内々定持ちだけど生理用品愛用者で隠れ女装男子やってる ③
大学四年にして一時間目に授業があるというと大多数の人に驚かれる。誰だって好き好んで朝の八時半から授業を受けたくはない。もちろん俺だってそうだ。高校までは七時前に起きることなど当たり前だったのに今は八時に起きるのさえ辛い。だが卒論担当教官の強い意志で決められた一限の指導も今となってはありがたかった。その分午後の時間をたっぷり、自分の趣味に充てることができる。今日も帰ったら存分に時間をかけてそれに興じよう、と着替えをすませて家を出た。
道すがら朝食を買おうと、大学近くのファミマに立ち寄った。いらっしゃいませー、という快活な掛け声と店の中を流れる音楽。コンビニに寄るとき何気なく、かかっている音楽のタイトルを当てるのが癖になっているが、今日は某電子アイドルの有名曲のようだ。そういえば最近気に入っているネットアイドルがこの曲を歌っているのを聞いたことがあるな、と思いながら、適当なパンを手に取ってレジに向かった。
「いらっしゃいませー……ってあら」
持って行った商品を店員が小気味よく会計をしてくれるであろうと商品を見続けていたが、店員の発した言葉の最後についた、あら、という声で顔を上げた。そこにはつい昨晩飲み会であったばかりだった女――山野井がファミマの制服を着て立っていた。
山野井は俺の姿を見るなり店員の愛想笑いとは異なる種類の満面の笑みを浮かべた。気が進まないどころの騒ぎではない。なぜこんなところにいるのだ。
「やあ……」
「偶然ねぇ! 丹君。あなたの家、この近く?」
「うん、まあそうかな」
「良かったあ。昨日連絡先教えてもらえなかったからさあ、もう会えないかと思ったのよね」
正直俺はもう会いたくなかった。山野井は慣れた手つきで商品のバーコードを読み取っている。昨日自分が俺に迫ったことなど、まるでなかったかのような振る舞いだった。もしかして、酒の勢いで自宅に帰るまでの記憶を飛ばしたのだろうか。
「山野井さん、ここでバイトしてるの?」
「そうそう。どう、ファミマの制服。似合ってるでしょう~」
豊かな胸を張って服を見せつけるようにするが、どちらかというと、この大きさならローソンのほうが似合いそうだな、という感想を抱いた。うん、と曖昧に返事しながら、さてこの状況、どう切り抜けようかと考えて、昨晩山野井を逃げさせたときの会話が頭をよぎる。一つ買い忘れが、というように生活用品売り場に足を向け、そこにあった商品をレジ台に置いた。
「昨日の飲み会の面子をみる限り、丹君も同じ大学よね。やだ、これって運命?」
「同じ大学にいたからあの飲み会に参加したわけだし、どちらかというと必然じゃないかな」
「えー、運命が必然だなんて、丹君ったら、もう!ねえ、今度一緒にご飯食べに行きましょうよ。私、この辺に住んで長いし、いいお店知ってるのよ」
何だろう、この嚙み合わない会話は。山野井は話に夢中になっているからか、普通であれば当然気づくであろうそれに、何ら違和感を持たずスキャンし終えてしまった。
「うえ、マジか」
「そりゃあそうよ。何がいい?イタリアン、和食、中華、洋食。丹君の食べたい物で、どこへでも連れていくわ」
俺がレジ台に置いたのはタンポンだ。昨晩山野井を生理の話題で引かせることに成功したので、これを提示することで彼女に昨日のショックを思い出してもらうのを狙ったのだが、慣れたコンビニ店員の手付きにその淡い期待は意図も容易く掠め取られた。
男性客なのになぜ俺がタンポンを買うのかということに思い至らないまま、山野井は調子よく喋り続ける。ここはさっさと客として店を後にした方が懸命そうだ。
「せっかくのお誘いだけど、ちょっと最近立て込んでいてね。人とゆっくりご飯食べてる場合じゃなくなっちゃってさ」
「えー、残念。何にそんなに忙しいの?」
食いついてこられた話題に少し考える。本当のことを言うわけにもいかない。有り体な返事でごまかしておこう。
「内定前の会社の勉強と、卒論かな。あとサークルで合宿も入ってるし、とにかく今は忙しいからまた今度」
「うわ、四年生にもなってそんなに色々あるの? ……まあ仕方ないわね。私はいつでもここにいるから、気が向いたらまた話しましょう」
「ああ、うん。じゃあまたね」
商品の入ったビニール袋を受け取って自動ドアに向かうと、ありがとうございましたー、と店員に戻った山野井が笑顔で頭を下げる。
店を出て、漸く去った偶然の不運に胸を撫で下ろす。行きつけのコンビニはここともう一件だけだったが、もうこの店には来られないな、と思いながら、大学の正門を目指して歩みを進めた。
朝の光もまばらな一時限目前の大学構内には、若々しい顔つきの学生が多く歩いている。その希望に満ちた顔をみるに大方が大学一年生だろう。彼らはまだ入学して半年以内で、学内の闇を知らない綺麗で眩しい表情を浮かべている。いっそそのままでいてほしいと願うのだが、おそらく一年後にはあの中から一人くらい留年や退学をするものが現れるのだろう。嘆かわしいことだがそれが現実だ。嘆かわしい現実、として先ほどのコンビニでの山野井との遭遇を思い出す。山野井は今何年生なのだろうか。飲み会で就活と元カレの愚痴を溢していたところを見るに、少なくとも三年以上ではある気がするが、実は院生卒とか……見た目から想像する以上に上の学年なのかもしれない。
構内で一番広い道を何やら賑やかな姿で歩く人たちが見える。ゴスロリ服とヘッドドレス、そしてフリル全開のワンピースに、チャイナドレス、メイド服。そういえばもう少ししたら大学祭だったか、と思い出した。うちの大学では学祭の時期になると、決まって立て看板や掲示板に先だって広告を乗せようと、あえて目立つ格好で作業をする人がいるのだ。しかも、人がいればその流れで早めに準備したビラも配ってしまうのだとか。あの集団もそのうちのひとつなのだろう。それにしても、宣伝をするならもっと人が多そうな昼休み中にしたほうがよいのではないだろうか。何もわざわざ一限前に来なくてもいいのではないだろうか。それとも、何か意図があるのか。
前を歩いていた一年らしき人々がその集団を一瞥しながら微笑んでいる。別に奇抜な格好ではあるが、よくあるものだろうに……とその様子を見守っていたが、集団が俺の方に近づくにつれ一年生集団の笑みの意味がわかった。華奢であれば似合うはずのワンピースに包んだ肩幅は女にしてはやや広く、肉付きが豊かであればふっくらと柔らかいはずの胸元は張っていて上向いており、作り物めいている。よくよく顔を観察しみれば、筋と骨が目立つハリボテのような皮膚に、僅かに青く髭の剃り跡が残っている人もいた。その集団は俺の進行方向に立てられていた掲示板を前にして立ち止まる。そして黒いメイド服姿の人物が、傍らの青いチャイナドレスを着た長身の人物に声をかけた。
「よし、じゃあここに一枚」
「はーい」
チャイナドレスは促されるままに用意してきたポスターを一枚手に取ると、掲示板の空いたスペースに慣れた手付きでそれを貼り付けた。左右のお団子にまとめられた髪が、頭を前後するに合わせて僅かに動く。伸び上がった際に腰下まで開かれたスリットからむっちりとした太ももが覗いた。ふくらはぎから太ももにかけては滑らかなストッキングで覆われており、剃刀負けもしない肌なのか剃り残しの傷も見受けられない。なるほどこの人はどうやら自分の武器が長身であることを理解してこの格好を選んでいるらしい。
傍らにいたメイド服の人物が、チャイナ服の貼ったポスターの位置を確認しながら「おっけー。ありがと、完璧」と親指を立てて微笑んで見せた。貼られたポスターには果たして一年生集団が笑っていた理由に直結する文言が書かれている。だが、描いた人物のセンスがいいのか、予想していたようなケバケバしさやどぎつさはなく、寧ろシンプルな洋装のシルエットに文字をあしらっただけの図面だった。喫茶店とかアパレルショップなんかでこういうデザインのポスターを見かけたことがある。そのポスターを俺が見ていることに気付いたメイド服が、あら気づかず作業しちゃった、ごめんなさい、と一言言って向き直った。突然話の中に加わった自分の存在に驚きつつも、いえいえ、と笑顔で返すと、メイドさんは小脇に抱えていたチラシを一枚、渡してくれた。
「女装サークル、ナナカマドでーす。大学祭で女装喫茶やるよ! よかったら見に来てね」
「ありがとう」
ポスターと同じデザインのチラシを受けとる。女装サークル、ナナカマド。学内唯一の女装サークルだと聞いたことはあったが、見かけたのは今日が初めてだった。道行く一年生は笑っていたが、先ほどのチャイナドレスの人のように、一部の部員にはかなりレベルの高い女装をしている人もいる。チラシを配ってくれたメイドさんなど、完全に女子になりきっている。
が、チラシを渡してにっと笑ったメイドさんの朗らかな笑顔に、どことなく見覚えがあった。小顔で小さい顎と、頬の肉付きがよい可愛らしい表情。幅が狭くて撫で肩で、四肢も全体的にほっそりしているその立ち姿は、どこからどう見ても完全に女の子だ。女装をする男はネット上を探せばいくらでもいるが、なぜか目の前のメイドさんにはそれ以上に惹き付けられるものがあった。スカート丈から覗く白い足に目を向けると、縁のフリルから伸びるガーターベルトが、以前ネットで見かけた自家撮り写真と結び付いた。
「もしかして、釜戸官、さんですか?」
発した一言に、立ち去ろうとするメイドさんがぴくりと反応する。どうやら正解のようだ。
「あ、うん。もしかしてアタシのファンの方?よくわかったね、さすがだよ」
振り向いたメイドさんがまた事も無げに頷く。本人から告げられた答えが合っていたことに、俺の胸は歓喜のあまり打ち震えた。
「マジっすか! えー、いや、うわ。本当に。いやー、光栄だな! 俺、あなたの大ファンなんっすよ!」握手してもらってもいいすか、と手を出すと、釜戸さんは、はいはーい、と嬉しそうに俺の手を握ってくれた。手のひらさえ柔らかな肉付きを持つ釜戸さんの感触に、無意識に全身が喜びに火照る。こんな素敵な生き物が自分と同性であるというのが未だに信じられない。
俺が釜戸官というネットアイドルを知ったのは二年前のことだ。好きだったアマチュアバンドのネット生配信で超絶かわいいネットアイドルがいる、しかもそいつはなんと男である、と紹介されており、その時の褒め方があまりに異様な熱気を醸していたのに気になって、紹介されていた名前――「釜戸官」を検索にかけてみた。出てきた画像はどれも女の子にしか見えないコスプレ写真ばかりで、特に肩の丸みや顎の艶やかさたるや、数枚見ただけで、これは男だと言われなければ絶対に気づかないなという感想を持つまでに至った。女装姿で歌を歌う釜戸さんの声は確かにやや男声に寄っていることから、どう見ても女の子にしか見えないのにその実歌声ははっきりと男性だとわかるところにギャップがあり、また一部のコアな男の娘ファンにバカウケしているとのことだ。そしてあろうことに調べている間に徐々に俺もその魅力に気づき、今ではすっかり一釜戸ファンとして毎回新譜が発表される度に即売会に参加するほどになっている。
だが驚いたのはその釜戸官という人物が何とうちの大学に所属しているという噂が立ち上ったことにある。情報のソースが定かでないため俺はあまり信じていなかったが、火のないところに煙は立たぬということもあり、鵜呑みにはしないが気にはなっていた。そして今日初めて女装サークルなるものと遭遇したこと、その中心人物のようなメイド服の人物との遭遇により、俺の噂に対する疑念は見事払拭されるに至ったのである。その顔立ちは、メイクこそ違えど、よく見たら釜戸官その人だった。
「でもすごいね、どこでわかったの? なるべくメイクの仕方とかもライブのときとは変えてるはずなんだけど……」
釜戸さんは小首を傾げた後に、ねえ、と傍らのチャイナ服に同意を求めた。チャイナ服の確信をもった頷きから、釜戸さんの発言がその場かぎりのでっち上げではないことがわかる。
「そのガーターベルトです。太ももの締め付け具合とデザインから、ライブで使っていたものと同じだと判断しました。メイクだけではなく、持ってる品にも少し手を加えた方が良いかもしれませんね」
「ええ! まさかそんなので気付かれるなんて。でも確かに持ってるものから気付かれる場合もあるよね、わかった、よく覚えておくね」
白い指がスカートから覗くほっそりとした太ももを撫でる。ベルトの艶を帯びた生地が、朝の光をぼんやりと反射させている。
「それにしても……君、なかなか面白いものを持ってるね……うん、センスいいかも」
釜戸さんは俺を上下前後しげしげと眺めて何度か頷いた。時おり周囲の部員に対して、どう思う? などと問いかけ同意を求めている。部員と謎の談義がしばらく続いた後、釜戸さんは何かの結論を出したのか、俺に再度向き直った。
「うん、君さ。興味があったらうちのサークルにおいでよ。そこのチラシに、部室の場所書いてあるからさ」
「え」
「もし君がよければ、なんだけど。一緒に女装しよう。その体つきなら、絶対似合うって!」
釜戸さんから嬉々として発せられた一言に、俺は後頭部に鈍器で殴られたような重い一撃を食らったような気分がした。
「え、いや、女装はちょっと……俺はどうあがいてもゴツいんで無理っすよ」
肩幅や四肢についた自らの筋肉を顧みながら、なぜか自分の発した言葉を反芻していた。俺はどうあがいてもゴツい。女装には、向かない。釜戸さんのように可憐になれるはずがなく、それはつまり、同様に男として生きていくしかないことを意味している。
「んー……そうか、残念。でも興味があったらいつでも部室に来てくれて構わないから!」
これはいわゆるスカウトという奴なのだろうか。しかしなぜ俺なのだろう。
釜戸さんは最後に俺の名前を聞いたあと、部員を引き連れて次の掲示板に向かって楽しげにぞろぞろと歩き出した。不意に沈黙がやってくる。わいのわいのと盛り上がっていた声はいつしか遠くなり、俺はそこに一人で取り残された。右手に残されたチラシを再び何となく見る。ナナカマド、とは、もしかしたら釜戸さんの名前をとってきているのかもしれない、と何となく思った。
時計が八時半を示していた。忘れかけていたが、そろそろ授業に行かねばならない。釜戸さんとの会話を思い出しながら、俺は研究室に向かった。
卒論の指導が終了した後、戻ってきた部屋のベッドに思い切り寝転ぶ。週に一度の外出を終了してすっかり気が抜け、一気に全身に虚脱がやってくる。これでまた、来週出席するまで放蕩生活だ。大学生というのはなんと気楽な身分なのだろう。そしていよいよお楽しみの時間だ。
SNSを開くと、ミレイというハンドルネームで運営しているアカウントに、コメントが来ていた。
「うわぁ!ミレイちゃんかわいい!!お姉さまの履いてるピンヒールに踏まれたいぃ!!ハァハァ」
授業を受けていた間にフォローワーから返信を貰っていた。先日投稿した、革靴にジーンズコーディネートに対してのコメントだ。この人毎回リプライくれるなあ、と思いつつ、返信を書き込む。
「ありがとうございますぅ~。次はちょっと新しい挑戦をしてみようと思いますっ」
返信した直後にいいねが飛んでくる。これはこの人なりの愛情表現のようだ。リプライを返すとすぐにいいねを飛ばしてくるあたり、もしかしたら自分と同じ暇を持て余した大学生かもしれない。昨日投稿した写真には、その人以外にも多くの人がリプライやコメント、いいねをくれていたらしい。ありがたい限りである。今日も日課の投稿をしなくては。
クローゼットを開けると、これまで買った大切な服たちが待っていましたとばかりに俺を迎えてくれる。パステルカラーのニットは組み合わせ次第で最強のアイテムに、淡い色の迷彩スカーフはこの時期にぴったりのアクセント、と紹介されていた女性ファッション雑誌を参考にそろえた品が多い。最近のトレンドばかりを押さえた彼らは互いに自己主張をしつつも決して他を排斥することはない。皆が手を取り合って一つの人間をコーディネートする、そのような性質のもとに、俺のクローゼットの中で息をひそめているのだ。
今日は何にしよう、とさっと目を通して、ここ最近着用していなかったワインレッドのメイド服を見つけた。これは確か、女装を始めたばかりで最初の一着目を選んだ時、女装といえばメイド服、という安易な思い込みの元、池袋のその手の店で買ったものだ。実際に着てみて姿見で自分の恰好を映した時に、あまりの似合わなささに絶望し、もうこのような可愛い系の服は絶対に買わない、と後悔したものでもある。しかし、デザイン自体は割と気に入っていたため、何だかんだ捨てられずに取っておいていたのだった。
脳裏に、授業を受ける前に出会った釜戸さんの姿がよぎった。可憐な姿のメイド服だ。あんな風に、自分も着られたら。久しぶりに試してみるか……と男性用普段着を脱ぎ捨て、本日二度目の着替えを始めた。足に黒猫ハイソックスを履く。メインであるメイド服を着用したあと、おくれ毛が出ないようにネットで髪をまとめて、その上から黒長髪のウィッグを被った。髪を軽くブラッシングした後、ヘッドドレスを頭にのせて固定すれば、一旦それらしい恰好が完成する。よりリアルな女の子らしさを意識するのであればこれにさらに縦ロールなどを入れても可愛いかもしれないが、あくまで今回目指すのは清楚系の可愛らしさだ。髪型はウィッグそのままの、ストレートがいいだろう。
次にメイク。化粧水と下地を乗せた後、軽くファンデーションを乗せていざ瞼と目に手を入れる。顔全体の張りを隠しつつたれ目を演出するため、目の周辺部分の皮膚のみ下向きに引っ張るようにテーピングを施した。暫く時間を置いた後、ブラウン系のアイシャドウを瞼に塗り、つけまつげを貼り付け、眉毛を描く。チークはなるべく薄めに。舞台衣装じゃないから、ちょっとかわいい恰好をしましたという女の子らしさを演出できればオーケーだ。
完成した格好を姿見で映してみると、メイクを頑張ったからか前よりは少しまともに着こなせているように見えた。やはり素の状態だとやや無理があるが、これをさらに写真として納めるのであれば、問題なく女の子として見えるだろう。スマホのカメラを起動し、いつもの位置――上斜め四十五度からシャッターを押して何枚か撮影してみる。気に入ったものの中から、さらに少し明るめにエフェクトをかけ、二時間余りを費やしてようやく”ワインレッドのメイド服に身を包んで直撮りする女の子の写真”が完成した。早速投稿しよう。
「ミレイです!今日はちょっとオシャレな赤色メイド服を着てみました!似合う、かな?」
サムネイルを意識したトリミングで、投稿から直接ちゃんと顔が見えるようになっている。少しこれまでの路線を外した写真だったため、投稿ボタンを押して数秒間は不安だったが、すぐにいいねとリツイートの通知が飛んできた。投稿して一分程度で、先ほどのフォローワーからリプライも来る。
「似合う似合う!やっぱりミレイちゃんは最高だよぉ~~!ミレイちゃんみたいな何を着せても似合う彼女欲しいぃいい」
はしゃいでいるように見える投稿に、残念だったな、俺は男だと、思い浮かんだ言葉に密かに笑いつつ、リプライには「ありがとう!次は何を着ようかな~リクエストあったら教えてねー」と元気いっぱいの女の子風に顔文字付きで返しておいた。そのあとも何通かのリプライやいいねが飛んでくる。よかった、今日も液晶画面の向こう側は、大盛況のようだ。
ミレイは俺の現実への関心が薄れるあまり作られたネット上だけの存在だ。夢見るフォローワーとそれに応える俺という構図が出来上がったインターネット上の関係は、気楽でありながらも俺の枯渇しかけていた自己承認欲求を満たすのに最適だった。一人暮らしを始めて自由を得たと思ったが、あまりに自由すぎて逆に何もかもに飽きてしまった俺に、センセーショナルでありさえすればなんでも飛びつくネット上の人々は最高に面白かった。何より、ネット上には同じようにあらゆることに飽きてしまった人々がたくさんおり、それらを引き付けるために創意工夫をしてみるのが楽しかった。今のトレンドはどんな色か、どのようなデザインの服が女子に受けているのか、抜けるような白い肌を作るには、瞼を二重に見せるには、直撮り写真のきれいな撮影方法は、写真の加工の仕方は、ネットで女性を演じる時のポイントは、など、とにかく上げればキリがないほどに、この世の中は”細部”に満ちていた。ネット上ではそれぞれの分野で研究をし尽くした人々が、これをしましょう、このようにするとよいです、と写真や動画を交えて一生懸命に説明をしてくれている。その例を可能な限り真似て行くことで、知識のパッチワークができあがっていた。その集合体であるミレイは、俺にとって一つの作品といっても過言ではない。
一口に女装といっても、単純に男が女ものの服を着ているだけの写真と、フルメイクでウィッグも着用した状態の加工した写真とでは、他人に与える印象も天と地ほどに差がある。細部に拘る閲覧者により楽しんでもらうためには、着飾る方はそれを上回って調査をする必要があるのだ。何より事実として、研究し尽くせばより素晴らしい写真ができる事には違いないのである。生理用品に詳しくなったのも、実際の女性により近づくためにあれこれと俺なりに考え抜いた成果だった。今日はササヤキの昼用タンポンを着用して撮影に臨んだところ、恥じらいの表情を浮かべる可愛らしい女の子の写真を撮ることができた。やはり自分で着用する場合はタンポンに限る。昔付き合っていた彼女いわく、実際の女はあまりそれを使わない、とのことではあるらしいが。
様々にもてはやされるミレイを見て悦に浸っていると、部屋にインターフォンが鳴り響いた。誰か来たのか、と思うと同時に、メイド服姿の自分に気付いて胸が早鐘を打つ。まずい、顔の知られた相手にこの格好を見られたら確実に変態だと思われる。が、ウィッグと化粧を完璧に決めている状態で、男物の服に着替えるのはそれこそおかしい。ここはおとなしく居留守を決め込むのが良いだろうか。というか、こんな中途半端な時間に誰が来たのだろうか。
立ち上がり、ドアののぞき穴から外の人物を確認する。そこにいたのは小柄な女の子――ではなく、女子の姿をした釜戸さんだった。大学構内で出会った時のメイド服をそのままに、俺の住んでいる場所に訪れたようだ。不安と喜びのあまり、ドアノブを握る手がわずかに汗ばんだ。
「すみません~。あれ、いないのかなー。四年生だからずっと家にいるのかと思ってたけど」
どうする。今この格好で出て行って、釜戸さんは俺だと気づくだろうか。もし気づかれたら、どう弁解すればいいのだろうか。が、同時に、一つの考えが俺に訪れる。俺はどう考えてもゴツい体であり、男としてしか生きていくことができない。本当の俺のことを誰も知らないネット上でならば女装をしたところでなんともないが、外で女装することは憚られる。つまり、他人の前で楽しく女装に興じる活動を目的とするナナカマドを、今後俺が訪れることはない。
どうせもう俺が一釜戸ファンではなく、丹温太という人間として釜戸さんに会うことがないのであれば、この格好で出て行っても特に問題はない。そう判断して、俺は握っていたドアノブをひねった。
「まあ、また今度来ればいいかな……」
「はいはい、います、います。ここに!」
「わわ」
「あっと、すみません。いや別に驚かすつもりはなかったん、です、けど……」
思わずドアを開けてしまった。果たしてそこには、丸い目を大きく見開いた釜戸さんがいた。――なぜか山野井と一緒に。
「こんにちはー、って、あれ? 丹君じゃなくて女の、子……?」
一瞬前まで笑顔を浮かべていた山野井の表情が、唐突に凍り付く。
「嘘、え、あれ……ここって丹君の部屋じゃなかった? なんで女の子が出てくるの」
驚いて黙って立ちすくんでいると山野井が俺のことを”丹温太の隠し彼女”だと勘違いし始めたらしい。何やら「また騙された? やっぱり私って見る目ないのかしら」などとぶつぶつ呟き始めた。まずい。これはこれで面倒くさい。
「うあ、えっと……」
一方で、釜戸さんはじっとこちらを睨み付けるように眺める。思いのほか強い目力に、俺は思わず一歩あとじさった。
「山野井ちゃん、違う。この人だよ。アタシがいうんだから間違いはない」
「え?」
「あの…丹君、だよね?女装しているみたいだけど…」
ややためらいがちに問いかけられた質問に、どう答えればいいか迷いつつ、俯きがちに頷いた。ネット上のフォローワーから見れば、おそらくミレイが俯きながら恥ずかし気な表情で、うん、と頷いているように見えたことだろう。だがここにいるのは紛れもなく現実の、丹温太なのである。ただの女装趣味をこじらせてネカマをして遊んでいるだけの、男子大学生なのである。
「えぇええええぇ! うそぉおおおお」
山野井が盛大に声を上げた。どこまでも不愉快な女だった。
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