不本意ながらこいつとは親戚の間柄だ 著:岩尾葵
不本意ながらこいつとは親戚の間柄だ@内地知可子 ①
大学四年の夏を迎え、いよいよ就職活動も大詰めを迎えた時期。暑苦しい中をわざわざスーツで闊歩してきた体に、就職支援課に設置されたクーラーの涼しい風が流れ込む。太陽の光を存分に吸収した黒いスーツにすっかりやられた体が、滑り込んできた正常な温度を喜んでいる。ここにきてよかった、こんな状態でほかの冷房の効いていない教室に行くくらいなら、あと一時間ここで今日の面接の反省会をしていた方がましだ。それ以前に、こんな真夏にスーツを着てこいとかいう会社の人事は須らく頭が悪いんじゃないだろうか。自分の身に置き換えてみれば、真夏にスーツなどというドレスコードを強制してくる人を恨むことなど目に見えているのに、なぜそのようなことを学生に強制するのだろう。厳しく他人を縛ることに長けた日本社会を――何よりも、未だ自分に内々定を出さない社会を恨みながら、私は予約をしていた就活相談室の受付で、担当の人の名前を呼んだ。出てきた就職支援課の初老の男性職員と一緒に、いつもの個室に向かい合って座る。
「すみません、本日十三時からの枠で予約をしておりました、内地です。宜しくお願いします」
「はい、内地知可子さんね。今日もお疲れさまでした。じゃあ、毎回恒例の、最近あった面白いことについて」
「昨日冷やし中華作ってたんですけど、めんつゆ入れるところ間違えて餃子ソース掛けてしまって」
「おや、それは大変だ」
「慌てて水で薄めなおしたら、意外と食べられました。結構すっぱくて、ラー油の味がしたのが難点でしたが」
職員さんがはは、と笑って手を叩いてくれた。
「やるね、内地さん。今週も素晴らしいオトボケっぷりだ。今度私も真似して作ってみようかなぁ、餃子ソースの冷やし中華」
「やめた方がいいと思います」
「そうかな、面白そうだけど」
「食べられなくはないというだけで、おいしくはないですよ」
「ははは、相変わらずだねえ」
ありがとうございます、となるべく丁寧にお辞儀をする。雑談のように始まる就活支援課の方との会話は、向こうがプロだとわかっていても、一人暮らしで就活を繰り返してカラカラに乾いた心に水が降り注いでくるようだ。少し会話して緊張がほぐれたところで、さて、と職員の方が切り出す。
「面接の結果出る予定だった、って前回言ってたけど、どうだった?」
ややにこやかに、雑談の時の様子と同じように尋ねられ、私も同じように答えるよう努めた。
「はい。残念ながら、落ちました。一次は通ったのですが、二次面接で立て続けに質問されてしまってどう答えればいいか、迷ってしまって。ご尽力いただいたにもかかわらず、申し訳ございません」
「いいのいいの。今回の面接は……花咲食品の営業か。食品業界は激戦区だからねえ、二次面接まで行っただけでも結構いい線だと思うよ。面接は、どんな質問だった?」
少し前の花咲食品での面接を思い出しながら、職員さんの質問に答える。
「うちの営業は、海外に行ったりするんだけど英語は大丈夫? と。私自身はあまり英語ができないのですが、そのまま答えると不利になりそうだと思ったので、問題ないです、とだけ答えました。が、そうしたら英語圏に留学したことがあるか、とか聞かれてしまいまして、それで回答に困ったんです」
職員さんは、なるほどとうなずいて、私の書いた履歴書に目を落とした。内地知可子。住所と年齢の二十二の数字。志望動機と自己アピールは、ほぼこれまでの面接で使った内容を転記している。記載欄には、出身高校と現大学、学科は、人間環境心理学科。それに資格として高校までに取った英検準二級とTOEICのスコア五百点しか書かれていない。留学の経験がない以上、答えようがない質問だった。
「いっそのこと、留学経験あります、と嘘でもいっておいた方がよかったんでしょうか」
「いや。面接ではその手の嘘を付くとすぐ見破られるから、止めておいた方がいいでしょう。さっきも君と同じ年次の学生さんが面接練習に来て、留学経験あります!って意気揚々と言うもんだから、どこの国に行ったのかとか、その地で得た欠けがえない経験は、とか色々あれこれ質問してたんだけど、結局留学なんて大嘘で、実際は、ただの駅前留学だった」
「そんな嘘吐くバカいるんですか」
思わず苦笑いが漏れる。呆れたものだ、いっそ顔を見てやりたい。しかも根掘り葉掘り聞いているうちに、そいつは私と同じ学科とのことがわかった。そんなの抜けたことをする奴、うちの学科にいたっけ。殆ど真面目で良い子ばかりで、留学を駅前留学と偽るような真似をする奴に心当たりがない。
「で、確かに留学は話のネタにはなるけど、要は留学した経験が大事なんじゃなくて、そこで何を得たのかが重要なんだよ。会社の面接で聞かれるのは、常にその部分。だから表面的な取り繕いは何ら意味ないさ。それだったらサークルで頑張ったことを話している方が、よっぽど印象良いよ」
なるほど、と持ってきた就活ノートの隅にメモを残す。嘘はつかない。事実だけじゃなくて、何を学んだかが重要。そうして今日の二次面接で他に聞かれた質問と自分の返答を考察しながら、職員さんと話を進めていき、大まかに次の面接対策が決まったところで、予約の時間は終わった。
ありがとうございました、と来たとき同様丁寧にお辞儀をし、就職支援課から出てきたところで次のコマに講義が入っていたことを思い出す。次の講義は、学科全員が集まる内容だ。ちょうど良い、先程の話の人物が誰なのか、検討つけながら受けてみよう。そう思いながら、私は講義室に向かった。
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