選ばれた現実は -4

 煙幕に乗じてその場を離れ、次に向かったのは分岐点――いや、俺が作った分岐点だ。


 上へと向かう階段には火薬玉や釣り糸を仕掛けて、もう一方の奥へと進む廊下には運よく流れ出ていた血液を垂らしておいた。


 奴らの取る行動パターンは三つ。


 その一、それぞれの道に分かれて進んでいく。この場合は可能性が高いほうに神風が進むんだろう。


 その二、二人で同じ方向に向かう。一人よりも仕留められる可能性は格段に上がるが、しかしその反面、裏を取られる可能性もあるし、下手をすれば無意味な鬼ごっこをすることになる。


 その三、一人が片方の道に進み、一人はその場で待機する。これなら背後から狙い撃たれることはないし、逃げることも叶わない。


 そして――二人が取った行動は、その三だった。


 確かに効果的だ。だが、それはもしも俺がどちらかに進んで隠れていれば、だろう? もう一つ、警戒しなければならない場所があることを忘れてはならない。


 神風が血痕を辿って奥へと進んでいき、姿が見えなくなった瞬間に、女の背後で息を殺していた俺は掃除用ロッカーから飛び出した。


「っ――!」


 用意していた箒の柄で女の拳銃を弾き飛ばすと、怯むことなくナイフを向けてきた。


 さすがに警戒心は強いし、ここまで来たら説得もできないか。それに何より、眼が完全に俺を殺す気でいる。


「っつってもなぁ!」


 こちとら何度殺気を向けられて、何度殺されたのかわからないくらいには戦い慣れてんだよ。目的は行動不能にすること。こちらはただの棒だが、ナイフとのリーチの差は大きい。


 距離を取ったところから突きで牽制しつつ、ナイフを弾くと棒を放しながら即座に詰め寄った。すると、それを予期していたのか握った拳が飛んできた。


「ふっ――!」


 伸びてきた腕を巻き込み、一本背負いで床に叩き付け、倒れたところを殴れば、ダランと全身から力が抜けた。選択体育が柔道で良かったと初めて思ったよ。


 女が背負っていたバックパックを奪い取ったところで、奥から戻ってきた神風が見えると、こちらに銃を向け躊躇いなく撃ってきた。女の上から飛び退いて階段を駆け上がり、廊下を走りながらバックパックを開けて中身を確認すると、入っていたのは粘土のような塊――C‐4爆薬ってやつだ。刺さっているのが信管というやつなら、そこに触らなければいい。周りの粘土を掴んでは千切り、掴んでは千切り。可能な限り中身を減らしてからバックパックを開いていた窓から外へ放り投げた。


 あれ自体の威力は知っているから、半分以上の爆薬がなくなれば、仮に爆発しても威力は格段に落ちるはずだ。


 というか、まず間違いなくあいつは――


「うおっ……と」


 外で爆発音が聞こえて、少しだけ校舎が震えた。当然の選択だな。自分たちの爆弾を持っている敵がいれば、喜んで起爆するに決まっている。


 残りは一人だ。


 今のところは誰も死んでない、誰も殺していない、誰も殺させていない。


「はっ――はぁ」


 問題は、最後の一人を何事もなく倒すのは困難だということだ。手足を撃って動きを止められたとしても、ボタン一つで爆弾は起動する。しかも自爆覚悟というのが厄介だ。誰か一人でも死ねば振り出しに戻るという仮説が確かなら、距離を取っての撃ち合いは選択肢にない。


 一階に降りて、真っ直ぐの廊下の真ん中に立って、大きく深呼吸をした。


 背後からカチャリと音が鳴って振り返れば、神風を銃を構えて近付いてきていた。


「よお、ヒーロー。お前のおかげで計画が丸潰れだ。だが、まぁ……楽しませてもらったよ。とは言っても落とし前はつけてもらわねぇとな。テロを防いだ学生が、結局テロに巻き込まれて死ぬってシナリオも、悪くはねぇ」


 自分が優位に立っていると思っているからか、神風は饒舌になっている。


「さぁ、どうする? 抗ってみるか? それとも、むざむざ撃ち殺されるか?」


「それなら……抗ってみようかな」


 神風に片手の掌を向けたまま、一丁の拳銃を取り出し弾倉を抜くと、自分の背後に投げ捨てた。同じことをもう一度繰り返すと、ブレザーを脱いでワイシャツの裾を捲り上げて、拳を握って構えて見せた。


「……ほう?」


 すると、神風も構えていた銃を捨て、ナイフを捨て、と次から次に武器を廊下に投げ捨てていった。とはいえ、さすがに爆弾を巻き付けているのが知られないようにベストは脱がないし、おそらくは硬いグローブも付けたままだ。それなら、と未だに使わず残っていた鎖のチェーンを腕に巻き付けた。


「ははっ」


 つい、笑みが零れてしまった。


 これだけ銃だ爆弾だとやっていながら、最後の最後が殴り合いとはね。


 だが、シンプルで良い。


 いや、シンプルだからこそ差が如実に出るものだ。おそらく相手は元自衛隊関係者か警察関係者。片や昨日まで――そう、昨日まで普通の学生だった一般人だぞ? 勝てるわけがない。


 しかし、勝てる可能性が低かったとしても、それが戦わない理由にはならない。


「来いよ、ヒーロー。俺を、楽しませろっ!」


 その言葉通り殴り掛かりに行くが、当たらない。


 拳が当たらない。掠りもしない。避けられて、殴られて、殴り返しても避けられる。


「っ……ごほっ」


 学生同士の喧嘩とはワケが違う。的確にダメージを与えられる場所を狙ってくるし、それでいて致命傷になる場所は狙わずにじわじわと甚振ってきている。


「おいおい、どうした? 相手をしてくれるんじゃなかったのか? ほら、掛かって来いよ。どうした? なぁ、掛かって来いっつってんだろうがよ!」


 こっちもこっちで計画を潰されたことに対する鬱憤がじわじわと溜まってきているようだ。イラつけばいい。その分だけ、こちらが有利になる。


 せめて一発。狙った場所に一発だけでも入れば俺の勝ちだ。


「う、おぉお!」


 避ける隙を与える間もなく殴り続けるが、防がれてしまう。ならばと、体を一回転させて裏拳。遠心力で威力が上がったのか、神風のガードが崩れたのを見て、再び裏拳――と、見せかけて、腕に巻いていたチェーンを解いて、鞭のように撓らせた。


「っ、ぐ」


 完全に体制が崩れたところを狙って、ポケットに向かって拳を突き出した。


 すると――バキンッ、と何かが割れる音がして、確信した。これで、爆弾を起動させるために使われていた携帯は破壊できた。


「はぁ……悪いな、俺の勝ちだ」


 距離を取ってから、そう言った俺を見て、神風は殴られたポケットの中から壊れた携帯を取り出して、首を傾げた。


「……ああ、なるほどな。本当に不思議でならないんだが、どこで情報を仕入れているんだ? お前が防ぎたかったのは、この爆弾だろう?」


 ブチブチブチ、とベストを無理矢理剥ぎ取った神風の胸には、やはり爆弾を巻き付いていた。のだが……どういうことだ?


「それは、すでに起動しているのか?」


「その通りだ。これは時間の設定も変更が可能でな。お前に二つ目の爆弾を持っていかれた時に、すでに起動させていたんだ。残りは……五分か。まあ、上々だな」


「ッソ――」


 読みが甘かった。先の展開を知っていても、それを担っている者の思考までは読めないから、これまでも何度か似たようなことがあった。なのに、どうして俺はその可能性を無視していたんだ? 何度繰り返しても成長しねぇ……まぁ、実際に時間が進んでいるわけじゃないんだから、成長しなくても当然と言えば当然なのだがな。


 とはいえ、せっかくここまで辿り着けたんだ。ここで諦められるほど、俺は淡泊な性格じゃない。


「五分、か」


 諦めていい時間じゃない。


 助走を付けてから飛び上がると、揃えた両脚で神風を蹴り飛ばした。


「単純な話だ。俺がテメェをぶっ飛ばして、目を覚まさせてやるよ。自爆なんてのは卑怯者の……臆病者のやることだ。死にてぇなら、テメェ一人で飛び降りでもなんでもしろや、クソ野郎」


「はっ……言うじゃないか。そういえば、ヒーロー。お前の名前を聞いていなかったな。なんて名前だ?」


「春秋繰だ。きっちり憶えておけよ? お前らの計画を潰した男の名前だから、なっ!」


 そこからはただの殴り合いだった。とはいえ、どこでも打ち込める神風と違い、こっちは爆弾を避けなければならない。その分だけ狙いもわかりやすくなり、防がれるし避けられる。ジリ貧なのは目に見えて明らかだった。


 胃の中から込み上げてきているのか、それとも直に口の中が切れているのかはわからないが、血の味がしてきた。それに、腕に力を入れる度に骨が軋むような音がする。つまり、体も限界に近いということだ。


 ペッ、と唾を吐き出すと出てきたのはべっとりとした血だった。


「はは、大したことないなテロリスト。ああ、違った。独りよがりの臆病者だったか。元軍人だか何か知らないが、学生一人を相手取るだけでやっとじゃねぇか。せめて爆弾をデッドマン方式にするとかよ……そうか、怖いんだな? 怖いんだよな? だから、皆で集まって死にましょ~、なんて中学生みたいな残酷な思考に達するんだ。知っているか? この世で一番残酷なのはな、善悪の区別がついていないガキなんだよ。言いたいことはわかるよな? つまり、お前は――」


 ――――プツンッ。


 何かが切れる音がした。


「あぁあああ!」


 何に反応したのか、何が引鉄だったのかはわからないが神風は雄叫びを上げながら、まるで猪のように身を低くして突っ込んできた。

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