第1章 夢から覚めたら -1
――っ。
後頭部から響く鈍く重い痛みで目が覚めた。
鈍器で殴られるとかいうレベルをはるかに超えて、気を失うんじゃないかと思うくらいに痛い。……だが、血は出ていないようで良かった。そもそも、眠っていたのだから枕の後ろから殴られるなんて有り得ない。けれど、間違いなく痛みはあるし、何故だか凄く疲れてもいる。
「……はぁ」
嘆息しながら時計を確認してみれば学校へと向かう時間が迫っていた。
とりあえずは、痛みを押してでも学校へは行かなければならない。使命感というか、単純にサボることに対して気が引けているだけなのだけれども。
ネクタイを締めてブレザーを羽織った今も、未だに鈍痛は消えない。
「さて……どうしたものかな」
支度をしている最中に薄々気が付いてはいたのだが、ベッドの脇、机上に置いていた濃紺のスポーツバッグの上に、見慣れぬ物が無造作に数点置かれていた。
太い鎖のチェーンに、大音量が出る防犯アラーム、あとこれは……コンビニなんかに置いてあるカラーボールかな。全部が全部、悉く見覚えが無い。いや、何かはわかるのだから見覚えはあるし、そのものは知っているが、何故ここにあるのか? という疑問と、少なくとも俺のものではないという確信があるから、余計に不思議でならないのだ。そもそも、バイトもしていないし、チェーンで繋いでおくようなバイクとかも持っていないしな。
とりあえずは重いチェーンと、バッグの中で割れると怖いカラーボールは家に置いておいて、防犯アラームくらいは持っていくか。誰かから預かっている可能性もあるわけだしね。
朝の無駄な疑問に思いの外、時間を取られてしまい朝食がてらの登校になってしまった。
十秒チャージ系のエネルギーゼリーをちびちびと飲みながら、あの防犯対策三点セットのことを考えていた。
うちのクラスにバイクを持っている奴は数人いるが、学校へのバイク通学は禁止されているから、そいつらのチェーンではないだろう。もしくは教師の誰かのを盗んだとか? いやいや、確かに学校は好きじゃないけど、そんな馬鹿なことはしない。防犯アラームに関しては誰でも買えるから、誰のものかは直接聞くしかないな。あとはカラーボールだが、これもホームセンターなんかに売っているし、何よりもバイトをしている奴が店から盗んでくる理由がない。なんだこれ、新手のイジメか?
とはいえ、まぁ心当たりがないことも無い。
知っている限りで、こんな下らない悪戯のようなことをするのは一人――
「だっ、っ~……」
痛みの残っている後頭部に向かって新たな衝撃が走って足を止めた。というか、エネルギーゼリーを銜えていたせいで歯がガッ、ってなった。むしろ、そっちのほうが痛い。頭を擦りながら睨むように振り返れば、ブレザーの下にピンクのパーカーを着て、スカートを膝上まで上げた女子高生が、先程振り上げたのだろうバッグを肩に掛けつつ手を挙げた。
「よっ、おはよう。タグリ」
謝罪は無しか。
「よぉ、華。おかげで目が覚めたよ、ありがとう」
「いやいや~、どう致しまして~」
皮肉の通じないこの茶髪ギャル――
同じ方向に向き直り隣り合うと、華は素知らぬ顔をして歩き出した。
ふむ、いつもなら悪戯をした後はこちらの反応を窺う仕草を見せることが多いのだが……見立て違いだったか? まあ、確認するに越したことはないな。
「おい、華。これ、お前の仕業か?」
バッグの中から取り出した防犯アラームを掲げて見せると、華は目を細めて首を傾げた。
「ん~? にゃはは、ちょっと貸して」
「あ、ちょっと待っ――っ!」
華は俺の手から奪い取ったアラームのボタンを躊躇いなく押すと、ファー! と警笛の音が辺りに響いた。
「バッ、お前……朝っぱらから近所迷惑だろ」
「にゃっは~、ごめんごめん。まさか、こんなに大きな音が出るとは思ってなくて」
自由奔放が過ぎるぞ、この猫。幸い大通りに出る前だったから周りに人がいなかったものの、至る所から窓の開く音が聞こえてきたから迷惑だったに間違いない。嘆息しつつもアラームを奪って足早にその場を通り過ぎた。
ん? おかしなことに気が付いた。
「華、これを俺のバッグに入れたのってお前じゃないのか?」
「え、知らないよ? 華がそんなことすると思う?」
「まあ……そりゃあな」
小中学生の頃を思い返してみれば、思い当たる節が有り過ぎる。
軽いことではプレゼントと称されて渡された箱の中身がびっしりと詰められた大量の虫だったり、学校にあったメダカの池に落とされたり、シャーペンの芯が全部抜かれてテストでピンチに陥ったり、コーラと偽って墨汁を飲まされたこともあったような気がする。あれ、結構酷いことされているんじゃない? その当時は笑って済ませていたけれど、訴えれば勝てるんじゃないか、これ。
などと考えていると、隣を歩く華は黙り込んだ俺を不審に思ったのか顔を覗き込んできた。
「なになに、どうしたどうした~、悩み事なら聞くよ? この華様に任せなさい!」
「いや、お前に話したところで何かが解決した試しがねぇだろ」
「……ほう?」
ムッとした表情で視線を上げた華は不服そうに口を噤んだ。
ともあれ、犯人が別にいるのなら俺には予想の立てようが無い。まあ、そもそも犯人捜しをする必要すらないのかもしれないけれど。やはり、意味も無く持ち物が増えているというのは気持ちが悪い。だから、犯人捜しというよりは、どちらかというと持ち主捜しだな。もしかしたらチェーンが無いことで困っている人がいるかもしれない。
「ん~……ん? あっ、ねぇタグリ、今日って体育あったっけ?」
突然うなり出した華は、首を右へ左へ傾げたかと思えば、先程までの会話が無かったかのように問い掛けてきた。この切り替えの早さは純粋に尊敬するよ。節操の無さでは俺のほうが勝っているという自負はあるけれどね。
「体育? 今日は水曜――水曜だよな? だったら五限が体育だろ」
「にゃ~っ! 体操着忘れた! どうしよう……誰に借りようかな」
ぶつぶつと独り言を呟き始めた華を横目に、どうにも腑に落ちない感情を覚えていた。
今日は水曜日、のはず。なのだが、どうにも昨日が火曜日だった気がしない。憶えていないというよりは、不思議と何か浮足立っているような感覚だ。それに、確かに水曜日なら五限目が体育だから体操着が必要になるのだが、その心配は杞憂で終わるような、そんな予言めいた感覚が拭えない。
ハッ、まさか俺には予言的な能力が!? などとは思わないが、しかし、心がもやっとしているのは事実だし、むしろ既視感に近いような気もする。
そんなこんなしている間に学校に着いた。
学校――私立水槽学園。通称・要塞学園。
その名の通り、四方を高い壁に囲まれた学園で、敷地内にはコの字型の校舎と特別棟が聳え立ち、中庭には何故か噴水があり、柔剣道場へと繋がる体育館を構える新設校だ。ちなみに俺ら二年は五期生にあたる。周りの住人こそ要塞と呼んでいるが、その中に居る生徒からすれば、むしろ刑務所のようにも思えてしまう。何故なら、出入り口が一か所しかなく朝の登校と帰りの下校時間を除く時に黙って出入りしようとすると職員室で警報が鳴り、すぐに数人の教師が駆け付けてくるのだ。うっかり許可を貰わずに早退しようものなら呼び止められて余計に面倒なことになるというアレだ。そんな環境のおかげなのか、見た目だけのヤンキーやギャルが居ても比較的校則は守るし問題も起こさないという、よくわからない状況だったりもする。
横を歩く華がその一例で、見た目は諸にギャルだが、その実、意外と真面目で遊び歩いたりもしない。まあ、そういうことを知っているのは幼馴染の俺だけで、周りからは結構軽い女だと見られているようで、それが悩みの種だということを相談されたこともあった。それなら、黒髪に戻してパーカーじゃなくてカーディガンを着ろと助言したのだが、本人的には今のスタイルを崩す気はないらしい。つまり相談では無く、ただの愚痴だったということだ。そういう細かいニュアンスは女特有のもので男の俺にはよくわからない。
「よーう、今日も二人仲良く登校とは睦まじいねぇ」
教室に入るや否やクラスメイトに言われた言葉に、思わず顔が引きつった。
「はっは、まぁな」
乾いた笑いで適当にあしらうと、華は何も言わずに女子グループのほうへと笑顔で歩み寄っていった。慣れというのは恐ろしいもので、小中高と同じことを言われ続けると、最早否定することすら面倒になってきてしまう。つまり、俺と華との間にいわゆる男女の関係というやつは存在しない。中学の頃くらいには華のほうが必死に否定していた時期もあったが面倒になったのだろう。まあ、兄妹のようなものだからな。兄妹で付き合っているのか? なんてのは質問自体が気持ち悪いし――どちらかというと熟年夫婦みたいな関係か?
「……はあ」
窓際の後ろから二番目の席に腰を下ろして、一度四階からの景色を確かめるように窓の外へと視線をやり、そこから続々と生徒たちがやってくる正門を見下ろしてから、漸く教室内へと視線を戻した。
クラスメイトは、まだ半数ほどしか来ていないから確信は持てないけれど、意味のない悪戯をした者はいなさそうだ。もしくは、容れたこと自体を忘れた、とか? 無きにしも非ずだが、あれだけ変な物を変な組み合わせで容れたのだから、それを忘れたのなら相当なマヌケだぞ。
……いや、何やら犯人捜しに執念を燃やしているが、実際にはそれほど迷惑を被っているわけではない。だから、知りたいのは理由のほうだ。意味もなく、意味がない物を持たされている理由――動機? どちらにせよ、物を買い、隙を窺ってバッグに忍び込ませる周到さが、どこからくる感情なのかを突き止めたい。
少なくとも、恋愛感情でないのは確かだろうね。
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