第4話 金山にて

 岩肌の谷間につるはしの音が絶え間なく響いている。ガイラ金山はこの国最大の金山であるが、国境線に近いため密かに出稼ぎに来る人間も多く、当地を治める狼も多少の賄賂と引き換えにそれを黙認していた。

「一時はどうなることかと思ったが、新しい狼さんも懐の深い方でよかったなあ」

「本当だ。都から役人が来たときのほうがひやひやしたぜ」

「戦の間はちっとも稼げなかったが、また頑張り次第で一儲けできる。しばらく戦はごめんだなあ」

 休憩しながら雑談する男たちの間でむっつり黙り込んでいる若い男を、横にいた狼がつついた。

「都言葉、お前も頑張れよ。ここじゃなにもかも自分の腕次第だ。お前は都育ちのわりに体格もいいし、うまくやればだいぶ稼げるぞ」

「……確かに俺は都言葉を話しているだろうが、その、都言葉と呼ぶのはやめろよ」

 若干腰が引けた様子ではあるが、都言葉と呼ばれたのは梁克嶺その人だった。戦の間は山に引きこもっていたのだろう金山の男たちは帝国の名将の顔など知るよしもなく、気安くつついたり冗談を飛ばしたりしている。

「じゃあなんて呼べばいいんだ? お前さん、いつのまにか現れて名乗る機会もなかったじゃないか」

 梁克嶺は焦る。特に綿密な計画を立てて潜り込んだわけでもなく、止める妹を振り切って単身駆けてきたばかりなのでそれらしい偽名も考えていない。

「えー……木……木水山だ」

 苦し紛れにひねり出すと、男たちは訳ありの人間には慣れているといった様子でしたり顔にうなずきあう。

「木弟、何があったか知らないが、ここでは狼も人間も同じ場所から始めるんだ。やる気があってうまくやれる奴が稼いで帰る。そうじゃない奴はいつまでもクズ石拾いだ。ま、気楽に頑張りな」

 全然気楽に頑張れるようなことを言われた気がしない、と梁克嶺がなんともいえない顔をしている間に休憩時間が終わり、男たちはつるはしを担いで鉱床に散っていく。

 梁克嶺がクズ石を集めて掃除をしながらつぶさに観察したところによれば、男たちの言うことはまさしくこの金山の現実に見えた。ただ懸命につるはしを振るうだけでは報酬は横からさらわれてしまう。上に取り入り、横につながり、下に従える。それらのことをうまくこなして初めて金山で成功をつかむことができるらしい。

(戦はごめんだ、とはな)

 慣れない天秤棒を担いでクズ石を運びながら梁克嶺は考え込んだ。今まで、きちんと役人を派遣して帝国の支配を行き届かせ、必要とあれば戦って勝ち取ることが、少なくとも帝国の人間すべての望みだと思っていた。そのために身を捧げ、槍を振るうことこそが梁克嶺の使命だと思っていた。しかし、この金山では狼も人間も関係なく才覚のある者が成功し、それを狼も人間も等しく受け入れている。上に立つものは狼でも人間でもどちらでもよく、ただ賄賂のぶんだけ優遇してくれる者であればよいと言わんばかりだ。

(むやみと戦を起こす人間が煙たがられ、賄賂を受け取る狼が喜ばれるのか)

 正義とは、道理とはなんだったのか。いつもの梁克嶺であれば腹の底から血を沸かして怒り、義を通そうとひと暴れするところだが、なんだか今はそういう気分にはなれなかった。

(……皆、目を輝かせていた)

 人間と並び立つことを許された狼ばかりではない。いや、身分の貴賎などきっとこの地の狼は考えたこともないだろう。それは人間もそうだ。皆、自分の腕次第で届く場所にある成功をつかみ取ろうと、意欲に満ちた瞳をしていた。

(幸せとはなんなのだろうな)

 石捨て場と鉱床を行き来しながら考える間に日が暮れてきた。高原の夏は日が長く、都の二日分は働いたような気がする。

 へとへとになって宿場に戻る途中、ひそひそ話が聞こえて思わず聞き耳をたてる。

「……では、こちらはいつも通り運んでおきます。お代をお納めください」

「うむ」

 そっと覗いてみると、鉱山を治める狼と小綺麗な身なりの人間がやりとりをしているところだった。お代というが貨幣ではなく、つづらに収められた宝物か何かであるようだ。蓋の上にかけられている錦も、狼にとってはきっと高い価値をもつのだろう。人間は商人なのか、護衛をつけた荷車を引かせて去っていく。狼はつづらを自宅に運ぶよう指示して、ふと梁克嶺を振り返った。

「見ない顔だな。新入りか?」

「うわっ、いや、はい……!」

 飛び上がってからしどろもどろに返事をすると、狼はフンと鼻を鳴らす。

「今のやりとりの意味がわからぬ馬鹿にも見えんな。まあいい、他言無用だぞ」

(まあいい、のか……?)

 新入りだからどうにでもできると言いたいのだろうか。しかし、これが梁克嶺にまたとない好機であることは違いない。

「今の荷車は金鉱石ですね。国境を越えて近い町に流すのでしょう」

「……ふむ、弱味を握ったつもりか? お前、何か持っているのか」

 話の早い狼だ。梁克嶺は進み出る。

「俺は都から来たので、もっと金を欲しがっている商人と繋がりがあります。金は精錬して細工すればもっと価値が高まりますし、直接そういった商人とやりとりすればお役人様の取り分も増えますよ」

 狼は目を細め、しばらく黙って梁克嶺を値踏みする様子だった。

「……そうつまらん話でもないな。聞くだけ聞いておこう」


 梁克嶺が単身狼の国に向かったことを知らせたのは、梁克嶺の妹だった。

「はは……いや……梁将軍らしいというか……」

 さすがに乾いた笑いをこぼす皇帝に、賀燦はもったいぶって髭を撫でる。

「あまりに目に余る独走ですな。ここらでひとつお灸を据えてやらねばなるまい」

 梁克嶺の妹はひざまずいて泣き崩れる。

「兄様は……兄様は公主様を取り返したいのです。あたしが止めても聞いてくださらなくて……! どうかお許しください……!」

 賀燦は深いため息をついた。

「狼王の王妃に横恋慕とは恐れ入る。さすがは梁将軍、総身これ胆とでも言うべきか」

 皮肉に言う賀燦を梁妹は涙目でじっと睨み、きっと皇帝を振り仰いだ。

「兄様は陛下のお命を救った将軍です。どこかの狸じじいと違って二心など持ちようもありません。公主様を追ったのだって、心から公主様をお救い申し上げたいからですわ!」

「ああ、わかっているよ。けれど公主も納得して狼に嫁したのだ。あいにく道中山賊に襲われ供の者をほとんど失ったというが、このように公主自身から到着の報せを受けている」

 皇帝が広げた公主からの手紙を見て、賀燦が満足げにうなずく。梁妹はふるふると首を振った。

「それでも兄様のまっすぐなお気持ちに嘘はございません。少し勘違いが過ぎるだけですわ。陛下、どうぞ兄様を連れ戻し、寛大な処分をくださいませ!」

「うーん……」

 困ったように考え込んでしまった皇帝に、賀燦が声をかける。

「処分は後から決めてもよろしいでしょう。まずは梁将軍を連れ戻す兵を揃え、合わせて公主の手足となる役人を送るのがよろしいかと、陛下」

「ああ、……そうだね、そうしよう。心配はいらないよ、梁妹妹。お前の兄様は必ず無事に連れ戻すからね」

 連れ戻したあとのことはどうなりますの、という言葉をぐっと呑み込み、梁妹は丁寧に礼をした。

「……陛下のお慈悲に感謝いたしますわ」

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