過ぎ去った空想に -3

 黙って話を聞いていた鳥飼さんは、背凭れに体を預けながら静かに溜め息を吐いた。


「……確かに、信じ難い話だな」


 だろうね。もしも、俺が鳥飼さんと同じ立場でこんな話を聞いたら、とてもじゃないが信じられない。


 とはいえ、真実の大部分は端折らせてもらった。主に俺が同じ時間を何度も繰り返しているという前提が無ければ説明できない部分は、すべてだ。例えば、警察は俺が遅刻したわけじゃないことを知っているから、学校に残っていた理由は空き教室で眠っていたら置いていかれた、とか。


 まあ、大筋は勘が働いて、全体的に運が良かったというところで落ち着いた。嘘を吐いたという自覚はあるが、騙す気があるわけでもないし、何より運が良かったというのは事実で……違うな。あくまでも俺単体でみれば、運が良かったというだけの話だ。


「そうか……君一人で、重装備で爆弾を持った六人を、か。現場の状況や犯人たちの証言からすると符合するな。話口調からして、まだ何かを隠している節があるとは思うのだが……私は、その話を信じよう」


「……意外ですね。ありのままに話ても誰も信じないだろうと思っていたのですが」


「私以外の者はそうだろうな。そもそも……私は立て籠もった犯人などとの交渉を主な仕事としていて、今回もその線だったのだろうという上の読みから捜査を任されたんだ。つまり、警察としては立て籠もって自爆テロを考えていたテロ集団がいたが、思いの外に頭が悪く、奇跡的に死者一名、負傷者一名で済んだってことにしたいんだ」


「ああ……なるほど。警察にしても――おそらくは学校側としても、今回の事件には一切の関わりが無く、事件に巻き込まれた二人は不真面目な生徒だったから、どちらにしても責任はない、と。そういうことにしたいんですね?」


「大筋はそんなところだ。私はただの火消しであり、あくまでも形式上の捜査をしているが、当事者たちから聞いた話を上手い具合に調整して報告書にまとめるだけの役割さ」


 組織としての印象や利益を守るための策か。まるで安いコンビニ本のような話だ。が、腑に落ちないことがある。


「どうしてその話を俺にしたんですか? 知らなければ何事もなく過ごせたかもしれないのに」


 問い掛けると、鳥飼さんは掌で口元を覆うようにして前のめりになった。


「あまり大声では言えないが、警察はヒーローを欲していない。特にそれが、凶悪な犯人たちと一人で渡り合った学生、なんてことになれば警察の面目は丸潰れだからな。何故、事前に計画を知ることができずに未然に防げなかったのか、などと言われてしまえば反論の余地はない」


「ああ……そういうことですか。問題は面目などでは無く――俺、ですよね? 俺の言っていることが真実にしろ嘘にしろ、公表すれば批判を受けるのは俺でしょう。避難訓練に参加しなかった不良生徒が、犯人たちと争った挙句、爆弾を爆発させて女子生徒が巻き添えに。悪者は俺になる――まぁ、事実ですし否定はしませんけれど。本当は、警察は犯人たちの話に耳を貸したんじゃないですか? その上で未成年である俺の情報をガチガチにガードして守ることにした。全部を水泡に帰して、無かったことにして、警察も学校も犯人も俺自身も華でさえも、無関係にしようとした。曰く、ヒーローなわけですからね」


 溜め息混じりに言うと、頭を抱えて項垂れた。


「……君なら、そのことに気が付くとわかっていたよ。わかっていたからこそ、ここまで話をした。我々は警察として君に感謝しなけれなばならない。犯人を死なせずに逮捕することができたのは、君のおかげだ。だが、公式に発表すればヒーローという称賛と引き換えに、様々なものを失うことになる。だから、代表して私が言わせてもらう。救ってくれてありがろう。生きていてくれて――ありがとう」


 深々と頭を下げる鳥飼さんを見て、俺は拳を握り締めた。


「ですが……俺は――」


 大切な人ひとり守ることができなかった、欠陥だらけのヒーローだ。


 そんなこと言い掛けて、口を噤んだ。ここでそれを言うのは卑怯だと思ったから。


 俺は後先を考えずに多くの人を救ったが、それだけに警察や学校だけでなく、大勢に迷惑を掛けた。


 死ぬはずだった八百人を救い、それだけでなく犯人たちも救った。


 それでいいじゃないか。別に誰かに褒められたかったわけじゃないし、お礼を言われたかったわけでもない。ただ、自分自身に掛かった呪縛のようなものから逃れたい一心で行動していた。


 人を救い――


 お礼を言われ――


 そして、胸がざわついた。


 自分を救ったら、警察からお礼を言われたなんて、悪い冗談のようだ。


「っ……」


 笑みが零れて、乾いた眼から涙も零れ落ちた。


 それから漸く実感してきた。俺は生きていて、あの時間から抜け出せた。


 嬉しいはずなのに、手放しで喜んでもいいはずなのに――華を助けられなかった事実だけが、俺の心に楔を打ち込んでいた。


 ヒーローだと? ふざけるな。


 考えてもみろ。俺は八百人を救い、犯人と戦って、犯人たちも救った。どうして――そこに華が居たと思う? 理由なんて一つだろ。華は、俺を助けに来たんだ。一人で残った俺のことが心配で、戻ってきた。


 避難場所で、何をしているかわからない俺を待つことも一つの勇気だろうが、戻ってきたことも勇気だ。


 ヒーローは俺じゃない。そんな俺を救いにきた華のほうがヒーローだ。


 こんな時、華ならなんて言う?


『にゃははは! 柄じゃないね』


 そう、柄じゃないんだ。華だけは笑いながらも……不安そうに眉を下げながらも笑ってくれる。


 だから、ごめん。今だけは――


「っ、ああ――!」


 今、だけは――

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