回転木馬は止まらない -2

 そうこう過ごしているうちに留年することなく三年に上がることとなり、今日はそれを華に報告しようと思い、駅へと向かっていた。まぁ、伝えたいことはいろいろあるのだが、単純に節目には華の下を訪れようと決めていた。


 午前中に春休みの課題を仕上げてしまおうと考えていたから、家を出た時間が遅くなって昼過ぎになってしまったが、平日のこの時間の電車は空いていて良い。


 ドアの開いた車両に乗り込むと、およそ十人程度の乗客が乗っていて、考えることもなく椅子の端に座ることができた。


「はぁ……」


 降りるのは六つ先の駅。中途半端な時間だから眠ることもできずに車両内を観察していると、違和感を覚えた。別段、特別なことではないのだが、乗客の数と金網に乗せられた荷物の量が合わないのだ。少ないのなら気にすることはないだろうが、しかし、どう考えても量が多い。しかも、一人が大荷物で、というわけはなく、方々に散らばって置かれた荷物は明らかに、全ての人が忘れたとは言えぬほどの量で、まるで上から圧迫されているような感覚を覚える。


「……いやいや」


 あの時から、感覚が鋭敏になり過ぎることがある。ただの忘れ物だと考えれば良いだけなのだが、どうにも細かいところまで気になってしまう性格になり、何故だか普段から行く先々で銃を持った犯人が襲ってきたらどうしようとか、使えそうな武器はないか、とか考えるようになってしまった。備えあれば憂いなしとも言えるが、この日本でそういった類の憂いなど滅多にないだろう。


 考えるだけ無駄だと見切りをつけて目を閉じたとき――



 ガタンッ!



 と、電車が大きく揺れた。明らかに不規則な動きだったため、同じ車両に乗っていた乗客は一様に窓の外を見るような仕草を見せた。


 直後。


 またしても不規則な電車の動きで体が前方へと引っ張られて、椅子に倒れ込んだ。しかし、まだ電車は走り続けている。揺れる車内で吊革に掴まりながら辛うじて立ち上がり、前方と後方の車両を確かめると、同じような行動を取っている人と目が合った。


 明らかに何かがおかしいが、その異変の中にいる者にそれを確かめる術はない。


 仮に、最初の音が脱線した音だったのなら、今もこうして走り続けているのはおかしいし、有事の際には急ブレーキが掛かるものだろう。それに不測の事態が起きているのなら、車掌がその旨を放送で伝えているはずだ。


 そうなっていないということは……ただの杞憂なのか?


 などと思った矢先、本来なら止まるべきはずの駅を一切の速度を落とさぬまま通り過ぎていった。駅のホームで待っていた者は驚いた顔を隠そうともせず、ただ呆然とこの電車を眺めているようだった。


「はあ!? おいおい、ちょっと待てよ! 俺は今の駅で降りる予定だったんだぞ!?」


 その一言が切っ掛けとなり、俺を除く車内にいた乗客は慌てふためき出した。


 ある者は前方車両へと進み、ある者は慌てたように電話を掛け始めた。


「…………ふぅ」


 とりあえず、落ち着こう。有り得ない状況なら慣れている。


 考えてみるんだ――不規則な速度変化に、駅への不停車。このままで起こり得ることがあるとすれば、まずは前方を走る電車との衝突だが、各電車の速度や位置情報は一括で管理されているから、この電車が事故を起こしそうなら、今まさにそうならないように動き出しているはずだ。だから、衝突する可能性は少ないだろう。なら……速度がどんどんと上がっているところを見るに、どこかのカーブで脱線して転倒する可能性がある。これに関しては、進む方向を変えて別の線に誘導する、とかで解決できる思う。


 とはいえ、あくまでも仮説だし、衝突回避にしても脱線回避にしても余裕があれば出来る、程度のことだ。


「いや……違うか」


 論点がずれていた。


 電車がどうなるか、ではなく、どうしてそうなっているのか、のほうが重要だ。

 あまり詳しいことは知らないが、電車には前方と後方の車両にそれぞれ車掌が乗っていて、運転しているのは前方の先頭車両の車掌だろう? だとすれば、車掌が急病で倒れてアクセルが入りっぱなしになっているとか。もしくは、ハイジャックならぬトレインジャックが発生している、とか。


 非現実的な気もするが、俺は実際にテロ未遂にも遭っているしな。それを考えると強ち無いじゃあない。


 んん……前方車両に向かう前に、可能性の排除は必要だな。


 つまり、多過ぎる荷物、だ。


 不穏を感じ取った乗客のほとんどは金網に載せていた自分の荷物を手に取ったわけだが、残っているのはスポーツバッグが三つ。トラウマってほどではないのだが、こればかりは確認が必要だろうな。


 まずは一つ目。


「これは……なんだ?」


 中を探っても浮いた疑問符が消えることはない。バッグの中に入っていたのは箱――それを開けても、また箱――そして、また箱。要はマトリョーシカってことなんだが、ダミーと考えるのが無難か?


 揺れる車両で倒れないように踏ん張りながら二つ目を手にすると、明らかに金物が入っている音がした。しかも、重い。


 中を調べてみれば出てきたのは釘やネジや大量のパチンコ玉。どういう用途なのかは安易に想像がつく。二つ目がこれだということは、最後の一個も予想が付いたな。


「…………はぁ」


 うっかり溜め息が出た。


 ご想像の通り――爆弾だ。こういう危険物には慣れてしまったわけだが、どうやらプラスチック爆弾では無く、むしろダイナマイトの形に近い。つまりは火薬が詰まっているということだ。まさか、あの事件後に調べた知識が役立つ時が来るとは思わなかったが……思いたくも無かったが、火薬を使った爆弾はプラスチック爆弾などと比べると誘爆性が高くなる。どうやら、この爆弾自体に起爆装置は付いていないようだし、脅しに使うことが目的でなければ誘爆狙いと考えていいだろう。


 どうやらこの状況ではトレインジャック説が有力になってきたな。


 拳銃でも持っていれば頼もしかったのだが、あの事件以降は警察が回収して触ってもいない。


 なんにしても、先頭車両で何かが起きているのは間違いない。


「行くしか……はぁ……ないか」


 嫌な予感しかしないし、別に俺が行かなくとも他の誰かが解決するかもしれない。だが、行かないと後悔する。まったく面倒な性格だよ、本当に。


 乗り込んだ場所は八両目で、七、六、五両目までは、皆同様に狼狽えたり怒っていたりだったのだが、四両目に足を踏み入れた瞬間から雰囲気が変わった。前方車両を見た乗客たちは次から次に俺の横を抜けて後ろの車両に下がってくる。けれど、三両目を過ぎ、二両目に入った時には横を駆けていくのは女性や子供たちだけになった。


 そして、先頭車両に着いた時、目の前の光景に盛大な溜め息が出た。


 車両の至る所に倒れる大人の男たち。操縦席に視線を飛ばせば、ガラスには夥しい量の血が飛び散っていた。それから、すべての元凶だと思われる男に視線を移した。


 体長二メートル弱で、見るからに筋骨隆々。全身を迷彩柄の服で包み込んで口元は黒いバンダナで隠して、頭は光が反射するほど綺麗なスキンヘッド、とくれば……まあ、十中八九、元軍人だろうね。なんだ、そういう縁でもあるのか? 嫌な縁だな。


 手には刃渡り二十センチはあろうサバイバルナイフが握られており、当然の如く血が付いていた。


「……ははっ、自殺志願者の軍人か?」


 不意に笑ったことが気に食わなかったのか、男は目を見開くとこちらに突進してきてナイフを振り抜いた。


 しかし、俺だって戦闘経験はあるんだ。横っ飛びから椅子を蹴って、先程まで男が立っていた場所へと移動した。実は、事件の後から常に持ち歩くことにした物が三つある。一つは何度も助けられた鎖のチェーン。二つ目は巾着袋に入れた火薬玉。もちろん不意に破裂しないようにしっかりとクッションを挟んでいる。最後はネットで購入したスタングレネードだ。当然のように高性能耳栓付き。勝利の立役者だ。


 俺と男以外の倒れている人たちが気を失っていることを確認してから耳栓を嵌めた。


 男はナイフを逆手持ちに変えて再び突進してきた。意外な機動力の高さに時間を計っている余裕も無く、ピンを抜いて放り投げ、先程と同じように横から抜けようとするとナイフの先が掠めたのか鋭い痛みが走った。だが、そんなことを気にしてい場合ではない。片脚を浮かせたまま後ろの車両に飛び移った直後――何度目ともわからない眩い閃光と激しい音が辺りを包み込んだ。


 キーンと耳鳴りを起こしている間に、取り出したハンカチを傷口に当てて、止血するために縛り付けた。


「っ……」


 こうも事件に巻き込まれて怪我をするのは、何かに呪われてるんじゃないのか? ……ああ、呪縛はあったな。


 ともあれ、脚に負荷を掛けないように立ち上がり、前の車両を確認する、と――おいおい、冗談だろ? あれだけ間近でスタングレネードを受けたのに、普通に立ってやがる。いや、多少ふらついてはいるものの、勝てる気がしないな。


 こちらを見た男が、また襲ってくるかと身構えたが、腕時計を確認すると、口元を隠していたバンダナを外して、ニタァとした顔で笑った。


「んんっ……これはあれだ。貧乏クジだ」


 顔を覆って呟くと、前方で響いた爆発音とともに電車が浮き上がった――というか、そのままの勢いで宙を舞い、天地がひっくり返ると、途端に重力を感じて一気に落ちていった。


 ああ、クソ。この感覚には覚えがある。


「――っざけるなよ! 今度は誰も死なせねぇ! 全員、一人残らず俺が救い出してやるからな! 見てろ、絶対にっ――」


 言い終わるよりも先に、全身に強い衝撃を受け、そして、動けなくなったところに熱風と爆風が襲ってきた。


 まったく本当に――運が悪い。

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