはハンカチのみ。


(なんだかもったいないし、もっと追い詰められてからでもいいや)


 水分だけなら、果実からでも摂れる。

この辺で何が成っているのか分からないが。傷を負ったら止血帯だって要る。清潔な布をいきなり使わなくてもいいだろう。


(こんなことなら説明聞いとくんだった…)


 40分も歩いていると、足が悲鳴を上げ始めた。

その間に尿意も催したので、適当に排泄する。もちろん、手は洗えない。

ぼんやり座り込む。留まっている訳にも行かず、再び歩き出す。前方から光が注いでおり、森の終わりが近いのが分かる。


 3分しないうちに、開けた場所に出た。

赤や紫の果実をつけた低木が、壁のように縦横に走っている。

緑の冠をかぶった、小さな突起で覆われた鮮やかな色のボディ。

食べれるのか?立ち止まって考え込んでいると、青と黄色の羽毛で包まれた鳥が視界に現れた。

鳥は佳大を恐れる事無く、果実を摘まむ。問題なさそうだ。


(駄目なら死ぬだけだしな)


 鳥を刺激しないようにゆっくり近づき、果実を摘んでいく。

鞄の底が見えなくなるほど獲ってから、1粒食べた。見た目通りのイチゴやブルーベリーに似た爽やかな甘さが、舌を楽しませる。

食べ飽きる事に目を瞑れば、2日は保つだろう。腐らない事を祈りながら、佳大は群生地を去った。


(このカキ、捨てるか)


 カキはあたると辛いらしい。

生食用では無いし、明日の朝には腐っているだろう。もったいないと思いつつ、包装のままその場に置き捨てる。 

群生地を縦断し、道なき道を歩く。森林地帯を当ても無く突っ切っていた時、鹿と遭遇した。

狩り――などやったことはない。刺激しないよう、他の動物に出会わないよう祈りながら、佳大はその場を立ち去った。


 渓谷に渡された橋を通り、下り勾配の道を進む。

そのうち日が暮れ、佳大は崖の下で一泊する事になった。

襲われたらかなわないので、水浴びをするのは止そうと考えた時、何者かに話しかけられた。

耳障りな声に目をやる。小顔を縁取るウェーブがかった黒髪に、琥珀色の瞳――つい数時間前に見た女が目の前に立っていた。


「やぁ、一日目の夜だね。そろそろ事態を呑み込めたんじゃないかな?」

「どういうことだ?」


 佳大は反射的に質問する。しまった、と思ったが、もうどうしようもない。


「君は異世界に来たんだ。私の尖兵としてね」


 尖兵――パシリという事か。

頭の奥で熱が灯り、胃の腑がキリキリと鳴き出す。

明日は仕事があり、家族だって騒ぐ。なにより俺のコレクションが、PCちゃんが…!

そんなものにしてくれと頼んだ覚えはない。

佳大は手近にあった石を投げつける。投擲物は女をすり抜けて、後ろの地面に落下した。


「アハハ、無駄だよ。それより…ねぇ?」


 佳大は女を無視し、身体を横にした。

会話した所で、楽しい気分にはなるまい。攻撃も通らないようだし、関わるだけエネルギーの無駄だ。

目を瞑った佳大を見て、口を尖らせた女は、顔を寄せて話しかける。


「ねぇ、佳大。私も漠然と君を選んだわけじゃないんだ」

「……」


 うるさい、黙れ。お前と会話する気はない。


「そう言われても困るんだよな。あ、そうだ。自己紹介してなかったね。私はロムード。ヘルメス=ロムード。君の所に分体をよこした者だ」


 ロムード、と心の中に刻む。

名前がわかった。口ぶりから察するに考えを読めるみたいだ、ますます腹が立つ。

佳大は記憶を引っ張り出し、妄想の中に無人島を形成。身動き一つせず佇む人家の間に、好きなヒロインを立たせる。

口にするのも躊躇われる乱行に耽るうち、佳大は眠りについた。


「嘘だろ、無視して寝たよ」


 しかもその前にあられもない妄想をして。

化身を見てなお、健常な思考を保っていただけあるが、豪胆な男だ。

期待してるからね、とロムードは耳元で囁いてから、その場から姿を消した。

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