夢から覚めたら -2
一限目の物理、二限目の数学を恙無く終えて、教室にはどんよりとした空気感が漂っていた。そういえば思い出した。水曜日の午前中は物・数・英・化の地獄のラインナップだった。
二年一組、三十八名全員登校。
体調不良がいないのは良い事だが、誰一人として俺を窺うような仕草を見せていないのは考えものだ。これでも人間観察には一家言あるつもりなので、自分自身に向けられている視線にも気付きやすい。その上で言わせてもらうのならば、間違いなく悪戯の犯人はこの教室内に居ない。とはいえ、交友関係の広くない俺からすれば、他のクラスに犯人が居るとも思えないので、これで打ち止めである。
まあ、犯人が誰であれ実害はないんだ。悪戯の成果を知りたいのなら、いずれは相手から接触してくるだろうし、それを待とう。
今は何より次の英語に備えなければならない。
「ねぇ、華。実際のところ春秋くんとはどこまでいったの? 付き合ってないにしても四六時中一緒にいるならさ、やっぱり何かしらあるでしょ?」
「え~、何にもないよ~。だって、あのタグリだよ? 何かしてくるように見える?」
「まあ、確かに見た目は良いけど草食系って感じだもんねぇ」
「というか根暗っぽいよね。あたしのタイプではないけど、あのアンニョイ感が好きって子はいるかもね」
「あ~、いる……のかなぁ」
ううむ、困ったものだ。そういう女子トークみたいなのは少なくとも本人が聞いている可能性があるところではしないものだろう。諸に聞こえてますけどね、いいんですかね、それ。軽くディスられているのは気のせいではないだろうし、アンニョイ感って……そんな気怠そうに見えているのかな。
そうこうしているうちに鐘が鳴り響き、同時に英語の教師が入って来た。いつも通りに英語で挨拶をして、開いた教科書の英文を先生が読み始めたのを見て二つ斜め前に座る華へと視線を向けた。
俺が根暗っぽいとかアンニョイ感とかは別にして、傍目から見れば華は可愛いのだと思う。いや、傍目でなくとも控えめでなくとも見た目は良いほうだろう。にも拘らず、何故だか俺の隣を付いて離れないでいるのは不思議でならない。男子が作ったクラスの人気女子ランキングでも上位に入るし、モテないことはないだろうが、逆に俺と一緒にいることで恋愛対象から外されてしまっている可能性もある。むしろ、それこそが真意ではないだろうか。すでに高校二年の秋だし、俺のせいで青春を謳歌せずに終えてしまうのは申し訳ない。今日の帰りにでも一度話して……いや、想像してみたら兄妹みたいな関係で今更そういう話をするのは気恥ずかしいな。
別に目が合ったわけでもないのに気まずくなって窓の外へと視線を飛ばすと、正門の前に停まった一台の黒いバンを発見した。
「……業者、じゃないな」
定期的に出入りしている教科書販売の業者や、清掃業者とは違う。そもそもアポを取ってあるのなら数人の教員が待ち構えているはずだから、十中八九飛び込みの業者だろう。
先生から当てられた生徒が英文を読んでいるのを横目に、珍客を眺めていると、バンの中から降りてきた一人が門を飛び越えて鍵を外した。遠目でよく見えないが、全身黒尽くめでスキーで被るような目出し帽を被っているように見える。
ゆっくりと敷地内に入ってきたバンは門を過ぎたところで停車して、律儀にも開いた門を閉じていた。しかし、まあ、どれだけ丁寧にしていても門を飛び越えた時点で、すでに数人の教員が向かっているだろうから穏やかには済まないだろう。
停まったバンから一、二……計六人の黒尽くめの男たちが下りてくると、その手に抱えられた黒い物体が目に留まった。アレは、もしかしなくとも、もしかすると思うのだが、いやしかし、ここは日本だしな。
駆け付けた教員たちもその姿を見てたじろいだようだったが、すぐに俺と同じ結論に至ったのだろう。ここからでは何と言っているのかわからないが、おそらくは注意するような口調で歩み寄っていった。
悪ふざけにしては趣味が悪い。この学校は不審者や侵入者に対して躊躇いなく警察を呼ぶからな。彼らも随分と割に合わないことをしたもんだ。
「ん――?」
一人の男が近寄ってくる教員に向かって黒い物体を構えた次の瞬間、
――――ッ
窓を揺らすほどの数発の破裂音が響いた。
少なくともこの教室内で何が起きたかを瞬時に理解したのは俺だけだろう。そして、これが冗談や何かでないのなら非常にマズい事態に陥っていると言える。音に気が付いたクラスメイトや先生が窓を開けて正門のほうを覗き込むと倒れている教員に気が付いた。
「なあ、あれ……江野セン倒れてね?」
倒れているだけでなく、血を流し内臓をぶちまけている。
状況を把握できていない先生は窓際から離れて廊下に顔を出すと、他のクラスの先生も同じ行動をしていたのだろう。廊下に出ると話し合っている声が聞こえてきた。本来ならそんな悠長なことをしている暇も無く即行動に移すべきだと思うが、教師という立場上、勝手な判断で生徒を動かすわけにいかないのは、先生方も歯痒いところなのだろう。
「え~、とりあえず何が起きているのかわからないので指示を待ちましょう」
そう、わからない。
一連の流れを見ていた俺でさえ、よくわかっていないのだから当然だ。
……倒れた三人の教員は動かない。男たちはそれぞれバックパックを背負うと黒い物体を構えながら敷地内、校舎内へと進んでいき、ここからでは見えなくなった。
今できることと言えば、携帯で警察を呼ぶくらいだが問題がある。まず、この状況を説明できないということだ。そして、もし仮に上手く伝えられたとしても信用してもらえる自信がない。まあ、それは警察に限ったことではなく、この場で先生やクラスメイトに向けて説明したところで笑われて終わりだと思っているから口を開くことをしない。
普段からそれほど発言するタイプではないし、何よりもすでに職員室の先生が警察に通報しているだろうから、むしろ慌てず騒がず静かに事が動くのを待つほうが賢明だね。
ざわつく教室内を眺めていると不意に華と目が合った。不安そうに笑っているが、そこまで切迫した状況ではない、と思う。
『――ッ、緊急放送です! 現在、校舎内に不審人物が侵入しております! 先生方は避難経路Bにて生徒たちを校舎外へ避難させてください! 繰り返します――』
その放送内容に先生は訝しげな顔を見せた。何故なら避難経路Bとは火災が起きた時などに使う避難用シューターでの即時脱出を意味している。ただの侵入者でシューターを使うことに違和感を覚えているのだろうが、しかし、俺はただの侵入者でないことを知っている。もちろん今、放送室にいる先生も。
「……じゃあ、みなさん。とりあえず荷物はそのままにして」
と、先生がそこまで言ったところでスピーカーから流れる声の向こうで扉が壊されるような音がした。
『――先生方はすぐにッ、ダメッ! やめっ――』
直後、耳を塞ぐほどの甲高い音が校内に響き渡った。
何が起きたのかは、想像に難くない。しかし、クラスメイト達は耳を塞ぎ顔を歪めただけで疑問符を浮かべていた。
『――あ、あ~、こちら〝日本の夜明け戦線〟。この学校は我々が占拠した。全員速やかに体育館へと集合しろ。素直に従わなければ殺す。逃げ出そうとしても躊躇わずに殺す。なあ、先生方、あんた等の仕事は生徒を守ることだ。どうするべきかよく考えろ。制限時間は……十一時十分までだ。一分でも遅れれば殺す。隠れてやり過ごそうとしても見つけ出して殺す。さあ、急げよクズ共。時間は有限だ』
その言葉の重さは、正門前に倒れる教員を見ることで嫌というほど実感させられた。
クラスの半数は未だに避難訓練の冗談か何かだと勘違いしているのか笑顔を見せており、残りの半数は不安と疑念が混じった表情を見せていた。
指定された時間までの猶予は凡そ十五分。腕時計を見ながら考えるように俯いた先生は、廊下から聞こえてくる他のクラスの声に気が付いたのか、漸く声を上げた。
「それじゃあ、移動しよう。何が起きているのかはいまいちわからないが、みんな落ち着いて廊下に並ぶんだ。クラス委員は?」
「はい」
「じゃあ、指示を頼むよ」
二人のクラス委員が手を挙げて教室の前に出ると、数か月前に行った避難訓練よろしくてきぱきと指示を出し廊下に並ばせ、迅速に体育館へ向けて行進を始めた。
名前の順で並ぶから、並木と春秋は離れているはずなのだが眉を寄せた華が隣に並んできた。
「ねえ、タグリ。何かを見たんでしょ? いったい何があったの?」
小声で問い掛けてきた華に、俺は言いあぐねていた。何があったのかは当然知っているが、それを形容する言葉が見つからない。それに、この場で意味も無く不安にさせるのは得策とは言えないだろう。
「そうだな……大丈夫だ。仮にテロリストだったとしても言うことを聞いてれば危害を加えてくることはないさ。向こうだって人質が重要なはずだからな」
「ふぅん。そっか。まあ、タグリがそう言うのなら良いかな」
いまいち納得いっていないように言った華は足早に元の場所へと戻っていった。
それにしても『日本の夜明け戦線』? そんなテロ組織は聞いたことがないし、およそまともな精神状態で付けるような名前でもない。いや、ニュアンス的にはテログループというよりは反政府組織と言ったほうが正しいのかもしれないな。少なくとも過激派であるのは疑いようのない事実だが、だとしたら、何故この学校を狙ったのかが腑に落ちない。
思考を廻らせている間に体育館に着くと、制限時間ギリギリだった。
体育館の中には列をなして腰を下ろした各学年各クラスと、それぞれの担任クラスの下へと向かった先生たちが揃っていた。そして、生徒と教員を囲むように立つのは武装した四人の男たち。やはり、上から見えていた黒い物体は銃だった。あまり詳しくはないのだが、俗にいうカラシニコフ銃というやつだろう。他にも腰には拳銃やナイフがホルスターに固定されていた。特殊部隊の重装備と言っても遜色ないほどではないか、と思う。
俺が見た限りではあと二人いる。しかし、数だけを見れば六人対約八百人で圧倒的に勝っているのだから、多少の犠牲を覚悟すれば制圧することも可能だろう。とはいえ、そう思っている者が俺以外に居たとしても、それを行動に移す者はいない。何故なら十中八九、最初のほうに飛び出した者が外れクジを引くからだ。好き好んで死にに行く自殺志願者が居るのなら名乗り出てほしいものだが、おそらくそんな奴はそもそも学校にすら通っていないだろう。
体育館の入り口に向かって視線を飛ばしていると、そこから二人の男が――違う。一人は服の上からでもわかるほどに筋骨隆々の体格だが、もう一人は明らかに女だった――が這入って来た。
すると、男は構えていた銃を下ろすと不意に被っていた目出し帽を脱いで素顔を晒した。
「これで全員集まったな! いいか、よく聞け。わかっているとは思うが、お前らは全員人質だ。我々の言うことに従うのなら、この場所での多少の自由は許してやる。まず、怪しい行動を見せた者は殺す。何かを企んでいるような奴も殺す。勝手に立ち上がった者も殺す。それ以外なら隣の者と話していようと携帯を弄っていようと構わない。ただ俺の邪魔だけはするな。わかったか!?」
理不尽極まりない要求だが、こちら側はそれに従わざるを得ない。皆が皆、小さく返事をしたり頷いていたりすると、男の目の前に座っていた一人の教員が手を挙げた。
「いくつか質問しても構わないか?」
「なんだ、言ってみろ」
立ち上がったのは体育の教師だった。勇敢なことだ。この状況では銃を持った男と対峙することすら憚られるはずなのに。
「ふぅ……それじゃあ、まず、俺たちがお前らに従わなければならない理由はなんだ? いったい何が目的だ? 気付いていないのかもしれないが、すでに警察へは通報済みだ。すぐに突入してきて捕まるのがオチだぞ?」
その挑発的な態度は男たちを試しているようだった。わざと煽るようなことを言って、どれだけ本気なのかを測るための、そんな問い掛け。
しかし男は、平静を保ったままだった。
「ふん、従わなければならない理由は、これだ」
背後にいた女性に手で合図を出すと、手に持っていたスポーツバッグを教師の下へと滑らせた。
「中を見て見ろ」
言われるがままバッグの中身を確認した先生は動きを止めた。そして、次第に震え出したと思ったら、次の瞬間には嘔吐し立ち上がれないように腰が抜けていた。
何が入っていたのかはわからないが、それが見えたであろう生徒たちは悲鳴を上げて、先生同様に嘔吐し嗚咽混じりで泣き始めた。
「それが従う理由だ。わかったか?」
淡々と言ってのけた男は、先生たちを気に留める様子も無く話を続けた。
「次に、目的をお前らが知る必要はない。警察? 望むところだよ。ちなみに突入はしてこないと思うぞ? 八百人のガキどもの命が掛かっているんだ。むざむざと殺させるような行動には移さない。考えてもみろ、日本の警察が犯人を逮捕するときに射殺などをしたことがあるか? 答えは『無い』だ。わかったら静かに人質やってろ」
これは、非常にマズい展開なんじゃないか?
顔を晒した犯人に、警察と対峙する気満々の自信――そこから導き出される答えは、彼らは生きてここを出るつもりがないということだ。下手をすれば全校生徒を道連れにした心中自殺という可能性も有り得る。
先ほども男が言っていたように、警察が事件解決に犯人の射殺を選んだことは、まず無いと言っていいだろう。しかし、裏を返せば犯人を殺すことなく制圧することも十二分に可能だということ。下手なことをせず、そこに期待するのが一番だろうね。
胡坐を掻いて頬杖を着いていると前に座っていた能嶋が呑気な顔をして振り返ってきた。
「なぁ、春秋。あのバッグの中身、なんだと思う?」
「ん~……なんだろうな。少なくとも、あまり良いモノでないのは確かだろう」
とは言ったものの、大体の予想は付く。
この場に居ない教員と、生徒たちが集まってからの待たされた五分――その間で出しゃばってくる者を黙らせるモノを用意したとなれば、おそらくは殺害した教員の一部だと考えるのが自然だろう。……いや、そんな風に考えること自体が不自然か。
まあ、それは措いといて。
休んでいる生徒や教員は別にして、この場にいないのは……七人。内訳は、まず正門で撃たれた三人に、放送室にいた一人、あとは授業がなく職員室にいた先生二人も殺されたんだろう。だから、他の教員は素直に指示に従ったわけだ。そして、学園長もいない。
俗に、蛇の頭を潰せというやつだ。
長たる権利を持っている者さえいなくなれば、大抵の場合その組織は機能を失う。もしも、あのバッグの中身が学園長に付随するモノならば、尚のこと効果的と言える。
「ん、来たな」
聞こえてきたサイレンの音を子守歌にして、瞼を閉じた。
今回の事件が報道されるなら『都内高校テロリスト立て籠もり事件』などと名付けられるのだろうか、などと考えつつも、今はただ、これ以上に怪我人を増やさないため素直で扱いやすい人質を演じることに決めた。
違うな。元より俺は、それほど正義感が強いわけでもなかったか。
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