夢から覚めたら -4
虚実を織り交ぜて、潰せた時間はせいぜい二十分くらいか。
しかしながら、どうやらその短時間で状況は良くないほうに転がってしまったらしい。
「言ってることがわからねぇのか!? だとしたらお前は相当頭が悪いな! こちらの要求に応えなければどうなるのかわからせてやるよ! ……よし、お前だ。立て、さっさと立てよ!」
男は、意気消沈して座り込んでいた体育教師の胸倉を掴んで立ち上がらせると、片手に拳銃を握り締めた。
「今からそっちに行くからな! ……うるせぇ、ちょっと黙ってろクソ野郎!」
携帯の向こうと話しながら悪態を吐くと、二人で外へと出ていった。
何が起きたのかは――直後に響いた一発の銃声で想像が付いた。
「ねぇ……タグリ。華たちさ、生きて帰れる……よね?」
ギュッと握られたブレザーの裾を見ると、小刻みに震えていた。怯えている、か。まあ、どれだけ男勝りだとしても状況が状況だからな。
「ま、大丈夫だろ。犯人たちも生徒を殺せばどうなるのかくらいはわかっている。だから、大丈夫だ。安心しろ」
ペットボトルの水を飲みながら言うと、ブレザーを握った手に、より力が入った。いや、ワイシャツとかなら未だしもブレザーはさ、痕を消すのが面倒だから止めてくれないかな? とは、言えないな。
「――これでわかったか!? あいつはお前らが殺したんだ! いいや違う、お前らだ! 俺はな、出来る限り誰も傷付けたくないんだよ! わかるか? 信念に反することをする奴の気持ちがっ! いや、わからないだろうな! だから、お前らはクソなんだ!」
男は戻ってくるや否や携帯に向かって叫んでいた。その姿に生徒たちは会話を止めて固唾を呑んだが、俺は違和感を覚えていた。
それは単純に、言っていることとやっていることの矛盾。躊躇いなく、すでに七人の教員を殺した奴が、殺したくない信念? ふざけているとしか思えないぞ。
再び携帯を耳に当てた男は、一息ついてから口を開いた。
「……怒鳴って悪かったな。だが、お前らが悪い。ああ、そうだ……わかればいい。じゃあ、俺の言った通りにしろ。一時間以内にだ。……駄目だ。一時間で準備しろ。それが出来ればこれ以上の死人は出ない。……知ったことか。警察だろ? 間に合わせろよ。ほら、残り五十九分だ。時間は有限だぞ、無駄にするな」
電話を切った瞬間を見逃さなかった。
――笑った。
微かにだが、女のほうに向かって軽く微笑んだように見えた。それだけで判断するのは早計だが、しかし、芝居をしているのではないかという疑念を抱くには充分過ぎる。これを警察の鳥飼さんに伝えることができれば……いや、馬鹿か俺は。無駄なことをしなくていいんだよ。これは警察の仕事であって、俺たちはただの人質だ。出しゃばれば、その分だけ華の望みを叶えられる可能性が減る。
生きて、帰るんだ。
先程までの怒号が嘘だったかのように冷静になった男は女と二、三会話を交すと、何かを探すように生徒たちの列を見回し始めた。目が合わないように顔を伏せているのだが、どうにも嫌な予感がする。
「お~い、えっと……春秋、春秋はどこにいる?」
やっぱりか。無視するわけにもいかないしな。
重い腰を上げて立ち上がると、グイッと引かれて中腰の体勢で止まった。
「タグリ、ダメ。絶対に行ったらダメだよ」
「ん~……そう言われてもな」
力強い華の手を振り払うのも気が引けるし。
「ああ、そこに居たか。ちょっと、こっちに来い」
目的が何にしろ、銃を持った男に呼ばれているのなら行かないという選択肢はない。裾を掴まれた腕を振り払うのではなく包み込むように握り、もう片方の手を華の頭に置いた。
「問題ない。逆に考えてみろよ、俺の名前が憶えられたってことは、むしろ情が湧いて殺されないかもしれない。だろ? 別に死ぬつもりもねぇしな。だから、お前はここから動くなよ。絶対にだ」
「……わかった」
渋々放してくれた手は宙で停まり、だらんと床に投げ出された。頭に置いた手は最後まで離さずに、華の顔を見ることなく男のほうへと向かって歩き出した。
死にたくねぇのは当然だ。しかし、だからといって俺が死なないために他の誰が死ぬのは許容できない。すでに何人も死んでるってのに……こんなのはエゴでしかないな。
「なんでしょう?」
「仕事だ。それを体育館の周囲に仕掛けてこい。数は二十で、貼り付けられる様になっているからな。監視役も付いていくから――しっかりと、やれよ?」
「……それ?」
床に置かれたバッグの中を見れば、幅一センチほどで長方形の缶のようなものが入っていた。もしかしなくとも、爆弾だと推測できる。しっかりやれ、というのは、やらなければ他の者を殺すということだろう。犯罪者にモラルを求めるものではないが、なんだかな。
とはいえ、この会話は向こうで警察が聞いていることを考えれば、ただ黙って従うのも気に食わない。
「爆弾、ですか……疑問なのですが、どうして俺が? 素人の俺が仕掛けるよりもあなた方の誰かが仕掛けたほうが適格だと思うのですが」
「ほう……君は、俺の言っていることがわからないほど愚かではないと思うのだが」
「……なるほど」
そうくるのか。元より、断るという選択肢は存在していない。
諦めたように溜め息を吐いてから、バッグを手に体育館の外へと向かった。付いてきたのは例の如く女の犯人で、変わらず背後で銃を構えている。
まあ、銃口を向けられていることはいい。慣れたわけではないが、不用意に撃つ人とは思えないから、今はこれでいい。それよりも、わざわざ俺に爆弾を仕掛けさせている意味だ。思い付く限り、理由は二つ。
一つは警察特殊部隊による狙撃を警戒してのことだと思う。警察が犯人を撃つ可能性が限りなく低いとは言っても、それはあくまでもゼロではない。だから、俺の読みが正しければ、すでに周囲にあるビルの屋上には狙撃手が待機して、こちらの状況を窺っているのだと思う。しかし、それに関しても、ほぼ無意味で不可能だと考えるのが正答だ。学校の塀の高さと、ビルの高さから計算してみれば、十中八九、体育館及び体育館の周囲はスコープでは見えないはず。けれど、やはりこれも可能性がゼロではないから俺に行かせた、と。そう考えると合点もいく。
そして二つ目は――特にリーダー格である男が顔を晒すことで、身元が調べられることを嫌っているのでは? と思う。しかし、仮に素性が知られたとして、それで絆される様ならこんな犯行には及んでいないだろう。だから、どちらかというと意志を確固たるものにするために、あらゆる可能性を排除している、と考えてれば納得できるのではないか?
などと、自分の行動を正当化させつつ、バッグの中にある爆弾の数と体育館周囲の距離を頭の中で計算していると、背後でガチャリと銃を構える女が目に入った。
この女さえ居なければ、爆弾など適当な場所に捨てて、どこかで時間を潰して戻っているのだが、それをわかっているから監視を付けたのだろう。……面倒だなぁ。
「あの……えっと、女の犯人さん? どうしてわざわざ体育館に爆弾を仕掛ける必要があるんですか? 警察との交渉が上手くいっているのなら必要ないと思うのですが」
「…………」
無視、ね。
まあ、わかり切っていたことだけれど。だが、目標は達成した。警察は男の会話を聞いているだろうから女が居ることもわかっているとは思うが、それでも駄目押しの形で伝えておく必要があると思った。崩せるとしたら、女からだと思ったからだ。それに体育館に爆弾が仕掛けてあることも伝えたし、俺は充分に仕事を熟した。
いや、結構マジで警察仕事してくれよ、とは思っている。
ともあれ、策は考えているだろう。だが、俺が思いつくような策には犯人たちも対策を打っていると思うべきだし、リスクが高いのも事実だ。リスクとは――イコール、生徒の死を意味している。そのリスクを排除し切れない限り警察は手を出せない。
鳥飼さんなら気が付いているだろうが、これは用意周到に計画された犯罪だ。目的こそわからないが、犯人たちが一つの結末に向かって行動していることは間違いない。裏を返せば、目的さえわかれば、どうとでも出来る気がする。特に、この喋らない女なら。
口を利けないわけでないのはわかっている。それならば、どうして俺とは話さないのか? 考えられる可能性は――話してしまえば、感情が揺らぐからではないか? こういう思想犯のようなグループは、必ずしも一枚岩というわけではない。どこかに綻びがあり、傷口を開き続ければ、いずれは組織そのものが崩壊する。
と、映画か何かで言っていたような気がする。……ドラマだったかな?
まあ、さて置いて。
今のところは安心できる要素が皆無で、不安要素しかないわけだが、その元凶である爆弾を設置している間に、考え得る結末を想像してみよう。
その一、警察と犯人の交渉がまとまり人質解放。
その二、警察が突入して犯人を制圧。しかし、犯人と人質共に被害者が出る可能性あり。
その三、交渉決裂。爆弾を起動して犯人及び人質諸共爆死。
その四……人質が一致団結して犯人を制圧。しかし、多数の被害者が出る可能性あり。
と、そんなところか。
最も現実的なのは一と二。だが、状況次第で三になる可能性も無きにしも非ず。四に関しては論外かな。前にも考えたが、まず先陣切って飛び出せる命知らずがいないだろう。
願わくば交渉が成立して無事に解放されるのが一番だが、警察の立場としては要求が金にしろ仲間の解放にしろ従うはずはない。だから、有力なのは二番。犯人を射殺しないにしても、事前に突入の時を人質側に知らせることができれば被害者は減らせるかもしれない。俺にできることがあるとすれば、その線だな。
「これで……二十、と」
爆弾を仕掛け終わり女を見れば周囲を警戒するように塀の上に視線を向けていた。
状況や計画に対する警戒心と不安感、あとは仲間と銃を持っていることで得られる虚栄心と慢心も含まれているのかな。その点で言えば、あの男――唯一顔を晒している男は、格が違うように見える。女にしても、他の四人にしても何となしに緊張感が漂っているが、男だけは未だ余裕の色を窺わせている。しかし、それも怠慢や慢心とは違い、自信や自尊のほうだと思う。怒る芝居ができるのも、そこに起因しているのだろうが、裏を返せば、それほどのことができる理由があるということ。
「…………ふん」
語らない女には聞くだけ無駄だな。
「さて、と」
どうにも――……悪い予感しかしない。
行動にしても交渉にしてもだ。過激な集団が、銃や爆弾を持ったら喜んで使うに決まっている。銃は使った。それなら、次は?
考えれば考えるほど、思考は悪いほうへと堕ちていく。
想定し得る最悪は――
「あの、女の犯人さん。一つ、提案してもいいですか? あなた方の目的が何かはわかりませんが、少なくとも交渉は難航しているんですよね? だったら、人質の半分……もしくは三分の一でも解放してみては如何でしょうか。そうすれば、警察にあなた方の誠意が伝わって、要求も通りやすくなると思うのですが」
「…………」
女は俺に銃口を向けたまま、考えるように視線を宙に漂わせた。
……わかっている。俺が何かを言ったところで状況が好転するはずもない。けれど、逸る鼓動が伝えてくるのだ。もう――時間がない。命を失うまでのカウントダウンは、すでに始まっている、と。
それから俺は、女の構えた銃口を背に突き付けられながら、一抹どころでない不安を抱えて体育館へと戻っていった。
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