不本意ながらこいつとは親戚の間柄だ@内地知可子 ②
講義室には既に何人もの学生が授業を受けに来るのを待ちながら各々の友人たちと会話していた。この講義は私たちの所属である人間環境心理学科の学生が全年次で行う必須講習で、必然的に週に一度のタイミングで全員と顔を会わせることになる。集まった同学の友たちの顔を見ながら、さて、就職支援課で間抜けな回答をしたのは誰だろうと辺りを見回す。学科の全員が参加する授業だからといっても全員が知り合いなわけではないため、ただ予想をつけるに留まる程度ではあるけど、こういう印象からの人探しは幼い頃読んだ絵本――赤と白のボーダー囚人服を来た人物探し――のような楽しさがあって結構好きだ。講義室先頭列でぼんやりしている冴えない男が、明らかに挙動不審に辺りを見回している。あいつなんか怪しいんじゃないだろうか。あ、でも留学って嘘つけるタイプでもないか。
「やっほ、ナイチンゲール。何きょろきょろしてんの」
ふと肩を叩かれて我に返る。声のした方を振り向くと、友人の一人である朝子が隣に座っていた。ナイチンゲールとは、私のあだ名だ。長身で男装が似合いそうだが、男ではないから、ナイチンゲール。まるで小学生のつけるあだ名のようだが、実際のナイチンゲールは白衣の天使だからまだ許してやろう、と黙している間に、いつの間にか定着してしまった。朝子の半袖の白いシャツが、教室の窓から降る日差しに当てられて眩しい。
「いや、ちょっと人探しを。就活室で面白い話を聞いてさ、そいつが学科の人だって言うから、誰だか当ててみようと思って」
「えー何々? どんな話?」
「面接の練習で留学したって答えたらしいんだけど、それ駅前留学でしたとかいうオチ」
朝子がぶふっと吹き出した。整った唇が、きれいに歪み、頭が前後するに従って栗毛色に染めた髪がふるふると揺れる。
「何それ、チョー受けるんですけど! そんなん色々聞かれるうちに見破られるに決まってんじゃん。発想が斜め上すぎる!」
腹を抱えて笑う朝子に、だよねぇ、と言い返す。朝子はこう見えても留学経験者だ。三年の頃に休学して一年イギリスに留学して帰ってきたので、今は私たちの一つ下の三年生。私でさえそんなバカな奴がいるのか、と思った話の感想と同じでも、実際に留学してきた人が言うと何だか説得力がある。私と朝子の会話が面白かったのか、前の座席に座っていた人物がぴくりと体を震わせた。難しい顔してるところ笑わせてしまってすまない。そりゃあこんな面白い話聞いてしまったら反応せざるをえないのは、よくわかる。
朝子はひとしきり笑ったあと、ところでさ、と切り出した。
「釜戸さんのライブチケット当たって一枚余ってるんだけど、いる?」
「え、マジで! 欲しい欲しい!」
「そういうと思ったー。ちゃんと包装までしてご用意して参りました」
「有能。あんた最高かよ」
飛び付かん勢いで朝子に両腕を広げると、鞄の中からピンと張った透明な袋に入ったチケットを渡された。ありがたく両手で頂戴し、自分の鞄にしまう。
釜戸さん、もとい釜戸官は今絶賛話題沸騰中のネットアイドルだ。一口にネットアイドルといっても色々あるけど、釜戸さんの場合は性別が男性なのに女装をしている、女装男子系ネットアイドル。その小柄な体格と見事なほどに女性の服を着こなすセンスから、どこからどう見ても女の子にしか見えない。見るたびに女の私より女らしいなという感想を持つくらいだ。また、可愛らしい見た目と対照的に、比較的低い歌声を持っているのもギャップがあってよいとハマってしまうファンが続出し、今やネット上の女装男子系アイドル界を席巻している。
そんな釜戸さんの現実でのアイドル活動は、今のところ同人即売会イベントやコスプレ系のイベントなどが中心で、ライブは半年に一度あるかどうか。ネットアイドル故に客数が読めず、席数が限られたライブハウスでの開催となると、ライブチケットは抽選となる。今回はその稀にある抽選回だった。普段あまり釜戸さんのことを話さない朝子がなぜそんな貴重なチケットを一枚余分に入手できたのかは不明だが、これはもう奇跡としか言いようがないし貰っておいて絶対損はない。
「でもどうせ、あんたも今回申し込んだんでしょ」
「もちのろん。違うメアドで十通は申し込んだ。当たったのは一つだけだったけど」
「うわ、ちょっと引くわ、その行動力」
「好きなんだから仕方ない」
「まあわかるけど。てかそれだけ申し込んでたら逆に当たらなさそう。あと一席当たってるなら、私からもらうもう一席は誰にあげるの? 毎回、何か釜戸官のライブだけ妙にチケット欲しがるから協力してやってるけどさ」
まさか転売じゃないでしょうね、と朝子が眉間に皺を寄せて睨む。
「アイドル研究サークル部員の名に誓ってそれはない」
「じゃあ誰と」
「サークルの人と、ね」
朝子は怪しげに微笑んでサークルの人ねえ、と繰り返す。朝子は変なところで勘が鋭い。ご明察の通りこれは嘘だが、朝子はそれ以上に踏み込んでは来なかった。
「まあ、転売じゃないなら別にいいけど。楽しんできなよ、せっかくのライブだし」
「言われなくても!」
元気よく返事をしたところで、入り口から教授が入ってきて、講義が始まってしまった。話し足りない気持ちを抱えながら、ぼんやりと教授の話に耳を傾けていると、いつもの通り出席確認の紙が回ってきた。毎度思うがこれ、そろそろ一般教養の講義のように出席もカード一枚通すだけで取れる方式にすればいいのに。
紙に記名をする準備をしていると、隣で既に名前を書き終えたらしい朝子が肩を叩いてきた。
「何」
「ちょっとこれ、見て」
出席用紙に目を落とすと、朝子の指がとある人物の名前を指差している。朝子は隣にいる私がかろうじて聞き取れるかどうかというくらいの小さな声で囁いた。
「小野田光。この人大分長いこと授業来てなかったよね。久々に名前見た。多分前の人だよね?」
朝子の視線が目の前の背中に突き刺さる。現実から目を背けるように前屈し、猫背になって難しい顔をして教科書を除き込んでいる。先程朝子と留学云々の話をしていたときに、肩を震わせて反応していた人だ。
小野田光。その名前に、コトリ、と私の中にある何かが音を立てる。それに気づかない振りをして、私は朝子に小さく頷き返した。
――久々にあいつの顔を学校で見た。その感想は確かに私も抱いていたが、朝子と私の小野田に対する目新しさは大きく異なるはずだ。何せ朝子は全く小野田とこれまで接触がなかっただろうけれど、私は何度も会っているのだから。
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